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翻訳というものが意外に頭脳労働である事を知ったのだが…
疲れて寝た翌朝ーー。
澄ました顔で皇子と公子が朝食の食卓に着いていた。
「朝食後に王城へ帰る」
との事。
夜間の帰還は危険との判断で一泊していたらしい。
(寝首をかかれなくて良かった…)
と少し安心した。
あの皇子、私の事が嫌いっぽいので
「どうしても殺さなければならなかった理由」
を後付けで捏造する事にして、周りの反対を押し切り凶行に及ぶ可能性もあったと思う…。
(ブルクハルトも公子も止めてくれそうな感じはするけど…あの皇子だけは信用できない)
ともかく無事に一夜明けて、私は学院へ通学した。
入学式の翌日はクラスメイトの自己紹介後さっそく授業が始まる。
学べるだけ学んでから逃げるにはちゃんと知恵をつけなければ。
「魔法、楽しみだな…」
と、馬車の中でついつい笑みが漏れた。
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中等部での一年目は主に魔力探知と魔力操作に費やされ
二年目から魔法理論と入門的魔力の応用に入った。
三年目にしてやっと高等魔法理論と初級魔法の習得に取り掛かった。
空気中の水分から水を生み出す「水生成」。
静電気の火花から火を生み出す「火生成」。
気圧変化から風を生み出す「風生成」。
空気中の埃から土を生み出す「土生成」。
それが中等部の魔法学の卒業課題だった。
(そのうちの一つでも出来れば合格)
それらを水刃、火球、風刃、石弾へと進化させて攻撃魔法として使うのは高等部になってから習う応用魔法。
(できないまま卒業する人も多い)
時間をかけて魔力を練り
呪文を唱えて
やっと繰り出す攻撃魔法。
当たり前の事だが魔物も人間も敵はこちらの準備が整うのをゆっくり待ってなどくれない。
大抵は「攻撃魔法は一発撃てば魔力が枯渇する」ので、打つのに時間もかかるし、戦闘においてアテにならない。
攻撃魔法を一発撃った後でも魔力枯渇で倒れる羽目に陥らず動けるならという前提で、魔力というものの本質などについても学ぶ事になっている。
教科書に目を通した限りでは魔物が使う魔法にどんなものがあるのか、魔物が使う魔法を再現する簡単な魔法陣やらも載っている。
さっさと翻訳の仕事を終わらせて、兄達が使っていた頃の教科書を探すべく屋敷内を家探ししたい所だ。
学院に到着後、自分の教室の自分の席に着くと私は早速教科書を開いて内容を見てみた。
昨夜は翻訳騒ぎで予習ができなかった。
一応、同じ教室に入ってくる人達の顔をチェックして、どの程度ランドル人がいるか把握しておきたいと思っていたので、時折顔を上げて周りの顔触れを見るようにした。
がーー
入学した新入生の殆どがバルシュミーデ人の男子生徒…。
(…これまで「貴族なら無償で入学できて学べた」権利がランドル貴族にではなくバルシュミーデ貴族に移ったって事だな…)
と分かるものの、それを手放しで受け入れるのは難しい。
バルシュミーデ人は皆、金髪や白金髪。
私のような灰褐色の髪色は珍しいらしくジロジロ見られている。
(珍獣扱いですか…)
イジメられる未来の予感を感じて…
(早目に学べるだけ学ぶんだ!)
と学習意欲が余計に湧いた。
高等部のクラス分けの基準は成績順とかではなく、選択コースごとの基準だった筈。
私は進級の願書には下級文官志望コースを選択していたけど…
下級文官志望コースは家政コースと同じクラスの筈だから
辺境伯夫人としてのクラスも当初の予定と同じ筈。
このクラスは下級文官を目指す新入生か領主夫人として屋敷の家政を担う予定の新入生が寄せ集められている。
領地経営コースと上級文官志望コースはもっと難しい内容を学ぶ。
(お兄様は領地経営コースを選択してたから教科書の内容も複雑だった筈)
このクラスの担任の先生が来た事で、それまで席に着いていなかった生徒も一斉に席に着いた。
一応バルシュミーデ人の生徒達もちゃんと授業を受ける気はあるらしい。
あの皇子の事だから
「卒業資格が欲しいだけで学ぶ気のない粗野な若者」
を送り込んでいる可能性も考えていたけど…
流石にそこまで悪質ではないらしい。
担任の先生の話を聞く姿勢も身に付いている。
バルシュミーデ人は野蛮人のイメージが強いが、単に血の気が多いだけで、冷静でいられる時にはちゃんと常識も通じるという事か。
担任は
「エセル・アボットだ」
と名乗ってくれた。
エセル・アボット…。聞き覚えがない名前だ。
(だけど、何処かで見た事がある気がする顔だ…)
「君達の方でも自己紹介して欲しい。先ずは一番前の廊下側の席の君から頼む」
そう促されて、クラスメイトの自己紹介が始まった。
私以外のもう一人のランドル人令嬢もこのクラスだった。
エミリー・ノースウェル。ノースウェル伯爵家の後継令嬢。
ランドル王国の貴族階級では姓と爵位の称号が同じ家の貴族は
「元は先祖が姓もない平民だった」
可能性が高い。
旧家ではないのが分かる。
ランドル王国は元は独自の高度な文明を持つ魔道王国だったが、魔道王国だった頃には貧富の差が激し過ぎて飢饉の度に大量に人口が減り、国力が衰退の一途を辿ったのだという…。
その後、一部の良心的富裕層が立ち上がり、革命を起こしランドル王国を興国。
既存の王族貴族の多くが粛正されて、革命を起こした富裕層が爵位を継いだ。
なので「建国から続く由緒正しい貴族家は姓と称号が異なる」のがランドル王国という訳である。
革命の名残りだ。
だがそれと同じようにーー
ノースウェル伯爵家も今後、称号はノースウェルのままでも、姓はおそらく婿養子に入るバルシュミーデ人の姓になる筈。
姓と称号の不一致に歴史あり、だ。
(このクラスの令嬢の婚約者や夫は領地経営コースのクラスに居るんだろうなぁ…)
と思った。
ふと強い視線に気付いて振り返ると
バルシュミーデ貴族令嬢から睨み付けられていた。
(誰だろう?)
完全に知らない相手だ。
(でも向こうはこちらを知ってる?のだとしたら…)
元婚約者のイーノック・トレントの新しい婚約者である可能性が高いと思う。
私が未だイーノックに未練があるとでも思ってるのだろうか?
そうだとしたら随分と彼女は
「人間の心」
というものに関して理解がない。
王立魔法学院の在籍中に婚前交渉をしていたような婚約者同士なら、婚約白紙になった後もドロドロと執着を引きずっていそうだが…
ベニントン家では
「婚前交渉は禁止です」
と母が口を酸っぱくして教え諭していた。
今思うと
「それが正解だ」
と解る。
世の中、何が起こるか分からない。
一寸先は闇だ。
婚約者の言いなりになり気前良く純潔を差し出しても
その後で心変わりされて捨てられる可能性がある以上
可能な限り身を許さずにおくべきだ。
私が全くイーノックに未練が無いのは、母が徹底してくれていた
「婚前交渉禁止」
のお陰でもあり
「前世で刷り込まれた人生そのものへの不信」
のお陰でもある…。




