CHAPTER-35
相変わらず、居心地の良い場所だ。
アクアティックシティのとある海浜公園に足を運んだ裕介は、ベンチに座りながらそう思った。
その場所からは海の水面や、アクアティックシティを構成する人口浮島を繋ぐ斜張橋、そして遥か対岸のエリアに立ち並ぶビル群が見える。青空を旋回するカモメの鳴き声が鼓膜を揺らし、潮の香りが鼻腔を撫でる。
日本語訳で『水の都市』を意味するこの街の名に相応しい、まるで一つの芸術作品のような景観で、裕介はこの場所を気に入っていた。ジョギングをする時は必ずと言っていい程この場所をコースにし、特に目的も無く外出したい時や、何かの物事を深く考えたい時も、大方この場所に足を運んでいた。
これまでに何度訪れたか分からないが、裕介は全く飽きを感じていない。正しく、彼のお気に入りの場所である。
「さてと……」
裕介がこの場所に来たのは、考え事をしたいが為。
彼はポケットを探ってあの少女――件のアジュールが落としていったアクセサリーを取り出す。手掛かりとしては不十分だったが、まずは可能な範囲で探っていこうと考えた。
もう片方の手で携帯電話を持ち、カメラを向けてアクセサリーを撮影する。
(画像検索っと……)
撮影したアクセサリーの画像を検索し、インターネットから情報を収集する。裕介が一番初めに考え付いた方法だった。このアクセサリーを調べれば、何かが掴めるかも知れないと思ったのだ。
数秒、検索結果が表示される。
「……これ、髪飾りだったのか」
表示された情報を、裕介は声に出す。
写真に撮って検索した結果、このアクセサリーは髪飾りであるとの事。そしてメイシーの言った通り、ボイスメモリーアクセサリーでもあった。
そして裕介が何よりも大きいと感じたのは、これは髪飾りであるという事だ。装飾品に関してさほど詳しくない裕介は、恐らくこれはピアスか何かだろうと思っていたが、違った。
(しかも、結構昔に絶版になった型……やっぱ大事な物だったんだろうな)
アジュールとの戦いの後に拾い上げた時、裕介はこのアクセサリーがそこらで売っている安価な物とは違い、精巧に作られた物だと感じていた。どうやら、その予感は的中していたようだ。
「ん、髪飾り?」
小声で発する。ふと、裕介の頭に何かが引っ掛かかったのだ。
裕介がその『何か』の正体に気付くまで、さほどの時間は要しなかった。
(そう言えば、あの子も……)
裕介は視線を上げる。
彼は、レインボーレインボーからの帰り道の際に裕介と衝突した少女の事を思い出した。赤みの強い茶髪を部分的に三つ編みにし、可憐で優しそうな印象を持つあの女の子だ。
そう、思い出せばあの子の頭にも髪飾りが着いていた。しかもアジュールが落としたそれと同じ銀色の物だったし、あの時は良く見えなかったが、もしかしたら形も似ていたかも知れない。
――あの女の子が、アジュールなのか?
(……はっ、んな訳あるかっての)
裕介は口元に笑みを浮かべて、馬鹿馬鹿しくて短絡的な自分の考えを抹消した。いくら何でも、それは早計だろう。調べた結果この髪飾りは現在は絶版だが、結構な人気のあった物らしい。これはアクアティックシティでのみ販売されていた物で、水を想起させるこの街に合わせ、水滴を象った形がデザインされたとの事。
人気があったのならば、需要に合わせて結構な数が生産されただろう。さらに、これはボイスメモリーアクセサリーなのだ、今現在でもこの髪飾りを着けている人はかなりの数に登る筈であり、この髪飾りを着けている事とアジュールであるという事は、どう考えてもイコールでは無い。
そもそも、裕介はあの女の子と少し話した程度の間柄だ。顔はもう一度見れば分かるかも知れないが、現時点で彼女とアジュールを照らし合わせるのは不可能だ。
裕介は、アジュールの顔を見ていないのだから。
(現時点じゃ手掛かりが少な過ぎる、他に何か……)
裕介はヒントを求めるように、髪飾りをじっと見つめる。
(気になってたけど、これ……前に見た事あったような?)
その『既視感』こそが、今自身に最も近い、そして最大の手掛かりであるようにも思えた。
唸り声でも上げそうな面持ちを浮かべて、裕介は記憶を辿ってみる。しかし、どうしても思い出せなかった。
一体いつ、どこで、彼はこの髪飾りを見たのだろうか。
そしてもう一つ、髪飾りの事以上に裕介にはどうしても気になる事があった。
“貴方が許せないの。どうしても”
アジュールが自分に向けて放った声。冷たさに満ち溢れた、冷酷な声。そして、彼女の自分に対する容赦の欠片も感じられない攻撃の数々。
裕介は溜息を吐くと、ベンチに背中を預けて青空を仰ぎ見た。そして心を支配する疑問が、思わず声に出る。
「あんな本気で『殺したい』って思われる程の事……オレ何かしたっけ?」
RRCAエージェントとして数々の事件を解決に導いた実績を持つ裕介、恨みを買うような覚えも確かにある。
しかし、恨みを受ける心当たりは自分を刑務所に入れた犯罪者の逆恨み程度しか思い付かない。だとしたら、アジュールが裕介に向けている憎しみも、逆恨みから生まれた物なのか。
(いや、何でか分かんねえけど……どうしても逆恨みの類だとは思えねえんだよな)
数匹のカモメが、青空を横切っていくのが見える。
「裕介」
と、裕介を呼ぶ声がする。
顔を見なくとも声だけで誰なのかは分かったが、それでも裕介は振り向いた。
「玲奈?」
長い茶髪を風にそよがせながら、玲奈が立っていた。
裕介が視線を合わせた途端、彼女はくすりと可愛らしい笑みを浮かべる。
「もしかしたらって思ったけど、やっぱりここに居たんだね」
「……どうした?」
裕介は、髪飾りをポケットに仕舞い、玲奈から顔を背けた。考え込んでいる自分の顔を、彼女に見られたくなかったのだ。
「ちょっと裕介に用があったのと……心配だったから」
玲奈が自身の隣に腰を下ろしたのが、裕介には気配で分かった。
平静を装いつつ、裕介は彼女に問う。
「心配って何が? オレ別に、今何ともないけど」
「本当に?」
玲奈に問い返され、裕介は思わず何度も頷いた。気付いた時には、もう遅い。
「何かを誤魔化そうとしてるね、今の裕介」
勝ち誇ったような笑顔と共に、玲奈が言う。
裕介が不自然に何度も頷くのは、何かを誤魔化そうとしている証拠。玲奈のみならず、裕介の知り合いには恐らく周知であろう事だ。今日知った事だが、ルーシーのプロファイルにまで記載されていたらしい。
「さすが玲奈、参ったわ」
「夕べ話した時もちょっと変だと思ってたし、今日も授業中考え込んでたみたいだからね」
玲奈には全て、筒抜けのようだ。
「ねえ裕介、聞いてもいい?」
玲奈と視線を合わせ、裕介は頷く。彼女の質問の内容は、容易に想像が付いた。
予め聞いてもいいかと問うた事から考えて、玲奈は裕介の気持ちを慮ってくれたのだろう。
「答えたくないなら無理には訊かないけど、ゾンネの事……本当は知ってたんじゃない?」
予感的中。やはりか、と裕介は思った。正直に答える以外の選択肢は思い浮かばなかった。
「ああ、知ってたよ」
調べれば分かる事だし、もう隠す必要も無い、裕介はそう判断を下す。
彼は、玲奈に打ち明ける事に決めた。忌まわしい記憶が呼び起こされるのも、自らの胸を突き刺すような過去が頭に浮かび上がるのも、厭わずに。
「7年前にゾンネを壊滅させたの、オレとジーノだからな」
微かに「え……」と声を発し、驚きに目を丸くする玲奈。意外な事実とでも言いたげな表情だ。
少しの間を挟み、玲奈は問い返してくる。
「ジーノって?」
思い返せば、玲奈にはその話をしていなかった事に気付く。
裕介は答える代わりに、RRCAの手帳を取り出してその中から写真を引き抜いた。その写真を玲奈に手渡すと、改めて口を開く。
「『ジーノ・カルデローネ(GINO CALDERONE)』。オレが父親のように慕ってたRRCAエージェントだよ」




