CHAPTER-41
(ここだな……)
裕介は車の窓越しに、その廃工場を見つめた。
アクアティックシティのビル街から離れた、取り壊される事もなくそびえ立つ金属の城。ここがバルツァーの指示した場所――彼の言い方を借りれば、『8年前の復讐の舞台』だ。辺りに人の気配は無く、閑散とした雰囲気に包まれている。
裕介は工場入口の門の側に車を停め、降車した。足首にデバイスを装着している事を確認する、続いて赤いジャケットの内側のショルダーホルスターからTH2033を取り出し、弾倉を引き抜いて残弾数を確認すると再び装填した。
「ランドンといいバルツァーといい、何でこういう場所に立て篭りたがるんだろうな」
そんな軽口を叩いてみても、気持ちは紛れなかった。
『今の所周囲に人の姿は無いわ。裕介、工場内部に侵入出来る?』
今回、ネイトは居ない。故に裕介の言葉を受ける事が出来るのは、イヤークリップヘッドセットで通話している玲奈のみだ。
裕介は目の前にそびえ立つ門を見上げ、
「これから突入する」
玲奈にそう告げ、裕介はデバイスを起動して跳躍する。
稼働していた頃、この工場は厳重な警備体制を敷いていたのだろう。外部と工場内部を隔てる門は低く見積もっても5メートルはあった。だが、裕介にはそんな物は邪魔にすらならない。
門を飛び越え、工場内部の敷地に着地した裕介。まずは周囲を見渡す、工場の本体とも言える巨大施設が嫌でも視界に入り、続いて裕介の目に留まったのは、工場入り口付近の車庫だ。一般の家庭などで見るそれとは違い、複数の車を収納出来る大掛かりな物である。
そこには、1台の大型トラックが停まっていた。荷台には、幾つもの灰色のコンテナが積載されている。
『IMWが発する微弱な電磁波を感知。あのトラックには大量のIMWが積まれているようだわ』
「オレを襲う為のIMWじゃないのか?」
『分からない。でももしそうだったらすぐ起動して、裕介を襲う筈よ』
起動しているIMWは勿論、起動待機中――指示を受ければすぐさま起動出来る状態にあるIMWは、微かな電磁波を発しているのだ。
コンテナの大きさ、数から見てトラックには大量のIMWが積まれていると思われるが、今の所は無害だと判断する。
それ以上に、裕介には優先すべき事があるのだ。
「その通りだな。玲奈、工場周辺の様子は?」
バルツァーの拘束、及び彼が人質にしていると言っていた市民の救出。そしてアジュール、つまり水琴との決着をつける事。それらが今の裕介にとっての最重要事項だった。
『……目視で確認した所、工場周辺にトラップの類は見当たらないわね。入り口のドアもロックされていないみたい』
さっさと入って来いとでも言いたげな、手薄な警戒体制のようだ。
「なら、さっさと行くか」
工場内部には、自身を殺す用意を整えたバルツァーが水琴と共に待ち構えている筈だ。
これは罠だ、自分は誘われている。裕介にはそれが分かった。
けれど、飛び込む以外の選択肢は無い。時間に遅れようものなら、人質にされている市民の命が危うい。
TH2033を抜き、裕介は工場入口の扉へ走り寄る。取っ手を掴み、突き出すようにして扉を開けた。
同時に銃を構える。
「待っていたぞ」
廃工場内は機材のほぼ全てを運び出され、広々とした空間だった。殺風景な周囲から高い天井に至るまで、特に目に付く物は無い。工場が稼働していた頃、この場所では何が行われていたのか。全く検討も付かない。
裕介を迎えた声の主は、壁から伸びる形で作られた足場の上で、彼を見下ろしている。大柄で太めの体格は黒いトレンチコートに包まれ、その表情を漆黒のサングラスによって隠した男。その口元には、不敵な笑みが浮かべられている。
目を見開き、裕介は男を見つめる。受け入れ難い真実を前に、拳銃を握っている手が無意識に下がっていく。
「……バルツァー」
その男がルドルフ・バルツァーである事を裕介は理解した。瞬きをも忘れ、バルツァーを睨み付ける。口の中が急激に渇くのが分かる。
有無を言わさずに拘束したかった。だが、辛うじて裕介は冷静さを保っていた。
「時間は守ったぜ、人質を解放しろよ」
水分が減少した口から発せられた声は、掠れていた。
途端、バルツァーが鼻で笑みを漏らす。
「そんな事を鵜呑みにしていたのか、まるで火の中に飛び入る蛾だな」
バルツァーの言葉が何を意味するのか、考えるまでも無かった。一般市民を人質にしたと言うのは虚言、裕介を呼び出す為の口実だったのだろう。
『一般市民が誘拐されたという情報は、入っていないそうよ』
玲奈の言葉が裏付けとなる。
「そんなこったろうと薄々思ってたぜ。8年前と変わらず、ゲスい野郎だな」
裕介は険阻な面持ちで、投げ付けるように言い放つ。しかし男は以前として、笑みを崩さなかった。
「さあ……そろそろ始めさせてもらおうか。貴様達に滅ぼされた、ゾンネの復讐を」
その言葉を言い終えた時、もうバルツァーの表情に笑みは無かった。サングラスで目は見えなくとも裕介には分かる、あの男は自身に明確な悪意を向けているのだと。
裕介は、銃を握る手に力を込める。
『裕介、後ろ……!』
玲奈の声と同時に、裕介は後方から何者かの気配を感じる。
裕介は振り返る、少女の瞳が裕介を睨み付けていた。これまでと同じ、憎しみに満ち溢れた眼差しだ。
「……水琴」
これまでと同様に、水琴は藍色の戦闘スーツを着用していた。しかしフェイスマスクはもう着けていない。自分の正体を裕介に明かした以上、マスクはもう不要だと判断したのか、或いは恨み募る相手を殺す瞬間をしっかりと両目に焼き付けようと、予め外して現れたのかも知れなかった。
「そして、もう1人」
バルツァーのその言葉を、裕介は聞き逃さなかった。水琴から、再びバルツァーに視線を向ける。
刹那、裕介の超感覚が発動した。
(上か!)
数発の弾丸が襲い来るのを視認し、裕介はデバイスを起動してその場から飛び退いて回避する。しかし、追撃として続けざまに弾丸が放たれ、裕介はさらに後退した。
廃工場の床が激しく抉り取られ、砂煙と共に瓦礫が散乱する。
かなりの威力を持つ銃による攻撃だと、裕介は判断する。さらに全弾、裕介に的確に狙いを定めて放たれている事から、銃撃の主は銃の扱いに長けた者だろう。
(何者だ?)
弾丸の雨が止むと同時に、その者は砂煙の中から現れた。
「何だ? どんだけ殺し甲斐のある大層な獲物かと期待してりゃ……」
裕介に向けて放たれる粗暴な言葉。
彼はゆっくりと、だが確実に裕介に向かって歩を進めている。次第にその顔が、裕介にも見え始める。
「ただの……ガキじゃねぇか」
砂煙が、晴れる。
次第にその顔が、顕になっていく。
『っ……!?』
ヘッドセットから、玲奈の声にならない声が伝わる。
(! こいつは……!?)
少年の顔を見た瞬間、裕介はバルツァーの時にも増して我が目を疑った。
◇ ◇ ◇
「嘘でしょ……?」
側に居たメイシーが、そう言った。出来る事なら玲奈も驚きを表明したかったが、そんな暇は無かった。
もし見間違いでは無いのであれば、裕介の前に現れた彼が、本当に『あの少年』であるのなら――。
「くっ!」
モニターに映っている少年の顔を、玲奈はRRCAの犯罪者データベースにて検索する。照合の進行度を示すパーセンテージが、100%に向かって上昇していく。
(まさか……本当に『あの男』なの……!?)
流れた汗が、玲奈の頬を伝う。
見間違いであってくれ、或いは他人の空似でも――表示された結果は、玲奈の懇願を打ち砕く物だった。
「……!」
目を見開き、玲奈は口を覆って声を押し殺した。
モニターには、今まさに裕介の目の前に現れた少年の顔写真が映し出されていた。
手配度――つまりクリミナルグレード、その者がどれ程の凶悪犯であるかを示すグレードは――。
CRIMINAL GRADE-S
最上位の、『S』だった。
 




