CHAPTER-34
「アジュール?」
RRCAアクアティックシティ支部、第23オペレーティングルームのソファーに腰掛ける裕介は、その単語に興味を示したという感じで問い返した。
「そう。それが裕介を襲った女の子のコードネームよ」
テーブルを挟んで向かい側に座っている玲奈が頷きつつ言う。
話題は、先程裕介を襲撃した少女――戦闘スーツの彼女に関する事。玲奈曰く、RRCAの犯罪者データベースにて少女のデータを検索した所、該当人物があったとの事だった。
彼女の通り名は、アジュール(AZURE)。青系統の色を示す意味の英単語であり、恐らくは藍色の戦闘スーツが由来しているのだろう。
「クリミナルグレードはB。けれど今回の事を考えると、Aに引き上げられる可能性もあるわね」
「ていう事は彼女……今まで誰かを襲ったりはしてなかったて事?」
玲奈が言うと、側のデスクに座ってパソコンを操作していたメイシーが続けた。
メイシーは眼鏡を掛けている。彼女曰く、パソコンを操作する際は視力の矯正が必要との事。眼鏡を掛けたメイシーは彼女の端麗な容姿もあり、知的な雰囲気だ。
「はい。幾つかの事件との関与が疑われていますけど、派手な行動を起こした事は無かったようです」
メイシーに応じつつ、玲奈がガラステーブルに触れる。するとタッチスクリーンになっているその天板に、件の少女――アジュールの全体像が映し出された。その側には彼女に関する情報も表示される。顔や本名は不明、現時点で判明しているのは性別程度との事だ。
「けれど今回は、明らかに裕介を狙っていた」
躊躇うような表情を浮かべつつ、玲奈は重々しげに言った。彼女の隣に座っていたネイトが、言葉を発する。
「RRCAエージェントが標的なら玲奈を襲う事も十分に考えられる。かと言って、一般市民が標的だとしたら避難指示を出す猶予など与えない……戦い方から考えても、彼女は最初から裕介を殺そうとしていたんだ」
「ああ、そうだろうな」
配慮も無く言うネイトへの皮肉を込め、裕介は投げ付けるように発した。
「それにあいつ、どうやらオレの事知ってたみてえだし」
「えっ?」
裕介の言葉に、メイシーが疑問を呈した。
彼女を振り向くと、眼鏡の向こうでメイシーは目を見開かせている。
「オレの名前を呼んだんですよ、あのアジュールって奴。オレの事がどうしても許せないとも言ってました」
裕介と戦った際、彼女は確かに彼の名前を呼び、そして裕介に対する憎しみの感情を吐露したのだ。そこから考えうる事は、一つ。
「つまり、彼女は裕介と縁のある人物という事だな」
裕介が考えていた事を見透かしたかのように、ネイトは言った。
事の重大さを認識したのか、メイシーはパソコンの電源を切って眼鏡を外した。会話に専念しようと、長い黒髪を揺らしつつ歩み寄って来る。
「裕介君、彼女に心当たりはあるの?」
「んー……まあRRCAなんだし、恨まれる心当たりならもうありありかも」
RRCAエージェントとして、グレードSとして、裕介はこれまで数多の犯罪者達を刑務所に押し込めている。逆恨みという形でしか考えられないが、恨みを買うような心当たりは十分にあった。
「けど、あんな奴に今まで会った覚えは無いし、そもそもフェイスマスクで顔見えなかったよ」
アジュールに関して裕介が分かっているのは、彼女が女の子、そして恐らく自身とそう歳も違わない事程度だ。
「そっか……他に手掛かりでもあれば、彼女の正体を掴めるかも知れないのに」
(手掛かり? そう言えば……)
玲奈の言葉に、裕介は何かを思い出す。ポケットを探り、彼は何かを取り出した。
アジュールが落とした、水滴を象ったような形状をしており、綺麗な光沢を帯びた銀色のアクセサリーだ。
「それは?」
ネイトに問われ、裕介は答える。
「アジュールが落とした物だ。何なのかは分かんねえけど……多分大事な物だと思うぜ」
「それ、ボイスメモリーアクセサリーじゃないかしら?」
裕介の手の平に乗ったアクセサリーに視線を注ぎつつ、メイシーは言った。
「ボイスメモリーアクセサリー?」
聞き慣れない、しかし全く聞き覚えがないという訳ではない言葉に、裕介は問い返した。
メイシーは小さく頷く。
「内部の小型ボイスレコーダーに、家族とか恋人とか……大事な人へのメッセージを録音して、その人へ贈るアクセサリーの事よ」
「へえ……ああ、そう言えば聞いた事あるかも」
アクセサリーをまじまじと見つめつつ、裕介は言う。
つまり、この小さなアクセサリーの中にはメッセージが記録されているのだ。あの少女――アジュールに向けた、誰かからの言葉が。
「だけど、設定した時間が来るまではメッセージを聞く事は出来ないんですよね」
玲奈がメイシーの説明に補足する。どうやら、彼女も知っているようだ。
「そう、時間が来ないとカバーを開ける事は出来ないようになっているの。でも、時間が訪れれば自動的にロックが外れて、メッセージを聞けるようになる。時間設定は10分や1時間から、最大で何十年も先にも出来るのよ」
まるでタイムカプセルだな、と裕介は思った。
この小さなアクセサリーに、それだけの機構が仕組まれているのだ。こうしている間にも、このアクセサリーに込められたメッセージはその時を待ち続けているのだろう。
「詳しいですね、メイシー先輩」
言ったのは、ネイトだ。
「まあ、私も香港に居る彼に贈った事があるから。ボイスメモリーアクセサリーのネックレス」
自身の長い黒髪に触れつつ、メイシーは笑みを浮かべる。裕介達は聞いていたが、彼女には香港に彼氏が居るのだ。
「彼氏さんに? どんなメッセージを入れたんですか?」
「えへへ、教えなーい」
玲奈が尋ねると、メイシーは清純な笑みと共に応じた。メイシーの口から砕けた言葉を聞くのは、貴重な機会かも知れない。
「では、その中のメッセージにアジュールの正体の手掛かりがあるのかも」
「けど、聞くのは無理だと思うわ」
ネイトの意見に、玲奈が即座に反対した。
「時間が来る前に無理やりこじ開けたりしたら、メッセージは消滅する仕組みになっているから」
「それに、女の子に向けたメッセージを盗み聞くってのは……どうもまずい気がする」
玲奈に続いて、裕介は言う。
そのような事を考えている状況では無い事は、裕介自身が良く分かっていた。しかしやはり気が進まないのだ、勝手にメッセージを紐解く行為は、手紙を盗み見るのと同じ、誰かの純粋な気持ちを汚す行為である気がしたから。
「しかしどうする? 急がなければアジュールが更なる被害を出すかも知れないぞ」
ネイトの意見も、間違い無く筋は通っている。
けれど、裕介には考えがあった。
「あいつが狙ってんのはオレだ。一般市民に手出しはしねえと思うぜ」
アジュールは裕介に対しては容赦の無い攻撃を繰り出したが、周囲の人々に危害を加えようとはしなかった。予め人質でも取っておけば優位に戦えた可能性もあるのに、である。
彼女は恐らく、裕介以外の人間に危害が及ぶ事は望んでいないのだ。
「少しオレ独自で探ってみるわ、アジュールの正体」
裕介は、ソファーから腰を上げた。そして彼は、オペレーティングルーム入口のドアへと歩を進め始める。
(あんなに本気でオレを殺そうとする理由、知りたいからな)
自身に向けられた容赦の欠片も無い攻撃、そして『貴方が許せない』という言葉を裕介は思い出す。
彼女は一体誰なのか。自分とどんな繋がりのある人物なのか。憎しみの原因は何なのか――裕介はどうしても、知りたかったのだ。
銀色のアクセサリーをポケットに仕舞い、裕介は第23オペレーティングルームを後にした。




