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修行 / 捩れ角のサリクス

 エルラの朝は早い。


 夜明けには水を汲んだあと、教えられた基本動作をこなす。

 朝食は塩漬けの燻製肉とチーズ、薄切りの黒パンを少しに、コップ一杯の牛乳。食事を終えれば、わずかな休憩時間。

 午前は、身体操作や体力調整を重点的に行い、日によっては座学になる。当番であれば、掃除や洗濯をする。

 修行の初期段階ということで、戦い方を学ぶことは少ない。片手剣や両手剣の基本的な扱い方や鉄砲の取り扱いが数日に一度行われる程度。エルラは村人時代から締まった身体つきをしており体力も高めだったが、鍛えるということをしたことはなかったため、簡単な鍛錬でも苦しめられることとなった。


 午後、多くは教養や都市外での生存技術などの知識を学ぶ。休養になるか、基礎練習になることもしばしばある。

 術の初歩学習はすぐ始められたが、エルラには術の才能はあまりなかった。

 しかし、魔力量は潤沢なため、その豊富な魔力を身体能力に転化する訓練や簡単な詠唱術式、術への対処法を中心に授業が行われた。エルラは身の内に魔力を蓄える能力に優れていた。天性のものだった。

 魔力とその素になる流体は、遍在しており、人体も例外ではない。接触でも微量ながら、受け渡すことができる。エルラは彼女の村での〝特別な仕事〟も相まって一般人にしては異常なまでの下地が出来上がってしまっていた。

 訓練の一環として、一日や二日がかりで山へ狩猟採集に行くこともある。不整地を移動することは、鍛錬の手段としては実戦的なもの。身体操作だけでなく、獲物を探し機を窺う中で観察力や忍耐も磨かれる。おまけに食料も手に入る。


 そういう生活が、半年ほど続いた。

 なんのために修行をしているのか、わからなくなることもときどきあった。マモノの倒し方を教わるはずだったのに、いまのところせいぜい鹿などの野生動物の狩り方くらいしか教えられていない。まだ修行が始まって半年だが、エルラに焦りと不安が募る。

 アルフレートにエルラへ稽古をつける気がない、というわけではない。

 身体能力に恵まれているものの素人も素人のエルラを鍛えるには、一から始める必要があった。アルフレートに言わせれば、これでも何段か段階を飛ばした倉卒な内容らしい。



 冬になると、武器の扱いや戦闘用の身体操作の訓練がようやく始まった。

 武器は〈リリ〉だけでなく、通常の片手剣や両手剣、槍などの長柄、弓や鉄砲など基本的なものはほとんど触れた。そして格闘の他、石や木枝、家具など身の回りのものを緊急的に武器として見做す手法も学んだ。

 まだ木偶相手の練習ではあるが、実戦的な訓練にエルラは楽しくなり、意欲も高まっていった。

 武器の扱いのセンスはそれなりにあったが、最も適性が高いと思われたのは、両手剣を片手で振り回すといった、有り余る身体能力を使う乱暴な戦い方だった。右手で剣を振るいながら、左手で補助や拳銃を扱うスタイルをメインの戦法にする方向性は早い段階で決まった。次点で、槍などの長柄武器がエルラは得意な様子で、これは農具に近しい形状だからだった。

 〈リリ〉と一緒に訓練を積む中で、リリとの絆も深まっていくのをエルラは感じたが、それとは別に姉妹間の関係に致命的な溝ができつつあるような不安も覚えた。そうするしかなかったとはいえ、妹を平然と剣扱いして振り回す自分と、凶器として振るわれることで武器としての喜びを見出す妹に複雑な思いを抱かずにはいられなかった。しきりにリリが〝本番〟を望んでいるのも、エルラへ恐怖に近い不安を覚えさせるものだった。



 年が明けた頃には、フリントロック式のピストルと鉛塊、ナイフなどを持たされ一人で五~七日程度を山奥で過ごす修行が度々課せられるようになった。

 一回目がサリクスとマルレーナが不在のときに行われ、それが一騒動起こすことになった。エルラは一人きりになることを忌避しており、近くに親しい人物がいなければ精神的に不安定になる面があった。エルラは自身のことを寂しがりだと自認していたが、実態は本人の自覚以上で、それが問題を起こした。結果、冬山の洞窟の中で、サリクスが助けに来るまでの間にエルラはずいぶんとひどい目に遭ったが、本人は平然としていた。この件でアルフレートはサリクスから強い叱責を受けた。

 失敗を受けてか、のちの同じ課題では、数回の内はサリクスが同行することになった。結果としてはこのサリクスの行動はエルラの自立を妨げ、二人の関係をより歪にしてしまうが、それも計画の内だったのかもしれない。



 修行二年目には修練の内容は激しさを増していく。

 戦闘用のフル装備で山道を走ったり、着衣有無の両方で湖を何往復も泳いだり、さらには障害走などのきつい体力訓練が課せられる。断崖絶壁を命綱なしで登り降りしたり、手足を縛られ湖や沼に落とされたりもした。数日間眠らずに起き続けるという訓練も何回か行われた。

 これらに並行して、戦闘訓練もより高度な内容へと移行し、相手をするアルフレートやサリクスの容赦が一切なくなった。

 自分では強くなったと思っていたエルラは、再び徹底的に打ちのめされることとなった。教えられたことを実践しているのに、模擬戦で勝てない。苛立ちを通り越して、寂しさや虚しさすら覚えた。

 そのようにエルラが自信を失くすと、アルフレートが度々彼女にかける説教がある。

 いまはまだ憎しみと怒り、復讐心を研ぎ澄ますだけでいい。しかし、いつかそれだけでは頭打ちになる。意趣遺恨は簡単に扱える武器だが、それに頼りきりでは蛮勇に果てるか、虚無に沈むだけだ、と。お前は無感情すぎる、とも。

 彼の言葉に、エルラは余計に惑うだけだった。そうは言われても、というのが率直な感想だった。

 着実に強くはなっているが、その客観的な実績と手応えを得られないまま、時は過ぎていった。




  ◆  ◆  ◆


 サリクス・ホラーテヴァはエルラより三歳年上の魔族(イラカシュ)の少女。術師であり魔道具技師、そして狩人でもある。

 魔族(イラカシュ)という種族にはいくつかの種があり、サリクスはその中の有角種と吸血種の混血になる。

 没落した貴族の家の出で、彼女の家系は代々能力の高い術師を輩出してきた〝良家〟だった。

 魔族(イラカシュ)の術師は「血統術」や「血継術」と呼ばれる一族の間で継承される特別な術式を持っている。家名を背負うもので、連綿と継がれる財産のようなものだ。しかし、彼女はその継承がなされる前に、戦争によって一族が皆死んでしまったため、術を正式に受け継げなかった。これは、彼女が魔族(イラカシュ)たちの間で格下に見られ、ともすれば軽蔑や差別を受ける要因の一つになっていた。

 サリクスが狩人をしているのは、没落した家を建て直すためだった。


 ――表向きは。

 どこまでが本当のことかというと、クルツェヴィルク継承戦争で一族の大半を亡くしたという部分は事実だ。より正確には、父親以外の親族は死に、その父親とさえもここ数年は顔を合わせていない。サリクスはこれは嘘ではないとエルラに言った。傍系に生き残った者がいるという話もあるらしいが定かではなかった。

 エルラもサリクスの経歴がすべて正しいものとは思っていないが、貴族や上流の家の出身なのは本当のことだろうと考えている。エルラがド田舎の庶民過ぎるというのもあるが、サリクスの持ち物や身に着ける物はエルラから見ても明らかに格が上で、エルラの知るどんな金持ちよりも育ちがよいことは察せられた。没落したとはいえ、幼子が何の後ろ盾もないまま放り出されるはずもなかった。断片的な話を聞く限りではサリクスの父とアルフレートたちは知り合いのようで、アルフレートらは単に師というだけではなく支援者でもあるのだろう。

 もしそうだとすると、アルフレートと自分の父が旧知の仲であるならば、サリクスの父とももしかしたら面識があったのかもしれない、とエルラは思った。そして、その先に恐ろしい幻を見た。あの日の魔族は実はサリクスの父なのではないか。数少ないピースで無理やり絵を作ろうとした結果、気持ちのよくない像ができてしまった。エルラはこの妄想を胸の奥に仕舞うことにした。あまりにも突飛なのと、いくらなんでもサリクスと彼女の父に失礼だと思ったからだ。

 あの魔族とサリクスは似ても似つかなかった。さすがにあの魔族との間には母親が誰であれ、サリクスのような子供は産まれない。エルラはそう自分を納得させた。

 そもそも、手持ちの札で存在しない役を作ろうとしているのと同じ行為で、余計な邪推でしかなく、一種の逃避行動でもある。慣れない環境に放り出されたことは、エルラにとって大きな負担になっていた。




 サリクスは、同性かつあまり年の離れていないエルラから見ても、とびきりの美人に分類される容姿だった。

 深く、艶のある灰色の髪。冬の空のような青灰色の目。白磁のように澄んだ肌には、薄っすらと静脈が青く透けている。

 幾分か幼さが残っているが整った顔立ちは、もう何年かすれば、あどけなさは抜け大人の女性として一層磨きがかかるだろうことは想像に難くない。体格はエルラに近いが、サリクスのほうが背はいくらか高かった。

 リリ曰く、その身長差も含めて見た目はエルラとサリクスは姉妹のように似ている、らしい。二人はきっぱりと否定したかったが、一番の年少者の言葉をいたずらに否定するのは大人げないと思い、曖昧に首を振るしかできなかった。

 エルラとサリクスの暗黙として、リリに対しては優しく接するという方針があった。最もストレスを抱えているのはリリだと考えられたからだった。父親は死に、自身は自分の意思では動くことのできない剣に変身してしまっている。生活の変化という言葉では片付けられないレベルの変容に晒された少女が、精神的な負荷を感じていないはずがなかった。

 しかし二人には、優しくしようという申し合わせ以外にも理由があった。

 リリが二人のことを似ていると言ったのは、単純に年頃と背格好が近しいからというだけでなく、姉にあたる存在が二人になったことへの喜びも混じっていた。それを暗に察しているエルラとサリクスは、リリの言葉をどうやっても否定することが難しかった。

 それに加えて正直な話、エルラとサリクス当人たちも、自分たちの容姿は似ていると感じていた。もし自分が自分たちのことを知らないどこかの町の人間だとして、二人並んだ写真を見せられたら親族だと思ってしまうだろうな、とも思っていた。



 しかし、いくらエルラとサリクスの容貌が似ているといっても、二人には決定的な外見上の違いがあった。それは頭の角だった。

 多くの魔族(イラカシュ)は角が生えているが、サリクスのものは少し見た目が奇妙だった。左側頭から生えた角は上へ向かって伸びているが、右側の角は様子が異なる。左右で形状に見比べればわかる程度の差があるのは普通だが、彼女の場合は、その差があまりにも大きかった。右側頭部から生えた二本の角は、捻じ曲がり、文字どおり結んだように絡まっている。

 サリクスはこのぐちゃぐちゃな角をコンプレックスに思っているし、同族からも揶揄いを受けてきた。横に向かって伸びているせいで、右腕の動きに制限が生まれてしまっているのも鬱陶しかった。

 幼少の頃より何かにつけ、サリクスは自身の角を疎ましく思ってきた。幼角が抜け落ちたときは、飛び跳ねるほど喜んだが、生え変わった角は以前より不格好に絡まってしまった。なぜ自分の角は、身体は、こんなにも変なのか。自分のことをいまいち好きになれない日々を過ごしていく中で、自身の身体への不満や不快感はやがて境遇や種族への悪感情と混ざり、サリクスの中で醸されていった。


 実はサリクスこそ、イラカシュ――魔族を人一倍嫌っていた。

 だから、サリクスはエルラに不必要なまでに魔族(イラカシュ)を憎ませ、自らの嫌悪を委託しようと考えた。エルラを利用することで同族殺しを為そうと思った。

 容姿と家のことで多少の不当な扱いを受けてきたこともそうだが、一族を殺したのが他でもない同族だという事実こそがサリクスが同族への嫌悪を秘めるにたる理由になった。古くから続く魔族の血族は、憎しみや怒りといった感情に執着に似た観念がある。戦争は、もっとも手っ取り早い喜怒哀楽の獲得手段としての儀式だった。サリクスが抱く魔族への悪感情も、その多くが一族によって用意されたものでしかなく、それをどうすることもできずにいる己に対する嫌悪も深かった。

 サリクスにとってエルラは、利用価値のある、手懐けるべき猛獣だった。用が済んだら捨ててしまえる存在と考えていた、当初は。

 しかし結局、冷徹、冷酷を演じきれず、姉に似た立場で接するようになっていた。

 修行半ばの頃、サリクスには殺したい魔族がいてそのためにエルラを利用したい、という告白をエルラはサリクスから受けていた。それをエルラはなぜか何事もないかのように受け入れている。エルラはサリクスの目的を、自身の闘志を研ぐための石にしようと考えた。自分の歪な復讐心だけでは戦う理由には弱いと思っていたからだった。いけ好かない相手ではあるが、自分の事情を知っているうえに能力も高い、リリもサリクスのことを嫌ってはいない、エルラにしてみればサリクスくらいしか頼る相手がいなかった。

 明確に利害が一致しているわけでもなかったが、二人は互いが利害関係にあると見做していた。



 そんな奇妙な関係性を修行期間の間に形成することになる二人だが、共同生活を送るうえで同じ部屋を自室として与えられた。

 一つの部屋を二人(リリも含めれば三人)で使うことにはなったが、エルラのスペースはベッドくらいのもので、部屋の大部分はサリクスの私物で溢れてしまっていた。

 サリクスが勝手にエルラとリリの領域を占有しているわけではなく、エルラが認めていることだった。元々この部屋を使っていたのはサリクスだったのと、姉弟子に勝手をさせたほうが得策だと考えたからだった。エルラの持ち物は〈リリ〉以外になく、部屋の広さを無駄にしたくなかったからでもある。

 エルラは、サリクスが常にこの家にいるものだと考え、譲歩することで個人空間と引き換えに別の利と交換しようと画策していた。

 しかし、結局のところサリクスは月の三分の一は都市へ出かけてしまうし、エルラ自身も修行が忙しく、あまり私生活面で接する機会はなかった。

 それでも、エルラにしてみれば、サリクスから教えられる都市部のことは興味深かったし、その授業にリリが喜んでいるのも嬉しかった。しかし、嫌味ったらしい言い回しをいちいち使うのは、気に食わないところではあった。

 エルラは、正直なところ、サリクスと少しは仲良くなりたいと思っていた。そうするのが〝自然〟で得策だと考えた。部屋の件をダシに、サリクスから化粧や肌、髪の手入れなどを教わっているのもそうした理由が隠れている。それにエルラは孤独に強いタイプではない。アルフレートもマルレーナも初めから両親の古い友人という立場でしかなく、修行が始まった以上は師匠以外の何者でもなくなった。エルラにとってはまだ畏怖や抵抗感の残る魔族(イラカシュ)であろうと、最も身近な「人」はサリクスだけだった。しかし、肝心のサリクスがわざとエルラを遠ざけている気がしてならなかった。そのくせ、過剰ともいえるほど世話焼きなところがある。

 この時期のサリクスはエルラとの距離を測りかねており、それが態度に表れていた。仕事以外で人と接する機会が少なく、どうしてもついこの間まで〝ただの女の子〟だったものの扱い方を知らなかった。

 エルラにしてみても、自分を死ぬほど痛めつけるような人物、それも人生で初めて見る魔族(イラカシュ)という種族の少女との交流は不安要素が多かった。愛想よくしていれば、心遣いを得られるような相手でもない。エルラにとってサリクスは、第一印象では苦手なタイプの人間だった。

 共同生活始めたての頃のエルラ視点では、サリクスは面倒くさい女だった。もっともサリクスの側から見れば、エルラは正気を疑う病人のような存在でもあり、お互いがお互いを面倒な人物と見ていた。

 そして、二人が互いに抱くこれらの印象は修行を終えても大きく変わることはなかった。

 一方リリは、口にこそ出さないが、二人の様子を微笑ましいと思っていた。姉がもう一人できたような感覚と、もし自分に妹がいたらと二人に自分を重ね合わせてもいた。しかし同時に、エルラが取られてしまったような寂しさも覚えた。エルラとは違った方面でサリクスへ複雑な感情を抱いているのは、姉たちから見ても明らかだった。



 術師としてのサリクスは優秀な部類に入る。

 もし術師の実力を五段階で選り分けるならば、上から二番目の階層に入れる能力があるだろう。本来であれば、弟子入りなどする必要のない人物だった。

 しかし、サリクスには決定的な欠点があり、アカデミックな場で評価される機会はあまりなかった。その欠点とは詠唱型の術式を正確に扱えないというものだった。

 術式には詠唱を行う口述術式と、呪文や記号を書き綴る記述術式の二通りがある。現状の術師の世界や一般的な認知では呪文を口に出して唱える詠唱型のほうが格式が高い。

 そのため、口述式の行使に難のあるサリクスは術師として一定以上の信用を得られずにいた。また、それなりに歴史ある魔族(イラカシュ)の家系であれば持っているはずの固有の血統術の継承がされていないというのも、本来付くべき「箔」がないことになる。

 詠唱術式の才に欠けるサリクスだったが、反面、記述術式には長けていた。

 術式を書き込む物理的な空間や道具が必要だが、術を使う狩人としては事前準備さえしておけば詠唱するよりも早く術を発動できるというのは大きな利点だった。詠唱で呼吸が乱れないというのも戦闘をするうえでは無視できないポイントだった。

 記述式の才を使い、サリクスは魔道具技師としても活動している。狩人での収入より技師として得た財のほうが多い。それでも稼業を魔道具製作一本に絞らないのは、工房にこもりきりになるのを嫌ってのことだった。自分で作ったものは自分でも使いたいというのもある。

 しかし実のところ、彼女が狩人という職を危険を冒してまで続ける理由には、実戦的な術師として活躍することで、学術的で華やかな〝詩人〟たちに報いたいという反骨心が強くあった。

 もっとも戦闘を志向する口述型術師は、戦闘に適応させた詠唱を独自研究しているため、サリクスのような記述型術師は戦いの場においても明確な優位性はなかった。



 そして、術に関してもサリクスは他者に対して情報をいくつか偽っている。

 口述式を安定させられないのは事実。しかし、これは技量不足であったり、才能がないという意味ではない。表向きは継承されていないことになっている血統術にリソースを占有されて、普通の術が詠えないというのが、真に近い表現になる。

 同様に、サリクスは原理術も獲得していた。大抵の術師にとっては奥の手になるため、あまり積極的に開示しないことが多く、そういった意味ではサリクスがエルラに打ち明けないのは当然ともいえる。

 ただし、部分的にはエルラもサリクスの原理術を目にしている。

 サリクスの「収納術」と「使い魔」がそうだった。

 収納術は汎用の術や魔道具として存在するが、通常はせいぜい小物を出し入れする程度が限界で、サリクスのように倉庫代わりに使えるほどの容量はない。エルラはサリクスのものを普通の収納術だと思っている。踏み込んだ質問もないため、そのまま曖昧なままにしてあった。

 使い魔の黒猫に関しても、何度もエサを用意したが猫が一向に食べないことを不思議に思ったエルラが尋ねるまでサリクスは何も言わなかった。そのときも、サリクスは猫のことを自身の「影」でできた分身に近いものとしか説明せず、自分の能力との関係は伏せていた。

 関わりのある外部の人間も、サリクスの収納術は特別な魔道具の機能で、使い魔は魔石を核にした人工生物だと思っている者がほとんどだった。そのくらい特異な魔道具や人造の使い魔は、術師や狩人の間では、そこそこに知識としては一般的なものだった。

 実態としてはサリクスが自ら能力を隠したというよりは、周囲が推測から誤解したのをいいことに、そのまま訂正しないでいまに至る形になる。



 サリクスは、自分自身の情報を意図的に偽り、隠して生きていた。そうした嘘は彼女が俗世に馴染むためには、あったほうがよいものだった。経歴を騙る必然性はなかったが、ありのままを晒せば問題事を引き寄せてしまいかねなかった。サリクスはそういう事情を抱えている。

 そのように、サリクスには知られてはならない秘密がいくつかあった。その秘密はエルラ、リリの姉妹と無関係なものでもなかった。もっとも、エルラがそれを知ることになるのは、修行を終え、さらに時が経ってからだった。

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