CHAPTER-42
警察やRRCAで、その名前を知らない者は恐らく居ないだろう。
史上最年少でクリミナルグレードS、17歳という若さにして最重要指名手配犯リストにその名を刻み、要人暗殺を初めとする無数の凶悪犯罪に関与してきたと言われるその少年。
裕介や玲奈のような正義の『S』ではなく、幾人もの血で染め上げられた、邪悪な『S』の称号を与えられた男。本名や国籍は一切不明、その少年に関して裕介が唯一分かるのは、そのコードネーム。オーストラリアの凶悪な野犬に由来しているとされる名前――ディンゴ。それが、彼の通り名だ。
「驚いたか、裕介」
突然現れた予期せぬ敵に驚きを隠せない裕介、バルツァーの嘲るような言葉に、彼は言い返す事も出来ない。
何故、ディンゴがバルツァーと手を結んでいるのか。恐らくは何か結託する理由があったのだろうが、考えている暇は無い。敵は3人も居るのだ、最大の難敵であろうディンゴ、ゾンネの残党であり、裕介への復讐を目論むバルツァー。そして、裕介に恨みを抱く少女、水琴。
彼らを相手にどう戦うか。考える猶予は、与えられなかった。
「おいおい、なァに目を丸くしちまってんだ?」
ディンゴが言う――その直後だった。裕介の超感覚が発動した。
時間の流れが遅くなる中、裕介はディンゴが自身に向かって猛スピードで突進してくるのを感じ取る。彼は裕介に向けて飛び蹴りを叩き込むつもりだ。
「くっ!」
横へ飛び退き、蹴りを避ける。直後に時間の流れが元に戻り、後方から凄まじい轟音が鳴り渡った。
振り返ると、裕介の代わりに飛び蹴りを受けた壁に大きな穴が空いていた。合金製の壁が、ディンゴによって蹴り破られていたのだ。
『デバイスを使用する際に発生する電磁波は、感知されていないわ……!』
玲奈の言葉から導き出される事は、ただ一つだ。
「……てことはあいつ、デバイスを使わずにこんなパワーを出してるってのかよ」
こんな化物じみた破壊力を、デバイスを使わずに発揮している――信じ難い事ではあっても、信じる以外には無い。
裕介の視線の先で、ディンゴは振り返った。その名の如き野犬のように凶悪な眼差しが、前髪の隙間から裕介を見つめる。その口元に、狂気の笑みが浮かぶ。
「へー、よく避けたな。久々に楽しめそうじゃねェか」
もし裕介が身体能力増強デバイスとの飛び抜けた適合率を誇る逸材で無ければ、先程の蹴りを受けて即死だっただろう。
ディンゴが首を捻る、ゴキッという首が鳴る音が裕介の耳にも届いた。
『裕介、後ろ!』
振り返ると同時に、藍色の戦闘スーツを着た少女が自身に迫っているのが分かった。これまでとは違いワシ型IMWに乗っていなかったが、戦闘スーツによって増強された彼女の身体能力ならば、一瞬と呼べる時間に数メートルの距離を詰められる。
裕介は完全にディンゴに気を奪われていた、敵は彼だけではないのだ。
「水琴!」
返事は無く、水琴は赤みの強い茶髪を靡かせながら襲って来る。
彼女の表情を見れば、話す気など無い事が伺えた。水琴は裕介を憎しみの対象としか見ていない、裕介の殺害という形で復讐を遂げる事しか、彼女の頭には無いのだ。
(くっ……!)
分かっていても、それでも裕介は水琴と話がしたかった。自分の言葉で、伝えたい事があったのだ。
けれど、水琴は裕介にパンチを繰り出してくる。少女の物とは思えないスピードとパワーを備えた攻撃、裕介はデバイスを起動し、受け流す。
そして、攻撃の合間を見つけ、彼は呼び掛ける。
「やめてくれ水琴、オレは……!」
裕介の言葉は、全身の勢いを載せたパンチによって遮られた。デバイスを起動した状態でも全身に衝撃が届き渡るような、強烈な一撃だ。
「ぐっ!」
両腕を交差させて受け止める――痛かった。
パンチの物理的なダメージ以上に、彼女に憎しみを伴った一撃を喰らわされたという事実の方が、裕介には効いた気がした。
『反撃して裕介、このままじゃ……!』
玲奈は自身の身を案じてくれているのだと、裕介は理解する。だが、裕介は水琴に呼び掛け続ける。
「聞いてくれ水琴、頼む!」
裕介のその言葉で、水琴は攻撃の手を止めた。
その瞬間を逃さずに裕介は彼女に向けて言葉を紡ごうとするが、水琴が先んじて発する。
「あなたと話す事なんて、何もない」
可憐な容姿に似合わない、冷淡な声だった。
水琴は、自分の言葉に耳を貸す気など無い。裕介はそれを十分に理解出来たが、引き下がる事は出来なかった。
彼女が自分を憎む理由を裕介はもう分かっている、だからこそ裕介は責任を感じていたのだ。自分は水琴から逃げてはいけない、彼女と向き合い、そして自分の罪との決着をつけなくてはならないのだと。
自分の為にも、水琴の為にも。そして裕介が父親のように慕っていたRRCAエージェントにして、水琴の父であるジーノの為にも。
だから裕介は、彼女へ呼び掛ける。
「オレはジーノを尊敬していた、オレにとって彼は……!」
「やめてよっ!」
張り裂けるような叫びで裕介の言葉を遮り、水琴がIMW運搬カプセルを投げ付けてくる。カプセルが炸裂し、内部から現れたコガネムシ型IMWが裕介に迫り来る。
裕介はデバイスの力で後ろへ大きく飛び退く――直後、コガネムシ型IMWが大爆発を起こした。
『やっぱり無理なんだよ裕介、裕介の言葉は、彼女には届かない……』
「くそっ……!」
水琴の説得は諦めるべきだ、玲奈は暗にそう提案していた。
確かにその通りかも知れない、今は水琴の説得に徹していられる状況とは言えない。彼女の他にもディンゴという敵が居るし、今は何も仕掛けてくる様子は無いが、バルツァーも居るのだ。水琴にばかり気を傾けていたら、その隙を突かれてしまう。
爆風の熱気に片手で顔を庇いつつ、裕介は着地する。
(どうすればいい? どうしたら……)
目的が多過ぎて、さらにそれぞれの難易度も生半可な物では無い。
水琴はただ拘束するだけでは何の解決にもならないし、ディンゴはクリミナルグレードSの凶悪犯である以上、かなりの強さを有しているだろう。さらに、ディンゴと水琴に同時に襲って来られれば分が悪いのは明らかだ。そしてバルツァーも今は動きが無いものの、彼はゾンネのメカニックだった人物、恐らく何か隠し玉を持ち合わせているに違いない。
現状、裕介が最も優先したいのは水琴の説得だ。だが、それにはディンゴという大きな障害がある。
『っ、来るわ!』
玲奈の声とほぼ同時に、爆風が巻き起こした砂煙の中に人影が浮かぶ。
裕介のようにデバイスを使っていないにも関わらず、そして水琴のように戦闘スーツを着ている訳でも無いにも関わらず――ディンゴは人間離れした速度で裕介に迫って来た。
「何だ、考え事してる暇があんのかァ!?」
合金製の壁を貫く程の破壊力を持つ蹴りが、裕介に向けて繰り出される。
ディンゴの蹴りは裕介の頭を狙っていた。喰らったが最後、一撃で戦闘不能だろう。
裕介は即座に工場の床に手を付き、しゃがんだ。頭上をディンゴの蹴りが通過し、彼の足が生み出した風圧が裕介の髪を揺らす。
(今だ!)
裕介はその時を見逃さなかった。
強大な威力を誇る蹴りを繰り出した直後、ディンゴは体制を立て直す為に若干の時間を要している。
ディンゴが振り返った時、裕介は既に彼に銃口を向けていた。互いの間はおよそ3メートル、わざとでもなければ外せる距離では無いだろう。
裕介の銃に装填されているのはショックウェーブ弾、致命傷にはならないが、被弾した者を気絶させる効力を持つ弾丸だ。
ディンゴが笑みを浮かべたと思った瞬間、裕介は発砲した。
――弾丸は、命中しなかった。
「っ!?」
声にならない驚きを、裕介は喉の奥で押し潰す。
「クク……」
ディンゴは、笑っていた。彼の身は裕介が放った弾丸のコースから外れており、被弾した様子は無い。弾丸は間違い無く放たれた、そして裕介の狙いにも狂いは無かった。しかしその標的となった筈の少年は、全くの無傷で立っているのだ。
答えはただ一つ。ディンゴは、『銃弾を避けた』のだ。
『まさか、裕介と同じ超感覚……!?』
玲奈の仮説は十分に有り得た。引き金を引いた瞬間、裕介はディンゴが人間の物とは思えない動きで身を逸らし、弾丸のコースから外れるのを目の当たりにしたのだ。それは、以前裕介が客観的に見た自分の動きと同じだった。超感覚によって銃弾を避ける際、傍から見ると裕介は常人には成し得ないスピードで動いているように見える。
先程のディンゴの動きは、正しく裕介のそれだったのだ。
「何だお前……そんな豆鉄砲で俺とやり合う気かァ?」
ディンゴが銃を抜こうとするのを、裕介は見た。
すぐに彼は後方へ飛び退いて距離を取る――直後、ディンゴの銃口が裕介に向けられた。
彼が抜いた銃は、カーネイジイーグル2019(CARNAGE EAGLE2019)。全てを破壊する、というコンセプトの下で開発された大型自動拳銃だ。1発で象5頭を撃ち倒すという驚異的な破壊力を持つ反面、反動は非常に大きく、相当な腕力と鍛錬を積まなければ扱えない拳銃である。
(あんな銃、デバイスで腕力を引き上げたりでもしなきゃガキに扱える筈が……)
裕介の見た所、ディンゴは特に筋肉質な体付きでも無く、中肉中背だった。とても、カーネイジイーグルの反動を受けられるような体格には見えない。
しかし、
「撃つんだったらせめて……こんぐらいにしやがれッ!」
罵声のように言い放った瞬間、『虐殺の鷲』を意味する銃が火を吹く。ディンゴは、下手をすれば持ち手自身に大怪我を負わせかねない武器を使いこなしていたのだ。
超感覚が発動する。圧倒的な破壊力を持つと言えど、当たらなければ無駄だ。身を逸らし、裕介は弾丸のコースから外れた――その瞬間だった。
『IMW!』
玲奈に告げられるより先に、裕介は目視で確認していた。数体のコガネムシ型IMWが、裕介を待ち伏せるように滞空していたのだ。
(! しまっ……!)
裕介を確実に爆風に巻き込ませるよう計算し、視認し辛い位置に水琴が放っていたのだ。
標的の姿を間近に捉えたコガネムシ型IMWが、オレンジ色の光を放ち始めるのが分かる。
水琴の動きにも、注意を払っておくべきだった。動いていないように見えて、彼女は確実に裕介を仕留めるべく罠を張っていたのだろう。
「くっ!」
爆風の届かない範囲へ飛び退こうと、裕介はデバイスを起動する。
裕介の超感覚は、永久に発動し続ける訳では無い。発動時間が切れれば、デバイスによって高い身体能力を得られる事を除けば裕介は普通の人間だ。
超感覚の発動時間を裕介は体で覚えている、ディンゴが銃弾を放った際に発動してから少なくとも10秒は経過しており、あと数秒間も残っていない筈だ。
(完全に避けきれるか……!)
コガネムシ型IMWのボディが内部から炸裂し、大爆発を起こすのが分かる――同時に、時間の流れが戻った。
完全に爆発から逃れるには、僅かに時間が足りなかった。
(……これは?)
けれど、裕介に爆風は届かなかった。
まるで見えない壁があるように、爆風が裕介の目の前で四散し、消え去ったから。
「まさか……」
爆風が裕介を避けるだなんて都合の良い事は、絶対に起こる筈が無い。
誰かが居るのだ。何かの方法で、裕介を爆発から守った者が。
「来るなと命令するなら、助ける必要がある状況に陥らないようにしてくれ」
声の方を振り返ると、見慣れた顔が裕介の先にあった。
その腕に装着されたデバイスが起動していて、彼の瞳がエメラルドグリーンに変じているのが分かる。
「ネイト……」
突然現れた彼に、裕介は驚きを感じた。
その瞳を元の青色に戻しつつ、金髪の美少年は裕介に歩み寄る。
「……別にあれくらいの爆風、オレなら避け切れたぜ」
ネイトは視線を合わせ、数度頷いた。表情から見て、彼は明らかに裕介の言葉を信じていない。実際裕介もネイトの助けが無ければ、爆風から逃れられた確信は無いが。
視線を裕介から外し、ネイトは裕介の隣に歩み出る。そして彼は腕に装着したデバイスに触れながら、告げた。
「ディンゴの相手は僕がする。君はアジュールとバルツァーを」
裕介と水琴の間に因縁がある事を知っているネイトは、裕介に彼女との決着を任せてくれるようだ。
「ああ、ありがとよ」
ネイトの隣で、裕介は彼に感謝した。
前方にて、ディンゴと水琴が今にも襲い掛かってくるような雰囲気を醸している。バルツァーは、傍観者に徹するとでも言いたげに、その場に立っているだけだ。
ネイトがディンゴの相手をしてくれるのであれば、裕介は水琴との戦いに専念する事が出来る。
戦いが、始まろうとしていた。
水琴との戦い、バルツァーとの戦い。そして――裕介の過去と、彼の罪との戦いが。




