もし物価に文句言えるなら、真っ先に牛乳にブチギレてやるよ。
ただ特売の牛乳を買いたかっただけなんだよ!
スーパーの冷蔵棚って、なんであんなに明るいんだろう。
まるで人のクレジットカード残高まで照らし出すみたいに。
その冷たい光の中で、黄色い特売シールが貼られた一本の牛乳が目に入った。
なんだか、小さな声でこう呼ばれた気がした。
「……お願い、早く連れてって。もう、時間がないんだ。」
「おい見てこれ!」
隣にいた友達に手を振って呼びかけた。
「特売の牛乳、一本たったの98円だぞ!」
アイツはしゃがんでラベルを見た瞬間、眉をしかめた。
「……お前、これ明日賞味期限切れるじゃん。
マジで飲む気?飲んだら体内ヨーグルト製造マシンになるぞ?」
「へーきへーき、今夜のうちに全部飲むし!」
俺はまるで激安ブランドを手に入れたマダムみたいに笑った。
でも、心の中では本気で考えていた。
今夜は牛乳鍋でも作って、この命のタイムリミットが近い液体を、きっちり送ってやろうってな。
「お前、牛乳を飲みに来たのか、腸の極限試合に挑戦しに来たのか、どっちだよ……」
アイツは呆れ顔で笑いながら俺を見た。
俺はすぐには返事せず、牛乳のラベルに書かれた日付をじっと見つめた。
すると、不意に奇妙な考えが浮かんできた。
「なあ、変だと思わないか?」
急に真面目なトーンで言い始めた。
「なんでさ、賞味期限が近づいてからじゃないと安くならないんだ?
牛乳って、搾られた瞬間から本質は変わってないだろ。変わったのは……時間だけなんだよ。」
頭の中に、夕焼けの草原に立つ一頭の乳牛が浮かぶ。
その牛はミルクを搾られながら、こうつぶやいていた。
「搾ってるのはミルクじゃない……資本主義の涙だよ。」
俺は友達の顔を見て、ゆっくりと言った。
「スーパーの牛乳って、いつも賞味期限が近づいてから安くなるだろ?
つまりさ、『新鮮』ってのは資本主義のつけた言い訳で、本当に価値があるのは——『時間』なんだよ。」
アイツは一瞬固まったあと、突然爆笑した。
「っはははははは!なんだよそれ!
牛乳で哲学語るとか、老子か荘子の現代版かよ!」
俺も思わず吹き出した。
「はははは!でもマジで思ってんだよな。
俺たちの人生だって、結局同じだろ?
学生のうちは「もっとちゃんとしろ」、社会人になったら「結婚は?将来は?貯金は?」、
ちょっと立ち止まると「サボってるの?」って言われて、
年を取れば「もう若くないんだから」って、
いつだって何かの“期限”を突きつけられてんだよ。
人間だって値引きされてるんだよ!」
アイツは腹を抱えてしゃがみ込んだ。
「ヤバい……ほんとお前、講演会開けるって!
《牛乳と人生の関係について》とかで!」
俺は急に真顔になって、うなずいた。
「もちろん。その講演のタイトルは——《牛乳のアイデンティティと賞味期限恐怖症》。
自作のスライド作って、最初のページにはこう書くんだ。『人間も、いつか酸っぱくなる。』」
冷蔵棚の前で、俺たちはバカみたいに笑い転げた。
でも、笑いながら手にした牛乳を見て、俺の心のどこかがふと静かになった。
なんでだろうな。
俺、本当に少しだけ、この牛乳の気持ちがわかった気がしたんだ。
——たとえ、あと一日しか残ってなくても、誰かに選ばれたい。
——たとえ、「新鮮」じゃなくなっても、価値がなくなったわけじゃない。
——たとえ、終わりが近くても、大切に扱われたい。
笑い終えたアイツが、俺を見て頭を振りながら言った。
「お前こそ真理だよ……“真”っ青な顔でトイレに駆け込む方のな!」
俺はニヤリと笑って、手にした牛乳を高く掲げた。
「行くぞ、相棒。
今夜、命がけでお前を——華やかに退役させてやるからな。」
後書き
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結局、俺はあの牛乳を飲み干した。
1リットルまるごと。寮のちっぽけなプラスチック椅子に座りながら、アニメを見つつ、資本主義に抵抗する“勝利の酒”みたいに胃に流し込んだ。
あの瞬間、俺は誇らしかった。誰にも気づかれない、小さな革命をやり遂げた気がしたんだ。
……そして翌朝、俺の胃腸も革命を起こした。
トイレの上で、魂が抜けそうになりながら内なる浄化を繰り返し、涙が出そうになった。
あれはまるで、牛乳が体内で逆回転しながら、自分なりの言葉でこう訴えてくるようだった――
「尊厳には代償があるんだよ」と。
それでも、後悔なんてしてない。
あれは敗北じゃない。記憶に刻むべき、立派な脱線だった。
この世界は、君が何時に何を飲んだかなんて覚えてくれない。
でも俺は覚えてる。
あの冷たい光の前で、俺は“もうすぐ期限が切れるもの”のために、人生で一番言いたかったことを言ったんだ。
――貧乏だっただけかもしれない。
――神経質すぎただけかもしれない。
でも、あの夜、俺はあの牛乳を無駄にしなかった。
……そして、自分自身も、無駄にしなかった。