穢れのスノードロップ
初夏の農村。
水車小屋から一人の少女が姿を現した。
少女は衣服と、赤みがかった金色の髪とを念入りに叩いて粉を払ったあと、すぐそばの川で顔を洗い、エプロンを身に着けた。
土手を上る。
山に挟まれた谷底の平野。村の中心部を流れる川、その両脇に広がる小麦の海とブドウの丘、ぽつりぽつりと納屋が建ち、山のほとりには集落が散らばっている。集落のさらに奥には深い森と山が控えている。
まだ明るいが晩鐘はとっくに鳴っていた。
あまり遅くなると心配させる、少女は家路を急いだ。
少女――エルラは十五歳の少女だった。
三つ年の離れた妹と、父親の三人で暮らしている。
母は妹が生まれてすぐに亡くなった。エルラに母の記憶はあまり残っていないが、父や村人の話を聞くに、彼女たち姉妹は母親に似ているらしかった。
何年か前に身体を壊した父に代わり、いまではエルラが家を支えていた。もっとも、親切な村人たちがエルラに簡単な農作業や針仕事を用意してくれているからこそ成り立つ生活でもあった。
エルラは自分ではそう思ってはいないが、父は自分のせいで娘に苦労をさせていると悩んでいるようだった。
それでも、あと何年かすれば妹は結婚し、そうしたら父は無理にでも自分を嫁がせるだろう。どうにも父には自分の長女を任せると決めた人物がいるようだった。その相手が誰でも構わないが、当事者が置いてけぼりなのは少し寂しいものがあった。この時代ではあたりまえのことだとしても。
幼い頃に思い描いていた生活とは少し違うものの、エルラはこの暮らしが嫌いではなかった。
自分が死ぬまでに電信回線が通るかもわからない田舎だとしても。
豊かというわけでもないが、貧しいというわけでもない。平凡で、なんの起伏もない日々が続くような。空虚ではあるが、ありあわせのもので埋められると錯覚できるくらい何もない。
なんとなくそういうふうに生きていくんだろうな、とエルラは思っていた。
しかし、そんな日々は、ある日突然に終わりを迎えた。
小麦の収穫もそろそろという頃だった。
農場のヤギやウシたちが喰い殺され、若い女性が一人消えた。
その女はジャンヌといい、先週に式を挙げたばかりの新婦だった。エルラとは三つ違いで姉のように慕っていたし、彼女と新郎との仲を取り持ったのもエルラだ。捜索も空しく、ジャンヌは手足しか見つからなかった。
家畜の死体やジャンヌの遺体の様子を見るに、狼や熊の仕業ではないらしかった。
自分たちの手には負えない、と一番近い町へ助けを呼ぶことになり、連絡役に選ばれたラウルが帰ってきたのは次の日の昼前だった。その彼も生きて帰ってきたわけではなく、道脇の茂みで死体が見つかるというものであった。彼が役目をこなせたかどうかもわからなかった。
村人たちは、マモノの仕業として、武器を手に取り、このマモノを狩ろうと考えた。一体だけならどうにかなると考えたからだった。結ばれたばかりの新婦が惨たらしく殺されたというのも村人たちの怒りに薪をくべた。マモノを直接見たことのない彼らにしてみれば、マモノは恐ろしい怪物ではあるものの、物語の中で誇張の生じた〝強い野生生物〟にすぎなかった。
エルラの父親とマルセルという老人を除いて、討伐に反対する者はいなかった。
次の日の朝からマモノ狩りが始まった。
エルラも身体を壊して森を歩くことが難しい父親の代わりに、山狩りに参加した。彼女の意思によるものだった。そんな彼女にマルセル老人は「無いよりはマシだろう」と六連発の前装回転式拳銃を持たせてくれた。
昼過ぎには、村内を巡回していた班が、刈入れ前の麦畑でマモノを見つけ、撃ち殺すことに成功した。あまりにも早く、呆気なかった。
しかし、それで終わりではなかった。村一番の鉄砲打ちだったジャンがマモノの死体を検分したが、彼はすぐに違和感を覚えた。その獣はマモノではなく、異常発育した狼だった。胃の内容物にも人を食べたことを示すものはなかった。
ジャンが、「コイツはマモノなんかじゃない! 気をつけろ!」と叫んだときには、もう遅かった。
すでに一〇を超す数のマモノが彼らを取り囲んでいた。
同じ頃、エルラは森の中にいた。
彼女はジャンとは別の班で行動しており、村の方角から聞こえる何発もの銃声から異常を察知し、そちらへ急行していた。
全員が焦りと殺気で緊張していた。
彼らが、村へ戻ったときには、すでにジャンたちや留守を守っていた者たちの多くは死に、畑や家からは火の手が上がり、マモノの群れが村を跋扈するという状況だった。
マモノは狼や野犬に似た獣といった姿だが、人間と同じかそれ以上の大きさだった。身近な脅威にたとえると熊が最も近い印象だろう。
恐怖に竦む彼らの前に、のそりと一体のマモノが姿を現した。彼らを値踏みしているように見える。
近寄られる前に撃とうと、男が銃を構えた。
マモノは彼に跳びかかり、その爪で頭を抉った。その巨体と直前までの動きからは想像できない俊敏さで。
頭をもぎ取られた男の手から猟銃が滑り落ちる。銃は地面を跳ね、暴発した。その弾が運悪く、近くにいたエルラに中った。彼女の膝上あたりの内側から斜め上へ銃弾が貫通した。足が爆発したかのような衝撃と痛みに、エルラは崩れ落ちた。突然のことに、「痛い」と声をあげることもできない。
倒れたエルラへマモノがにじり寄る。この場で誰が一番獲物として適しているかを理解しているようだった。そこへ、恐慌状態になった同じ班の男がピッチフォークを槍のようにして体当たりした。エルラを助けようとしたのかはわからないが、結果としてはそうなった。
マモノともつれ合う彼を横目にエルラは近くの納屋に逃げ込んだ。中には子供がいたが、血塗れで、すでに息絶えているようだった。
(どうしてこんなことに――)
平和だった村が、あっという間に地獄へと様変わりしてしまったことに動揺を隠せなかった。
(リリ、お父さん、どうか無事でいて――)
家に残った妹と父の安否が気になった。
エルラは、流れ弾の中った左足を縄で縛り、ピッチフォークを支えに、自分の家へと向かった。
マモノに見つかることなく、なんとか自宅へ辿り着いたエルラを待っていたのは、残酷な果てだった。
それ自体は予想していた。だがやはり、だからこそ簡単には受け入れがたい現実でもあった。
家は半壊し、エルラの父は血塗れで壁にもたれかかっていた。ぱっくりと開いた首と腹から、彼がすでに死んでいるのは人体や医学に明るくないエルラにも一目でわかった。
作り物のような光景だった。それが却って、村を襲っている悲劇が実際の出来事だと実感させた。
エルラは、込み上げてくる現実感が溢れそうになるのを、ぎりぎりで飲み込んだ。
(リリは?)
妹を探してあたりを見回す。
「リリ? リリ――」
小声で呼びかける。
カタン、と小さな物音が聞こえた。音の出処は地下だった。エルラが落とし戸を開けると、リリがうずくまっていた。
「リリ、よかった」
「おねえちゃん……」
見上げるリリ。
「大丈夫」
手を差し伸べ、上がってくるように促す。
「お姉ちゃん、それ……」
地下から出たリリは、姉の怪我を見て真っ青になった。
「大丈夫だから、はやく逃げ――」
エルラは、リリの手を引き、その場から離れようとしたが、外から聞こえた物音に周囲を見回した。
拳銃を握る。
土を踏む音と、獣の息遣いが聞こえる。
「リリ! 隠れて!」
エルラが叫ぶのと、彼女にマモノが襲いかかったのはほぼ同じ瞬間だった。
マモノはエルラを押し倒すと、彼女の頭を噛み砕こうと口を開いた。
エルラは、とっさに右手を差し出した。
ガチン、とエルラの鼻先をマモノの顎が掠めた。
と、同時に右腕に激痛が走る。
手にしていた拳銃を手放してしまう。
被弾した足の痛みに感覚が麻痺しつつあったエルラだが、新たに襲う痛みと恐怖に叫びをあげることすらできず、乾いた嗚咽が零れるだけだった。
過呼吸寸前の激しい呼吸。涙がじわじわと溢れる。
自分が死んだら、リリに危害が及ぶ。そうならないように、という一心で痛みと恐怖に負けそうになるのを堪える。
落とした拳銃を左手で手繰り寄せる。
肘の骨が潰れる音がした。その痛みが肉を裂く痛みに上塗りされることはなく、
(ああ、肘の骨が砕けたな。もう右手は使えないんだな)
エルラは、他人事のように思うだけだった。
(いいわ。欲しいなら腕の一本くらい――)
引き金を引く、途中で止まり、ハンマーが起きた状態で維持される。
銃口をマモノの目に捻じ込み、思い切り引き金を引ききった。
爆音。銃声はこの小一時間で一生分聞いたかといったところだが、まだ慣れない。
出血と痛み、轟音でクラクラしながらも、続けて一発、また一発と撃ち込んでいく。
銃に入っていた六発のうち四発を撃ったところでマモノは死に、エルラにだらりとその死骸を横たえた。
俄かに、胸を撫で下ろすエルラ。とはいえ、まだ気を抜ける状態かはわからない。
下敷きになったエルラは、なんとか這い出ようとするも、右腕は噛まれたままで抜け出せない。両手が健在だったとしても、成人男性よりもずっと重いマモノを押し退けるのは簡単なことではなかっただろう。
悪戦苦闘するエルラへと、隠れていたリリが駆け寄る。怯え、涙を流しながらも姉を助けようと、左手を引っ張った。
(ダメだよリリ、隠れてなきゃ。お姉ちゃんは平気だから)
口は動くが、音にはならなかった。
ふいに、寒さが肌に刺さった。
(寒くなってきた……。死ぬのか――)
昔、死ぬときに感じるのは寒さだと、誰かに教えてもらった気がする。
エルラはそんなことを思い出し、死の訪れに腹をくくった。さすがの彼女も気の持ちようで死を回避することはできない。
しかし、彼女の諦めに似た覚悟も次の瞬間には吹き飛んでしまった。
視界に雪が映る。
ハッとした。いまの季節に雪が降る、この地域ではありえないことだった。
エルラがあたりを見回すと、大きな影が彼女たちに向かって近づいてくるのが見えた。
人間の倍近い背丈に、鹿のような大きな角。エルラにしてみれば、昔話に聞いた「偉大で邪悪な魔族」そのものだった。
冬を纏った魔族――それこそおとぎ話の悪魔そのままの印象。
魔族はエルラとリリを一目チラと見やったが、通り過ぎ、壁に寄りかかる父の遺体の前へ進んでいった。
彼は、なにやら呟くと、エルラたちの父の胸を引き裂き、その心臓を抉り出した。そしてその心臓を一口に喰らった。
その光景を見たエルラの心には、なぜ? という疑問と怒りが湧き上がってきた。
リリの手を振り払い、拳銃を魔族に向ける。そして躊躇いなくその背目掛けて発砲した。
魔族は撃たれたことに気付いたのか、ゆっくりエルラの方へ振り返った。
エルラには、彼が山のように思えた。冬の山が人に近い形をとっている、そう思った。
ゆっくりと、エルラとリリへと近寄る魔族。
エルラは最後の一発を撃ったが、目の前の魔族の歩みを止めることはできなかった。
ガキン、ガキンと、空撃ちの虚しい音が響く。さきまではなんとも思わなかったダブルアクションの引き金が、ひどく重く感じられた。
魔族は、二人の父の遺体を指差し、
「お前、たち、彼の、娘、か?」
片言の言葉でぎこちなく問いかけた。
小さく二人は頷いた。そうするしかなかった。
魔族は、その返答を受けると小さく溜息のように長い息を吐き、空を見上げた。そして、エルラを見つめ、彼女に圧しかかるマモノの死体を埃を払うかのように軽々と除けた。
その勢いで、噛まれたままだったエルラの右腕が千切れた。
痛みで、エルラはふと我に返った。次は自分だと、さきの光景を思い起こし予感した。
エルラは力を振り絞り、飛び起きると、魔族へと組みつこうとした。しかし、左足の怪我を忘れていたのか、体勢を崩し、魔族へと縋りつくような姿勢になった。
「リリ! 逃げて!」
エルラは声を張り上げた。
でも、とおたおたするリリ。
「はやく! お願い、リリだけは!」
妹へ逃亡を促すとも、魔族への懇願にも聞こえる悲痛な叫び。
自分でも自分にこんな声が出せるのかと、驚いている。
リリは、ひどく悲しそうな顔をしながらも、決心したのか、走り去っていた。
夜の森は危険だが、いまの村よりは安全だ。
それに――、エルラには考えがあった。
「ねぇ、魔族さん。魔族って契約とか約束を大事にするんでしょう? だったら、わたしのことは好きにしていいから、あの子は見逃してくれませんか。森の獣に襲われないで、どこかの町に行けるようにしては、くれませんか」
いまにも泣きそうに、声を震わせながらエルラは言った。
彼女の要求に面食らったように、
「それは――」
魔族は、言い淀んだ。
彼にも何か事情があるようにエルラには思えたが、彼女にとっては彼の事情などどうでもよかった。すでにたくさんの血を失っただけでなく、魔族の齎した冬もエルラの体力を大きく奪っていた。彼女には時間がなかった。
「お願い、します。おねがい――」
言葉の途中で、エルラは全身の力が抜け、倒れた。
朦朧とする意識。その中でも、魔族が顔を寄せ、口づけしたことははっきりとわかった。
――――
「……ちゃん、お姉ちゃん!」
夜明け前、微かに空が白んできた頃、エルラは目を覚ました。
「痛、生き、てる?」
全身を痛みと鈍い倦怠感が支配している。
「リリ……」
「お姉ちゃん、よかった。よかった――」
よかった、としきりに言いながら、リリは泣く。
「ダメじゃない、逃げてって言ったのに」
エルラはリリを抱き寄せながら、優しく言った。
右腕が治っている。治ってはいたが、二の腕から先の肌の色が浅黒く変わっていた。視界にちらちらと写り込む前髪も白くなっている。赤い柄のブランケットを捲ると、左足も右腕と同様に変色していた。
自分は人間ではなくなってしまったのでは、と口の中が苦くなる。「偉大で邪悪な魔族」の寵愛を受けたものは彼の眷属になる、言い伝えではそう言われていたから。
だが、いまはそれよりも、
「でも、よかった。リリ……」
泣き出しそうになるのを堪えるエルラ。泣きじゃくる妹を胸に抱く。ひとまずは生き残れてよかった、そう一息を吐いた。
(……?)
ふと、違和感があった。
あたり一帯を包む腐り始めた血の匂いと焦げ臭さに混じって、新しい血の匂いがした。エルラ自身の匂いでもない。
エルラは、手と胸に冷たい感触があるのに気付いた。液体で濡れている。
嫌な予感がし、リリを見る。
リリの肩口と腹は赤く染まっていた。肩の傷からは白いものがのぞいている。
エルラは呆然となった。
この傷では助からないだろうことは、簡単に察せられた。昨日一日で何人もの死体を目の当たりにした彼女には嫌でもわかってしまった。
父親が死に、村も壊され、さらには妹までもが死ぬ。それだけはどうしても受け入れられない、あってはならないものだった。
エルラにとって、リリは残った最後の肉親というだけでなく、彼女の世界を形作る最後の一欠でもあった。
エルラはブランケットをリリにかけてやると、妹を背に乗せ、駆け出した。自分は裸同然の姿のまま。
痛む身体に鞭打って、森を走る。
一番近い町までは、昼前には辿り着けるはず。
心の中で何度も、妹に大丈夫だと語りかけながら。自分に言い聞かせるようでもあった。
夜が明けつつあったが、それでも森の中はまだ夜の気配が場を仕切っていた。
夜の森は恐ろしい、それが森の隣に住む者にとっての常識。
もしかしたら、野犬や熊に出くわすかもしれない。あるいはマモノがまだ近くにいるかもしれない。
妹も死んでしまうかもしれない。
不安と恐怖に追い立てられ、エルラは走った。その足を石が抉り、落枝が貫こうともお構いなしに。
道もまだ四半、あまりに焦っていたエルラは木の根に足を取られ転んでしまった。受け身を取ることもできず、盛大に転んだ。
舌打ちも、悪態を吐く余裕もなく、ただただ憔悴し、背後を見た。
目を疑った。それがなんなのか理解を拒みかけた。
リリは灰のように白くなっていた、肌だけでなく髪の色までも。流れ出た血も、塩のように剥がれ落ちている。
ああ、ああ、と声を詰まらせながら、エルラは妹に恐る恐る近づいた。
白く固まったリリの身体は、全身がひび割れ、転んだときの衝撃で手足の関節あたりは割れていた。
触れようと手を伸ばすが、その手が届くことはなかった。エルラの手がリリに触れる直前、妹は崩れた。
泣くには、心の準備ができていなかった。呆けたように、妹だったものを眺めることしか、エルラにはできずにいた。
しばらくし、エルラは項垂れながら、結晶の山を手で掬った。無気力ながらそれしかすることがなかった。なんでもいいから一瞬でも現実から目を背けたいがゆえの行動だった。
奥に黒いものが光っている。
目を見開く。
エルラは、縋るように白い欠片を掻き分け、ソレを掘り出した。
それは剣だった。
エルラの肩を越すほどの長さの大きな剣。分厚い刃、鑿に似た平たい切先、鴉の羽を思わせる青みのある黒い刀身、鈴蘭の彫刻。
そして理解した。リリは剣に変わってしまったのだ、と。
なぜ、どうしてと、疑問ばかりがエルラの頭を泳いでいる。だがすぐに直感的にそれらしい答えが浮かび上がってきた。
あの魔族の仕業に違いないと。
そう思うと悔しさと怒りが込み上げてくる。自分と引き換えに妹には手を出さないという約束が破られたのだから。どうして自分を凌辱するような魔族のことを一瞬でも信じたのか。自分の愚かさや純粋さに吐き気すら覚えた。
村は蹂躙され、両親も友人も、好きだった人も嫌いだった人もみんな死んで、妹は人ではなくなった。
エルラは、一晩にして彼女の世界をすべて失くしてしまった。
剣の柄に触れる。
この剣で命を絶とうと考えてのことだった。しかしその考えは、すぐに頭の中から消えた。
剣には暖かさがあった。
(リリの気配を感じる)
剣に意識を集中させると、小さく寝息が聞こえた。いまは眠っているようだが、妹の存在をエルラは感じ取った。
エルラにとっての救いは、妹は姿こそ剣に変わりこそしたが、死んでしまったわけではない、ということだった。
だからこそ――、
その日、エルラにはどうしてもやらなくてはならないことができた。
――どうしてこうなったのかをあの魔族を探し出して問い質す。事によっては彼の命を以って償わせることになるかもしれない。
そして、妹を元に戻すこと。
この二つ――、
この二つを為すことができれば、どうなっても構わないと思った。
何か目的を定めないと、このまま朽ちていってしまうだろう。妹だった剣に縋り、魔族に与えられた呪われた余生を緩慢に過ごす。それはあまりにも虚しすぎる。
いま自分が抱えている、そしてこれから抱えることになるだろう――、
覚悟、憎しみ、怒り、苦痛、焦燥、悔恨、悲嘆、絶望、虚無、
そして希望、祈り――
様々な想いが、この身を焼き尽くそうとも。
運命を呪うよりはずっと健全だろう。
大剣の刀身を撫でる。
彼女の決意のように、朝焼けが赤く空を染めていた。