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夕食後に食堂で日本語の翻訳をしているとーー
思わず書いてある文字を凝視して固まってしまった…。
「ダンジョンの流産」…。
(ん〜…。どういう意味かな…)
と考えてみるが、よく分からない。
私がその文字を見ながら考え込んでいると…
ブルクハルトが横から覗き見て納得したように頷き
「ダンジョンは空間属性ーーつまり闇属性の魔物の一種、生き物に分類できるんだ。それでダンジョンが引き起こすスタンピードを『分娩』と呼ぶ者達もいる。
だからスタンピードの予兆があるダンジョンに干渉してスタンピードを防ぐ事を『死産』と呼ぶ場合もあるし、この手紙の送り主はそれを『流産』と呼んでいるんだろうな」
と教えてくれた。
「そう、だったんですか?」
(ゲームだとスタンピードはどのルートでも確実に起きてたし、そういった考え方すら登場していなかった…)
「この手紙を書いた人物は、この世界の魔物やダンジョンに詳しい割に乙女ゲームのシナリオには詳しくない。
逆にこの手紙を受け取っていたレベッカ夫人の方は乙女ゲームのシナリオに詳しくて魔物やダンジョンには詳しくない。
双方が情報交換してゲーム内で起きていた悲劇を回避しようとしてたのだろうな、と思う」
「…ああ、そんな感じはしますね。手紙を書いた人は間違いなく男性ですよね。筆跡の感じからも、文中の言葉使いからも」
「だな。それに必死さが伝わってくる。スタンピードを防がないと身の破滅だと本気で思っているかのような鬼気迫る雰囲気がある」
「…だとすると、バーネット伯爵家の縁者か、当時の騎士団精鋭部隊の誰かか、という事になりそうですね」
「…バーネット伯爵家?か?…」
「…どうせお気付きでしょうが、私も転生者です。とは言っても、ずっとただのリリアン・ベニントンとして生きてました。
ブルクハルト様達がブライトウェル城で捕まえた侍女から毒をもられたっていう話はしましたよね?
…毒で死にかけてた間に見てた夢で前世の事を思い出したんで、それこそ記憶が戻ってひと月も経ってませんが…」
「冒険者ギルドに登録に来てた時には前世の記憶があったんだよな?」
「ええ」
「落ち着きのある子だと思ったら、既に前世の精神年齢だったんだな」
「はい。ブラック労働でくたびれてたアラサーだったんで、人生に変な期待とかしない分、クレームを言うのにも慎重になって、結局泣き寝入りするタイプの人格に戻ってるのかも知れません」
「そうか。大人、なんだな…」
「…私も母のレベッカ同様に乙女ゲームの知識はあります。友達もいなかったし、プライベートはお金のかからない趣味なら自由でしたから、課金せずに楽しめた『アカオト3』は私の貴重な現実逃避先でした」
「だからスタンピードを起こす筈だったダンジョンが何処の領地のものか判る、と?」
「ええ。ゲーム内のシナリオだと、どのルートでもバーネット伯爵領のビートン・ダンジョンはスタンピードを起こしてました。
だから記憶を取り戻して真っ先に『ランドル王国の建国以降、国内のダンジョンがスタンピードを起こしたという歴史がない』という事実に気付きました。
エリアル・ベニントンが攻略対象の1人で、レベッカ・ルースがエリアルルートの悪役令嬢である筈だという事にも気付いたし、ゲーム内で訪れる筈だったランドル王国滅亡の危機から23年も過ぎてしまってる事にも気付きました」
「23年…。ああ、そうだな。40〜41歳くらいのメイン攻略対象達が学生だった頃に起きる筈だった危機だしな」
「手紙のやり取りは先ず差出人がお母様にゲームのシナリオを尋ねる所から始まっていて、お母様が書いた返事を読んだ差出人が更に質問を重ねる事で続いてきてますから、ゲームを知らないブルクハルト様が読んでもある程度シナリオの内容は分かると思います」
「ああ。ヒロインはクラリッサ・チャニング。クレーバーン公爵の庶出児。攻略対象はメジャールートだと男子学生の4人。マイナールートだと教師と護衛騎士の2人。
最初の1年間はヒロインが悪役令嬢からイジメられて、1年目の終わりに悪役令嬢は断罪され破滅して退場。
2年目にダンジョンがスタンピードを起こし、王立魔法学院の生徒達も男子の殆どが騎士団所属へ移籍。
騎士団精鋭部隊がダンジョンの攻略によるダンジョン消滅を成し遂げるまでの間、ヒロインと、ヒロインが選んだ「お相手」(ヒーロー)も魔物に呑まれた町や村で魔物と戦い、少しずつ人間が住める空間を取り戻す事に尽力する。
精鋭部隊がスタンピードから約半年後にやっとダンジョンを攻略。
そこで領主一族の粛正か、精鋭部隊の粛正か、どちらかの悲劇が起こる。
その後は国内は内戦がいつ起きてもおかしくない状態となり、畳み掛けるようにバルシュミーデ皇国との戦争が勃発。
ランドル王国が負けて、国自体が亡くなって、ヒロインがヒーローと国外で平民として暮らすメリーバッドエンドになる確率が高い。
一方でランドル王国が奮闘してバルシュミーデ皇国を退けてしまうと、何故か『時空の虚無神』が憑座に憑依して世界そのものを消滅させるバッドエンドとなる。
そういった救いようがない世界観だったよな?」
「はい。だから、スタンピードも起こらず、今までランドル王国が続いていて世界も存在し続けているのはシナリオにない展開なんです」
「実はこの世界はゲームの世界ではなく、登場する国や人物が一致するだけの現実世界だから、シナリオにはない展開で世界が存続して当たり前、という事だったんじゃないのか?」
「そうだと良いんですけど…。必ずしも、そうじゃないのかも知れません」
「ゲームの展開から大きく外れていても、ここがゲームの世界なら『時空の虚無神』が実在するかも知れない、と言いたいんだな?」
「そうです」
「…多分、それと同じ不安をレベッカ夫人も手紙の差出人も抱いていたからこそ2人は手紙のやり取りを続けていたんだろうな。
…続きを翻訳していけば、2人が辿り着いた推論の結果を知る事ができる筈だ」
「でしょうね」
(その推論の結果が正しかったとは限らないけどね…)
転生者同士が協力し合ってもどうにもならなかったから、今ランドル王国の上流層はバルシュミーデ人で占められているのだと思うのだ。
その事実をバルシュミーデ人であるブルクハルトに指摘するのも角が立ちそうだから言わないが…。
「ともかく、手紙の差出人は『ダンジョンを流産させた』と言っています。その言葉通りに彼がとった対策が有効だったからスタンピードが起こらなかったという可能性がありますね」
「サラッとすごい事を書いてるよな。スタンピードを起こせないようにダンジョンを栄養失調状態にするには、死人を出さずに、大量に内部の魔物を殺してドロップ品を回収し続ける必要がある。
自分の実力を自惚れてダンジョンへ飛び込んでそのまま帰って来ない新人冒険者が犠牲にならないように、ダンジョンに餌を与えないように、徹底するには領主側の指導と支援も必要だった筈だぞ」
「それでも頑張ってそれをやったからダンジョンが分娩できずにスタンピードは不発に終わったんでしょうね」
「不思議な話だよな?実は転生者というのは俺を含めて『前世の記憶』という偽情報を脳にインプットされた狂人なのかも知れない、とすら思いそうになるよ」
「そうですね。『初めからスタンピードの危機など無かった』と思う人達から見れば、スタンピードが起きないようにダンジョンを流産させたとか言ってる人間は狂人に見えるかもですね」
「本当にスタンピードの兆候があったのにスタンピードが起きなかったのか、その辺は調査が必要だろうな」
「それに関してはブルクハルト様にお願いしてもよろしいでしょうか?」
「任せてくれ。どの道、皇子殿下がこれら文書の内容の信憑性を検証したいと言い出す筈だ」
「なら、お願いします」
私は神妙に頭を下げて、再び日本語の文書の方に視線を落とした…。




