72:ブルクハルト・クンツ視点24
屋敷へ帰り着くと何故か
「姉クラーラの単身来訪」
を知らされた。
姉夫婦ではなく
姉の単身。
一体何があったというのか…ちょっと意味が分からない。
寝耳に水だ。
執事や侍女を呼んで
「どんな様子だったのか」
を訊いてみると
「リリアン様と客室で話し込んでいらっしゃいました」
と聞かされたので、思わず頭を抱えた。
(クラーラ姉上、もしかしてリリアン嬢が気に入らなかったのか?)
と思うと気が滅入ったのだ。
本来なら政略結婚がこういった戦争絡みの利権の譲歩強制によるものの場合
「妻をネチネチいびって去勢し、監視を付けて何もさせずにおく」
のが最も都合が良い。
だが俺はそうする気はない。
敵意のない非戦闘員に対して非情にはなりきれない。
ましてや決着もついていて「敵国」ではなくなっているのだ。
敵ではないものを敵扱いして苦しめ抑圧する事に俺は合理性を見い出せない。
しかし、不安を押し殺しながらよくよく使用人達から話を聞き出してみるとーー
どうやら姉が行ったリリアン嬢へのダメ出しは
「夫の事を侍女から聞くようではいけない」
というもの。
姉自身が現在進行形で夫との間に問題を抱えていたらしい。
「侍女が妻より夫の事に詳しいという状況そのものに対して嫌悪感を持った」
だけで、リリアン嬢自身に何か含むところがあるという訳ではなかった。
(良かった…)
とホッとしたものの
「侍女に夫を寝取られて夫が侍女に本気になっているらしい」
という夫婦事情はいたましい…。
早めに離婚できるように後押ししてやれればと思う。
バルシュミーデ皇国は一夫多妻が認められている国。
なので男は惚れっぽく、次々女に手を出しても良い風潮なのだろうと勘違いされやすいが…
基本的に一夫多妻制を利用する貴族や富豪は結婚の全てが政略結婚である。
つまり商売上の結びつきや利権上の条約の担保的な一夫多妻だ。
なので複数いる妻のうちの1人にだけ入れあげて他を蔑ろにするような事はできない。
恋愛結婚したいなら一夫一妻でいくしかない。
或いは本気になった相手が政略上全く旨みのない女性なら
「内縁の妻」つまり愛人として別の場所に住まわせる事になる。
妻に気を使いながら。
それを姉の夫、婿養子のエッカルトは侍女に手を出して侍女に本気になり、妻の屋敷に住まわせ、妻の家の金で侍女を養っている。
侍女は妊娠中との事で、出産後は子供もまた、妻の屋敷に住まわせ、妻の家の金で養うつもりでいる。
バルシュミーデ皇国の一夫多妻制の常識と照らし合わせてみても確実にアウトだ。
夕食時に詳しい話を姉自身から聞かされて
「それにしてもエッカルト義兄上がそんな人だったなんてガッカリです」
と本音の感想を述べてやった…。
「…エッカルトも悪気は無かった筈よ。デボラに騙されて誑かされてるだけだと思うの。大人しく2人で出て行ってくれれば良いのだし、あまり悪く思わないであげてね」
「姉上。こう言っては何ですが、使用人は貴族に性行為を無理強いできません。
誘惑自体は使用人の方でも仕掛ける事は可能でしょうが、強姦まがいの性行為は使用人の側からはできない。
つまりは義兄上に全くその気が無かったなら、そもそもそんな関係性自体が発生しないんです」
「…媚薬を使われれば、男性の方も抗えなくなるのではなくて?」
「そんな効果抜群の媚薬なんて、もはや錬金術師しか作れない魔法薬でしょう?侍女如きの給金では入手できませんよ。
それこそ大貴族や王族が使うレベルのモノでもなければ当人の意志とは関係なく発情するような事はありません」
事実である。
「そうなの?」
「どんな薬にも言える事でしょうが、媚薬もまた効能にはピンからキリまである訳です。
平民が使うものなど気休め程度のもので、貴族家の使用人が使うものでも多少興奮が促される程度。
本当に催淫作用があって意志の力さえ捩じ伏せて快楽の虜にするような代物、そうそう出回りません。
要は義兄上が自分の意志で侍女に手を付けて、怒り狂った姉上の態度を逆手に取って逆ギレして、クンツ子爵家を乗っ取ろうとしてるという事です。
妻の許可もなく愛人を同じ家に住ませるなど婿養子が取る態度としては有り得ません。
当人が出て行かないと言い張るなら『愛人と結託して婚家を乗っ取ろうとしている』ものと見做し、罪に問うて騎士団へ引き渡すべきです」
決して大袈裟に言っている訳ではなく常識的対応とはこういうものだ。
「犯罪だと見做してしまうと彼の実家との仲が拗れたりしないかしら?」
「こちらがそう思って踏み出せずに泣き寝入りするのを予め計算済みで実家共々凶暴している可能性もあります。
その旨をしたためた報告書を書きますから、それをヴィクトール皇子経由でバルシュミーデ皇国騎士団へ届けてもらうことにしましょう。
そうすればダルマイアー伯爵の内心はどうあれ『弟のエッカルト独断の犯行だ』と主張してエッカルトを切り捨てる筈です」
「ヴィクトール皇子殿下のお手を煩わせる事になるんじゃないかしら」
「良いんですよ。俺の戦功の殆どがヴィクトール皇子のものにすり替えられていますし、俺は充分にヴィクトール皇子の権力盤石化に貢献してきました。
俺が本当に護りたいのは家族だ、という事も了解していただいてます。
この際なのでエッカルト義兄上には『クンツ家に対してナメたまねをすると相応の報復を受ける』という見せしめの実例になって頂きましょう」
「頼りになるわね。ハルトは」
「…しかし、分からないものですね。俺にはエッカルト義兄上が心底からクラーラ姉上を愛しているように見えてたんですが…」
「…私もよ。愛されてると思ってたわ。だけど、あの人は変わってしまった。もう私を愛してくれていた頃のあの人はいないの」
「残念です」
「そうね…」
政略結婚の夫婦には珍しく愛し合っている2人だと思っていたのだが…
人の心は変わっていくもの、という事なのだろう…。
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皇族直属の暗部を使わせてもらえるなら、伏せられている事情も暴き出す事ができるのかも知れないが、情報収集のプロはあくまでも皇族直属。
俺の家族の私用に使わせてもらえる筈がない。
ともかく「愛人と結託して婚家を乗っ取ろうとしているものと見做し、罪に問うて騎士団へ引き渡す」のは絶対だ。
甘い顔をしても何も良いことはない。
(それにしても、心変わりや痴情のもつれに足を踏み入れるデボラやエッカルトのような人間というのは頭がオカシイのだろうか?)
と腑に落ちない。
人生の平和を自分からわざわざ手放してしまう程に
相手が魅力的ならまだしも…
俺から見て、エッカルトは平凡なゴリラ男だし、デボラはやっぱりバルシュミーデ人らしくゴリラ女だ。
(ゴリラ同士だと、レベルが釣り合う分、互いに魅力的に見えるとか、そういう事なのか?)
と納得できないものを納得するしかない。
だが
(デボラという女はリリアン嬢の姉のような性格かも知れないな)
という疑惑は残る。
つまり
「デボラは女主人の前ではすました顔をして仕え、女主人がいない時に周囲に女主人の人間性に関して歪曲した悪意的評判を作り出す悪口を吹聴して回る」
ような性格だという疑惑。
女主人の一番側にいる侍女が
「実は奥様は」
と言うなら、他の者達は
「そうなのか?」
と納得してしまう。
虚言癖がある女は、標的を陥れるような嘘や大袈裟を触れ回りる。
そして自分自身に関しては「人格破綻した相手から苦しめられる可哀想で健気な女」という役所を演じる。
それにまんまと騙されれば…
「性悪女を心優しい女だと錯覚して惹かれる」
「風評被害者を性悪だと錯覚して嫌気がさす」
ような事実と真逆の認識をした倒錯心理状態へと落とし込まれる。
(ああ、そう言えば、リリアン嬢の元婚約者とかいうクソガキもリリアン嬢に対して嫌気がさしていたような暴言を吐いていたんだったな…)
世の中には「息を吐くように嘘を吐く」人間もいる。
そういった手合いを「そういうヤツだ」と見抜けない場合
かなりの確率で不誠実な嘘吐きに好意を持つ。
人間達の質の良し悪しは
「他人の人間性を正しく見抜く能力と比例している」
事も多いのかも知れない。
エッカルトにせよ
リリアン嬢の元婚約者にせよ
悪人ではなかったのだろうが
「救いようのないバカ」
である事は間違いない。
エリアナやデボラのような誣告常習犯は
「バカとマトモな人間とを篩にかける試金石」
のような役割を果たしているのかも知れない…。




