CHAPTER-55
モニターに映る光景に、玲奈はただ絶句するばかりだった。
そこには自らがブレーキの役割を果たし、真正面からトラックを食い止めるという、無謀で自虐的な作戦に打って出た裕介の姿があった。
「何て無茶な事を……!」
玲奈の気持ちを代弁するように、メイシーが言った。
普段の裕介ならば、難なくこなせても不思議ではない事。だが今の裕介は万全の状態にはない、彼は水琴の猛攻を受け、限界寸前の状態なのだ。
自殺行為。今の裕介の行動を表現するのに、それ以上に適した語は無いだろう。
(裕介……!)
裕介は死を賭してでも、この街を守る事を選んだ。それを理解し、玲奈は涙が込み上げそうな気持ちになる。
少しの間、瞬きすらも忘れてしまった。
だが、モニター越しに伝わった裕介の叫び声、そして彼の苦悶の表情の裏に浮かんだ決意。それらを感じ取った瞬間、玲奈は取り戻した。
RRCAエージェントとして、裕介の仲間として、友達としての使命感を。
そして裕介が捨て身の覚悟で作り出したチャンス、そのバトンが今自分に手渡された事に、玲奈は気付いたのだ。
「っ!」
玲奈の10本の指が、凄まじい速度でキーボードを叩き始めた。コンピューターに次々と命令を飛ばし、IMWの自動起動プログラムを解除しようと試みる。
周囲には、多くの少年少女達が居る。玲奈の真剣な横顔は、その中でも際立っていた。今、決死の覚悟でキーボードを操作しているのは、単なる少女ではない。アクアティックシティに3人しか居ない、10代にしてグレードSの権限を与えられた者――紛れもない、『GLORIOUS DELTA』の1人、美澤玲奈だ。
「解除!」
玲奈がエンターキーを叩いた瞬間、アクセスを拒否された時とは違う、耳障りの良くてポジティブな雰囲気の通知音が鳴る。
「解除出来たの!?」
メイシーが、期待を込めて問うてくる。
玲奈は『はい』と答えたかった。だが、それはまだ無理だった。
「いいえ、ここからが本番です!」
続いて無数の文字コード、常人には到底判別不能な、記号や英数字の織り交ぜられた文章が画面を埋め尽くした。
これが、IMWの自動起動プログラムそのもの。何らかの理由で、トラックが目的地に到着する以前に停止させられた場合、即座にIMWを起動、攻撃を開始するという指令を構成する文字列なのだ。
これを解除すれば、トラックが停止してもIMWは起動しない。だが時間内に解除する事が出来なければ、IMWは起動してしまう。全てが、無駄になる。
(何て複雑なの……!?)
玲奈が心中で呟くと、秀文が続けた。
「こんな数のコード、確認するだけでも2日は……」
玲奈が少し目を通しただけでも、それが簡単に解除出来るプログラムではない事は一目瞭然だった。
残り時間はあと僅か、今残された時間でこれを破る事は極めて困難である――史上最年少で『RRCA特別情報管理官』の称号を授かった実績のある玲奈の経験が、そう判断していた。
だが、玲奈は1ミリたりとも、引き下がろうなどとは考えなかった。
「ぐっ!」
再び、玲奈はキーボードを叩き始める。
モニターに映る裕介の表情は、先程よりも苦悶の色を濃くしていた。
死を賭して戦っている友達が居る。ならば自分も決死の覚悟で戦わなければならない。それが出来ないのならば、自分には裕介の仲間である資格は、友達で居る資格は無い。その気持ちが、玲奈の指を加速させる。
(第147行目、該当コード数31……全て消去、第148行目……該当コード無し、続いて第149行目……!)
自動起動プログラムを構成しているコード、そしてそれ以外の物を瞬時に判別し、玲奈は処理を進めていく。
間違った処理を行えば、その時点でIMWが起動してしまう可能性もあった。故に玲奈が背負っているものは裕介の尽力の行方に留まらず、街の命運そのものと言っても間違いではない。
岩でも背負っているかのような重圧が、玲奈を襲っていた。だが、それでも彼女は手を止めない。
「何て速さだ……」
周囲に居る少年少女達の中から、そんな声が聞こえた。
目を通すだけでも2日の時を要すると称された数のコードを一気に処理していく、傍から見れば確かに『速い』のかも知れなかった。だが、玲奈自身にとっては全くスピードが足りない。
(第213行目、処理完了……続いて……!)
1度の呼吸の間に数十回という速度でキーボードを打つ。腕が疲れて指が痛くなるが、そんな物は苦にもならない。裕介は、もっと苦しんでいる筈だ。
(第218行目処理完了、次で最後!)
終わりが見え、さらに処理は加速する。
そして、その時が訪れた。
「解除完了!」
玲奈が再びエンターキーを押す。
画面に『AUTOMATIC START PROGRAM DE-ACTIVATED』というメッセージ。それは自動起動システムの解除を示しており、トラックを停止させても何ら問題の無い状態となった事を示していた。
気を抜く様子も無く、玲奈はイヤークリップヘッドセットを耳に押し込む。
「自動起動システムを眠らせたわ! 裕介、リサちゃん、トラックを止めて!」
◇ ◇ ◇
「オッケー!」
玲奈の言葉を聞いたリサは、即座にライフルの引き金を引いた。
彼女の狙いは限りなく正確で、弾丸はトラックの後輪を弾き飛ばす。トラックの後部が直接道路に擦り付けられる形となり、火花が飛び散る。
役目を果たしたリサはスコープから目を外し、ヘリから状況を見下ろしつつ、
「タイヤ吹き飛ばしたよ、ユースケ!」
◇ ◇ ◇
リサの声と同時に、少しだけ負担が軽くなった気がした。だがそれでも、裕介を苛む苦しみは消えない。
「ぐうううううっ……!」
全身が悲鳴を上げる中、裕介は渾身の力でトラックを食い止めようと試みる。もう、トラックを止めてもIMWは起動しない。ならば、後は自分が気張るのみ。
仲間達の尽力が功を成すか、無為に帰すか。全ては裕介にかかっているのだ。
『ポイント到達まで残り15秒! 裕介……!』
祈る気持ちが垣間見える、玲奈の声。もう、一刻の猶予も無い。
(くそっ……!)
少しだけ横を見て、裕介はトラックが斜張橋に到達した事を知る。斜張橋を渡り切ってしまえば、手遅れだ。
間に合う自信が無い。だが、裕介の表情には落ち着きが垣間見えていた。
(もう、やるしかねえな……!)
最後の手段を使う事を、裕介は決意した。それは同時に、自分の命を捨てる覚悟を決めた事を意味する。
裕介はまだ、デバイスの出力を80%までしか引き出していなかったのだ。理由はやはり水琴の攻撃によって受けた身体へのダメージ。だが、80%でも十分に体への負担は大きかった。
本気を出せば、最大出力の100%まで出せば、勝機はある。だが、それは同時に比べ物にならない程の負担を受けるという事。
死に至る事だって、十分に考えうるのだ。
(……)
裕介は、躊躇った。RRCAエージェントとしての責任があるとはいえ、命を失う事に何の恐怖も無いと言えば嘘になる。
けれど裕介は、ものの数秒で迷いの鎖を断ち切った。
ふと、裕介の脳裏に昔の出来事が蘇る。いつだっただろうか、まだ幼かった裕介が父親同然に慕っていた彼、ジーノに言われた事だ。
“楽しみにしてるぜ裕介。立派になったお前が、大事な物の為に戦う姿を見るのをな”
その言葉は、永久に実現しない。ジーノは、もう居ないのだから。このような最中でも、裕介は罪悪感に苛まれてしまう。
けれど、同時に裕介は思い出す。自分の手でジーノを死なせてしまった後、決意した事。そして、如何なる決心の下、グレードSの権限を受ける事を選んだのかを。
裕介の瞳に、強さが戻る。
もう、裕介はあの頃の弱い子供ではないのだ。
「ジーノ……!」
トラックの走行音にも負けない声で、裕介は父の名を口にする。
“あんたに、見せてやりたいよ”
――裕介は、デバイスの出力を最大に、100%に引き上げた。
「わああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ――ッ!!!!!」
一線を画すような痛みや苦しみに苛まれながら、裕介はトラックの走行音にも勝る獣のような叫び声を発する。水琴を庇う際に負った右足の傷が凄まじく痛み、大量の血液が流れ出るのが分かる。
衝撃が全身を激しく揺らす。体の内側が壊れていくような感覚に、くずおれてしまいそうになる。
それでも、裕介は力を緩めない。
裕介が接するトラックの前方部分が歪み、フロントガラスが粉々に砕けた。
トラックの速度が落ちていくのが分かる、だがそれでも裕介は気を抜かない。両目を固く閉じ、全身に力を込め、トラックを押し返し続ける。
自分の身の事など、最早裕介の頭には無かった。
デバイスの出力を100%にしていたのは、ほんの10数秒間だった。けれど、裕介にはそれが永遠のように感じられた。
トラックの速度は徐々に失速していき、そして斜張橋を渡り切るまで残り1メートル程の地点で――完全に停止した。
『トラックの停止を確認……!』
玲奈の声を聞いた瞬間、裕介はデバイスを停止した。
足に装着したデバイスが発していた水色の閃光が、一瞬で消滅する。
「っ……」
視界が、ぐらりと回転した。
次の瞬間、裕介は仰向けの体制で、道路に倒れ込む。
『裕介!?』
玲奈の声と共に、一緒にトラックを追っていたネイトが駆け寄ってくるのが分かった。
全身がひどく重くて、指先すらも動かせない。こんな状態で、よくトラックを止められたものだ。裕介はそう思った。
急激に、意識が遠のいていく。
呟くような小さな声で、裕介は言う。
「玲奈、ネイト……ちょっと休ませてくれ」
狭まっていく視界で、裕介はアクアティックシティを包む青空を見ていた。
「ちょい、張り切り過ぎた」
このまま気絶したら、本当に死んでしまうのかも知れない。
だが裕介にはもう、意識を繋ぐ力も残っていなかった。よく考えれば、満身創痍の状態で100%の出力を出し、まだ命がある事自体が奇跡なのかも知れない。
そして裕介は抵抗しようともせず、ゆっくりと瞳を閉じ――意識を手放した。




