100:終話
「これでお前の立場が脅かされる事も無くなった。今後は辺境伯夫人として安心して暮らせるな」
ブルクハルトはそう言うが…
私には楽観的過ぎるように見えてしまう。
「私には左腕に傷があります。傷物です」
「それはお前を守れなかった俺のせいだ。誰にもお前を傷物だと嗤わせておく気はない。それに傷は長手袋で隠せば良い」
「…貴族は騎士爵を叙爵しているか王立魔法学院高等部を卒業していなければならない筈なので、今後も私は貴方の妻としてはケチがつきまくりだと思うのですが…」
「その辺の悩みは既に解消されている。病気や怪我で通学できなかった休学者向けに『卒業資格試験』が実施される事になった。
お前が出奔後も独学で勉強を続けていた事は知っている。『卒業資格試験』を合格できるように家庭教師を雇う目処もついている。
お前が貴族夫人として認められずに鼻つまみ者になるような悲劇は起こらない」
「そうなんですか?」
「ヴィクトール陛下に相談したら快く解決策を立ててくださったぞ?お前も感謝しなければな」
「陛下は私の事がお嫌いな筈なのに、わざわざ骨折りしてくださった、のですね?」
「…カークランド公爵夫人が夫の寝首を掻こうとして処されたからだろうな。夫を嫌って逃げる妻のほうが夫を殺そうとする妻よりも余程誠実だ、とお気付きになられたのだろう」
「カークランド公爵夫人は急病で亡くなった筈では?」
「表向きはな。だが実際には夫を殺そうとして返り討ちに遭っている」
「…そう、だったんですね…」
「…お前の場合は俺を殺そうとするより、また逃げ出す可能性の方が高そうだが…。俺としては、もう逃げないで欲しいんだ。
お前が信じてくれなくても、何度でも言うが、俺はお前が好きだし、これからも一緒に居て欲しいと思っている」
「私は…」
「俺の事がまだ嫌いなのか?あの時はお前を守ってやれなくて、不甲斐ない俺など嫌われて当たり前だと思ったが、あの後ちゃんと環境整備に力を注いだ。
もう誰もお前を傷付けられない筈だ。頼むから、俺が頑張った事実を証明させてくれ」
「私はブルクハルト様を嫌いだと思った事はありません」
「そうなのか?」
「寧ろ『良い人だな』と思って感謝していました」
「…それでも俺から逃げたのか?」
「生きづらさを感じたのは事実です。終戦後のドサクサで人々の心も混乱していたのかも知れませんね。悪意有る人達が周りに多過ぎましたから」
「それは俺自身が嫌いではなくても、俺と一緒にいる事で生じる環境が嫌いだったという事だろ?俺自身を嫌いだという事とあまり変わりはないんじゃないか?」
「そうかも知れませんが、あまり深く考えていませんでした…」
「そうか…」
「嫌いかどうかという点を気にするよりは『好きになってはいけない人だ』という見方で私は貴方を見ていた気がします。
たとえ夫婦として一緒に無難に暮らせる日が来たとしても、貴方に愛してると一生言わない事が両親への恩返しなんです」
「恩返し…」
「親の仇と仲良く暮らすのは親不孝ですよ。それが一番楽な生き方だとしても」
「それでも構わない。…一生『愛してる』と言ってくれなくても、俺と一緒に生きて欲しいんだ」
「…ブルクハルト様は女の趣味が悪いですね。ワンダ・アシュトンと付き合っていたんでしょう?」
「…どうして判った?」
「勘です」
「女の趣味も何も、誰にだって失敗はあるだろう?ああいう距離感ゼロの馴れ馴れしい女は可愛げがあるように見えるし、絆されずにいる方が難しい。
初見殺しのトラップみたいなものだ。必ず誰かが引っ掛かる。
自分以外の誰かが引っ掛かったのを傍目で認識して、ああいう女に関して正確に事実認識できれば一番人生も無難なんだろうが…。
生憎と当時の俺は女運が悪かったんだろう。俺自身が引っかかって、周りがそれを見物して学習していた」
「引っ掛かった事で皆様のお役には立っていたと?」
「ああ。情けない事にな。だが夫の寝首を掻こうとする妻を寝所で斬首したカークランド公爵もまた女運が悪い。
そのお陰で陛下がお前の評価を上げてくれたらしいので、今現在は俺の女運が悪いとは思わない」
「…本当に私で良かったんですか?…お姉様は辺境伯家を乗っ取ろうとしたワンダを推した張本人ですから、ワンダに騙されていたという事で処罰を免れるにしても、二度と貴族階級に戻れません。
先代辺境伯の娘として社会的に認められる貴方の妻は本当に『私だけ』という事になってしまいました。後悔しても知りませんよ…」
「望むところだ」
「…本当に、知りませんから…」
私は親切で忠告してあげているのに、糠に釘のような様子。
「政略結婚の相手がお前で良かった…」
そう言ってブルクハルトは私の髪に口付けた…。
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1年後ーー
無事に王立魔法学院高等部の卒業資格を取得できた。
「貴族の資格=王立魔法学院高等部卒業」
という部分はレヴァイン家がランドル王国の王家だった頃と変わらない。
なので卒業資格取得と共に正式に辺境伯夫人と社会的にも認められるようになった。
卒業資格取得後に結婚式も上げて、初夜も済ませた。
妊娠して安定期に入ったのを機に
「領地に戻りたい」
と言うと
ブルクハルトも
「王城勤めを引退して領地経営に本腰を入れる」
と言い出した。
3年以上も領地を家宰任せにしていて
今更領地に戻って仕事を取り返したところで
家宰がちゃんと教えてくれるとは限らないと思うのだけど…
「お前と一緒なら何をするにも頑張れるんだ」
と本人のたっての希望でもあるので、反対はしなかった。
良い旦那さんだと思う。
イーノックとあのまま結婚していたらと思うとゾッとするので
内心ではブルクハルトは
「嫌な男との結婚から私を救い出してくれたヒーロー」
なのだけど…
ブルクハルトへの好意を口にするのは、やっぱり両親への不義理だと感じるので口には出さない。
一生愛してると言わない。
それでも実は随分と絆されてしまっている。
いつか彼は愛してると言ってくれない妻を見捨ててしまうのかも知れない。
愛してると聞き飽きるほど言ってくれる女の方がいいと思うのかも知れない。
その時が来るのかどうかは分からないけれど…
その時が来たら
「潔く死のう」
と思う。
前世は
「誰からも愛されない」
のが当たり前の人生だったけど
今世は
「誰かから愛される」
事の安らぎを知ってしまった人生だ。
前世の環境に逆戻りするくらいなら…死んだ方が良い…。
だから冗談めかして
「貴方が私を愛さなくなったら、その時は私は死にます」
と伝えた。
すると彼は目を見開いて
「そうか…」
と呟いてから
「…俺がお前を愛さなくなる事などあり得ないんだが、いつか、もしもそうなったと感じて『死のう』と思う時が来たら、先に俺を殺してから自殺するようにしてくれないか?
お前を愛さない俺になど生きる価値はないんだから」
と少し悲しそうに笑った。
それは決して愛してると伝えない相手への
精一杯の告白だったのだけど
彼がそれに気付いたのかどうか
それをどう思ったのか
私には分からない。
ただ
(この人は今この時だけでも心中を望んでくれてるんだな…)
と思うと、自分の中の何かが癒される気がした…。
「…妻に先立たれて、自分だけ生き続けるような男を俺は『強い』などとは思えないんだ。本当の強さとは、お前の両親のような、自分自身の信念に殉じて死ぬ覚悟のある者を指すんだと俺は思う」
「自分自身の信念に殉じて死ぬ覚悟…」
「辺境ではそうした生き死にが繰り返されてきたのだと、不思議と、それが分かる。だから俺もそうした潔い生き死にを踏襲して、その列に連なりたいんだよ」
「潔い生き死に、ですか…」
「ああ。だからお前が死ぬ時が俺の死ぬ時だ。それで良い。それが良い。それ以外の道は要らない」
「…後悔しても知りませんからね」
そう言って、ブルクハルトの顔を覗き込むと
彼は神妙な表情で頷いてから
私をそっと抱き寄せた…。
私の胸中では「それ以外の道は要らない」と言った彼の言葉が
何故かいつまでもこだまし続けていたーーー。
了




