CHAPTER-29
『美澤玲奈から着信が入っています』
裕介の自室に、女性の電子音声が鳴り渡る。
入浴を済ませ、ジャージとタンクトップ姿の寝間着に着替えた裕介は、机の上のコンピューターを操作し、玲奈からの着信を受け取った。
『もしもーし、裕介?』
画面に映った玲奈が手を振る。
アーロンチェアに腰を下ろしつつ、片手を上げる仕草で彼女に応じた。
「おう、聞こえてる」
隣の部屋で、玲奈も裕介と同じようにコンピューターの前に座り、そして画面に映る裕介の顔を見ているのだ。事件に関して話し合う必要がある時、裕介と玲奈は主にインターネット電話サービスを用い、連絡を取り合っているのである。
『ネイト君も呼ぶね』
「ああ」
玲奈がキーボードを打つ音、程なく画面に『美澤玲奈がネイト・エヴァンズに発信中です……』と表示される。しかし、返事はない。
裕介は椅子から腰を上げて、テーブルの上の買い物袋からハンバーガーとペットボトル入りのオレンジジュースを取ってくる。再びアーロンチェアに座るが、ネイトは玲奈の着信に応じていなかった。
『……返事無いね』
痺れを切らすように玲奈が言う。
「気付いてないんじゃねえか? 明日にでも、オレの口から伝えとくよ」
玲奈は画面の中で頷き、ネイトへの発信を中止した。裕介の言うように着信に気付いていないのかは分からない。しかし、玲奈から着信があった事に気付けば連絡してくるだろう。
裕介は茶色い袋を開封して、ハンバーガーにがぶりと食らいつく。
『ねえ、それが今日の夜ご飯?』
「ああ。安上がりだし、美味いからな」
裕介は、ペットボトルに口を付ける。冷たいオレンジジュースが食道を流れ、体を潤す。
『ハンバーガーばっかだと体に悪いって言ったじゃん、またご飯作ったげよっか?』
「いやいいよ、今日は冷蔵庫が空っぽ。いつもはちゃんと料理してっから」
いつか、夕食をほぼ毎日ハンバーガーやサンドイッチで済ませている事を玲奈に知られた時、彼女は裕介の部屋に有無を言わせず乗り込み、持ち込んだ材料で手料理を作ってくれた。『同僚に体調を崩されたら自分にも責任が及ぶ』、というのが玲奈の理由付けだった。
玲奈の料理は美味しかったが、女の子に料理してもらうという事が裕介はどこか恥ずかしかった。これを機に裕介は料理を覚え始めた、という訳である。
「ま、煮たり焼いたりする程度の簡単な物ばっかだけど」
『うんうん、結構結構』
裕介はハンバーガーの包装紙をくしゃくしゃに丸めて、数メートル離れたゴミ箱に放り投げる。ナイスシュートだ。
『……それじゃ、そろそろ本題に入るね』
玲奈の表情に真剣さが浮かぶ。
「オッケー、頼む」
画面の中で、玲奈がデータスティックを見せる。裕介とネイトがランドンから押収し、データ解析の為に玲奈の元に渡っていた物だ。
『このデータスティックに残されてた情報を復活させたらね、兵器密売の黒幕に見当が付いたわ』
「ホントか?」
裕介が返すと、玲奈は頷く。
『復活させたって言っても、データの大部分は既に再生不能な程に損傷してしまっていたけれど……入っていたデータの内容を説明するね、まず、IMWや非合法パワードスーツの受け渡し先』
ランドン拘束の際に自身に差し向けられたオオスズメバチ型IMWや、ランドンが使用したパワードスーツの事が裕介の頭に浮かぶ。
と、裕介は玲奈の『受け渡し先』という言葉に引っ掛かる物を感じ取る。
「ランドン達は単なる運び屋だったって事か?」
『多分。恐らくRRCAに居所を特定されて、やむを得ず取引用のIMWとパワードスーツを使用したのよ』
「受け渡し先は? ランドンの一味はどこにブツを流すつもりでいたんだ?」
核心に迫る質問を裕介は投げ掛けると、玲奈は表情を曇らせた。
『残念だけど、その部分の情報は修復不可能だったわ』
裕介は落胆する。
「そうか……」
考えれば、肝心な情報を易々と読み取られてしまう状態にはしておかないだろう。一定期間で自動的にデータが消滅するようにしておいたのか、或いは意図的にデータスティックを損傷し、肝心なデータが漏洩しないように措置を取ったのか。
何にせよ、少しでもデータが復元可能な状態だった事を喜ぶべきだろう。
「けどまあ、事前に止められて良かったな。受け渡し先の情報を保存しておいたって事は、奴ら結構派手にバラまく気だったんだろ?」
『そう考えて間違いないわね。普通に考えれば、取引先の情報を保存したりしないから。もしかしたら、取引が決裂した際の保険だったのかも』
例えば、取引用の品物――IMWやパワードスーツを強引に持ち去られた場合を考慮し、取引先の情報を保存しておく。決して考えられない話ではなかった。そもそも、犯罪者達の世界なのだ。金を渡して商品を受け取る、そんなありふれていて安全な『買い物』が必ずしも行われるような場所ではない事は、裕介にも分かる。
裕介はオレンジジュースの残りを一気に飲み下し、空になったペットボトルをゴミ箱に投げ入れた。またもやナイスシュート。
「それで玲奈、兵器密売の黒幕ってのは?」
『データスティックに残されていた情報、それと回収されたヴェスパマンダリニア型IMWの構造から、浮上した組織があるの』
裕介は頷き、『教えてくれ』と意思表示をする。
『反アクアティックシティ過激派組織、「ゾンネ(Sonne)」』
組織の名を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になる。しかし裕介は直ぐに、正常な思考を取り戻した。
「何だと……!?」
『どうかしたの?』
驚愕が表情や声に出ないよう努めたつもりだった。しかし、玲奈には見透かされてしまったらしい。
裕介は片手で顔を覆い、取り繕う。
「いや、何でも無い。その組織の仕業だって根拠は?」
上手く誤魔化せているかは分からない。しかし、玲奈はそれ以上追求してこなかった。
『データスティックの情報にエンブレムが見つかったの。彼らが使うシンボルマークがね』
玲奈がキーボードを叩く音と同時に、画面にそのエンブレムが表示される。太陽をイメージしてデザインされたそれは、紛れもなくゾンネが用いている物だ。
『でもこの組織……7年程前に壊滅に追い込まれている筈なの』
「……ああ、オレもそう聞いてるよ」
裕介は画面に映る玲奈から視線を外し、部屋の天井を見上げる。押し殺すように息を吐く。
「けど、根拠がある以上、見過ごすわけには行かねえ」
裕介の言葉に同意するように、玲奈は頷く。
『そうね……』
データスティックにゾンネのエンブレムが入っていた事。IMWの構造が一致していた事――証拠がある以上、その組織の暗躍を視野に入れた上で考える必要がある。
どれ程、認め難い事であっても。
「分かった。したら今後は、ゾンネが絡んでると睨んでいこう。放っておけばまた、ロクでもない連中に兵器を流される危険がある」
『了解、この組織に関する情報、私の方で集められるだけ集めておくね』
裕介は、再び玲奈と視線を合わせる。
「頼む。それじゃ」
『また明日。お休み裕介』
裕介のコンピューターから通信画面が消え、デスクトップの待受画面が現れる。
「スリープモード」
裕介が言うと、コンピューターの画面の電源が切られ、スリープモードに移行する。
そして、彼はコンピューターの側に置かれた、RRCAのIDカードが入れられた本革を手に取る。IDカードを収納するスペースの内側から、彼は1枚の紙を取り出した。
否、それは紙ではなく、本革に入る程度の大きさの写真だ。そこには笑顔を浮かべる幼い少年と、彼を抱き上げながら笑みを浮かべる1人の男性の姿が写っている。
黒髪の長髪に、クールな口髭と顎髭、筋肉質な体付きで、歳は30代前半くらいだ。裕介は写真立てを手に取り、男性の顔を見つめる。
そして、沈痛な面持ちと共に――彼の名を口にする。
「……ジーノ」




