CHAPTER-13
投擲弾を拾い上げた裕介は、それを片手にひた走る。
その後ろからは、彼を捉えんと追いかけるタカアシガニ型IMW。
殺人マシンは8本の脚で地面を抉るように進みつつ、2本のアームを裕介に向けて伸ばす。
しかし、裕介には届かない。
自身の目と感覚、そして玲奈からの情報を頼りに、裕介は攻撃を避けているのだ。
『伏せて!』
裕介は足を一時止め、その場で地面に膝を折る。
次の瞬間。彼の頭上を、2本のアームが交差する形で通過した。
攻撃を回避し、裕介は赤ジャケットを靡かせながら駆け出す。
タカアシガニ型IMWからの攻撃を避ける、再び駆け出す――それを繰り返し、彼はその場所に向かう。
見上げる程の大きさの、巨大なガントリークレーンの下に。
「よし、見えてきた……!」
名称を知らない者に表現させれば、赤と白に塗装された鉄柱。
それが視界に入ると同時に、裕介は走るスピードを上げた。
まだそんな体力が残っていたのか、見る者にそう思わせる程の俊足ぶりである。
数分――裕介は辿り着いた。
埠頭の岸壁に設置された、巨大なガントリークレーン。
そのアウトリーチ部分やバックリーチ部分や機械室を支える、計4本の支柱の間の位置に。
『裕介、来るわ!』
積み上げられたコンテナを蹴散らし、タカアシガニ型IMWが裕介の眼前に現れたのは直ぐの事だった。
一旦視界から消えた裕介、しかしタカアシガニ型IMWは再び裕介の姿を感知し、彼に追い迫る。
そんな最中でも、裕介は冷静だった。
何故なら――タカアシガニ型IMWをガントリークレーンの側に誘い込む事こそ、彼と玲奈の作戦なのだから。
「来やがれ、このカニ野郎!」
裕介は挑発するように言葉を投げつけるが、それがタカアシガニ型IMWに通じる筈も無い。
タカアシガニ型IMWは、裕介に向けて距離を詰めていく。
巨大機械の突進が迫って来る中、裕介は後方を振り返った。
(よし……!)
彼の視線の先には、ガントリークレーンの支柱の側に積み上げられたコンテナの壁。
裕介は何の躊躇いも無く、埠頭の地面を蹴る。
「おおおッ!」
裕介が向かう先は、コンテナの壁だった。
先程と違い、コンテナは何段にも積まれている。
抜群の運動神経を持つ裕介でも、壁蹴りの要領で越えるのは不可能の筈だった。
それでも裕介は足を止めない。
決してがむしゃらに走っているのでは無く、ある目的の為に。
その後ろで、タカアシガニ型IMWが裕介の背中に向かって突進していた。
このままでは、コンテナの壁とタカアシガニ型IMWに裕介が挟まれてしまう――サイバースペースの状況を見ていた誰もがそう思った、正にその時。
それが、起こった。
「ふッ!」
息を吹くような掛け声と共に、裕介はコンテナに突っ込む形でジャンプする。
ハンドグレネードを一時手放してコンテナの壁を越えた時と同様、裕介はコンテナの側面を蹴り上げた。
1度目の蹴りで空中に高く上昇し、2度目の蹴りでさらに高く高度を稼いだ。
数秒――タカアシガニ型IMWが裕介の足下を通過し、コンテナの壁に激突する。
積み上げられたコンテナが崩れ、後方に落下していく。
(よし、狙い通り……!)
壁蹴りジャンプでタカアシガニ型IMWの突進を避けた裕介。
タカアシガニ型IMWが姿勢を低め、本体部分から突っ込んで来てくれた事もあり、彼は完璧に躱すことが出来た。
勿論、常人ならば到底成しえない事である。
『今がチャンスよ!』
裕介は壁蹴りジャンプから着地し、タカアシガニ型IMWの背方向に走る。
彼の位置と、ガントリークレーンの間が瞬く間に開いて行く。
タカアシガニ型IMWが180度方向転換し、裕介を視界に捉える頃。
裕介は、手にしたハンドグレネードの安全ピンを抜いた。
『裕介、タイミングを逃さないように落ち着いて狙って!』
タカアシガニ型IMW、そしてガントリークレーンから距離を取った裕介。
彼とガントリークレーンの間に、タカアシガニ型IMWが居る位置関係になっていた。
「っらあ!」
右手に持ったハンドグレネードを、裕介は力の限りに放り投げた。
投擲弾は野球の遠投さながらに飛んでいき、タカアシガニ型IMWの頭上を越え、ガントリークレーンの支柱に吸い込まれていく。
小さな金属の楕円体と、太い支柱。
双方が接触した瞬間、鐘を打ち鳴らすような金属音がサイバースペースの埠頭に響き渡る。
数秒、投擲弾が爆発した。
「っ……!」
巨大な爆風に、巻き起こる黒煙。
そして凄まじい衝撃波に、裕介は思わず片腕で顔を覆う。
しかし彼は直ぐに視界を戻し、状況を確認した。
自身に向かって迫るタカアシガニ型IMW、裕介がより注視しているのは、その後ろだった。
「よし……玲奈、成功だ!」
裕介は笑みを浮かべた。
彼の表情の源は、タカアシガニ型IMWの後方。
ハンドグレネードによって支柱を吹き飛ばされ、安定を失ったガントリークレーンが倒れ始めていた。
それも、タカアシガニ型IMWの頭上に向けて。
『……ジャストタイミング』
裕介に届く、玲奈の言葉。
タカアシガニ型IMWが裕介に向けてアームを伸ばす、しかし裕介はもう、逃げようとはしなかった。
逃げる所か、彼はその場で踵を返す。
歩を進めつつ、裕介は余裕混じりに漏らした。
「ふあ、あ……やっと終わったか」
彼の背中に向けてアームを伸ばすタカアシガニ型IMW。
しかし、そのアームが裕介に届く直前。
倒れたガントリークレーンが、タカアシガニ型IMWを上から押し潰した。
「んっ……!」
裕介は伸びをする。
彼の後ろで、爆発と共にタカアシガニ型IMWの破片が飛散し、轟音と爆風を埠頭に拡散させた。
発せられたオレンジ色の光が、裕介を背中から照らす。
数秒前まで活発に活動していたタカアシガニ型IMWは、原型を留めていない。
本体部分を押し潰され、脚部もほぼ吹き飛び――最早スクラップに成り果てている。
倒れたガントリークレーンが、埠頭の地面に食い込んでいた。
(ちっとばっか、時間掛けちまったかな?)
裕介は、自身の視界上部に表示された敵戦力表示に視線を確認した。
――ENEMIES 0%
先程までは『38%』だったパーセンテージが、一気に『0%』になっていた。
敵が全滅した証拠である。
『裕介、お疲れ様』
玲奈からの労いの言葉。
続いて、裕介の視界にメッセージが表示される。
Mission complete!
任務完了、という意味の英文。
同時に、玲奈では無い女性の声が裕介に届く。
『敵勢力の全滅を確認、ミッション成功です。お疲れ様でした』
声の主は、VR実戦を管理するルーシーからである。
彼女の言葉は、さらに続けられた。
『これより、テスター、『ユウスケ・アイハラ』の意識をサイバースペースから現実世界へと戻します』
◇ ◇ ◇
目を覚ますと同時に、裕介の鼓膜を少年少女達の歓声が震わせた。
VRMSの寝台で体を起こし、裕介は床に足を着く。
「すげえや裕介!」
「流石、グレードSだぜ!」
一度も敵の攻撃を受けず、タカアシガニ型IMWをもねじ伏せた裕介。
サイバースペースでの出来事をモニターで見ていた少年少女達には、称賛に値する物だった。
数人の少年少女達が、裕介に歩み寄る。
その中には玲奈も居た。
「お帰り裕介、疲れた?」
サイバースペース内で聞いたのとは違う、正真正銘の玲奈の声。
裕介は小さく頷きつつ、自身を現実世界からサポートしてくれていた少女に応じる。
「ちょっとばかり」
VRMS室内の照明に、玲奈の左前髪に付いたヘアピンが煌めく。
裕介は人垣をかき分けるように進む。
彼は、部屋の隅に設置されたベンチへと腰かけた。
「おっつー、ユースケ」
リサが裕介を迎える。
彼女の側には耀も居て、さらに裕介の後ろからは玲奈も続いていた。
「流石、化け物じみた運動神経は昔から全然衰えてねーな」
裕介の肩を軽く叩きつつ、耀が言う。
「化け物って……そんな例え方よせよ」
笑い混じりに、裕介は耀へ応じた。
玲奈は裕介の隣へ腰掛け、彼に言葉を紡ぐ。
「毎日欠かさず鍛えてるんだもんね?」
裕介は「おう」と頷いた。
「ユースケ、そんな体ばっか鍛えてないで、少しは頭も鍛えたら?」
「どういう意味だよ!」
リサの発言に、耀と玲奈は笑みを漏らした。
裕介の運動神経は、ウエストサイドハイスクールの生徒達の中でも随一。
しかしながら、彼は他の勉強にはやや難があるのだ。
因みに一番の苦手科目は、数学である。
その苦手さたるや、どれだけ必死になって勉強してもテストでは30点が精いっぱいである程。
「裕介、もうすぐ数学のテストあるだろ? また玲ちゃんに教えてもらえよ」
耀は、玲奈を指した。
グレードSの権限を保有していると言えども、裕介は決して万能な人間では無い。
否、万能な人間など恐らくこの世には存在しないだろう。
どれほど完璧に見える人間でも、必ず何かしらの欠点を持っている筈である。
「これ以上点落としたらまずいんでしょ? ホラ、ちゃんとレイに頼む!」
乱暴気味に、リサは裕介の背中を叩く。
「あ~……」
裕介は、隣に掛ける玲奈に視線を移した。
玲奈は何も言わない。
まるで、裕介の言葉を待っているかのようである。
「……数学教えてください。玲奈さん」
違和感全開な敬語で、裕介は申し出る。
玲奈はニコニコと愛らしい笑みを浮かべつつ、応じた。
「もちろん、いいよ」
屈託の無い玲奈の笑顔。
裕介はベンチから立ち上がり、
「……ちょっと、水飲んで来るわ」
そう3人に残し、裕介はVRMS室に設置されたウォーターサーバーに歩み寄っていく。
20リットルのガロンボトルを装置上部に装着し、常に冷水を供給する設備。
生徒の水分補給用として、校内に幾つか設置されている。
次世代の浄水システムにより、水質は常に万全。
しかも無料であり、生徒達の渇きを癒す為大いに役立っているのだ。
「もお、照れちゃって」
赤ジャケットを着た裕介の背中に向かい、玲奈は呟く。
裕介はウォーターサーバーの横に伏せて置かれた、紙コップを1つ手に取る。
紙コップを吸水口の下に置くと、自動で水が給水され――内部を満たしていく。
ふと、裕介は自身の側に立っている少年に気付いた。
「! ああ、ネイトか」
金髪パーマのアメリカ人少年、ネイト・エヴァンズだった。
裕介と同じ、グレードSの権限を与えられたRRCAエージェントである。
「……」
ネイトは無言だった。
彼の空色の瞳は、怪訝な表情を浮かべる裕介の顔を映している。
「何だよ?」
裕介は、今し方ウォーターサーバーから入手した水をくいっと口に含んだ。
「少しは、玲奈の事も考えたらどうだ?」
「……またその話か」
ネイトから発せられたのは、裕介にとって聞き覚えのある言葉だった。
裕介に向けて、続けて言葉が発せられる。
落ち着いた雰囲気を醸すような、淡々とした口調で。
「もし実戦であんな突っ走った戦い方をして、君の身に何かあったら……」
「オペレーターの玲奈が責任を問われることになる、だろ?」
裕介は、空いた紙コップをダストボックスに放り込んだ。
再びネイトに向き直り、
「ちゃんと考えてるっての、オレだって別に何も考えずに突っ走ってるつもりはねえぜ?」
ネイトに言葉を返す暇を与えず、裕介は続けた。
「つうかネイト、前々から思ってたんだけどさ……やけにお前、玲奈の事気にしてねえ? ……気のせいか?」
裕介が問うと、ネイトは即答した。
「玲奈はまともな思考の人間だから、他に理由は無い」
そう言い残すと、ネイトは踵を返して歩を進め始める。
裕介は、彼が残した言葉を頭の中で再生させ、その意味を考える。
引っ掛かる点を見つけた裕介は、ネイトの後ろ姿に向かって叫んだ。
「つまり……オレはまともじゃねえってのかよ!?」
パーマの掛かった金髪や白いジャケットを揺らしつつ、ネイトは歩き去ってしまった。




