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屋敷に戻ってからは
「お兄様とお姉様が使ってた教科書と参考書が何処かにある筈だから探したいの」
と侍女に告げて、夕食までの間、図書室に篭る事にした。
兄姉の教科書だけでなく魔道具関連の本が無いかどうかも探したいと思ったのだ。
前世の記憶が戻る前のリリアンは勉強嫌いだった。
それでいて平均点そこそこは点数も取れてしまうので、頑張って勉強しようとも思わずにいた。
魔力操作の訓練などの実技は好きだが、魔法理論などの座学は嫌いなまま直感に頼った学び方・生き方をしていた。
「考えてみれば、私って随分とお兄様とお姉様に対して無関心だったんだな…」
と改めて気が付いてしまう。
人間関係が受け身だった。
話しかけてくれた人と話す。
良くしてくれる人に感謝する。
そういう受け身なパターンばかりで、自分の方から仲良くなろうと話しかけたり良くしてあげたりといった行動を一切とっていなかった。
前世では子供の頃ーー
まだ自分が社会的に低い位置付けに置かれてる事に気付いてなかった頃には普通に他人に話しかけて仲良くしようとしていたが…
自分が偏見を持たれていて「ただ話しかけただけで顔を顰められて舌打ちされる」という事の意味を理解してからは用事もないのに他人に話しかける事がなくなった。
挨拶にしても声は掛けずに会釈だけ。
挨拶で声をかけると舌打ちされ無視される。
かと言って会釈もせずにいると「生意気にも無視しやがった」と見做される。
ただの侮蔑と嫌悪は容易く憎悪と逆恨みに変わる。
世の中には悪意が満ち溢れていた…。
だから自分から話しかけたり良くしてあげて仲良くなろうと積極的に他人と関わる行動はできなくなっていた。
でも今世ではそうじゃない筈なのに…
何故か私は前世の頃と同じく消極的で受け身だった。
何故?…
(実は潜在的に前世の記憶があったとか?)
それとも
(実は周囲にあった悪意を潜在的に認識していたから?)
ともかく…私は受け身だった。
だから自分の兄と姉の事もよく分からない。
「…お兄様の教科書と参考書は見つかったけど、お姉様のは見つからない。…もしかしてお姉様は嫁ぎ先にまで教科書と参考書を持って行ったのかしら?」
あり得る。
兄は所謂脳筋であまり何も考えないタイプの人だったのだと思う。
おそらく父の若い頃と同じ。騙されやすいタイプ。
座学なんて学院在籍時だけのものと割り切って渋々勉強していた筈。
お陰で卒業後には教科書を辺境まで持って行かず、こうして王都内の屋敷に置いて行ってくれた。
(今まで興味も無かったけど、お兄様とお姉様とでは性質が違うんだな…)
と分かる。
今でこそ「私がクローンで、普通の子供ではない」という疑惑もあり、兄姉からの疎外的な態度にも「そこにはちゃんと意味があったのかも知れない」と思うが…
自分を普通の子供だと思い込んでいた頃には「そこに何の意味があるのか分からないままだった」。
(情報は大事だね…。自分の人間関係の真実にせよ。世の中を正しく理解するにせよ…)
誘拐された時にアザール人が人身売買の責任をバルシュミーデにかぶせようとしていたから「国際的濡れ衣捏造」の可能性に気付いたし、近隣国の不自然な反ランドル思想の元凶にも気付いたが…
そういう仕掛けの存在を認識していないなら、ランドル人側には「ただ一方的に近隣国がランドル人に悪意を持って、一方的にランドル人に対してヘイトクライムを行っている」ようにしか見えない。
人同士、国同士は国籍を偽る工作員によって恨みの矛先・憎悪の矛先を容易く操られるのだ。
「…前世でも今世でも、私はやってもいない悪行をやった事にされていた?という事なのかな?…」
ふと思い当たった事を口にするとドッと肩に重荷が降りかかった錯覚に見舞われた。
それこそロドニー・デューの手紙にあった「死ね死ね死ね死ね死ね死ね」と空間自体から悪意を向けられたかのような、そんな感覚がまざまざと実感できた。
(前世ではずっと「気のせいだ」と思い込もうとしていたけど…)
他人から向けられる負の念や
他人から降り掛けられる位置付け意味付け
そういった一方的な悪意に足を引っ張られ続ける事もある。
そういった悪意は何故か人間の人生に影響を与えてしまう。
「…『人様から嫌われる』という精神的位置付けが社会的心理空間に何故か影響を与えてしまっていた、という事なのでしょうね…」
と、今なら理解できる。
悪意に纏わりつかれて足を引っ張られ続ける呪われた人生。
それは自分が呪われるべき悪人だからではなく
呪う人間がいるからで
しかもそうした呪いの元凶の悪意自体が嘘と偏見で作られている事もある。
(そう言えば…)
と、思い出す。
犬神や巫蠱は
「生き物を敢えて苦しめて殺して、そこで醸された怨念の矛先を術者の都合で操る」
といったものだ。
要は
「偽の情報を信じて見当違いの相手を恨み憎み呪う」
という在り方自体が巫蠱的だという事。
(日本もランドル王国も、そういった虚構に基づく恨みや憎しみが満ち溢れていたという事なのかな?)
そう考えると辻褄が合う。
普通の国では国民は国内で醸された悪意を敵国や国内異邦人へ向けるものだが…
それが許されない異常な国だと悪意は常に内ゲバへ向かい、仲間同士が団結できなくなる方向へと向かわせられる。
そしてその異常さにも気付かずに、そんな異常な社会を正常だと思い込み、生存競争で、国際競争で常敗が常態化する。
(…内ゲバとか運命共同体の自壊・壊滅なんて、自分の国で暮らしてるだけの国民にではなく、他所の国に入り込んで在住国の国民と同等又はそれ以上の権利を主張する異邦人の集団へと降りかかるべき負荷なんじゃないのかな?)
そうした考え方は至極真っ当な筈だが…
何故か、そうした道理が通じない国があり、異常な社会がある。
国籍を偽る
所属を偽る
アイデンティティの所在を偽る
そんな裏切りと欺きが見抜かれもせず
断罪もされず
野放しになると
「世界そのものが狂う」
のだと、直感的にそう感じる。
世界が許容できる悪、所謂「必要悪」は有限であり
「必要悪」として存在を許容される限界を超えて悪が蔓延ると
世界そのものが蝕まれ崩壊へ向かうものなのではないかという気がする。
許容範囲を超えて蔓延る悪が
「二度と生まれて来たくない」
「こんな世界、要らない」
という想いを増幅させる。
「二度と生まれて来たくない」
「こんな世界、要らない」
という想いのまま死んだ者達の遺志は静かに
「外敵から世界を護るバリアー」を解体していく。
結局のところ
侵略を進めやすくする第一段階として
「悪が栄える社会」
にしてやれば、現地人の運命共同体意識は勝手に壊れていく。
運命共同体意識を壊すべく悪がのうのうとのさばりながら
「悪である自分達が幸せに繁栄している事自体が外患誘致をも犯している」
という事実すら、悪も追従者も理解できずにいるのなら…
ただ食い物にされるだけの被害者達は
「自分達が『二度と生まれて来たくない』『こんな世界、要らない』という想いを持ち続ける事が人類優勢世界を壊している」
と自覚したとしても…
罪悪感を持たずに
「世界が壊れるに任せる」
のではないかと思う。
「…ああ、そうか…。滅びる世界には、滅びる国には、滅びるだけの理由があって滅びるんだな…」
と我知らず言葉が漏れた…。




