残響と興味
魔性遺産は夢を喰らう。
そんな噂を初めて聞いたのは、まだ子どもの頃だった。
意味なんて分かるはずもなかった。
けれど今なら分かる。
──ここは、夢の墓場だ。
誰もが夢を見て、そして喰い合う。
勝者は夢を奪い、敗者は夢を失い、ただ溶けていく。
夢が夢を喰らう、終わりなき連鎖。血で血を洗うような醜い連鎖は、今も尚続いている。
足元の床が脈動している。
生きている。いや、蠢いている。
壁の中を血液のように光が流れ、無数の声が交錯していた。
『見たか、夢を──』
『奪え、夢を──』
亡霊の囁きが、脳を締め付ける。
僕の中でも、同じ声が鳴り始めていた。
──喰え。
──進め。
──夢を燃やせ。
吐息が白く揺れる。
手を強く握れば魔性遺産に入ったばかりの数刻前より、僅かに力が強まったのを感じた。
これは敗者の記憶や、夢の残滓によるものじゃない。
魔性遺産の空気に漂う目に見えない粒子。誰かがそれを魔性粒子と名付けた。
魔性遺産由来のソレは、遺産に長くいればいるほどその人間の身体能力を底上げしてくれる。
でも長くいればいいだけじゃない。
強敵と戦い、乗り越えなければ魔性粒子を受け入れる器が大きくならない。器が大きくなければ、粒子を注いでも注いでも零れてしまう。
つまり僕の場合は、先程の異形との戦いによって器が拡張したことになる。
「身体能力が上がった……?やば……筋肉痛、明日絶対くる……いや明日あるのかな僕」
暗く続く道を歩きながら、一人愚痴る。
こんなモノは僕の目指す英雄じゃない。英雄は奪わない。救うんだ───絵本の中ではそうだった。
けれど僕は、敗者の夢を喰らって生き延びている。
それに群れたちについてとか、魔性遺産についてとか気になることは多々あるけど、今は“生きて”ここを抜け出す事が先決だ。
足音を鳴らして、通路を進む。
壁の向こうから、誰かの視線を感じた。
「魔性遺産以外の夢喰らいの発生を確認。
名称不明──異常個体よ、問います。あなたは、何故“まだ”動いているのですか?」
「っえ?」
足を止めた。
視界の先に、銀白の髪に無機質な碧色の光を瞳に宿した少女が立っていた。
冷たく、無表情で。
暗く重かった空気がざらついていくのが分かる。しかしその瞳だけは、まるで夢の残滓のように揺れていた。
ガラスみたいに冷たい表情からは、温かさを感じない。
「えと、ごめん。その質問に答えたいんだけど、ま、まずはその、さ」
瞬きすらしない少女は、こてんと首を傾けた。
「なんでしょうか」
震える指先で少女の体を指さして、言おうか言うまいか悩んでいた言葉を発した。
「……ごめん。取り敢えず服を着てくれない?」
一拍、沈黙が落ちた。
空気が音を失う。いや、正確には──“彼女が音を止めた”ようだった。
「服とは、外装のことを指しますか?」
「……そうだよ。というか、なんで裸でいられるのさ。寒くないの?」
「寒冷に対する耐性は既に設定されています。不要です」
「設定って……いや、そういう問題じゃなくてさ」
言いかけて、僕は口を閉じた。
目の前の“少女”を見れば見るほど、言葉が詰まる。
肌は透けるほど白く、光の粒子が表面でゆらめいている。まるでデータが形を取ったような、無機質な美しさ。
けれど確かに“人間”の形をしていた。
「あなたの生体反応、異常に安定しています。
通常、夢喰らいは戦闘後に精神崩壊を起こすはずですが……」
彼女は瞬きをしないまま、僕を見つめ続けた。
視線が、冷たい光線のように皮膚を刺す。
生き物の眼じゃない。観測する“装置”のそれだ。
「質問に答えてください。あなたは、なぜ“まだ”動いているのですか?」
「……知らないよ。気づいたら、こうなってた」
「回答になっていません」
「だって本当のことだよ。僕だって自分がなんで生きてるか分からないんだ」
「生きている……?」
彼女の唇がわずかに動く。
その言葉を、まるで未知の語句のように舌で転がした。
「生存定義の更新……該当なし。夢体構造、部分的再構成……ありえない。理解できません」
「ありえないのは、そっちの話でしょ」
「どういう意味ですか?」
「こんな場所で裸で佇んでる女の子なんて、普通ありえないよ。それに夢喰らいって何?もしかして僕のこと?」
畳み掛けるように質問を投げかける。
しばらくの沈黙。
彼女の瞳の中で、微細な光が弾けた。
その瞬間、周囲の空気が震え、壁を這う光の流れが止まる。
「……観測対象、再定義。夢喰らい、貴方は私の想定外です」
「質問に答えて欲しいんだけど」
「けれど興味深い。あなたの存在は──理解不能です。観測史上初めてです、 “夢を喰らわれてなお夢を見る個体”が存在するなんて」
冷たい声が、微かに熱を帯びていた。
無機質な音声の中に、確かに“揺れ”があった。
「削除行為の検討──強制遮断。夢喰らい、私は貴方に興味を持ちました」
彼女は小さく首を傾げ、初めて表情を変えた。
それは──人間が“微笑もう”とする、ぎこちない仕草だった。
「ですが」
「はい」
「あなたの現在の生存率は23.4%程です。かなり低いですね……なるほど、コレがゴミというものですか?」
「え、喧嘩売ってる?全然買うよ?」
「事実を述べました」
容赦ゼロだ。
胸の中の群れ達が、少女の言う通りだとウンウン頷いている気がした。
なるほど、味方はいないのね。
「……ところで君、人の生死を数字で見るタイプ?」
「はい」
「じゃあせめて応援とか……こう、『ファイトです』的なの無い?」
「……ファイト……?」
イヴァは小首を傾げて検索中みたいに固まった。
「そのような非効率的感情刺激行為、理解不能です」
「うわぁ欠陥だこのAI……」
「欠陥ではありません。あなたが弱いだけです」
「もっと刺すじゃん!?」
心が死にかけた。
いや身体はもう一回死んでるけど。精神ダメージはまだ生きてる。
イヴァは僕の事を見下ろし、淡々と分析を続けた。
「身体機能:最低──第零夜、夢無相当。
危機対応能力:不安定。
戦闘判断力:壊滅的」
「なんかもう、ありがとう……逆にありがとう……」
「ですが」
イヴァが一歩近づいた。
顔は無表情なのに、不思議とその声はほんの少しだけ柔らかかった。
「さっきの戦闘……悪くありませんでした。生き残る人間は皆醜いものですが、あれほどの醜さは中々お目にかかれません」
「褒めてる?ディスってる?どっち……?」
「両方です。誇ってください」
胸が少しだけ、熱くなった。
「……うん、ありがと」
「それと」
イヴァは僕の汚れたナイフを指差した。
「それ、持ち主はすでに死亡済みです。返却義務はありません」
「いや返す気だったんだけど!?僕良心あるよ!?」
「不要です。持ち主は匿名骨片になりました」
「言い方ァ!!」
「事実です」
淡々、無慈悲。でも面が良いんだ。
そのせいで何故か許してしまいそうになる。男はいつだって美人に弱いって、お父さんが言っていた。
その後お母さんにぶん殴られてたけど。
イヴァはくるりと踵を返す。
「ついてきてください。次の危険区域に案内します」
「……えっと、普通そこ『安全な場所へ』じゃない?なんで“次の危険”をルートにしてんの?」
「英雄を目指すのでしょう?ならば死線へどうぞ」
「鬼か!!」
「AIです」
会話成り立ってるようで成り立ってない。
でも……悪くない。
ここから始まるんだ。僕の第二の人生。
夢を喰らう生き方なんて、聞こえは最悪だし、憧れとは程遠いけど。
ならせめて、悪く聞かれても胸張れるくらいの生き方をしてやる。
それにまだ、あのハゲと商売人の顔を殴ってないからね。
「さて、行こうか」
「了解。生存率、気休めに“24%”程に上方修正しておきます」
「……やっぱり君、AIだとか言って感情あるよね?」
「ありません。AIなので」
そう言って僕の少し前を歩く少女に着いていく。目指す先は何処か分からないけど、不思議と退屈しない気がしていた。
──見ててね、お母さん。それと浮気性のお父さん。
いつか僕が、貴方たちに胸を張って言えるように頑張るよ――
「僕が、伝説になる」って。
まぁ、なれるならの話だけど




