表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/11

笑う首、沈む空

アシェルが十五歳を迎えた夏。

蒸し暑い日が続く、ある日のことだった。

彼は父と共に、城下の大きな街へと足を運んでいた。



その街の中央には《心紋柱》があり、春の祭礼の頃には、アシェルと同じ年頃の者たちが列をなして集まっていたはずだ。

生まれてすぐに心紋を鑑定されたアシェルには、その光景はどこか遠い世界の話のように思えた。



彼が育ったのは、のどかな山村の領地。

その静かな日常に慣れた身には、目に映る人の波も、喧騒も、息苦しいほどだった。


並び立つ商店、香り立つ屋台、そのすべてがアシェルの目に新鮮で、ふと大きな書店の前を通りかかったとき、一冊の画集が視線を引いた。

彩り豊かな風景画。

それだけで、立ち止まりたくなるほど心惹かれるものがあった。



「用事が済んだら寄ってみるか」



父がふと笑みを浮かべると、アシェルは目を輝かせて大きく頷いた。


だが、今日の目的は決して、楽しい外出などではない。

広場に設けられた断頭台。

その場で、とある罪人の斬首刑が執り行われる。



《殺戮者》。

そう呼ばれた男は、心紋に刻まれた衝動のまま、多くの命を奪ってきた。


アシェルの父が治める領地でも、若者がふたり、無惨に命を落としている。

心紋に抗い、生きることができると語られる今の時代にあっても、時折こうして“それに呑まれる者”が現れる。



空が翳った。

日差しは消え、鈍い雲が空を覆ってゆく。

今にも雨を落としそうな空を見上げて、父は小さく目を細めた。



「領地の者たちに代わって、裁きの行方をこの目で見届ける。それが、治める者の務めだ」



広場には、徐々に人が集まってきていた。

処刑が娯楽として語られたのはもう遠い昔。

だが、今日ばかりは違った。

この男の終わりを、その目に焼きつけようとする者が、確かにそこにいた。


家族を奪われた者。

夜道の恐怖に震えた者。

その広場に満ちていく空気は、ただ静かに重たかった。



「……辛ければ、無理をするな」



父がそう告げたとき、アシェルはそっと首を横に振った。

その眼差しは、真っ直ぐに前を見据えている。



「……僕は、見るよ。全部」



父はわずかに頷き、その視線を広場の中心へと戻した。

その頃には、霧のような雨がしとしとと落ち始めていた。


やがて、刑の刻が来る。

鎖に繋がれた男が護送され、断頭台へと連れて来られた。


その足取りは驚くほど堂々としていた。

まるで、誇らしげに舞台に上がる役者のように。

アシェルは、その姿に、言いようのない寒気を覚えた。



男は、笑っていた。



口元に浮かべたのは、悔いも恐れもない、乾いた薄笑い。

その瞳の奥では、得体の知れない何かが、静かに渦を巻いていた。

まるで、自らの死すら楽しむかのように。


雨に濡れる断頭台の上で、男は抵抗することもなく膝をつく。

視線を上げ、集まった群衆をひとりひとり、順に見渡すように目を動かしていた。



そして──

その目が、アシェルに向けられる。



それはほんの一瞬のことだった。

だが、確かに目が合った気がした。

男の笑みは変わらず、むしろその瞬間だけ、わずかに深まったように見えた。



次の瞬間。

刃が振り下ろされた。

殺人鬼の首を狙った重たい刃が、空気を裂き、肉を裂き、骨を断つ。

断頭台が仕事を終えたとき、広場に歓声が上がった。



雨に濡れた地面へ、鮮やかな赤が滲む。

それを洗い流すように、雨脚は次第に強まっていく。



「これで終わった」

そう言わんばかりの安堵と興奮が、歓声とともに空気を震わせていた。



だが、その中でアシェルは、ひとり、黙り込んでいた。



初めて見る処刑の場面の衝撃。

だが、それだけではない。



わけもなく胸の奥をざわつかせる、形のない違和感。

焼きついた光景。耳に残る歓声。

そして、あの一瞬のまなざしと、笑み。



記憶の中の男は、首を飛ばされながらも、なおアシェルに笑っていた。

ありえない光景。

けれどそれが、何よりも強く胸に残っていた。



アシェルは、その感情に名前をつけることができなかった。

ただ、心のどこかを痛いほどに縛り付け、焼けつくような感触を抱きながら、父のあとに続く。



立ち寄るはずだった書店も、そのまま通り過ぎた。

濡れた石畳を歩く音だけが、妙に鮮明に耳に残る。




口を閉ざしたままのアシェルに、父はただ黙って寄り添っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ