CHAPTER-05
アクアティックシティ(AQUATIC CITY)。造られる以前から、この街の名前は決まっていた。
大西洋上に大規模な水上都市を造り上げるという壮大極まるプロジェクトは2000年以前より存在したとされ、その目的は『人口過多への対策』。
増え続ける世界人口によって住宅の絶対数が需要を満たせず、路頭に迷う人間が続出する事。人口と雇用のバランスが崩壊して失業率が増加する事など、人口過多についての問題点を挙げれば枚挙に暇がない。アクアティックシティは、その全ての問題を払拭するべく造り出された都市である。
着工、『AQUATIC CITY PROJECT』として本格的に工事が始められたのは2023年、完成は2039年。16年もの歳月を費やし――人口過多対策の切り札は、未開の土地であった大西洋上に造り上げられた。着想当時は完成まで50年の歳月を必要とすると言われていたが、世界中から各部門のエキスパートが集結した事、さらに格段に進歩していたメガフロート技術により、約5分の1程度までの建設期間の短縮が実現されたのだ。
幾つもの巨大人工浮島を円形に並列させて都市を構成するという工夫により、海への影響も最小限に抑えられている。アクアティックシティを構成する人工島は全部で14、その全てが『A~Nエリア』として区分されており、各エリア間は水上モノレールや船、他にも橋や海底トンネルを通じて行き来が可能だ。
2054年現在、アクアティックシティはそれまでアメリカの主要都市と言われたニューヨークやロサンゼルスを遥かに超える約4000万もの人口を収容し、また市内総生産も破格の値を叩き出している。
完成してから僅か15年で――アクアティックシティは今や全米1位に留まらず、世界一と言っても過言では無いメガシティへと成長を遂げたのだ。
◇ ◇ ◇
「昨日は大変だったね、裕介」
「全くだっての、折角皆で遊べると思ってたのに……」
早朝ラッシュの時刻。エリアEとDを結ぶ湾上の斜張橋には、多くの自動車が行き交っている。その内の1台、エリアE方向へと向かう車に裕介と玲奈は乗っている。2人共しっかりとシートベルトを締めていた。
「まあ、RRCAの仕事なら仕方ねえって事は分かってるけどな」
「分かってるならよし」
左側――運転席に座る裕介は、窓の向こうの景色を見つめている。湾の水面に、陽の光が反射しているのが見えた。
「けど、それ以上にベンさんの所に行く約束守れなかったんだよな。その方が申し訳ないよ」
心配しないで、と言わんばかりに玲奈は微笑んだ。
「事情話せば大丈夫だよ。ベンさんは優しい人だもの」
助手席に座る玲奈からの返事を受けると、裕介は両腕を頭の後ろに回し、シートに寄り掛かる。
運転席に座っているにも関わらず、彼はハンドルを握っていなかった。否、彼と玲奈が乗っている車にはハンドルなど付いていない。運転は全て、車が自動で行っているのだ。地形の把握、アクセル、ブレーキ、ハンドル操作、クラッチ操作。おおよそ、運転に必要な操作は車に搭載されたコンピューターが制御し、人の手に頼る事無く行われる。
――オールオートマティック車。最新鋭の技術を結集して作られた、次世代の自動車だ。この車種が普及して久しいが、未だ無事故である。
「……そういや今日の1時間目、数学だったっけ?」
「え? 今日確か授業変更で、1時間目はVR実戦じゃなかった?」
シルバーのタッチパネル式携帯を取出し、操作し始める玲奈。カレンダーを確認しているようだ。
「いけない、メモし忘れてたみたい」
「そしたら……しょうがない、ルーシーに訊こう」
裕介が提案すると、玲奈は頷く。
彼は、フロントガラスに向かって命じるように言う。
「ウエストサイドハイスクールのAI、ルーシーに接続」
スピーカーから、『命令を確認、接続します』という女性の電子音声が発せられる。同時に、四角いウィンドウがフロントガラス上に現れる。ウィンドウ内には荒い映像が映っていたが、徐々にそれは安定化し、無数の青いドットから構成された人物が映し出される。
鮮やかなブルーのイメージで作られた、長い髪型をし、清楚な雰囲気を持つ若い女性だった。
『おはようございます裕介君、玲奈さん』
イメージの女性は、裕介と玲奈に挨拶をする。スピーカーを通して車内に届くその声は、穏やかで優しげな雰囲気を醸していた。
「おはようルーシー」
助手席の玲奈が、フロントガラスに映る彼女、『ルーシー(LUCY)』に返す。
恐らく言うまでも無いだろうが、ルーシーは人間では無い。
彼女はAI(Artificial Intelligence)、つまり人工知能で、高度な知性、それこそ人間と遜色ない思考や感情を持つ。裕介と玲奈の通う『ウエストサイドハイスクール』に配備されたAIであり、教員や生徒をサポートする役目を担っている。彼女には学校で学ぶほぼ全ての科目に関するカリキュラム、時間割りがインプットされており、その性能は『ルーシーが居れば、人間の教員は必要ないのではないか?』という意見も出させる程。
が、赤ペンを持てないルーシーはペーパーテストの採点は出来ないし(電子機器を用いたテストならば可能である)、体育は教えられない。さらに、『実体の無い人工知能より、人間の先生にこそ学生生活での悩みを打ち明けたい』という生徒も少なくなかった。
教員にとっては『自身を補佐してくれる有能な副担任』、生徒にとっては、『学生生活を支援してくれるお姉さん』。それぞれ表現するならば、ルーシーはそういう立場にあるのだ。
『どういったご用件でしょう?』
モニターとしての機能を持つフロントガラスから、ルーシーは裕介と玲奈に問う。
応じたのは裕介だった。
「あのさルーシー、オレ達のクラスって今日、1時間目は数学だったっけ?」
『確認します、少々お待ちください』
ルーシーを映していたウィンドウが切り替わり、『PLEASE WAIT……』の文字が現れる。5秒程で再び、ルーシーが現れた。
『お待たせ致しました。ジェームズ先生のクラスは本日、授業日程変更によって1時間目は数学では無く、VR実戦授業となっています』
玲奈は裕介に視線を向けつつ、
「ほらね? 私が正解だった」
裕介は口を尖らせ、数度頷いた。ルーシーが付け加える。
『既にご存知かと思いますが、VR実戦授業は1秒でも開始時刻に遅れると欠席扱いとなります。ご注意下さい』
「ああ知ってる、しかも入室時刻確認はルーシーがやってるから、誤魔化しが通用しねえんだよな」
『私を誤魔化す事でも企んでいたんですか? 裕介君』
「なわけねえじゃん。ルーシーの目を誤魔化すなんて不可能なんだから」
端で聞けば、まるで人同士のありふれた会話のようである。
『グレードSの地位に味を占めて天狗になっていては、手痛いしっぺ返しを受ける事になりますよ?』
「分かってるってば!」
裕介は弁解する。
彼の姿を見て、ルーシーはくすくすと微笑んだ。その笑顔は純粋な感情を感じさせ、彼女が人間の手で作られた人工知能であることを、どこか信じ難くさせる。
「裕介、本当に分かってるのかな~?」
玲奈が、裕介の肩を指先でつんつんと突く。
「だから分かってるっつの!」
子供のように発する裕介に、ルーシーと玲奈は一緒に微笑んだ。
『それでは、私は宜しいでしょうか?』
「大丈夫だよルーシー、教えてくれてありがとう」
玲奈が応じると、ルーシーは『それではお2人とも、後ほどお会いしましょう』と言い残す。
フロントガラスのウィンドウが閉じられ、再び透明なガラスが現れた。ルーシーとの接続が終了したのだ。
「ったく、玲奈までグルになってオレをからかって……」
そう言いつつも、裕介に苛立っているような様子は見受けられない。
どちらかと言えば拗ねている、そう言った方が正解だろう。
「ごめんごめん、だってルーシーがあんな事言うから」
謝りつつも、玲奈は笑顔を浮かべていた。
彼女を見つめながら、裕介はまるで呆れる気持ちを噴出するようにため息を吐く。
フロントガラスの向こうでは、Eエリアに続く橋の終点が見えようとしていた。
「あとどれくらいで着く?」
その裕介の言葉は、玲奈に対してでは無かった。電子音声で、『現在の速度、及び本日の交通状況を考慮した場合、目的地到着までの残り時間は3分47秒です』と返ってくる。
裕介はシートに寄り掛からせていた身を前方に乗り出し、運転席のダッシュボードに備え付けられたモニターを操作する。彼が数度、モニターをタッチすると、
『マニュアル運転に切り換えます』
という電子音声と共にダッシュボードが開く。そこからハンドルが現れ、裕介の方へと伸びて来た。
「運転するの?」
裕介は両手でしっかりとハンドルを握りつつ、応じた。
「オート運転にばっか頼ってたら腕が鈍るだろ? いずれオレの運転技術が役立つ時が来るかもしれねえしさ」