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兄ナイジェル・ベニントンが使っていた教科書を眺めながら
(こういうの以外で、お兄様の使用してた品々って無事なのかな…)
とブライトウェル城の様子を想像してみるに
(多分、色々と略奪されてる筈だ…)
と容易に予想でき
「これが『遺品』って事になるのかな…」
と呟きが漏れた。
誰も欲しがらない物に関しては
手付かずで無事に残っているのかも知れないが…
裕福な貴族家嫡男の持ち物で誰も欲しがらないような三流品などない。
そしてそれは貴族家当主・夫人に関しても同じ。
(侍女長、結局遺品を持ってくる事ができずに捕まったって事だし…)
もう城に両親と兄の遺品が何か残っているとも思えない。
文書・書簡の類も押収されている事だろう。
(ただ侵略者と戦っただけなのに…)
戦争において指導者ポジションだった事のより敗戦後は「戦犯」扱い…。
「抵抗激しく侵略兵を大量に削った」謂わば「英雄」と呼ぶべき者達に対して「貶して責任を擦りつける」こじつけ世論を生み出す者達が持ち上げられる社会と化している。
貴族が直接平民と口を聞いて世論調査する事はないが…
領主や役所が御布令を出して長期的に周知させる時に使用する公共掲示板は御布令書が貼られている時以外は平民が好きに利用している。
それを見れば敗戦によって随分と辺境伯家が嫌われたのが判る…。
王都ではアザール系に乗っ取られていた王族・高位貴族界隈が庶民達の怒りの主な矛先とされているが…
辺境ではブライトウェル辺境伯が大々的に「無能」と認識共有されて「税ばかり取りやがって護ってくれなかった」と憎まれ罵られている事だろう。
バルシュミーデ皇国諜報機関の誘導で。
世論が操られ、庶民の感情が操られる。
そしてそれを行なっている者達の存在と罪を
操られる当人達こそが認識しない。
(ウンザリだよな…)
別にブルクハルトがやってる訳じゃない事は分かっている。
あの人は騎士だから、命じられるがままに戦って、生き残るために殺しただけだ。
殺すか殺されるかという戦時中の二択で「敵を殺して自分は生きる」と選択しただけ。
それでも「殺しただけじゃなく全てを奪い、更に名誉まで奪い続ける」のは、生きるか死ぬかの二択ではない。
必ずしも敵の名誉を奪い続けなければならない、などという縛りはない。
攻め込んで殺されたバルシュミーデ兵士達の逆恨みと無念さを晴らすために腹いせのように行われている徹底蹂躙に過ぎない。
ヴィクトール皇子は「囲い込まれて(逃げる事なく)暮らせ」と強要したがっていたようだが…
それは辺境伯の娘が屈辱を受け入れる姿勢を見せる事で庶民にも支配を受け入れるように促す目論みがありそうに思えて腹が立つ。
戦うだけしか能のない脳筋が政治的粘着性を意に介さず生きて通用するのは「勝ち続ける」間だけなのだと、しみじみ分かった…。
ふと父エリアルが言っていた言葉を思い出す。
「恐怖に駆られそうな時ほど己れを特別だとは思わない方が良い」
という言葉。
「大勢の人間が死や苦しみを体験する。それこそ人間の数だけ死が存在する。
明日、私が死んだとしても、それはありふれた現象に過ぎない。万人が体験する現象をただ体験するだけだ。
誰もが体験する死を殊更恐怖する心理は『自分だけが特別だ』とおかしな自惚れを抱いている者特有の傲慢の一種だ。
万人に訪れる死は万人をただただ環境の産物として等しく普遍性へと還す事だ。
望めるなら『今死ねば誰の事も恨まずに、皆を祝福して消えていける』という瞬間にこそ我が死が訪れてくれれば良いと思う。
それが叶わずに『今死ねば憎い相手への憎しみを掻き立てた状態で相手を呪いながら消えていける』という瞬間で死ぬのだとしても、その憎む相手は必ず敵国人であって欲しいと思う。
誤解やすれ違いで仲間や身内を憎み続け、その蟠りに囚われたまま仲間や身内を呪って亡くなるような、最期の最期まで自分を生かしてくれた運命共同体へ恩を仇で返す人生だけは私は絶対に受け入れられない」
ーーおかしな話だ。
中等部を卒業して直ぐに実家へ戻り、婚約者の家で高等部入学までの期間を過ごすべく、発とうとした日の朝に、何故か会話がご先祖様の話になり、父はそう言ったのだ。
まるで戦争が起こるのを知っていたかのよう…
まるで自分が死ぬのを分かっていたかのよう…
目に見える形での財産としての遺品は何も残っていない。
だけど「その人の信念や生き様の記憶」そのものが遺品として作用するのかも知れない。
兄と姉が私を愛していたとは到底思えないものの
やっぱり父と母は私を愛してくれていたと思ってしまう。
何故なら私が
両親を
今も大好きだし
今も愛している。
勝手に愛されていると勘違いして
勝手に独りよがりで愛し返しただなんて
そんな風にはどうしても思えない。
愛して育ててくれた人達を
私は愛し返したのだと
そうとしか思えないくらいに
あの人達の私を見る視線も言葉も優しくて愛に満ちていた…。
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兄の教科書・参考書を図書室から持ち出して自分の部屋へ持ち込もうとした。
(これは兄の遺品だし、私のものだ)
との想いからだったのだが
「図書室の本は全てブルクハルト様の所有物ですので、持ち出すのには許可が必要です」
と侍女が言い出した。
侍女の後ろで護衛がウンウンと頷いている。
(…侍女の忠誠心なんて男との関係で御破算になる程度のものなんだな…)
と、しみじみ理解できた。
ランドル王国の女性はどうやらバルシュミーデ人男性から需要がある。
だから女はチヤホヤされて簡単に侵略者から籠絡されている。
(こんなんじゃ、戦って死んだランドル人男性達が浮かばれない…)
「許可なら夕食の時に私がブルクハルト様に直接お願いして取るから先に持ち込んでも大丈夫よ」
と侍女の意見を一蹴して本を持って図書室を出た。
途端にーー
見知らぬ女性と遭遇した。
侍女服とかじゃないドレス姿の貴婦人。
バルシュミーデ貴族だ。
(この人、誰だろう?)
と思いながら
「ブルクハルト様の御身内の方ですか?」
と尋ねた。
ブルクハルトの身内以外の者が屋敷内を自由に闊歩できる筈がないからだ。
案の定
「ブルクハルトの姉のクラーラ・クンツよ」
と同じ姓を名乗られた。
(結婚してない筈がない年齢だし…。出戻りの姉とか、或いはクンツ子爵家を継いだ長姉とかかな)
と家族間事情を素早く分析。
「ブルクハルト様の御実家のお姉様でしたか」
と訊いて変な顔はされなかったので推測はおそらく正しい。
「ハルトから家族の事は聞いてるの?」
「いえ、詳しいことは知りません。御姉妹が4人いらっしゃって、長姉の方が婿養子を迎えて子爵家をお継ぎになったと、侍女から事情を聞かされてはいましたが…」
「あら、そう。侍女の方が積極的にハルトに擦り寄ってるのね?せいぜい寝取られないように気をつけなさい。私達貴族夫人は夫の手綱を握って浮気させないようにするのも仕事ですからね」
クラーラがそう言いながら渋い顔をしたので
(この人の旦那さんは浮気するような人なのかな?)
と少し気の毒になった。
「至らない点もあるかと思いますので何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
と定番の挨拶をした。
社交辞令なので、これで本当に厳しくダメ出しをしてくる、という事はない筈だけれど…
世の中には社交辞令を敢えて真に受ける人もいる。
「ええ。それなら手始めに、『自分の夫に関する情報を侍女から聞くようではダメだ』という事を念頭においておきなさい」
と指摘されて、思わず苦笑が漏れた…。




