CHAPTER-51
水琴に接近し、裕介は初めて自身に迫り来る無数の弾丸に視線を向けた。放射状に拡散した弾丸、攻撃範囲は広く、万全の状態に無い裕介には避け切れないだろう。
だが、裕介は即座に『安全地帯』を見つけた。弾丸が不規則に拡散する以上、僅かながらも手の及ばない場所が出来上がる。しかし、それはほんの僅かな隙間だ。
(間に合え……!)
水琴の肩と腕を掴み、裕介は彼女の身を低くさせ、床に押さえ込むようにする。これで彼女に危害が及ばないかは分からない。だから裕介は、自分の身を盾にするかのように水琴の側でうずくまり、頭を下げる。
絶対に、彼女を傷付けさせない。裕介は、水琴を守る為ならば自身の身を顧みない覚悟だったのだ。
時間の流れが、元に戻った。
「ぐっ!」
バルツァーが放った弾丸が、裕介と水琴の周囲の壁を、床を激しく抉り取る。
自分の体がズタズタに裂かれるかもしれない状況に、裕介は思わず声を上げてしまう。だがそんな最中でも、彼は水琴に気を払い続けていた。
「うっ……!」
両目を固く閉じる水琴の口から発せられた声、それを聞いた直後だった。
「がっ!」
裕介の右足を、凄まじい痛みが襲ったのだ。
床に崩れ落ちた裕介は、苦痛の声を上げつつ右足に手を触れてみる。衣服が裂けているのが分かる。
手の平を見つめると、真っ赤に染まっている。その赤い液体が自分の血液だと判断するのに、裕介は一瞬の時も要しなかった。
(ちっ、利き足が……!)
痛みに表情をしかめながら、裕介は理解する。
予期していた事ではあったが、銃弾全てを避ける事は出来なかったのだ。避けられなかった1発が裕介の右足を掠め、彼に手傷を負わせた。傷は深くないが、浅くもない。
だがそれでも十分だろう。立ち上がる事も出来ない状態だった者が、数秒という時間の中で迫り来る無数の弾丸からの安全地帯を見つける――言わずもがな、そんな事は至難の業であり、裕介だからこそ出来た事なのだ。
裕介は追撃を警戒し、バルツァーの方へ視線を向けた。するとネイトが発電デバイスを用いて電撃を発生させ、バルツァーを昏倒させる。いつも使っている重力操作デバイスを使っていないのは、何か理由があっての事なのだろうか。
これで一先ず、追撃の心配は無いだろう。裕介は、自身の側に居る少女に声を掛けた。
「水琴、大丈夫か?」
見た所、彼女が銃弾を受けた様子は無かった。けれど、水琴と裕介が座っている場所の周囲には無数の弾痕が刻み込まれている。
水琴は、ゆっくりと顔を上げた。彼女の澄んだ瞳が裕介の顔を映す、水琴の口から発せられたのは、意外な言葉だった。
「どう、して……?」
震えるような声に、微かに涙が混ざっていた。
水琴の言葉の意味が分からなくて、裕介は怪訝な面持ちを浮かべる事しか出来ない。すると彼女は、続けた。
「どうして……わたしを助けるの?」
「どうして、って……」
言葉に詰まる裕介。何故、水琴はこのような事を尋ねてくるのだろうか。
「わたし……わたし、裕介君をそんなに傷付けた、しかも、あなたに沢山酷い事を言った! わたしは最低の人間なのに、死んだ方が良い無価値な存在なのに……それなのに、それなのに何で……!」
悲痛な叫びと共に溢れた涙が、彼女の頬を伝う。可憐な容姿を持つ水琴は、泣き顔までもが綺麗だった。綺麗で、そして叙情的でもあった。
裕介は理解した。そういう事か、と思った。
「……」
裕介は、黙って水琴と視線を合わせていた。
足の傷から流れ出た血液が、足首を伝って床に落ちる。
「どうして、何も言わないの……?」
自分で思っている以上に、裕介の面持ちは沈痛な物だった。
「……もう1人居るんだ。ジーノの他に、もう1人」
裕介の右腕を覆っていたジャケットの袖が、捲れていた。
そこには、黒革の地に銀色の装飾が施された、見かけだけでも男性用にデザインされたと分かるブレスレットが輝いている。
「オレが助けられなかった……大切な人」
どうしてこんな事を水琴に言っているのか、裕介は自分でも分からない。
気が付けば、話していた。もしかしたら、心のどこかで水琴に聞いて欲しいと思ったのかも知れない。
「え……」
水琴はそう発する。次の言葉を待つ、そう意思表示しているように思えた。
「……オレはジーノを助けられなかった。だけどせめて、お前の事は助けさせてくれないか」
水琴と視線を合わせながら、裕介は続ける。
「罪滅ぼしだなんて言い方する気はねえ。けど、オレはお前に生きていて欲しい。死んだ方が良い無価値な存在だなんて……そんな悲しい事、言うなよ」
「裕介君……!」
自分の言葉が確かに水琴に届いているのを、裕介は感じ取っていた。
「どの口でそんな事言ってんだって思われるかも知れねえけど、もしオレに出来る事があるなら、幾らでも力になるから。だから、水琴……」
希望も何もかも失ってしまった水琴に、少しでも光を見出す手助けが出来れば――そう思って発した言葉だった。ジーノを死なせた裕介が、その罪の清算の為に如何なる報いでも受け入れるという宣言でもあった。そして、自分は水琴を助けたい。その意思表示でもあったのだ。
反応は、思いがけない物だった。
彼女が……水琴が、裕介の胸に顔を伏せたのだ。
「っ!」
驚いた。
そして、直後に裕介は気付いた。水琴が肩を震わせながら、裕介の赤いジャケットの胸の部分をぎゅっと握りながら、泣いている事に。
(水琴……)
彼女は、被害者だ。
唯一の家族だった父を失い、孤独と絶望感に苛まれる中、今度はバルツァーに利用され、望まない復讐をさせられた。
ジーノを、水琴の父を撃った自分も、彼女を苦しめた罪を負っている。裕介は十分にそれを自覚していた。
だから彼は迷った。その行動を取る事が、自分に許されるのだろうか、と。
(……)
水琴は、帰らなければならないのだ。彼女が居るべきはもっと明るくて暖かい場所、こんな、薄汚い陰謀に満ちた場所などでは、断じてない。
確かに、水琴がアジュールとしてこれまでやってきた事は消えない。その事で彼女にはきっと、これから幾多の困難が待ち受けているだろう。けれど、水琴にはまだやり直すチャンスが与えられても良い筈だ。その為には、誰かが彼女を連れ出さなければならない。誰かが、水琴に手を差し伸べ、そして彼女を本当の居場所へ戻さなくてはならないのだ。
裕介は、純粋に水琴を助けたいと思った。自分にその資格がある、ないの話ではなく。かつて自分がジーノに救われたように、自分も水琴を救いたいと、心の底から思ったのだ。
自分が救わなければ、彼女は救われないのだ。
少しだけ躊躇った後で、裕介は彼女を、自身の胸の中で泣き続ける水琴を――彼女の小さくて細い体を、そっと抱き締めた。戦闘スーツの冷たい感触と一緒に、水琴の感情が伝わって来るような感じがした。
そして、彼女に言う。
「恨んだり憎んだりしてるばっかで辛かったろ。お前さ、今度は誰かを好きになってみろよ。結構良いもんだぜ?」
――そんなに綺麗な顔してるんだし、さ。裕介は心の中で、そう続けた。
バルツァーによって植え付けられた、裕介への恨みと憎しみ。その裏で本当の水琴の心は、ずっと苦しんでいたのだろう。
泣いたまま、水琴は答えなかった。だけど彼女が微かに頷いたのを、裕介は確かに見届けた。




