CHAPTER-52
工場には、沢山の少年少女達が集まっていた。
皆腕にRRCAの腕章を付け、戦闘の爪痕が至る所に刻まれた工場内にて、それぞれの仕事に取り掛かっている。ある少年は現場の写真を撮影し、ある少女は人手が足りないと感じたのか、携帯で応援を要請している。そして数人の少年少女が水琴と、そして意識を取り戻したバルツァーを連行しようとしていた。
そんな中、裕介は工場の壁に背を預けて座り込み、傷の手当てを受けていた。
「一先ずはこれで良し。けど、直ぐに病院で治療を受ける事。特にこの右足の傷はね」
包帯や薬等の治療キットを片手に、エンニがそう告げる。
事後処理の為に召集されたRRCAエージェントの中には、彼女も含まれていたようだった。エンニはグレードBながら医療知識に秀でており、負傷者の手当てを担当しているのだ。
どこか素っ気無さを感じさせるエンニの性格とは裏腹に、彼女の救護の腕は確かな物だった。エンニから数分程度の処置を施されただけで、裕介は幾分体を動かしやすくなった。
しかし、あくまで応急的な物。エンニに告げられた通り、裕介には本格的な治療が必要だろう。
「ありがとな、お蔭で大分楽になったわ」
「別に、これが仕事だから」
裕介が感謝を告げると、2歳下の後輩は視線を外して素っ気なく言った。
治療キットを全てケースに仕舞うと、エンニは立ち上がる。視線も合わせずに「それじゃ、私はこれで」と告げ、彼女は両端を結ばれた長い銀髪を揺らしつつ歩き去っていく。
「ああ、またなエンニ」
座り込んだまま、裕介はエンニの小さな後ろ姿に言う。
彼女は振り返らなかった。しかし裕介に背中を見せたまま、エンニは少しだけ手を振った。
『裕介、具合はどう?』
裕介はゆっくりと腰を上げる。右足の傷が痛み、彼は一瞬だけ体をふらつかせた。
「とりあえず良好。エンニ様々だな」
先程まで動けなかった状態だった事が嘘のように思える程、体が軽かった。
腕をぐるりと回して、裕介は工場内を見渡す。数人のRRCAエージェントの少年少女が水琴を連行しているのが見えた。
裕介は、彼女に駆け寄った。
「裕介君……」
手錠で拘束され、俯いていた水琴が顔を上げた。彼女と、その周囲に居たRRCAエージェントの少年少女達が一旦、足を止める。
裕介は、真っ直ぐに水琴の瞳を見つめた。
水琴の表情には、不安な気持ちが浮かんでいた。彼女を励ましたい、元気付けたいと思った裕介は、口を開く。
「負けんな」
たった数文字の言葉だった。
けれど、裕介はその中に込めた。水琴を信じているという気持ちを、そして水琴が決して独りではないという事を知っていて欲しい、その思いを。
水琴の表情から暗い色は消えなかった。しかし、彼女は確かに頷いた。
そして裕介は、連れ出されていく水琴を見送った。
『立ち直れるよね……群崎さん』
玲奈が言う。
「何も心配する必要なんて無いさ」
遠ざかっていく水琴の後ろ姿を見つめながら、裕介は応じた。
今後、彼女がどれ程の困難に直面する事になるのか、裕介には想像も付かない。だが、裕介は水琴を信じると決めていた。彼女ならば忌まわしい過去に打ち勝ち、正しい道を見つけ出せる――そう確信していた。
「ジーノの娘だぜ、水琴は」
ジーノの優しさも、正義感も、強さも、彼の娘である水琴は受け継いでいる筈。裕介はそう思いたかった。
水琴は自力でナノマシンの洗脳に打ち勝った、それが何よりの証拠だ。
「早く歩け!」
少年の荒い声に、裕介は振り返る。手錠で拘束されたバルツァーが、数人の少年少女に囲まれて連行されていた。
男の視線が、裕介と合わさる。
「勝ったつもりか」
裕介は何も答えなかった。ただ、威圧的な眼差しをバルツァーに向け続けた。
裕介がジーノを撃たなければならない状況を作り出し、しかも水琴を騙して洗脳したこの男。有無を言わさずに殴り倒してもおかしくない相手だった。しかし、裕介は手を出そうとはしない。
彼が手を下さずとも、男は然るべき場所で裁きを受ける事になるからだ。
すれ違う間際に、バルツァーが不敵な笑みを浮かべた。
(何だ?)
拘束されている上に、幾つもの銃口を向けられている。今のバルツァーに成す術など無い筈なのだが、裕介は何か拭えない違和感を感じた。
あの男は、何か隠し球を用意しているとでも言うのか。
『裕介、ネイト君、お疲れ様。後は他のエージェントに任せて、引き上げて大丈夫よ』
玲奈の言葉が、右から左に抜けていく。
バルツァーの浮かべた不敵な笑みが頭から離れず、裕介に言いようのない居心地の悪さを与えていたのだ。
「裕介」
ネイトに声を掛けられて、裕介はようやく反応した。
「ああ」
裕介は、ネイトと共に工場の入口へ向かう。
工場の外にも多数のRRCAエージェントの少年少女達の姿があった。水琴は既に護送された後で、バルツァーがもう1台の護送車へと連れて行かれている。
(何だ、この嫌な予感……)
足を止めて、裕介は眉をひそめる。
――まだ、終わっていない。何故か、そんな気がしてならなかったのだ。
『裕介、どうしたの?』
玲奈の言葉の直後だった。
突然、轟音が裕介の、そして周囲の少年少女達の鼓膜を揺らしたのだ。
「!?」
振り返った瞬間、工場入り口付近の車庫から1台のトラックが、裕介が工場に侵入する際に目にしたあの大型トラックが発進し、猛スピードで迫って来た。
『危ない!』
直ぐにデバイスを起動し、裕介はトラックの進行ライン上から飛び退く。
トラックはかなりの速さで工場敷地内を走破し、裕介が後ろを振り返った時には既に殆ど見えなくなっていた。
突然の出来事に、周囲が騒然となる。
「玲奈、今のトラックは……!」
『工場に侵入する時に裕介が見たトラックだわ、設定時刻が来たら自動走行するようセットされていたようだけど、何であんな物を……』
ふと、裕介の頭に何かが引っ掛かった。
――あのトラックには……何が積まれていた?
「まさか……!?」
『っ!』
玲奈も裕介と同じ事を考えたのだろう、彼女が声にならない叫びを上げたのが分かる。
直後、バルツァーが笑い声を上げている事に裕介は気付いた。すぐさま、裕介は男に駆け寄った。
「何をする気だ!?」
胸ぐらを掴み上げ、裕介は怒鳴った。
バルツァーは全く動じる様子も無く、言い放った。
「これで……この街は終わりだ」
その言葉だけで、バルツァーのしようとしている事が分かった。
「あのトラックには大量のIMWが積んである……トラックが指定のポイントに到達した瞬間、IMWは起動し、一般市民への無差別攻撃を始める」
「……!」
裕介だけでなく、その言葉を聞いた全員が耳を疑っただろう。
「ポイント到達まで10分……もう、止められない」
裕介は、バルツァーを地面に突き放した。
ヘッドセットから、凄まじい速度でキーボードを叩く音が聞こえる。
『……トラックに積まれているIMWの命令プログラムを解析したわ。裕介、ネイト君、バルツァーの言っている事は本当よ!』
それを聞いた瞬間、裕介はバルツァーの思考回路が分かった気がした。
バルツァーの真の狙いは、組織を潰された事への復讐をする事では無く、このアクアティックシティに対するテロ行為だったのだ。反アクアティックシティ過激派組織、ゾンネの残党だったバルツァーならば、十分に有り得る。
「くそっ!」
吐き捨てるように叫ぶと、裕介は門の側に停めてあった自身の車に駆け寄った。
その最中、裕介はネイトを振り返る。
「トラックを追うぞ、急げ!」
エンニによる手当てを受けていても、裕介の体は傷だらけなのだ。デバイスを使う事は負担が大き過ぎて出来ない、ならば車で追うしか無い。
『けど裕介、今の裕介の状態じゃ……!』
玲奈が裕介を引き留める。
彼女は自分の身を案じてくれているのだと分かった。
「んな事言ってる場合じゃねえだろ!」
玲奈の言葉を遮り、裕介は声を張り上げた。
どれだけ危険かは、自分自身が一番分かっていた。しかし裕介はもう、引き下がるつもりは無かったのだ。
「ネイト、早く乗れ!」
ネイトが車に乗るのを確認した後、裕介は運転席に乗り込んだ。
動力を起動し、すかさずダッシュボードに備え付けられたパネルを操作する。
『マニュアル運転に切り替えます』
現れたハンドルをぐっと握る。ふと裕介は、数日前の出来事を思い出した。
車に乗って登校する時の、玲奈との会話だ。
“オート運転にばっか頼ってたら腕が鈍るだろ? いずれオレの運転技術が役立つ時が来るかもしれねえしさ”
他愛もない会話のつもりだった事を覚えている。
けれど、今は正しくその時だった。
(まさか……こんな早くに来るなんてな)
ほんの数秒間、運命の悪戯を呪い――裕介はアクセルを踏み込んだ。
彼とネイトが乗る車が、先程のトラックに負けず劣らないスピードで進んでいく。




