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GLORIOUS DELTA  作者: 虹色レポートブック
EPISODE-01 "RETRIBUTION OF SADNESS"
46/93

CHAPTER-46

 

 正しい事と、間違っている事。それらを明確に定義付ける事など、恐らく誰にも不可能だ。

 何故なら、それらは状況に応じて著しく変動するから。普段ならば大半が『間違い』と認識するであろう事も、場合によっては『正しい』と解釈してしまう事も出来る。

 だから、あの時――裕介は苦悩した。自らの命を捧げて多くの人々を救おうとしているジーノを目の前に、銃を握る手を震わせ、その瞳から涙を流しながら。

 引き金を引けば、多くの命を救える。だが、父親同然に慕っているジーノを殺してしまう。

 引き金を引かなければ、ジーノを傷付けずに済む。しかしIMWが街に放たれ、多くの一般市民に危害が及ぶ。

 突如、自身の小さな肩にのし掛かった究極の選択に、裕介はどうしたら良いのか分からなかった。けれどそこに彼を救う者は居なく、裕介自身が決断する以外に道は無かったのだ。


「だから、オレは……!」


「嘘言わないでよっ!」


 裕介の言葉は、悲しみと怒りが綯い交ぜになった叫びに遮られた。


「悩みなんて……悩みなんてしなかったんでしょ、あなたは何の迷いも葛藤も無くパパを撃ったんでしょ! 本当の事を言ってよっ!」


 その身を地面に着けたまま、裕介は困惑した。

 水琴に言った事は全て本当で、裕介は一片の嘘も吐いていない。何故、水琴はそのような結論に至ったのだろう。

 理由を尋ねる前に、何度目かも分からない蹴りが裕介の脇腹を突き上げる。


「ッ! っ……」


 声も出せず、それまでうつ伏せの体制だった裕介の体が仰向けになる。


「そうでもなきゃ……そうでもなきゃ、RRCAエージェントを続けていられる訳が無いじゃない、本当にパパを殺した事を悔いているなら……のうのうとグレードSの座になんて着ける筈が無いじゃない!」


 血を吐くように言葉を投げ付けてくる水琴。なるほど、と裕介は思った。

 痛みに苛まれる中、裕介は水琴の思考回路を理解した。確かに、それならば十分にありうる。彼女が裕介の心情に関してそのように解釈する事も、可能だ。

 彼女は、叫び続ける。


「裕介君にとっては……あなたにとっては、『単なる仕事仲間』程度の関係だったかもしれない、それと引き換えに街を救えって言われたら、躊躇なく命を奪えるような間柄に過ぎなかったかもしれない!」


「……」


 裕介は、呆然とした面持ちで天井を見上げる事しか出来ない。


「でも……でも、わたしには違ったの! 唯一の家族だった、世界に1人しか居ない、大切なパパだったの! それなのに……それなのに!」


 水琴の足の裏が、裕介の腹部を踏み付ける。



 ◇ ◇ ◇



「増援を呼ばないと……!」


「待って下さい、メイ先輩!」


 携帯を取り出したメイシーを、玲奈は制した。

 

「だけど玲奈、このままだと裕介君が……!」


 第23オペレーティングルームにて、玲奈とメイシーは裕介と水琴のやり取りを見守っている。

 裕介が危機的状況に陥っている、そう判断したメイシーの提案は至極正しい物で、本来反論の余地は無かった。


「裕介を、彼を信じてくれませんか」


 玲奈は、イヤークリップヘッドセットを通じて水琴の言葉を全て聞いている。だから、裕介と彼女の間にどのような因縁があったのかも理解していた。

 祈るような面持ちで、玲奈は続ける。


「群崎さんには……彼女にはきっと、裕介しか居ないんだと思います」


 モニター越しで水琴の様子を見ただけでも、玲奈には分かった。

 彼女は、ただ憎しみの対象として裕介を見ている訳ではない。そこには何か、違う感情が渦巻いている。


(彼女、もしかして……)


 根拠など無いのだが、玲奈には水琴が裕介に『救い』を求めているようにも見えるのだ。水琴が裕介に発する憎しみに満ちた言葉の数々、その裏に『助けて』という心の叫びが垣間見えている気がしてならないのである。


「どうして、分かるの?」


 メイシーからの質問に、玲奈は物憂げな面持ちを浮かべて答えた。


「私にも居ましたから。とても大きな恩を受けたのに、気付いた時にはもう遅かった……そんな人が」



 ◇ ◇ ◇



 苦い液体が込み上げる。意識を失いそうになる中、裕介は疑問に思った。

 水琴にとって裕介は、大切な人を奪い去った憎むべき相手。何年も恨み続けてきた相手を完全に追い詰め、今彼女は待望の復讐を果たしている最中の筈だ。


 ――それなのにどうして、彼女の頬には涙が伝っているのだろう。


「……父親、だったよ」


「何? 聞こえない」


 声を出すだけで一苦労、こんな体験をするとは夢にも思わなかった。


「オレにとっても、ジーノは父親だったよ」


 呟くようにしか、言葉を発せなかった。


「まだ、そんな言い訳するの」


「……オレの本当の父親はさ、どうしようもねえ奴だった。小さかったオレと、オレより5歳下の妹を置いて、どこかに消えちまってさ」


 語りながら、裕介は疑問に思った。何故、自分はこんな話をしているのだろう。


「一時期さ、オレと妹は父親の所為で周りのガキ共からすげー嫌がらせされてたんだ。悪口言われたり、ボコられたりしてさ」


 水琴は、何も言わなかった。


「……オレさ、すげえ泣きたかったよ。嫌がらせ以上に、実の父親の所為でこんな目に遭ってるって事の方が悲しかった」


 廃工場の天井を見上げながら、裕介は続ける。

 

「けどオレは泣けなかった。だってそうだろ? 父親は居ないし、女手一つで育ててくれてる母さんには、余計な気を遣わせたくなかった。妹がすげえ泣いてんのにオレまで泣いちまったら……負けちまったら、もう終わりじゃねえか」

 

 あの頃の事を思い出すと、裕介は今でも辛くなる。必死に気張って、涙を堪えて、泣きじゃくる妹を慰めていた。

 妹が自分にそうしたように、裕介も誰かにすがって泣きたかった。けれど父親は居ないし、母親には相談出来ない。裕介には妹と違って、悲しみをぶちまける相手が居なかった。彼はいつも慰める側で、彼を慰めてくれる人は居なかったのだ。

 だから彼は、泣かなかった。涙を見せたら、『弱さ』を見せたら、誰も妹を守れなくなる。そんな気がしたから。


「そんな時、オレはジーノと出逢った。知り合ってから少し経った頃さ、ジーノになら相談しても良いかなって思えたんだ」


 その頃から、既に裕介はジーノに『父親』のような感情を抱き始めていたのかも知れない。


「全部話して……そして、ジーノがオレに言った言葉が忘れられないよ」


 少しでも、自分の気持ちを分かってもらえれば良かった。そして、笑いながら励ましてでもくれればもう万々歳。しかし、ジーノの言葉は裕介の想像を超えた物だった。

 そう、裕介が話し終えた時、ジーノは片手をぽん、と裕介の頭に置き、そして――。


 

“頑張ったな裕介。お前は最高の兄貴だよ”



 膝を折って目線を合わせ、裕介の目を真っ直ぐに見つめて、ジーノはそう言ったのだ。


「あの時が初めてだったな……人前で大泣きしたの」


 ジーノの言葉、そして誰かが初めて自分の悲しみを理解してくれた事が嬉しくて、裕介はジーノの前で、泣いた。それまで溜め込んでいた感情を吐き出すように、とめどなく流れ出る涙に頬を濡らしたのだ。

 あの時の事を思い出し、思わず笑みが浮かぶ。同時に、少しだけ視界が潤んだのが分かる。


「ジーノは、父親だった。ロクでもねえ糞ったれだった本当の親父に代わって、オレに大切な事を沢山教えてくれた……世界に1人しか居ない、『父さん』だったよ」


 RRCAの手帳から、あの写真を取り出す――それだけでも一苦労だった。

 言葉を紡ぐだけでも、呼吸するだけでも、体が悲鳴を上げる。もしかしたら、死んでしまう寸前なのかも知れない。

 写真の中で、ジーノと裕介が笑っている。

 水琴にも写真が見えたのだろう、彼女が息を呑んだのが分かる。

 仰向けのまま、裕介は水琴の方を向いた。彼女は驚いたような、困惑したような面持ちを浮かべていた。


「赦してくれとは言わない。けど、死ぬだなんて事は……やめてくれないか」


 いつの間にか、裕介は自分が涙を流している事に気付いた。

 痛みから出た涙とは違う。罪悪感が流させた涙でもない。どうして自分が泣いているのかも分からないまま、裕介は呼び掛け続ける。


「ジーノさ、いつもお前の事言ってたよ。ちょっと恥ずかしがり屋だけど、可愛くて優しい……自慢の娘だって。水琴みたいな娘が居て、自分は世界一幸せな父親だって。そりゃもう、楽しそうにさ……」


 このような最中にも関わらず、裕介は思わず笑ってしまう。

 娘の事を話すジーノの姿は、今もなお心に残っていた。本当に楽しそうで……そして、幸せそうだった。当時の裕介は幼くて上手く理解出来なかったが、今ならばジーノの気持ちが良く分かる。

 水琴は、何も言わなかった。ただ黙って、裕介の言葉に耳を貸していた。


「オレが憎いなら殺せばいい、呪いたいなら呪えばいい……オレは、逃げも隠れもする気は無いよ」


 涙に潤む瞳で、裕介は水琴を見つめる。

 心が揺れ動いているのだろうか――水琴は依然、困惑したような面持ちだ。 


「だから……死ぬだなんて言わないでくれ。お前が死んだら……ジーノは絶対に悲しむ」


 裕介は、懇願する事しか出来ない。

 ジーノは娘を、水琴を大切に思っていたのは確かだ。それに、裕介も水琴に死んでなど欲しくなかったのだ。彼女が父親のように慕っていた男性の娘だから? そうでは無い。ただ、生きていて欲しいのだ。

 理由があったとは言え、彼女から父親を奪っておいて何を言っているのか。裕介は自分でもそう思う。けれど、水琴が死んでも誰も救われない。罪悪感に苛まれ続けた裕介も、死を賭して街を救ったジーノも、そして、長らく苦しんだ水琴自身も。

 裕介の瞳から、涙の雫が零れ落ちる――予想外の事が、起きた。


「うぐっ!」


 突然発せられた、苦悶の声。

 驚きの余り、裕介は強引に体を起こす。立ち上がる事は出来なかったが、傍の壁に背中を預けて座り込む事は出来た。


「ぐう、う……」


 苦しげな声を出しながら、水琴が頭を抑えて膝を付いていた。赤みの強い茶髪を振り乱しながら、まるで何かに取り付かれたかのような様子である。

 一体、どうしたと言うのだろうか。


「まさか……まだ抵抗する力が残っていたのか」


 その言葉を発したのは、裕介でも水琴でも無かった。

 これまで何も言わず、何もせず、傍観するように裕介と水琴の様子を見ていた男――バルツァーだ。

 バルツァーが、懐から何かの装置を取り出したのが分かる。見ただけでは、何なのかは分からなかった。


『あれは……洗脳ナノマシン制御装置!』


(!)


 玲奈の言葉で、裕介は理解した。

 先程のバルツァーの言葉、そして彼が持つ装置、そこから導き出される仮説は、一つ。

 水琴は、この男によってナノマシンを体内に注射され、洗脳されているという事。


「裕介……君……」


 苦しげに発せられた水琴の言葉には、それまでのような憎しみは秘められていなかった。


「水琴!」


 呼んでも、返事は無かった。


「やむをえん……洗脳レベルを最大にしよう」


 バルツァーを振り返った瞬間、男が装置のボタンを押す。

 同時に、一線を画すような高く、長い悲鳴が水琴の口から発せられ――次の瞬間、裕介は自分の首が暴力的に捉えられるのが分かった。


「ぐっ!」


 目の前に、水琴が居た。

 その表情には何の感情も読み取れない。しかし、自身の首を掴むその両手から、裕介は彼女の感情が流れ込んでくるような気がした。


「さあ水琴……お前の恨みを晴らせ」


 首を締め付けられながらも、バルツァーがそう言ったのを裕介は聞いた気がした。






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