CHAPTER-37
女の子が泣いていた。
大きな木の側でしゃがんで、両手で顔を覆って、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
――どうしたの?
少年はその子の背中に声を掛ける。すると女の子は立ち上がって、彼を振り返った。泣き腫らした彼女の瞳が、少年の姿を映す。
その子は少年に向かって、涙声で怒鳴った。
――ほっといてよ! あなたには関係無いじゃない!
それが、少年と女の子の出会いだった。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、その子は今……施設に?」
「ああ、多分な」
裕介は頷きつつ、玲奈に応じる。話題に上っているのは、ジーノの娘の事だ。
ゾンネを壊滅させるミッションで殉職したジーノ。その後、彼の娘は孤児院へと送られた筈だった。
「その子の母さん……ジーノの奥さんは、娘を産んですぐに亡くなった。ジーノが言ってたよ」
玲奈が複雑な表情を浮かべる。幼くして両親を失った、ジーノの娘の事を考えているのだろうか。
「……可哀想だね、その子」
呟くように発せられた玲奈の言葉、そして彼女の表情には決意めいた物が垣間見えた。
裕介には、『その子の為にも、絶対にゾンネを壊滅させよう』、玲奈がそう言っているようにも思える。だとしたら、全く同意見だ。
「オレは、ゾンネを許さない」
そう口に出した直後、
(オレ自身の事も、な)
自分に言い聞かせるように、裕介は心中で呟く。
その時。ふと裕介の頭に、何か引っ掛かる物があった。
(待てよ、アジュールがオレを恨む理由って……いや、だとしたら……?)
裕介の思考は、玲奈の言葉で中断される。
「裕介、私が裕介に伝えたかった事なんだけど……アジュールは確実に、ゾンネと通じているの」
「!」
驚きを表情に浮かべる裕介、玲奈はタブレットPCを取り出して電源を入れ、その画面を裕介に見せる。
「こいつは……アジュールが使ったIMWか?」
画面に映っていたのは、オオスズメバチ型IMWとコガネムシ型IMWの残骸だった。日付から、裕介はアジュールが自身に向けて繰り出した物だと判断する。
玲奈は「そう」と応じて、
「照合の結果、ランドンが所持していたタイプ……つまり、ゾンネが使用していたタイプと同じ物だと判断されたわ」
裕介は考え込む。
現時点で掴んでいる事柄を頭の中で整理し、自分なりの見解を導き出す。
「……偶然にしちゃ、出来過ぎてるな」
それが、裕介の答え。
雇われているのか、或いは単なる協力関係にある程度なのかは知らないが、アジュールはゾンネと通じている。状況から考えて、その事に疑いの余地は無いだろう。
裕介は、ベンチから腰を上げた。
「何にしても、今はアジュールが鍵だな」
裕介は、アクアティックシティを覆う空を見上げる。限りない青の景色が、アジュールの藍色の戦闘スーツを想起させる気がして――仄かに茶色い黒髪や、赤いジャケットを風に揺らしつつ、彼は眉をひそめた。
(……考え過ぎだとは思うが)
◇ ◇ ◇
「どうだ……体の具合は、落ち着いたか?」
アクアティックシティ某エリア、某所――薄暗く広い部屋の中。文脈に反し、『心配している』という気持ちが全く感じられない投げやりな口調で、大柄で太めの体格、その表情を漆黒のサングラスで隠し黒いトレンチコートを着た男、『ルドルフ・バルツァー(RUDOLUF BALZER)』は水琴に尋ねた。
水琴は再び、『アジュール』というコードネームの由来にもなっている、武器を満載した藍色のスーツを装着していた。そして、彼女は赤みの強い茶色のロングヘアを後頭部で結びつつ、振り返る。
「はい」
可憐さに似合わない冷たい表情から発せられた、機械的な返事。
しかし、ルドルフには十分だった。元々彼女とは赤の他人、所詮は利用しているに過ぎない存在なのだから。
「よし、見せてみろ」
壁際のシャッターがゆっくりと開き、そこから現れる。
巨大な戦闘機械、タカアシガニ型IMWだ。脚部パーツを地面にめり込ませながら、タカアシガニ型IMWはゆっくりと水琴に迫る。その動きは遅いが決して鈍重ではなく、素早い動きも可能だ。
タカアシガニ型IMWには、水琴がターゲットとしてインプットされている。既に彼女の姿を感知し、戦闘態勢に移行しているだろう。
「始めろ、水琴」
ルドルフが命じると、水琴は地面を蹴り――少女とは思えない速度、まるで弾丸のような勢いを伴ってタカアシガニ型IMWへと走り寄った。ターゲットの接近を感知したタカアシガニ型IMWが、巨大な腕パーツを振り上げて迎撃態勢を取る。
水琴が射程内に踏み入った瞬間、タカアシガニ型IMWはその腕を振り下ろした。最先端の油圧駆動システムから生み出されたその破壊力は凄まじく、地面に隕石でも落下したような大穴を作り出し、地震の如き揺れを周囲に拡散した。
人間の命を奪うには十分過ぎる破壊力を載せた一撃、羽虫を打ち落とすのにミサイルを使うような物だ。
「フッ……」
ルドルフは不敵に笑む。
水琴は、生きていたのだ。身体能力増強ナノデバイスと戦闘スーツの力を発揮し、タカアシガニ型IMWの攻撃を回避して。
そして、彼女は反撃に転じる。
タカアシガニ型IMWに腕を引き抜く間も与えず、水琴は突進し――8本の脚部パーツと2本の腕パーツを生えさせた、タカアシガニ型IMWの円形のボディ部分に回し蹴りを見舞う。
ドズンッ……! 鈍い金属音が、鐘のように高らかに鳴り響く。強烈な一撃で機能を停止されたタカアシガニ型IMWが、轟音と共に崩れ落ちる。
(素晴らしい……IMWをも凌ぐ、最高の殺人マシーンだな)
金属の残骸と化したタカアシガニ型IMWの側に佇む水琴の後ろ姿を見つめつつ、ルドルフは心中で発する。
実証実験結果はこの上なく良好だった、IMWを一撃で退ける程の強さを発揮した水琴に、男は喜びを隠そうともしない。
「合格だ水琴、今日は休め。明日は期待している、手筈通りの方法でな」
「はい」
そう返事をし、去っていく水琴。その後ろ姿を見届けた後で、ルドルフは発した。
「お前も準備しておけ、『ディンゴ(DINGO)』」
視線も合わせずに発した言葉を、壁に背中を預けたその少年が受け取る。
「準備なんざ要らねぇよ。しっかしエグい真似するもんだな、お前も」
ルドルフに対して敬意の欠片も感じられない、粗暴極まる口調で返した彼。カーテンのように覆う金髪の隙間から鋭い瞳を覗かせ、黒革に銀色の装飾が付けられたチョーカーが目を引き、黄土色のジャケットに鎖の装飾が幾つも付いた黒いズボンという出で立ちの少年、ディンゴは一歩前に歩み出た。
ズボンに付いた鎖の装飾が、ジャラリと音を鳴らす。
「ナノマシンで体をズタボロにした挙句、あの女の思考までぶっ飛ばしちまうたぁ……頭のイカれぶりマックスじゃねぇか」
「戯言は要らん、失敗は許さんぞ」
相変わらず、腹の立つ餓鬼だ――ルドルフは舌打ちする。
「ああ。楽しみにしてんぜ……精々食い殺し甲斐のある獲物をな」
ディンゴが舌なめずりをする音が、ルドルフの耳にも届いた。
ルドルフは振り、彼と視線を合わせる。激しい威圧感を宿した瞳が、突き刺してくる。
「心配するな、腹一杯になる程の獲物だ」
ディンゴは答えなかった。
返事の代わりに、彼はその口元に狂気の笑みを浮かべ――その黒い瞳が一瞬、赤色の光を帯びた。




