CHAPTER-57
“RRCAは完全じゃない。RRCAであるオレ達が完全じゃないから……完全な訳がない”
EPISODE-02 “INVISIBLE DAMAGE”
Jul 14 2054,(Tues.) Aquatic City Area-G/RRCA Aquatic City Branch Office 12:27_
「だ、駄目だ……どうしても駄目だ……!」
逢原裕介は絶望の言葉を紡いだ。
そう、彼は今かつてない強敵と対峙している。アクアティックシティに3人しか存在しない、10代の若さにしてグレードS――スペシャルエージェントの権限を与えられた『GLORIOUS DELTA』の1人として、先月にはテロリストの残党による犯行を食い止め、それ以前にも数多の犯罪者を刑務所に押し込めてきた実績を持つ裕介ですら、勝利を見いだせない敵と。
「オレには……オレには無理だ……!」
勝率0%、敗北はもう決定的。
瞬きを忘れたように目を見開き、頬に汗を伝わせる裕介。と、そこに打って変わるように可憐な少女の声が発せられた。
「そんな事無いってば、大袈裟だよ裕介」
ため息混じりに言ったのは、裕介と同じ『GLORIOUS DELTA』の1人にして紅一点、美澤玲奈だ。必死の形相を浮かべる裕介とは対照的に、彼女はソファーに腰掛けてタブレットPCに指を走らせている。
裕介は、食って掛かる勢いで反論した。
「大袈裟なもんか、全然分からねえよこんなの!」
ガタッ、と喧しく音を立てて椅子から立ち上がり、裕介はガラステーブルの上の数枚のプリントを指した。それらは全て裕介の天敵と言うべき存在、数学の補習課題だ。
そう、裕介を追い詰めていたのはこの数枚の紙切れ。数学の成績不振により、彼は単位を出す交換条件として恐ろしき刺客を差し向けられたのである。
そして現在、玲奈によってRRCAアクアティックシティ支部、第23オペレーティングルームに缶詰状態にされている、という状況だ。
玲奈は「やれやれ」と呟いてタブレットPCを置く。そしてソファーから腰を上げて、裕介の側に歩み寄ってきた。
「どこが分かんないの? ……って裕介、まだ1問も解いてなかったんだ」
プリントを手に取った直後、玲奈は呆れ気味に言った。そう、裕介は全ての問題に闇雲に計算式を書いただけで、どれも答えを導き出せていなかったのだ。
と、そこに玲奈とは違う少女の声が発せられる。
「裕介君、問題を無理やり解こうとし過ぎているんじゃないかしら?」
穏やかで優しい声色の主は、メイシー・リー。裕介と玲奈の先輩にあたり、第23オペレーティングルームの管理人でもある香港出身の少女だ。
裕介がメイシーを振り返ると、彼女は何か作業を終えた所なのか、眼鏡を外して長い黒髪をさらりとかき上げる。
「どういう事です? メイ先輩」
裕介が問うと、メイシーは人差し指を立てて言う。
「解けない時は逆や別の視点から考えてみたり、今見ている部分を全てだと解釈してしまわないで、それを一部分として全体を予測してみるとか……そういう考え方、持ってみたら?」
メイシーの言葉は、裕介の頭の中をぐるぐると回る。
成績優秀、しかも容姿端麗な先輩に見合った非常にレベルの高い事を言われている気がして、裕介の理解力では到底追いつかなかった。
「うぐぐぐぐぐぐぐ……」
呻くような声を漏らしつつ、両手で頭を抱える裕介。思考回路はオーバーヒート寸前だった。
はあ、と玲奈が、溜息をついたのが分かる。
裕介は机に突っ伏して、呟く。
「勉強も何もかも、息するみてえに簡単に出来るようになる方法でもあればいいのにな……」
限りなく無意味で馬鹿げた発言だという事は、恐らく裕介自身が最も理解していた。
玲奈が、また溜息をつく。
「そんなシステムがあったら、誰も勉強も努力もしないよ」
全くもってその通り。
ローマは1日にして成らず、一つ一つドミノを並べていくように、勉強とは日々の積み重ねが大事なのだ。
ニコニコと笑顔をたたえながら、メイシーが問うてきた。
「けど裕介君、もし万が一そんな方法があったら……貴方はどうする?」
「え、んーと……」
裕介は少し考えた後、正直に答える事にした。
「やっぱ、手を出さずにはいられないですかね」
玲奈が、3度目の溜息をついた。
「もー……仮にそんな方法があったとして、何か裏があるとは考えないの?」
裕介はひらひらと手を振りつつ、「冗談だって玲奈、そんなマジになるなよ」と返した。
すると、腕時計を見ながら玲奈が言う。
「とりあえず今日はここまでだね。裕介、そろそろ時間でしょ?」
裕介ははっとしたような面持ちを浮かべて、玲奈に告げた。
「悪い玲奈、オレもう出るわ」
数学の問題に気が傾いていて忘れていたが、裕介には個人的な用事があった。
言葉では言い表せない程に、大事な用事が。
「裕介ここ最近よく通ってるよね、『彼女』の所」
玲奈の言葉に、裕介は勉強道具を片付けながら応じた。
「時間がある時は会いに行くようにしてるんだよ」
裕介は立ち上がり、出入り口に向かう。その最中で彼は、2人の少女を今一度振り返った。
「んじゃ、先に」
 




