CHAPTER-49
銃を向けられた水琴は、ただ座り込む事しか出来ない。
バルツァーは空いた手でポケットを探り、ナノマシン制御装置を取り出した。そして男は装置を操作し、ボタンを押す。
水琴の体を、電気が走り抜けるかのような衝撃が襲う。
「ぐっ!」
耐え切れずに、床に崩れ落ちる水琴。気を失いそうになった瞬間、水琴は自分の頭が踏み付けられたのが分かる。
「自力で洗脳ナノマシンの支配から逃れるとは、予想外だった」
感情の感じられない、機械的で冷徹な声。
視線を動かすと、バルツァーが見下ろしていた。
「身体能力増強ナノマシンは停止した。これでお前はもう、ただの無力な人間という訳だな」
自分の手の中の装置を見せ付けるようにしながら、バルツァーは言った。
水琴が戦闘スーツを使いこなして驚異的な強さを発揮出来るのは、彼女の体に注入された薬剤、そしてナノマシンの作用があっての事だ。薬剤に比べて、ナノマシンはとりわけ重要な役割を担っており、それが停止された今、バルツァーが言った通り、水琴はもう普通の少女だ。
だから、バルツァーに何をされようとも、反抗する力など無い。
「ぐふっ!」
水琴の腹部に蹴りが入る。憎しみをぶつけるかのような容赦の欠片も無い一撃に、水琴は細い体を折り曲げた。赤みの強い茶髪が乱れ、床に広がる。
「水琴、施設からお前を救ってやったのは誰なのか、忘れたか?」
男からの質問に、水琴は答えなかった。いや、答えられなかったと言った方が正しい。
彼女に出来たのは、呻くような声を発する事だけだ。
「うっ……」
苦しみの中、水琴は思い返す。
それは何年も前に遡り――父を失った水琴は、身寄りのない子供達を保護する施設へと送られた。施設での暮らしは、何ら不自由は無かった。食事も十分に与えられたし、施設の大人達も水琴に優しく接してくれたから。
けれど、どんな事も水琴の心に空いた穴を埋める事は出来なかった。
父を失い、そして唯一出来た友達である裕介にも、深い疑念を抱いてしまったからだ(施設に送られた頃、水琴は既に事件の詳細を聞かされており、裕介が父を死なせた事を知っていた)。
2人の大切な人を、1度に失ってしまった。いや、まだ水琴はその時、裕介を信じようと考えていた。彼が父を死なせるだなんて信じられない、もし本当だったとしても、恐らく何か理由があったのだと。だからもう1度、水琴は裕介と会いたかった。もう1度会って、そして彼の口から本当の事を聞きたかったのだ。
けれど、施設に入ってからもう、水琴が裕介の顔を見る事は無かった。代わりに、その男が現れたのだ。
水琴の父親、ジーノ・カルデローネの友人だと言うその男は、ルドルフ・バルツァーと名乗った。そして、男は今日から自分が君の面倒を見る――水琴にそう告げた。
正直、水琴は警戒した。何処の誰とも分からない男の言葉など、怪しくて受け入れ難かったから。
“逢原裕介君に会わせてあげる”
しかし、バルツァーのその言葉が、水琴から不信感を消し去ってしまった。
父を亡くした水琴にとって、裕介は唯一の拠り所とも言える存在だったのだ。父の友人だと言うし、裕介の事も知っている。この男性は信じてもいい、水琴はそう思った。
そう、思ってしまった。
男が、復讐の道具として自分を利用しようとしている。そんな事は、夢にも思わずに。
「何だ、その目は」
ナノマシンによる支配から解かれ、正常な思考を取り戻した水琴。今の彼女は、バルツァーが自分にした事が理解出来ていた。
この男は、自分を利用したのだ。洗脳ナノマシンによって水琴の正常な思考を奪い、裕介に対する恨みや憎しみが充満した状態の、凶悪な人格を水琴に植え付けた。
アジュールというもう1人の自分を作り出し、自分に裕介を傷付けさせた男。水琴は、男を赦せなかった。
男の蹴りが、水琴の側頭部を捉える。
「ぐっ!」
水琴の体が、床に叩き付けられる。睨み付けるという抵抗すらも、水琴には許されなかったのだ。
「ああ、最後に教えておいてやる」
朦朧とする意識の中で、水琴はどうにかバルツァーに視線を動かした。銃口が向けられている。
「そのガキが言っていた事は、本当だ」
「!」
バルツァーの言葉が何を意味するのかを、水琴は直ぐに理解出来た。
「あの時、私はお前の父親……ジーノ・カルデローネに抑え込まれたが、同時にIMW制御装置を撃てば、お前の父を撃ってしまう状態に持ち込んだ……まさかあのガキが仲間もろとも装置を撃つとは思わなかったが、こうも考えられるな」
既に、水琴の頭の中では全ての事柄が形になっていた。
バルツァーは、水琴を嘲笑うかのような表情を浮かべて言う。
「私があのような状況を作らなければ、そのガキはお前の父を撃たずに済んだ……つまり、お前の父を殺したのは、私だとな」
「っ、そんな……!」
水琴は確信した。確信、せざるを得なかった。
この男は自分から父を奪っただけでなく、自分を騙して洗脳し、父と同じくらい大切だった少年を傷付けさせた。
水琴は、バルツァーによって何もかも全てを奪われたのだ。
「全く……馬鹿な奴だ!」
容赦無く投げ付けられる、侮辱の言葉。悔しさと悲しみが、水琴の瞳に涙を浮かばせる。
バルツァーに飛び掛かりたかったが、そんな力は残っていなかった。水琴に出来たのは、残酷な運命を目の当たりにしつつ男の言葉を聞く事だけだ。
水琴を救う者は、そこには誰も居なかった。
裕介は未だに気を失っている。だが、仮に彼が万全の状態であったとしても、自分を助けてはくれないだろう――水琴はそう感じていた。
沢山の酷い事を言い、あれ程までに傷付けてしまった。洗脳ナノマシンによって正常な思考を奪われていた、そんな事は理由にもならない。
(裕介君……)
心の中で、彼を呼ぶ。
赦してもらおうなどとは思わなかった。だが、水琴はせめて裕介に謝りたかった。
「親子共々私の手で死ぬとは、皮肉な事だな」
再び銃口を向けられ、水琴は恐怖に表情を染めた。
「……だ、いやだよ……!」
涙が、止められない。
死ぬ事が怖いのか、そうでは無い。せめてもう1度、水琴は裕介と話がしたかったのだ。
だが、自分にそんな事は許されない、許される筈が無い。水琴は分かっていた、これは言わば天罰、愚かな自分に課せられた当然の報いなのだ。
「だが、お前の死は誰にも惜しまれない。父親と違ってな」
確かに、その通りだ。
反論すら出来ない事が悲しくて、水琴は固く閉じた目から涙を溢れさせる。
「お前の父は勇敢だった。勇敢で……そして馬鹿な男だった」
バルツァーの指が、銃の引き金をゆっくりと、しかし確実に引き始めるのが分かった。
「他人を守る為に、自分の命を無駄にするとはな!」
バルツァーが銃を握る手に力を込めるのを、水琴は確かに見届ける。
それと同時に、轟音が鳴り渡った。




