CHAPTER-04
"危険だとか無謀だとか……んな言い訳並べて立ち止まってたら、何も救えやしねえんだよ!"
EPISODE-01 "RETRIBUTION OF SADNESS"
June 29 2054,(Mon.) Aquatic City Area-D/Student Accommodation 06:43_
複雑な表現を用いず、出来うる限り簡略に例えるならば――それはまるで、テレビ画面の砂嵐のように無機質な光景だった。明滅を繰り返す限りなく不鮮明で、パズルのピースの如く断片的な光景。幻か、或いは幻影なのか、それすらも不明確だった。
1人の少女に冷たい銃口が向けられ、少女の後ろには、彼女と同じくらいの年代の少年が座り込んでいる。そして彼らに銃口を向けているのは誰なのかも分からない男だ。
男は少年と少女に拳銃を向けたまま、醜悪で残忍な笑みを浮かべる。次の瞬間、男は銃の引き金を引く。銃声とほぼ同時に血飛沫が飛び散り――そして、悲鳴が木霊する。
「っ!」
目を覚ました時、逢原裕介の視界に入ったのは天井だった。壁にはめ込まれた窓から射す光が、彼の顔や胸に道を作っている。
仰向けにベッドに横たわる彼は、数回の瞬きの後で大きくため息を吐く。
裕介は布団を払って身を起こし、両足を床に付いてベッドに腰掛ける。黒いタンクトップと、オレンジのラインの入った青いジャージ姿のまま、左拳を握る。
そして左拳を側頭部に押し当て、両目を固く閉じ――思い詰めた面持ちのまま、絞り出すように紡ぐ。
「いつになれば、消えてくれんだ……」
場所は、アクアティックシティエリアD――学生寮。階数は6階、部屋番号は316。
ベッドルームに居間、バスルームにキッチン。学生が1人暮らしをするには十分……寧ろ有り余る広さの部屋。この部屋は、押し黙るようにベッドの上に座っている彼――逢原裕介が独り暮らしを営む場所である。
「いい加減、頭ん中から出てけ……!」
再び拳を、裕介は側頭部に打ち付ける。
彼は靴を履き、ベッドから立ち上がった。朝日が、衣服に覆われていない彼の筋肉質な両腕を照らす。
「……」
裕介は、視線を自らの右腕に向けた。
右手首を捻る、まるで空気を掴んでは放すように、右手を握ったり開いたりを数度繰り返す。続いて右腕を解すかのように振った後、裕介は黒タンクトップとジャージ姿のまま、ベッドルームから出て居間に向かう。そして、彼は居間の壁際に設置されたオーディオプレイヤーに向かって呟く。
「トラックナンバー1、プレイ」
オーディオプレイヤーの液晶モニター部分に『COMMAND CONFIRMED』の文字が現れ、低く機械音を発する。
次の瞬間。スピーカーから部屋中に届き渡る音量で、ドラムのイントロが発せられ始めた。音と連動し、スピーカーに付いた青のイルミネーションLEDがリズム良く点滅する。
曲は、『RED HOT CHILI PEPPERS』の『DANI CALIFORNIA』。
「……どんな気分の時に聞いても、最高だな」
ボーカルが流れ始める頃、裕介は冷蔵庫からスポーツドリンクのペットボトルを取り出す。
それを片手に、居間から続く部屋に入る。ベッドルームへのドアの隣に位置するその部屋は、トレーニングルームだった。
どこかのボディービルダーが通い詰めるようなジムを思わせる部屋で、ルームランナーやバーベル等、トレーニングに用いる様々な器具が設置されている。
(さて、始めっか)
裕介はスポーツドリンクのペットボトルを、トレーニングルームの壁に備え付けられた棚に置く。
居間から流れてくる『DANI CALIFORNIA』を聞きつつ、軽く手首足首を解す。
ルームランナーの上に乗り、スイッチを入れた。ベルト部分が動き始めると同時に、裕介はその上で走り始める。
「ふっ、ふっ、ふっ……!」
規則正しい息遣いが、トレーニングルームに発せられ始める。
早朝のウエイトトレーニングは、何時から始めたのかも分からない裕介の日課だった。
ルームランナーを使ってのランニングの次は、バーベルを使って腕の筋肉を増強。その次は、腕立てや腹筋。時には縄跳びを行うこともあった。トレーニングを終える頃には、裕介は既に汗だくである。
わざわざ朝早く起きて、そんな疲れる事をして楽しいのか――多くの人は、恐らく裕介に問うだろう。
しかし、運動好きな彼にとって音楽を流しながらの早朝の運動は、嫌などころか至福の時間でもあった。
「はあ、はあ……! よし……!」
一通りのトレーニングを終えた後。
裕介は肩にタオルを掛け、そしてトレーニングルームの一角に設置した椅子に座り、冷えたスポーツドリンクを一気に飲み下す。
「ぶっはあ!」
その様子は、ビールを飲む中年男性を思わせる。
荒い呼吸に両肩を上下させながら、彼はトレーニングルームの窓へ視線を向ける。陽の光が、彼の頬や額や首元の汗の雫を煌めかせる。汗の雫と一緒に、裕介の瞳――達成感に満ちた彼の瞳もまた、陽の光を受けていた。
その後の裕介の行動も、日課のように定まった物。
シャワーを浴びて汗を綺麗に流し、体を乾かした後で着替える。次に台所に向かい、マーマレードジャムを塗ったパンと牛乳で朝食を済ませる。続いて洗面場に向かい、洗顔や歯磨きを行う。
「よしと……!」
仄かに茶色の入った髪を軽く洗い、ワックスで整髪し、最後にお気に入りの赤いジャケットを着た後――裕介は鏡の前で、満足げに漏らした。
彼は壁のデジタル時計に視線を向ける。時刻は、8時30分。
携帯電話をポケットに押し込む。そして二つ折りの本革の手帳に納められたRRCAのIDカードをジャケットの胸ポケットに入れる。
そして裕介は玄関へと向かい、扉を開いた。
◇ ◇ ◇
裕介が部屋と廊下を繋ぐ扉を閉めると、すぐさまオートロックで施錠される。
扉の横に付いた認証装置のランプが緑から赤に点灯し、モニタ部分に『LOCKED』の文字が表示されていた。再度外側からロックを解除するには、パスナンバーの入力と指紋認証、そして網膜情報認証が必要である。
RRCAに属する若者の学生寮は、例外なく厳重なセキュリティで保護されていた。廊下の天井部分には多数のドーム型監視カメラが設置されているため、所定以外の方法で解除しようとすれば直ぐに発見、即時警備局へと通報される仕組みである。
「んっ……!」
浴びるように注がれる日差しに、裕介は軽く伸びをした。
廊下の柵の向こう側には、アクアティックシティの街並みが広がっている。無数に並ぶ大小様々な大きさのビル、外側の広大な海、どこからともなく聞こえてくるカモメの鳴き声。
裕介が居る6階に、薄らと大都市独特の喧騒が届き渡っている。
(変わんねえな、この街の景色は)
雄大で美しい街並み。裕介がアクアティックシティに来てから最早見慣れた、それでも飽きを感じた記憶の無い光景である。
ふと、後ろ側から扉が開かれる音が聞こえ、裕介は振り返った。開かれたのは裕介が住む316号室の隣、『317』号室の扉だ。
「あ、裕介」
317号室から姿を現した少女は、子猫のように小柄な身長である。
左側の前髪をヘアピンで留め、後ろは背中まで、揉み上げは両胸まで伸びた明るい茶髪が目を引く少女。その瞳は子犬のような愛らしさを持ちつつも、どこか人懐っこさを感じさせ――そして、凛とした雰囲気を湛えていた。容姿は綺麗で可愛らしいだけに留まらず、気品や優しさも感じさせ、彼女とすれ違った人間全員が振り返りそうな程。スタイルは背が低い事を除けば16歳という年齢に相応で、胸の大きさもウエストも標準的。
美少女、そう形容しても何ら違和感を感じない、日本人の少女である。
「おお、玲奈」
裕介は彼女――『美澤玲奈』に返す。
すると玲奈は茶髪をかき上げた。彼女の綺麗な容姿故か、その何気ない仕草にも高尚さが垣間見える。
彼女は問う。
「今日も乗せてもらっていい? 朝からばったり会っちゃったことだし」
廊下に吹き込んだ緩やかな風が、玲奈の茶髪やスカートを清楚に靡かせる。
「オッケー、んじゃ行こう」
裕介は玲奈に返し、エレベーターの方へ歩を進め始める。
「やった」
無邪気に弾むような玲奈の声が、後ろから聞こえた。
彼女は恐らく、裕介の背中に満面の笑顔を向けている事だろう。