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食堂へ赴くとーー
既に腰掛けている人がいた。
(あの人がブルクハルト・クンツ…。私の書類上の配偶者…)
と理解し、近づくにつれて燭台の灯りに照らされた顔が明らかになったのだが…
「えっ?」
と思わず驚きの声が漏れた。
(この人、地下牢まで助けに来てくれたバルシュミーデ人だ…)
私が驚いているのに対してブルクハルト・クンツは
「あの後、不自由は無かったか?」
と訊いてきたので、私があの時の新人冒険者だと判っている様子。
「あの時は、助けていただいて、本当に有り難うございました」
また見かけたらお礼を言おうと思っていたので、条件反射でお礼が口を突いて出た。
書類上の夫との対面だ。
今後の生活上の取り決めなどで交渉が必要だろうし
(無表情で淡々と接したい…)
と思っていた筈なのに
いきなり私は
(愛想良くしなければならない状況に陥っている…)
という現状を自覚した。
(ああ…。大人の交渉術ってエゲツナイ…。こっちが下手に出て愛想良くしなければならないタイミングでの対面をセッティングするなんて…)
「うむ。年少者を救助するのは年長者の役割だ。恩に着せるつもりはないので、今夜は気にせず、今後の事についての要望を述べて欲しい」
そういってもらえるのは有り難いが
(果たして、どこまで本気でそういっているのやら…)
真意を測りかねるので油断はできない。
「お言葉に甘えさせていただきます。ですが、今は食事を楽しみましょう。お話は食後にゆっくりとさせていただきたいと思います」
「ああ、そうしてくれ」
初対面の相手なのに食事中の沈黙が気不味くない、のは大抵は相手が親しいからだったり、相手の意識が食事や他の事に向いていて、全くこちらへの警戒も気遣いもないからなのだという事は流石に私にも分かる。
(この男、私が居ても居なくても変わらないのだろうな…)
と思うくらい自然体だ。
ブルクハルト・クンツの中では今この瞬間は日常の一コマなのだと分かる。
(こっちは「今後の生活を左右する大事な交渉前だ」と思って緊張してるのに、緊張するのがバカらしくなる)
命の取り合いが身近な人間は、殺気が向けられた時以外はリラックスして過ごす事が多いが、ブルクハルト・クンツもその口のようだ。
国籍は違えど、父やその配下の騎士達・兵士達と共通する雰囲気を感じた。
命の取り合いをして身を立てる人達の貫禄は小賢しい心理戦を虚しく感じさせる。
(心理戦というのは戦地とは無縁に都会でのうのうと暮らしてる人間達の悪足掻きなんだな…)
食事が終わって、いざ対話が始まるのかと思いきや
「ここで話すのもなんだから、執務室へ来てくれ。サインが必要な書類を用意させる」
と言われた。
私は
「書類、ですか?」
と面喰らいながらも頷いて、大人しく彼の後に続いた。
(契約結婚、という形を望んでいる?のかな?この人)
ブルクハルト・クンツは廊下を歩きながら執事服のバルシュミーデ人に
「書式は法に適ったものなんだろうな」
と尋ね、執事は
「抜かりありません」
と答えた。
(こっちに不利な契約を結ばされる、とかじゃないでしょうね…)
と不安になるが、それでも逃げ道はない。
こちらの疑いと不安を察知したのか、ブルクハルトは
「婚姻に関する具体的な取り決めを契約書にしたためて、後日、認識の齟齬が出ないように気を配るのは特に変わった事じゃない。特に政略結婚の場合は」
と説明してくれた。
「そうだったんですか?」
(結婚て、そういうものだったの?)
丁度、執務室についたので、ブルクハルトは頷きながらドアを開け、私を執務室内へと入れてくれた。
「性格の不一致、価値観の不一致など、結婚生活は後から後から問題や対立が起こるものだ。
予め、そうした事態を想定して取り決めをしておく事で回避可能なトラブルを未然に防ぐことができる」
「私の両親は政略結婚だった筈なのに自然体で夫婦でしたが、そういった政略結婚なのに愛し合ってる夫婦もそうやって細かな取り決めを予め交わしていたんでしょうか?」
「そうだな。全ての貴族の結婚で、とは言い切れないが、大抵の場合はそうだし、お前の両親の契約書もお前の父の金庫に保管されていた。まぁ、ブライトウェル城の方の金庫なので今見せてやる事はできないがな」
(「お前」呼ばわりですか…)
「そうなんですね」
「一応、常識の範囲で作成してはいるものの、目を通してもらわない事には、このままサインしてもらって良いものか、書き直す必要があるのかも分からないので、早目に見せておきたかったんだ」
「それでは早速見せていただいて宜しいでしょうか?」
「これだ」
こういうものは正直、意味が読み取りにくい。
前世でも法律や規約に関する文章は不思議と意味が読み取りにくく、わざと意味が分からない文章にして詐欺しやすくしてるんじゃないのか?などと邪推する事があった。
それでも今世では
「貴族として生まれたからには、読み取りにくい文章こそすんなり読み取れるようにならなければいけない」
と諭されて読解訓練をしてきた。
お陰でちゃんと理解できる。
ブルクハルトの言う通り常識的な内容だ。
私が18歳未満の間は白い結婚のままでいる事。
実質的に女主人ではないので初夜を迎えるまで私には家政執行権がない。
それでいて位置付け的には
「養女で婚約者」
のようなものなので生活費は全面的に夫が負担。
その他
「品位保持費が(お小遣いが)出る」
「夫が公的な場での保護者代行を行う」
という事。
そういった事が意味の分かりにくい言い回しで書いてあった。
(…同程度の家格で同じランドル人貴族同士の契約なら、こういうものが普通なんだろうけど…。この人は戦勝国民でこっちは敗戦国民なのに、これで良いのかな?)
と少し戸惑う。
口に出せば「もっと不利を押し付ける内容でも良かったか?」と入れ知恵する事になりかねないので、敢えて「これで良いんですか?」などと訊くつもりはない。
「今、特に思いつく事もありませんし、これでサインしておきたいと思います」
と無表情を装って述べると
「それで良いなら、サインしてくれ」
と言われ、サラサラと自分の名前を書面しようとした。
「あ、名前、旧姓で書くべきでしょうか?」
「こうした長期間有効な契約書は旧姓と婚姻相手の姓の両方を書く。ただ、この契約書は『半年ごとに内容を見直す』という備考もあるので、白い結婚の間は旧姓だけでも構わない。
あと、学院に通学して名乗る名前も答案に書く名前も俺の姓であるクンツ姓となるので、それは理解しておいてくれ」
「えっ?私、学院に通って良いんですか?」
「ん?通って良いに決まってるだろ?」
「…そうだったんですね。私はてっきり自分はこれから平民暮らしをするから冒険者として仕事をしなきゃと思ってました」
「そう言えば、低ランクの間は1ヶ月間活動が無いと登録抹消される仕組みだったな」
「…登録料が勿体ない…」
「学院が休みの日に冒険者活動をすれば良いだろう?」
「王立魔法学院は全寮制だし、女子生徒はアルバイト禁止だった筈です」
「それはランドル王国の王立魔法学院規則だよな?」
「バルシュミーデでは違うんですか?」
「就学期間中の令嬢が労働してはならないという法はバルシュミーデにはない。なので女子学生も普通にギルドに加入して働きながら学校に通ってたぞ」
「それだとどうなるんでしょう?王立魔法学院は」
「バルシュミーデ皇国側の学院規則が適用される筈だから、週末に冒険者として働いてもお咎めは一切無い。あと、全寮制でもなくなる」
「そうなんですか?」
「全寮制はことランドル王国においては悪しき慣習だったようだ。女子が男子寮に、男子が女子寮に入り込んで不純異性交遊が行われる温床になっていたらしい。そうした事態を引き起こさないように全寮制は撤廃。今後は希望者のみの入寮となる」
「それだと私はどうなるんでしょうか?」
「当然、この屋敷から通うだろ?」
「この屋敷から通って良いんですね?」
「不満か?」
「いえ、有り難いです。寮生活は不便だったんで」
「そうか」
「制服とかはどうなるんでしょう?そちらで手配なさってますか?」
「いや、元々通う予定だったなら服飾店にオーダーしてるのだろう?」
「『魔法の手芸箱』という店で採寸してもらって注文はしてましたが、お店の方ではサイズの類似したバルシュミーデ令嬢へと出来上がった制服を横流ししてるんじゃないでしょうか?」
「…ああ、あり得るな」
「なのでお店に確認する必要があると思います」
「分かった。『魔法の手芸箱』だな。『ブライトウェル辺境伯家令嬢は予定通り王立魔法学院高等部へ進学するので早目に注文した制服を納品するように』と俺の方から店に催促しておこう」
「有り難うございます」
ブルクハルトは意外にもよくしてくれる。
学院にも予定通り通える事になって、こちらに不都合が強いられる事が無い分、かえって戸惑いそうになる。
(悲観的になっても仕方ない…)
私は愛想良く、私の名目上の夫ブルクハルト・クンツに貼り付けた笑顔を振りまいたのだった…。




