神さびゆかむ
神さびゆかむ
都のお人は、昔のことはもう忘れましたか。
負け戦など、忘れましたか。
わたしら、海の民は忘れてはおりません。
都の帝の御命令があって、わたしらは船をお出しするか、ひと月の間、あちらの島、こちらの入江、遠くの岬、近くの湊、みなで話し合った。
その頃、海は大漁続きだったのですよ。
だから、これは神が勝利を約束して下さった祝いに違いなし、と。
これは戦には勝ったも同然、と。
我らは船をお出しすることにした。
水手(船の漕ぎ手)もお出しすることにした。
兵士もお出しすることにした。
この地に宮殿を建てて、帝御一行をお迎えすることにした。
この瀬戸の内海の、あらゆる波打ち寄せる浜から海の民が集い、ここはかつてないほど賑わった。
熟練の船乗たちは雄々しく、若者たちは勇んで、みなして船に乗ってやってきた。
食べ物も。
酒も。
武具も。
女も子供も総出で用意した。
采女(土地土地の斎女)たちが集うて、帝御一行をもてなした。
あの日々は祭りのようだった。ああ、祭りだった。
伊予の湯の宮と呼んでな。
熱田津の石湯の行宮と呼んでな。
毎夜、宴が開かれた。
帝は月夜の宴で詠われたのだ。
熱田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな。
そして、西へ向かって征き、海道に就いた男たちは戻らなかった。
そんなことがこの土地であったのだと、この内海であったのだと、ここではみな語り継いでおります。
都では、誰も語りませぬか。
そうか。帝も代替わりされたそうですし、都も土地をかえたと聞きますから。
気分をあらためてしまわれたのでしょうか。
我らは、ずっとこの土地にいる。
だから、忘れませんよ。
船出した男たちは戻らなかった。
赤人は伊予の湯の宮、石湯の行宮を一目見ておこうと、寄り道した。
「おしゃべりなお爺さんでしたね」
従人の歳若い甥が言う。
「泊めていただいたんだ。魚もたくさん馳走していただいた。酒の肴の語りが繰言に聞こえたとしても、恩があるのだから黙って耳を傾けるのが礼儀だ」
「はぁい。あの人の語った海戦、本当にあったんですか。聞いたことありませんよ」
「あったよ。わたしはそう聞いている」
「それで、勝ったんですか?」
「負けた」
「ええー! つまんないなぁ」
「つまらない、ではなく、残念、とか、悔しい、とかの言葉の方がいいね。その方が命を落とした人々に思いが広がるだろう?」
「悔しいって言いたかったんです、本当は。おじさんは言葉に敏感すぎるんですよ」
「歌人だからだろうね。ひとつひとつ、よくその一言に思い巡らせて紡ぐのが、癖になっているかもしれない」
「それで、その海戦って、どんなのだったんですか?」
「わたしも詳しくは知らない。いろいろあって、白村江が最後の海戦だったとか。確か、崗本宮の頃のことだ」
「えーっと、ずっと昔の話ですね。二十年は前の戦だ」
甥っ子が懸命に計算する。
「六十年か七十年ほど前だよ」
「うへえ、大昔だ」
「うん。でも、あのお爺さんは、当時を生きたんだ」
「まだ子供だったんですかね、俺より小さかった頃ですよ」
「それとも、親に聞いた話を我が事と語り継いでいるのか」
「ふーん」
「あの老人が和歌を諳んじてくれたね。あれは、崗本天皇の御製歌だ。きっと、この道を歩きながら、帝は歌詠を思い、詞を練られたのだろうな」
「この、出で湯を覆う木々や、さかんに鳴く鳥の囀りも、そう聞くと素晴らしいと思えてきます」
若い甥が辺りを見まわした。
行く手に見えてきた木々や草草がおおい隠している廃墟は、昔日の行宮の跡だ。
「ここって、神々しく貴い場なんですね」
「おや、いい歌詠みがいるぞ」
「やめましょう。漢詩の勉強も、詩心の感得の旅も、歌詠みになるため。おじさんのお陰で山部の一族は、ただの山守じゃないくらい地位を上げました」
「わずかばかり、だがな」
「誇りです。帝の旅に従駕する人が一族から出て、歌を献上するなんて。でも一族がどんなに期待したって、次代の歌詠みは俺には無理です」
赤人は笑った。
「ああ、海が見えるな」
険しい伊予の高嶺の射狭庭の丘まで登ると、視界が開けた。
海だ。
真っ平らな海に深い青の潮が織り合っている。
赤人は陽の光を抑えるように手をかざして海を見晴らした。
大和の方へ向かっているのは、熊野の船か。
「おじさんだったら、どう歌を詠みます?」
問われて、山部赤人はしばらく考えに耽った。
ももしきの 大宮人の 熱田津に 船乗りしけむ 年の知らなく
(万葉集 巻第三 323)
田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にそ 不尽の高嶺に 雪は降りける
百人一首にも採られたこの和歌で知られる山部赤人の名前は、史書には出ておらず、生没年も未詳。
宮廷歌人か、下級官人か。藤原不比等の資人(召使)説もあると見かけたけれど、本当かしらん。
山部赤人の和歌が詠まれた年がわかるものは、724年と736年の聖武天皇御幸の従駕歌。
熱田津に船乗りせむと月待てば〜〜の和歌は、661年に詠まれたもの。
額田王の作とも、斉明天皇の和歌とも記されています。
白村江の戦は663年。
それから、近江遷都、壬申の乱、飛鳥遷都、大津謀反、持統即位、藤原京遷都、文武元明元正即位、平城京遷都、聖武即位が724年、大仏建立の詔は743年。その間、80年。
熱田津は今の愛媛県にあったらしいけれど、正確な場所は不明。
熊野は当時、船を造っていて、熊野の船は良い船だった。(944)




