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「異世界言語をレベッカ夫人から教わった暗号だと言うなら、君は当然読めるのだろう?
ならば私達にも判るようにこちらの言語に翻訳してくれないか?君なりの解釈を注釈で加えて。
暗号をどう解読するものか、私達のような野蛮人にはどうも理解が及んでいないようなのでね」
皇子の言い草が随分とイヤミっぽいのが気になるが…
どうやら文書の類には私も目を通せるものらしい。
(私の家にあった私の親のものだし、本当はお母様以外の誰にも批判される事なく大手を振って目を通せる筈なのにね…)
「…それで私がバルシュミーデ皇国に仇なすつもりもない無害な戦災孤児の一人だという証明になるのなら、やりますが…。
そうした証明を終えて、私が無害だと判明した場合、そちらの言い分に従っておこなった翻訳の労力分の翻訳料は頂けるのでしょうか?」
(「無実の証明にただ働きを強いる」ような行為を「当たり前のこと」と思われて何度も繰り返されるようじゃ気が休まらないものね)
頂けるものなら頂きたいが、別にお金はもらえなくても問題ない。
私としては
(こういう迷惑行為は二度と振りかけて欲しくない)
という想いが強い。
その意図を是非とも読み取って欲しくて翻訳料寄越せと吹っかけている訳だ。
すると皇子が
「意外にガメツイな。ブルクハルトは幼妻に充分な品位保持費を与えないケチな男だったのか?それともリリアン嬢が金に汚い性根なのか?」
と意地悪そうに笑いながら頷いた傍らで
ブルクハルトは
「…充分な品位保持費を与えるよう契約でも合意した筈ですが、俺は彼女の元々の暮らしを知りません。溺愛されていた末っ子なら、俺の予想を遥かに超えた金額が彼女のために使われていたのかも知れません」
と眉を八の字にして説明した。
(…なんか、ブルクハルトがいちいち私を庇おうとしてくれてるような…)
と少し彼の性格の善性を感じた。
多分だが
(ブルクハルトはお父様を殺しておきながら私と結婚した事で、少なからず私に対して罪悪感を持っている…?)
という事なのだろう。
(意地悪皇子のお陰でブルクハルトが随分とマシな人間に見える。…これも意地悪皇子の計算か?)
まぁ、皇子の心情などどうでも良い。
「払って頂けるんですか?」
私が尋ねると
「法外な金額にはならないが暗号の専門家に依頼する時と同じように規定の料金を支払おう」
と皇子が答えてくれた。
言質は取れた。
因縁つければ無償労働させられるなどとナメられる事態は回避できそうだ。
「それらの手紙は今お持ちなんですよね?」
「ああ。ブルクハルトがブライトウェル領を発つ時に持って来てくれた。今、丁度手元にある」
「では拝見させて頂きますね」
「レベッカ夫人が隠し部屋に残した文書は『日本語』とやらで書かれていたものだが、特に興味深いのは相手からの手紙に何度も登場する『時空の虚無神』というキーワードだな。
何かの暗喩なのか、そういう渾名で誰か特定の存在を呼んでいるのか判別がつかない」
「時空の虚無神ですか…」
(お母様は確実にゲームを知っていたし、他の転生者と情報交換してたって事なんだろうね)
手紙にザッと目を通してみても目新しい情報は見当たらない。
この手紙を書いた人がひたすら質問している感じだ。
母レベッカが書いた返事は相手が持っているだろうし、ここには無いけれど…
おそらく彼女が「質問の答えを書いていただけ」であろう事は一見して判る。
「返答に書かれた用語がよく分からないから」と更に質問を重ねている感じで手紙が続いているからだ。
「君は何か知っているのか?」
「言っても信じてくれるか分かりませんが、とにかく私がバルシュミーデに叛意があるとか、そういう濡れ衣は止してくださいね。
『時空の虚無神』というのは世界に危機をもたらす存在であり、私のような無力な子供がどうこうできるものではありません。
闇属性魔法と呼ばれる分類の魔法に『超重力天体召喚』というものがあるのはご存知ですよね?
『時空の虚無神』がその魔法を使ってこの世界を滅ぼす可能性があるという事が書かれています」
「「そうなのか?」」
思わず、といった様子で皇子、公子の声がハモった。
「この手紙をお母様に寄越した人が尋ねているのは『時空の虚無神』がどうやって世界を滅ぼすのかという事と、『時空の虚無神』がどんな人間にいつ憑依して出現するのかという事ですね」
「それは全文翻訳して紙に書き残せるか?」
「筆記用具なら部屋にありますので、一度部屋に戻って書いてきても良いならそうしますが」
「いや、この場で目の前で翻訳して欲しい。筆記用具は取りに行かせる」
皇子がそう言うと、ブルクハルトが護衛役の従騎士オットーへ目配せして、オットーは侍女ナタリーと連れだって食堂を出て行った。
(勝手に私の所持品に触れるんだな、ナタリーとオットーは…)
侍女と従騎士の忠誠心が私にではなくブルクハルトにある現実が目の前に突きつけられた気がして少しイラッとしたが、いちいち傷付いても仕方ない。
急いで行ってきたらしく広い屋敷だと言うのに、ものの数分でオットーとナタリーが帰ってきた。
筆記用具を受け取って食器の下げられた食卓で翻訳作業をする。
(どうせ、この人達は皆ランドル語が堪能だし、私が下手なバルシュミーデ語で書くよりランドル語へ翻訳した方が良い筈)
と思い、ランドル語で書いていく。
皇子がすかさずイヤミで
「外国語が身に付いていないらしいな」
と感想を聞かせてくれたが無視するに限る。
手紙類は口頭で説明したように『時空の虚無神』に関する事が書かれていた。
男性の字だと思う。
父エリアルは異常に嫉妬深かったので、母が男性と手紙のやり取りをするのは、内容が全く艶っぽくなくても邪魔が入りまくって難しかった筈。
「世界の破滅を本気で心配・警戒していたからこそ警戒網をすり抜けて情報伝達が行われていた」
のだと思う。
(今のところ世界は滅んでいないから『時空の虚無神』の憑座は未だ現れていないと思って良いんだよね?)
それにしても不思議ではあった。
ランドル王国が戦争でボロ負けして滅亡する時には『時空の虚無神』は登場せず、世界は滅亡しない。
一方でランドル王国が滅亡しない時には『時空の虚無神』が登場して世界が滅亡する。
そんなシナリオ展開だった。
まるで『時空の虚無神』か、或いはその憑座が
激しくランドル王国を憎悪していて
「ランドル王国を存続させるような正義無き世界なら滅んでしまえ!」
とでも思っていたかのようだ…。
(もしかして…)
と不安になる。
ゲームをプレイしていた時には
「実際にランドル王国でランドル人として生きる」
のと違い、臨場感がない。
だから気付かなかっただけで…
本当は
「憑座となる者の条件」
には
「ランドル王国を心底から憎悪している者」
という条件が加わるのではないのか?と…
ゾワゾワと背筋が冷える不安が今になって起こる…。
…私は不吉な推測を振り払うようにブンブン首を振って
不安を振り払うように翻訳に意識を集中させた…。
私が不安に思った事は
同じように母も不安に思っていたらしくーー
手紙を受け取った後に記されたと思しき手記には
〈『時空の虚無神』の憑座となってしまうNPCの共通点には「ダンジョンに入った事がある」「男性である」といった特徴の他に「ランドル王国を憎悪している」という特徴が追加されるべきなのかも知れない〉
と、やはり日本語で書かれていた。
私はリリアンとして生きてきた人生の中で
「世界の滅亡や国の存亡に関して全く気にかけた事も無かった」
と改めて自覚した。
リリアンとしての私は貴族でありながら
「上には上がいるもの」
「社会の事や世界の事はウチよりも偉い人達が考えるべき事」
「一介の貴族令嬢如きが考えても仕方ない」
と楽観的に責任放棄していたのだ。
そんな自分を省みてしまうと…
(…前世って貧乏人にとってかなり地獄な社会だったけど、恵まれた環境にいた人達がリリアンみたいに「無責任な楽観視で世の中に満足してて、地獄みたいな人生を生きてる国民を見捨て続けていた」から、あんな狂った社会だったのかもね)
と感じてしまう。
きっと、この世界にも貧しさがあり
愛し合うべき家族でさえ足を引っ張り合う暮らしがあり
全て搾取されて動く死体みたいに鬱々と働いてるだけの地獄がある。
前世の記憶のないリリアンだった時には
そんな当たり前の事さえ理解できていなかった。
年齢通りの子供だったのだから仕方ない。
一方で今、それを理解したからといって
「少しでも社会を良くするべきだ」
「世界が滅びずに済むように配慮すべきだ」
と思えるのかというと…
(私、この世界のために頑張らなきゃならないのかな?)
とイマイチ頑張る気にはならない。
ゲームでも勉強でもそうだが…
「難易度高すぎの無理ゲーからは逃げたいと思う」
のが普通だと思う。
無理ゲーさながらの運命の中
責任や義務が降りかかっていても
それでも「活路はある!」「適正解がある!」と信じられるなら
ハードモードでも頑張れるのだろうけど…
私にはこの現実に活路や適正解が有るようには思えない…。
頑張れない…。
(人間社会には悪意が満ちているように見える…)
しかもランドル王国は侵略されて既存権力は解体されつつあるので…
私が未だランドル人貴族である事は
「社会を良くしよう」
という面でのアドバンテージにはならない。
ただ、今の現状は一応「ランドル王国滅亡」という事になるので「世界の滅亡」は起こらない筈だとは思うけど…
それでも「ランドル王国・ランドル人を激しく憎悪する者」が憑座の条件だったら「この程度では滅亡したうちに入らない」と完膚なきまでの根絶やしを望み、やはり「超重力天体召喚」は引き起こされてしまうのかも知れない…。




