群れと残響
息を吐くたび、肺の奥に血の味が広がる。
僕はまだ生きている……きっと、そのはずだ。
けれど、それが正しいことなのかさえ、もう分からなかった。
身体は重い。足も腕も鉛のよう。
それでも僕は、立ち上がった。“誰か”に押された気がしたからだ。
───立て。
───歩け。
───夢はまだ、終わっていない。
その声はもう、さっきまでの幻聴ではなかった。
心臓の奥で、何かが脈を打つたびに、誰かの記憶が流れ込む。
冷たい剣を握った感覚。焼け焦げる皮膚の痛み。戦いの熱。それは僕が知らないはずの人生の断片。
その癖めちゃくちゃ圧が強い。
僕が取り込んだ?食べた?のか分からないけど、内側から忙しなく圧をかけてくる。
蛇も蛙を丸呑みにしたら、内側から声が聞こえてくるんだろうか……いや。何を言ってんだ僕。
「……ていうか。僕は、一体なんなんだ。どうして生き返ったんだ?」
周りにいた群れはもういない。だから返事もない。
あるのは胸の奥から聞こえてくる、妙に励ましてくる体育会系の声だけだ。
答えは出ないまま、ふらつきながら通路へと足を踏み出した。
そこはもはや、遺産というよりも墓標だった。
焦げた壁。ひしゃげた武器。転がる破片。人の形を留めない死骸が、数メートルごとに転がっている。
みんな同じ方向を見て死んでいた──“上”を。
「うわぁ……皆ここで死んだのか」
夢のためなら死んでもいいと思ってる僕でも、流石に場所で死にたくない。
だって陰気臭いし、周りは骨ばっかだし。
それでも握っていた銃は半壊していた。異形の攻撃を防ぐ時にも使っていたせいで、もはや原型を留めていない。
周りを見れば、バラバラになった骨と武器の欠片が散らばっている。
「……やっぱり墓場なんだここ」
言いながら歩く。足音がやけに大きい。
ひしゃげた鉄片を踏むたび、カチ、カチ、と乾いた音が響く。
死体の傍を通るたび、声が胸の奥でざわめく。
───進め。
───怯むな。
───気合いだ。
「……うわ、気合い系だ。体育会系霊圧やめて……」
それは励ましというより、精神論で水飲むなって言われてる気分に近い。
しかも誰だ、今“気持ちで勝て”って言ったの。
なんて文句を言いつつも、僕はそっと死骸に視線を向ける。どれもボロボロで、手には武器が握られていた。
「みんな……戦って、負けたんだ」
その手は震えていたのか、力尽きたのか。
僕の手と同じ形で、拳を握っている。
ふと、胸の奥で別の声が混じる。
───悔しい。
───あと一歩だった。
───勝ちたかった。
その声は、先ほどの体育会系よりずっと静かで、重かった。
涙みたいな音が、体の中で響いた気がした。
「……うん、分かるよ」
僕は答える。
「だって僕も、まだ一歩しか踏み出してないのに死んでるわけだからさ」
言ってから気づく。
いや、普通そこ胸張って言うとこじゃない。
僕は苦笑した。
情けないのに、笑えてくる。泣くのも違う気がして。
「僕、英雄になりたいんだよ。負けたくない……いや、既に一回死んじゃったけど。ま、生き返った?ぽいからノーカウントね」
現状にセルフツッコミ入れた瞬間、胸の奥で声がビリッと震えた。
───なら、はよ歩け。
体育会系が戻ってきた。
切り替え早いなコイツ。
「……はいはい。歩きますよ。分かってるってば」
前に進む。
傷は痛い。足元はふらつく。
でも、胸の奥の脈動が、僕の背中を押し続ける。
誰かの夢が、僕の足を前に出す。
「……次は死なない。いや、できれば……二回目は避けたい。また復活とか出来ないよね?」
まるで誰かに聞かせるように呟くと、胸の奥で声が重なった。
───当然だ。
───二回死ぬのはダサい。
───気合いだ。
「最後のやつ誰!?絶対部活で鍛えられてたタイプでしょ!!」
通路に響く声は、死の中で異様に明るかった。
心許ない装備を調達するために、散らばった人の残骸に手を伸ばす。
見つかったのは小さなナイフだけ。
「借りてくね。……返せたら、多分ドヤ顔で返しに来るから。応援してくれたら嬉しいな」
それでも、僕が進むには充分な勇気を与えてくれた。
前を見据える。
───キンッ。
暗い通路の先で、金属音が響いた。
刺々しい殺意がする。異形の気配だ。
──カツン、カツン。
小刻みに鳴る、甲殻の音。
壁の隙間から、光沢のある腕が覗く。
「……いやいや、嘘でしょ。異形が、三体も?」
二メートル台の大きさの異形が、鎌状の武器を掻き鳴らし姿を現した。
手元のナイフに、僕の震えが伝わる。
やっぱり魔性遺産は夢と希望を与える、なんてのは迷言だ。
(イモムシ型の異形に吹っ飛ばされて死にかけたのに、人型の異形だなんて……早速二回目の死亡にリーチか)
それでも僕は、反射的に構えを取っていた。
誰かの記憶がそうさせた。
──構える角度。
──視界の取り方。
──息のタイミング。
それは“敗者”の癖だ。戦って、死んだ者の残滓。
「……くる」
やつらの気配が、皮膚の内側を刺す。
まるで「お前もう一回死んどけ」って空気をまとってる。
もう勘弁して欲しい。
ここがゲームなら負けイベントって勘違いしちゃうよ。
でも残念だけどここは現実。
多分もう、ゲームみたいに二度目も三度目もない。
三体。
鋭い鎌腕。
眼孔は空洞。
全員、殺してやるって殺気を纏ってる。
鎌のような腕がブンッと振るわれ、魔性遺産の壁に大きな亀裂が入った。
……え、嘘でしょ。亀裂入ったの?
「ちょ、ちょっと待って、ゲーム風に言うなら僕今レベル0なんだって。せめてチュートリアルボスにしてよ」
当然、返事なんてない。
代わりに、胸の中の声がうるさくなる。
───構えろ。
───集中しろ。
───あ、腰もっと落とせ。そこ違う。はい戻す。
「謎の指導入ったし!なんでフォーム矯正されてんの!?」
僕の膝が勝手に曲がる。
足幅が微妙に変えられる。
肩に気配を感じた瞬間、体がスッと右に傾いた。
(……これ、完全に僕の動きじゃない)
でも、不思議と怖さより安堵が先に来た。
だって僕ひとりじゃ到底勝てないから。
───深呼吸だ。
───間合いを掴め。
───刺せ。
一体が飛び込んできた。
金属の脚が床を叩く音。
鎌が振り下ろされる。
僕の腕が、勝手に動いた。
「っ、は……!」
ナイフが空気を裂き、
刃が異形の鎌に擦れ、
紅い火花が散る。
ほんの少し、重心を崩した異形の顎の下へ、体が少しのぎこちのなさを隠さずに潜り込んだ。
──ザシュ。
手応え。
黒い体液が飛び散る。
一体、倒れた。
「……は……?倒した?僕が?」
いや、正確には僕じゃない。僕の中の“誰か”だ。
僕なんかじゃ背伸びをしたって、何年修行したところで倒せるわけが無い。
胸が波立つ。
心臓が二つあるみたいに脈打つ。
───油断するな。
───二体目来る。
「はいすみません!」
反射で敬語出た。
我ながら死の危機で礼儀正しくなるのやめて欲しい。
次の一体が踏み込む。
その刹那、頭の中に知らない声が響いた。
──右じゃない、左だ。
そこは死ぬ。
「ぬっ、むむむッ!?」
右へ避けようとした体を、無理やり左へ引っ張られた。
視界を鎌が裂く。
もし右に避けてたら……確かに死んでた。
「……あはは、まじか。もしかして僕って、死ぬルートに自分から突っ込むタイプ?」
胸の奥の声たちが一瞬だけ静まる。
気まずい空気が漂った。なんでだよ。
その隙に、体がまた勝手に滑り込む。
残りの二体を、足捌きとナイフさばきで制す。
──ザクッ
──ゴギッ
──ドシャァ
音が止まる。
通路が静寂に戻る。
息が荒い。
手が震えている。
膝も笑ってる。笑うな。
「……勝った、の?」
返事は無い。
代わりに、胸の奥から静かな囁き。
───よくやった。
───次は一人でやれ。
───そろそろ自我出せ。
「急にスパルタじゃんか!ねぇ、育成方針ブレてない!?褒めてからの厳しさ怖い!」
でも、胸の奥が僅かに温かい。
誰かの“よくやった”が、ちゃんと届いてる。
僕はナイフを握り直す。
「……ありがとう。次は……できるだけ、僕の手でやる」
静かに笑った。
震えながらでも、前へ進む。
誰かの手を借りてばっかじゃ、憧れの存在には届かない。
それでも負けた者たちの声を背負って。
僕の小さな夢を抱えて。
この世界に、僕の伝説を刻むために。
……まずは死なないところからだけど。




