CHAPTER-16
ロックを解除された自動ドアが開き、裕介と玲奈を迎え入れる。
その先には、広々としたオフィスがあった。
デスクには数台のコンピューターと共に幾つもの金属製立体パズル、壁には洒落たリトグラフが掛けられ、インテリアとして設置された水槽には数匹の熱帯魚が泳ぎまわっている。入口から向かい合う方向の壁は、一面が防弾ガラス張りとなっており、その向こうにはアクアティックシティの景色が広がっていた。
「忙しい中、急に呼び出して済まなかった」
裕介と玲奈を迎え入れたのは、茶髪をオールバックにし、身長は高いがやや細めの体格をしたアメリカ人の男性である。その顔にはくっきりと豊令線が伸びていて歳を重ねた雰囲気を感じるが、その青い瞳はまるで少年のように快活としており、優しげな雰囲気を醸している。
彼の名は、『ウィレム・ガーフィールド(WILLEM GARFIELD)』。
ウィレムはRRCAアクアティックシティ支部長であり、祐介や玲奈の上司にあたる人物だ。というのも立場上の話で、誠実で親しみやすい性格の持ち主であり、接する機会の多い裕介や玲奈とは友人のような関係にあった。
なお、趣味は立体パズルのコレクションである。
「いやいやそんな。ここ最近は大きな事件も無くて、久しぶりに暇だったんで」
「えー……?」
ウィレムに応じた裕介に、玲奈が疑問を内包した声を発する。
「ん、何だよ?」
玲奈は、薄目で裕介を見つめつつ囁いた。
「暇だって言うなら、数学のテスト勉強……」
「う、忘れようとしてたのに……!」
裕介は、背中に冷水を流されたような表情を浮かべた。
ウィレムは笑みを浮かべつつ、オフィスの傍らに設置されたコーヒーメーカーに歩み寄っていく。
「まあ2人とも、座っていてくれ」
促されるまま、祐介と玲奈は黒革張りのソファーに歩み寄る。と、そこには先客が居た。
ネイトである。
「あ、ネイト君もう来てたんだ?」
裕介と玲奈からは見えない位置に座っていたが、彼は一足先にこのオフィスへ到着していたらしい。
彼が腰を下ろしている先のテーブルには、チェス盤が乗っている。黒の駒が白のキングを完全に包囲しており、チェックメイトの状態だった。
駒の控えがある位置から、黒はネイトの駒だと分かる。
「ネイト君はお早い到着だったのでね、チェスの相手をしてもらっていたよ」
ウィレムの声と共に、コポコポとコーヒーを淹れる音が裕介達にも届く。
「当然ながら完敗だった。やはり、私では足元にも及ばない」
「いえ、支部長も中々の腕前です」
謙遜するウィレムを、ネイトはフォローする。
「はは、それはどうも。裕介君、ジェームズは元気かい?」
「ええ、とても」
ジェームズとは、裕介や玲奈のクラスを受け持つ教師、ジェームズ・パーカーの事を指している。ウィレムとジェームズの関係については祐介達は詳しくは知らず、尋ねた際にウィレムから返されたのは、『古くからの知り合い』という答えだった。
続いて、ウィレムから質問が発せられる。
「一応訊くが君達、コーヒーに入れる砂糖の量は?」
「僕は必要ありません」
一番初めに応じたのは、ネイトだ。
「私も結構です。太っちゃうし……」
続いて玲奈が答え、最後に裕介が、
「……ご、5杯……」
おずおずとした面持ちを浮かべつつ、応じる。3人の中で唯一、彼だけが砂糖を所望した。
「ふふ、裕介……相変わらず砂糖入れないとコーヒー飲めないんだね」
くすくすと微笑みつつ、玲奈は言う。
彼女の向こうで、ネイトが小さく溜息を吐いた。
「しかも5杯。明らかに摂り過ぎだ」
女性なら誰もが目を奪われそうなネイトの横顔に、食らいついた。
「おいネイト、それ言うならオレじゃなくてリサに言ってやれよ!?」
偏食的な甘味好きであるリサの名を出し、裕介は反論する。突然名前を挙げられた彼女は、今も何処かでお菓子を頬張っているのかも知れない。
ネイトは返事もせず、既に投了したチェス盤の駒を初期位置に戻し始める。
彼の手でガラス製の駒があるべき場所に鎮座されていく中、ウィレムが人数分のコーヒーカップが載せられたトレイを持ち、やって来た。
「君達は相変わらず賑やかだな。会話だけ聞いていると正直、我が支部期待の星……『GLORIOUS DELTA』だとは思い難いよ」
「……何度か申し上げている事ですが、僕はその呼び方を好みません」
ウィレムと違って、ネイトの顔に笑みは浮かんでいない。
「RRCAのグレードはブランドじゃない。そんな名前まで付けて囃し立てられるのは正直、不愉快です」
ネイトが発した『GLORIOUS DELTA』という呼称への見解はとても、彼らしい物だった。
思慮深く冷静で、いつも先の先まで考えを巡らせ、その元で自身の行動を決めるネイト、その彼は恐らく、周囲の『喧騒』を嫌うのだろう。
周りの人間が好き勝手に発し、嫌でも耳に入る無遠慮で無思慮な声は、彼には不快以外の何物でも無い筈だ。
「相変わらずだな、ネイト」
ウィレムから砂糖5杯入りコーヒーを受け取りつつ、裕介はネイトに言う。
「それ以上に、玲奈は良いけれど裕介と同じに見られるのは正直、心外だ」
「んぐっ!?」
ネイトが続けた言葉に、裕介は口に含んでいたコーヒーを吹き出しかけるが、どうにかむせ返るまでに留めた。
咳き込みながら、ネイトに視線を向ける。彼は澄ました表情で、コーヒーカップに口を付けていた。
「ネイト、てめ、そりゃどういう意味……!」
ネイトの言葉は淡々としていて、本気で裕介を非難した訳ではない(と、裕介には思えた)。が、彼のクールで落ち着いた雰囲気の所為か、裕介が受けたダメージは結構な物だった。まるで、言葉という名の見えない槍が突き刺さったようである。
「ちょ、ちょっと裕介大丈夫?」
玲奈の声と共に、背中がさすられる感触を覚える。
「悪い、もう大丈夫だ……」
咳が止まり、裕介は視線を上げる。
「それで支部長、今日僕達を呼んだのはミッションの事でしょうか」
カップをソーサーに置きつつ、ネイトが切り出す。
まるで何事も無いようなその態度に、裕介はむっとする。……恐らくというより間違いなく、ネイトには裕介をむせ返らせるつもりは無かったのだろうが。
「ふふっ、そうだな」
口元に笑みを浮かべつつ、ウィレムは裕介達の向かいに腰を降ろし、
「心温まる会話も良いが、そろそろ本題に入るとしようか」
呟くように言った後、ウィレムは室内の何処か――恐らくアクアティックシティの景色が広がっている窓の方向を見つめ、
「カーテン、閉めてくれ」
ウィレムが発した直後、茶色いカーテンが自動で閉まり、大きな窓を隠す。
差し込んでいた陽の光が遮られて室内は若干暗くなる、続けてウィレムは発した。
「スクリーンを」
今度は、天井に収納されたスクリーンが降り、裕介達の腰掛けるソファーから見える位置に現れる。
人の声だけで操作が可能なカーテンやスクリーン。何から何までオートマティックの時代だな、と裕介はコーヒーをすすりつつ思う。
「さて、君達にご足労頂いたのは他でもない」
そう言うウィレムの面持ちにはもう、先程までの親しげで少年のように快活な雰囲気は無い。
裕介達の前に居るのは、彼らの上司であり、RRCAアクアティックシティ支部長であり、エージェント達を統括する役割を持つ男性――ウィレム・ガーフィールド。彼の様子が変わったことに気付けば、裕介は真剣な面持ちになる。
自身の隣で、ネイトと玲奈も同じく、ウィレムの言葉に直向しているのが分かった。
一瞥するようにウィレムの視線が動いたと思うと、その口から発せられる。
「裕介君、玲奈君、そしてネイト君。是非とも、君達の力を借りたいミッションがある」




