命のかたち、死の温度
昼下がりの村は穏やかな陽射しに包まれていた。
アシェルは村の広場で、日課のように顔を出していた年配の住民と話していた。
祖父の絵の話から、最近描いた風景画の構図の話へと移り、笑い合っていたそのとき──
遠くから誰かの叫ぶような声が響いた。
振り向いた瞬間、ひとりの男が村の入口に倒れ込むのが見えた。
身体のあちこちを噛み裂かれ、血に染まった衣。
背を貫いたような魔物の爪痕が、その命の残り火の儚さを物語っていた。
アシェルは反射的に駆け出していた。
談笑していた住民も慌てて後を追い、村の者たちも慌てて集まり始める。
だが、血の匂いと苦痛のうめきに近づくことを躊躇う中、アシェルだけがその男に近づいた。
男は苦しげに、目だけでアシェルを捉えた。
焦点の合わないその瞳に、奇妙な静けさが宿っていた。
「……殺してくれ」
その声は、掠れながらもはっきりとアシェルの耳に届いた。
「……助けは……もう、いらない。俺は……《医術師》だ。自分の身体くらい……わかる。内臓が……潰されてる。もう……長くない」
アシェルは、一瞬目を伏せた。
けれど、次の瞬間には迷いなく男の傍に膝をつき、血で濡れた手を握っていた。
「……わかった。教えてくれるか。楽にする方法を」
近づいてきた住民が心配の声をかけるが、アシェルは手を上げて制した。
少年の瞳に浮かぶ光は、どこか異様な静けさを宿していた。
《医術師》は、小さく息を吐きながら頷いた。
「……剣先を、肋骨の間……第三肋骨の下……心臓へ……一突き……。まっすぐ、迷わず、深く」
アシェルはその言葉に従って刀を抜いた。
陽の光を受けてきらめいた刃に、血の滴がひとしずく、音もなく落ちる。
「……ありがとう」
小さく笑って、医術師は目を閉じた。
一閃。
細身の刃が、まっすぐ心臓を貫いた。
震える肉体が、最後の息を吐き出し、静かに力を失っていく。
その瞬間、アシェルの中に“何か”が流れ込んだ。
それは感情でも、記憶でもなかった。
骨の構造、臓器の位置、止血の手順、苦痛の軽減方法──
まるで書物を一瞬で読んだように、男の《医術師》としての知識の断片が、彼の内側に沈み込んでいく。
死にゆく者から零れ落ちる、心紋の断片。
それを“蒐集”してしまう、自分の本質。
アシェルは、それを理解した。
けれど、それを上回るほどに、胸を満たしていたものがあった。
それは──悦び、だった。
剣が肉を裂く感触。
その奥へと沈み、確かに命を断つ手応え。
静かに絶えていく呼吸、その最期の振動。
そのすべてが、甘く、熱く、心地よかった。
自分の中にあの処刑の広場で蒐集した、《殺戮者》の衝動が確かに芽吹いていると、悟った瞬間だった。
口元に浮かんでいたのは、自分でも恐ろしくなるほど、歪んだ笑み。
彼は急いでそれを拭い去り、傍にいた住民に声をかけた。
「……父を呼んできてください」
それは、父に報告するためではない。
この顔を、今の自分を誰にも見せたくなかったからだ。
残された死体の傍に座り込み、濡れた指先を見つめる。
その赤は、またも彼の胸を熱くした。
そして思った。
──この光景を描きたい。
今すぐに。今ここで。
そう願う自分に、アシェルはうっすらと震えを覚えた。
その震えは恐怖ではなかった。
むしろ、創作の歓びにも似た、高揚。
《芸術家》と、《殺戮者》の影。
ふたつの名が、静かに彼の中で絡まり始めていた。
その日の出来事は、やがて村の中で“美談”として語られるようになった。
その根拠の一つは、血まみれで倒れ込んだ旅人を前にしてもひるまず、迷いなく苦しみから解放したアシェルの姿を、間近で見ていた住民の証言だった。
もう一つは──
数日後、村を訪れた男の弟子たちの存在。
彼らは師である《医術師》の遺体を引き取りに訪れ、その体に刻まれた無数の傷を目にしたとき、顔を歪めて膝をついた。
師がその傷の中で、どれほどの苦しみと痛みに耐えていたかを想像し、それを終わらせてくれた少年に、涙ながらに深い感謝を捧げたのだった。
「……ありがとうございました。あの人は、誇り高くて、自分の痛みに鈍感な人でした。あのまま誰にも触れられず、命を終えていたらと思うと……」
そう語る彼らの言葉に、アシェルは静かに微笑みを返した。
その笑みを見て、誰もが彼を“優しい少年”だと疑わなかった。
だが──
その胸の奥で渦巻いていたのは、まったく別の想いだった。
アシェルの中に芽生えつつある、自身の能力への確信。
死に臨む者の心紋の欠片を“蒐集”する《蒐集家》としての力。
それは単なる知識の模倣ではなく、その者の生の本質──記憶、感情、技能、衝動すらも取り込むような感覚だった。
しかもそれは、ひとつひとつの死に触れるたびに、確実に深まり、強まっている。
祖父が亡くなった後、急速に目覚めた絵への理解と、止まらなくなった創作への渇望。
《殺戮者》の処刑を見届けた夜、赤への執着が生まれ、
《医術師》の死を看取ったあの日、さらに新たな感覚が開かれた。
これは偶然ではない。
蒐集した数が増えるほど、自分の中の“何か”が変わっていく。
衝動も、理解も、力も。
すべてが。
それはまるで、自分自身が別の存在に組み変えられていくような感覚だった。
人々が語る美談の裏で、アシェルは静かに確信する。
この力は、ただの受け継ぎではない。
自分は、蒐集し、その力に染まっていく存在だ。
称賛と笑顔の中で、アシェルはなおも考え続けていた。
この力が、何を生み出し、どこへ向かおうとしているのかを。