笑う首、沈む空
アシェルが十五歳を迎えた夏。
蒸し暑い日が続く、ある日のことだった。
彼は父と共に、城下の大きな街へと足を運んでいた。
その街の中央には《心紋柱》があり、春の祭礼の頃には、アシェルと同じ年頃の者たちが列をなして集まっていたはずだ。
生まれてすぐに心紋を鑑定されたアシェルには、その光景はどこか遠い世界の話のように思えた。
彼が育ったのは、のどかな山村の領地。
その静かな日常に慣れた身には、目に映る人の波も、喧騒も、息苦しいほどだった。
並び立つ商店、香り立つ屋台、そのすべてがアシェルの目に新鮮で、ふと大きな書店の前を通りかかったとき、一冊の画集が視線を引いた。
彩り豊かな風景画。
それだけで、立ち止まりたくなるほど心惹かれるものがあった。
「用事が済んだら寄ってみるか」
父がふと笑みを浮かべると、アシェルは目を輝かせて大きく頷いた。
だが、今日の目的は決して、楽しい外出などではない。
広場に設けられた断頭台。
その場で、とある罪人の斬首刑が執り行われる。
《殺戮者》。
そう呼ばれた男は、心紋に刻まれた衝動のまま、多くの命を奪ってきた。
アシェルの父が治める領地でも、若者がふたり、無惨に命を落としている。
心紋に抗い、生きることができると語られる今の時代にあっても、時折こうして“それに呑まれる者”が現れる。
空が翳った。
日差しは消え、鈍い雲が空を覆ってゆく。
今にも雨を落としそうな空を見上げて、父は小さく目を細めた。
「領地の者たちに代わって、裁きの行方をこの目で見届ける。それが、治める者の務めだ」
広場には、徐々に人が集まってきていた。
処刑が娯楽として語られたのはもう遠い昔。
だが、今日ばかりは違った。
この男の終わりを、その目に焼きつけようとする者が、確かにそこにいた。
家族を奪われた者。
夜道の恐怖に震えた者。
その広場に満ちていく空気は、ただ静かに重たかった。
「……辛ければ、無理をするな」
父がそう告げたとき、アシェルはそっと首を横に振った。
その眼差しは、真っ直ぐに前を見据えている。
「……僕は、見るよ。全部」
父はわずかに頷き、その視線を広場の中心へと戻した。
その頃には、霧のような雨がしとしとと落ち始めていた。
やがて、刑の刻が来る。
鎖に繋がれた男が護送され、断頭台へと連れて来られた。
その足取りは驚くほど堂々としていた。
まるで、誇らしげに舞台に上がる役者のように。
アシェルは、その姿に、言いようのない寒気を覚えた。
男は、笑っていた。
口元に浮かべたのは、悔いも恐れもない、乾いた薄笑い。
その瞳の奥では、得体の知れない何かが、静かに渦を巻いていた。
まるで、自らの死すら楽しむかのように。
雨に濡れる断頭台の上で、男は抵抗することもなく膝をつく。
視線を上げ、集まった群衆をひとりひとり、順に見渡すように目を動かしていた。
そして──
その目が、アシェルに向けられる。
それはほんの一瞬のことだった。
だが、確かに目が合った気がした。
男の笑みは変わらず、むしろその瞬間だけ、わずかに深まったように見えた。
次の瞬間。
刃が振り下ろされた。
殺人鬼の首を狙った重たい刃が、空気を裂き、肉を裂き、骨を断つ。
断頭台が仕事を終えたとき、広場に歓声が上がった。
雨に濡れた地面へ、鮮やかな赤が滲む。
それを洗い流すように、雨脚は次第に強まっていく。
「これで終わった」
そう言わんばかりの安堵と興奮が、歓声とともに空気を震わせていた。
だが、その中でアシェルは、ひとり、黙り込んでいた。
初めて見る処刑の場面の衝撃。
だが、それだけではない。
わけもなく胸の奥をざわつかせる、形のない違和感。
焼きついた光景。耳に残る歓声。
そして、あの一瞬のまなざしと、笑み。
記憶の中の男は、首を飛ばされながらも、なおアシェルに笑っていた。
ありえない光景。
けれどそれが、何よりも強く胸に残っていた。
アシェルは、その感情に名前をつけることができなかった。
ただ、心のどこかを痛いほどに縛り付け、焼けつくような感触を抱きながら、父のあとに続く。
立ち寄るはずだった書店も、そのまま通り過ぎた。
濡れた石畳を歩く音だけが、妙に鮮明に耳に残る。
口を閉ざしたままのアシェルに、父はただ黙って寄り添っていた。