CHAPTER-44
第23オペレーティングルームにて、玲奈は驚きに目を見開き、耳を疑っていた。その理由は、ヘッドセットを通じて彼女の耳に届いた裕介の言葉。
“オレはジーノを、お前のお父さんを……殺した”
裕介は、水琴に対してそう言った。
玲奈の記憶では、ジーノとは裕介が父親のように慕い、彼に沢山の事を教え、今の裕介を作ったとも言える人物。そのジーノを、言葉では表せないような多大な恩を受けた男性を、裕介は自分の手で殺したと言っているのだ。
これまで幾度も共にミッションに臨み、玲奈は裕介の事をしっかりと見てきている。彼はいつも強い正義感の元で行動し、沢山の人々を助けてきた。故に裕介が恩人の命を奪うような事をするとは、玲奈にはとても思えない。しかし、受け入れる以外には無かった。他でも無い裕介自身が、言ったのだから。
「どういう事……?」
玲奈の気持ちを代弁するように、メイシーがそう言った。
本当ならば玲奈も裕介に問いたかったが、そうはしなかった。裕介は今、水琴と向き合っている。水を差すような事は出来ない。
だから玲奈がする事は、ただ一つ。
(裕介……)
間違いである事を、或いは何か理由がある事を哀願しながら。彼を、自分の同僚であり、仲間であり、友人でもある裕介を、ただ信じ続ける事のみ。
◇ ◇ ◇
自分の罪を告げた後、裕介はそれ以上続ける言葉は無かった。
水琴の方を向く事も出来ず、ただ体の痛みに耐えながら、苦しげな声を発する事しか出来ない。
「見てよ、裕介君」
悲鳴を上げる体を強引に従わせ、裕介は地面に伏せたまま、どうにか水琴に視線を向ける。
水琴が戦闘スーツの腕部分を操作する、すると袖を捲るかのように腕部分のスーツが肘方向に収納され、彼女の白い腕が姿を見せた。
「……!」
――水琴の腕には、無数の注射針の跡が残されていた。到底数え切れるような物では無く、遠目で見れば赤い刺青を入れているようにすら思えるだろう。
「あなたに復讐するために……わたし、自分の体をボロボロにしたんだよ。ナノマシンや薬剤を沢山注射して、あなたに勝てるだけの強さを……このボディスーツを使いこなせる体を手に入れたの」
自身の腕に刻まれた痛々しい跡を見つめながら、水琴は語る。
身体能力を引き上げる戦闘スーツは、装着者の体に多大な負担を強いる事が多い為、そのままで使いこなす事は難しい。水琴のような少女の場合は尚更だ。
だから水琴は、解決策を案じた。そして彼女は選んだのだ、肉体改造という形で寿命を縮めてでも、裕介に復讐するだけの力を手に入れる――そんな自虐的で、破滅が約束された道を。
(まさか……!?)
思い当たった裕介は、戦いを傍観するように立っているバルツァーの方へ視線を向ける。
男の口元に笑みが浮かんだのを、裕介は見逃さなかった。
(あいつが仕組んだのか……!)
バルツァーは、ゾンネのメカニックだった男。水琴が自身の体に注射したという薬剤やナノマシンは、あの男の手によって用意されたのだと裕介は理解する。
「だからもう、わたしはきっと長くは生きられない……でもいいの。裕介君を殺したら、わたしも死ぬつもりだったから」
「! 何でだよ……!」
裕介が問うと、水琴は笑みを浮かべた。可憐な笑顔の裏には、尋常ならざる感情が蠢いているように思える。
「だって、裕介君を殺せばもう、わたしに生きてる理由なんて無いじゃない? ママは小さい頃に死んじゃって、パパも居ない……そして裕介君も居なくなれば、この世にはわたしの大切な人なんて、1人も居ないもの」
水琴の言葉の意味を裕介は理解する、同時に困惑した。
すると水琴は、裕介の抱く疑問を解決する、明確で簡潔な言葉を発する。
「わたしは裕介君に感謝してたんだよ、パパと同じくらいね」
「何……?」
理解出来なかった。水琴は裕介に激しい憎しみをぶつけ、殺そうとまでしていた筈だ。それなのに感謝しているとは、どういう事なのだろう。
地面に伏す裕介の側で、水琴が膝を折った。彼女は殺そうとしている相手を覗き込むように、顔を近づけてくる。
「裕介君、覚えてる? わたしとあなたが初めて会った日の事」
予想だにしない質問だった。
何故そんな事を尋ねてくるのかは分からなかったが、嘘偽りなく裕介は答える。
「覚えてるさ。ぐっ……泣いてたろ、お前」
体の痛みで、思うように声を出せなかった。
裕介は、確かに覚えていた。もう何年も前の事だったけれど、水琴と初めて会った時の事を、鮮明に。
「そう、わたしはあの日……男の子達に虐められて、パパに貰った大切な髪飾りを木の枝に引っ掛けられた。わたしにはとても登れない高さだったし、髪飾りを置いていく事も出来なくて、途方に暮れて、ただその場で泣きじゃくる事しか出来なかった」
自分と彼女が邂逅した時の事を語る水琴、裕介は自分のポケットの中に、まだ彼女の髪飾りが入っているのを思い出す。
「そしたら裕介君、わたしに話し掛けてくれて……助けてくれたよね。あなたは木に登って、髪飾りを取ってくれた」
先程までの憎しみを吐き出すような口調からは一変して、水琴の声は穏やかだった。懐かしい思い出を語るように、そこには楽しさすら垣間見える。
裕介も、覚えていた。
あの日、泣いていた小さな水琴。同じくまだ小さかった裕介は、震えるその背中に声を掛けた。そうしたらその女の子――水琴に、『ほっといてよ! あなたには関係無いじゃない!』と拒絶された。
いきなり怒鳴られて少し戸惑ったけれど、木の枝に引っ掛った銀色の何か――水琴がジーノから贈られた、大切な髪飾りを見つける。そして裕介は、女の子が泣いている理由を察した。
“あれ、お前のか?”
裕介がそう問い掛けても、水琴は顔も見てくれなかった。ただ涙声で、『だったら何なのよ、あっちに行ってよ……!』と投げ付けるように言うだけだった。
初めて会った女の子に拒絶され、悲しくなる――けれど、裕介はそれ以上に、その女の子を助けたかった。
“ちょっと待ってろ”
そう告げて、裕介は木を登り始める。水琴がびっくりしたように、『ちょっと、危ないよ!』と声を掛けてくるが、構わずにどんどん上の方へよじ登っていく。
そして、裕介は枝に引っ掛かった髪飾りに手を伸ばす……途端、彼が足場にしていた枝が折れる、裕介の体は周囲の枝や木の葉を派手に散らしながら、数メートル下の地面まで落下する。
打ち付けた背中をさする裕介に、水琴が駆け寄ってくる。そして彼は彼女に向かって微笑み、
“ほら、これ大事な物なんだろ?”
裕介の手の中には、水琴の髪飾りが陽の光を受けて輝いている。
それを受け取る時の彼女の顔には、確かに笑みが浮かんでいたのを覚えている。
「わたし、嬉しかったんだよ。陰気で虐められっ子で友達も居なかったわたしに、初めて優してくれる子が現れて……パパ以外で、自分の為にこんなに体張って、助けようとしてくれる人が居たんだって。本当に涙が出そうになった」
ただそれだけを聞けば、何の悪意も感じられない。けれど、事情を理解している裕介には違う。
水琴の表情が、次第に怒りに染められていく。憎しみの眼差しが、裕介を射抜く。
「それなのに……それなのに!」
そう発した時の水琴に、もう笑顔は無い。
「ぐふッ!」
腹部に衝撃が走る、水琴の蹴りが入ったのだと裕介は理解する。
「あなたも結局一緒だった! ううん、わたしを虐めた男の子達以上に、最低な酷い子だった!」
苦しみの中で、裕介は確かに水琴の吐いた毒を聞き届けた。




