星見草の枷(1)
「修道士様、こちらもお付けします」
青果露店の店主が、果物の積まれた籠をダグマルへと差し出した。
眩いほどの笑顔と、溌溂とした声で、ダグマルは言った。
「ありがとうございます。あなたに幸あらんことを」
手を組み、軽く腰を落とし、祈る。
短い祈りを終えると、顔を上げた。微笑み、買い物袋と籠を抱え、もう一度「ありがとう」と告げる。いかにも純真無垢な子供のようで、それでいて神職らしき聖く厳かな佇まいで。
エルラでさえも気圧されそうになるほどの威厳にも似た気配が滲んでいた。ダグマルは戦闘人員とはいえ、れっきとした聖職者なのだと実感する。善意であり、義務なのかもしれないが、ちょっと安売りしすぎではとエルラには少しもったいなく思えた。
「ダグマル様、あまり無考えに祈りをされないでください」
エルラが窘めるような体裁を見せ、硬い声音で言った。
いまのエルラは、巡回修道士の護衛役だ。教会経由で請け負った任務を遂行するうえで、エルラとダグマルは修道士とそのお付きという体で町に溶け込む作戦を採った。サリクスも同じ依頼を受けているが、彼女は別行動をしている。
町に来て五日ほどだが、ダグマルとエルラは早くも町の人々の信用を得ていた。
その結果が、ダグマルの両手いっぱいの荷物だった。
挨拶と世間話のついでに適当な青果を一つ買えば、一抱えの盛り合わせへ変わりもする。この町では聖職者へのもてなしが篤い。元々信仰の深い土地柄という事情もあるにもあるが、なおそのうえ年若い少女の巡回修道士という立場が町民たちに親心に似た情を抱かせる要因にもなっていた。ダグマルの所属である聖女隊は、実態を知らぬ大衆には高位の巡回修道士と認識されていた。聖職者へよい扱いをすれば、自分たちへささやかな徳となって返ってくる、町の教会の者より位の高い者ならさらに大きな恵みがあるに違いない、という俗的な考えも少なからずあった。
稀人は目立つが、修道士とその護衛に扮してさえいれば、不審がられ警戒される度合いを少なくできる。今回の仕事は、そういった慎重さが必要になることが見込まれている。エルラやサリクスだけでは、こうは上手くいかなかっただろうと、狩人二人は自覚していた。
ダグマルが抱える荷物をチラと、エルラは見やった。持とうか、という提案はしなかった。護衛として手を空けておかなければ不自然という理由で、ダグマルから振る舞いへの要求があったからだった。背の剣〈リリ〉は目立つが、武装した護衛という役を見せつけるには、ちょうどよい助けになっていた。同じように耳目を集める部外者でも、狩人と聖職者では町民の心証は大きく異なる。狩人が必要な問題は、住民の視点では起こっていない。ましてや銃ではなく大剣を携えた女性の狩人などは、平時においては奇異な目で見られることも珍しくない。どうしても目立ってしまうその不審な様子を、ダグマルと行動を共にすることで逆手に取れたのは幸いだった。
「こんなに貰っちゃいました。嬉しいですけど、なんだか申し訳なく思えてしまいます」
ダグマルがはにかみながら呟いた。巡回修道士と偽って接していることへの小さな罪悪感と、人々に聖職者としてありがたく受け入れられていることへの喜びで、複雑な気持ちだった。
「あなたは聖職者なんだから、おかしなことはないと思うけど」
「そうかもですけど、本来の目的のこともあるし……」
ダグマルがこの町でこなすべき目的は調査と執行であって、住民たちとの交流や聖職者として見識を積むことではなかった。
二人は、町中を見て回った。行けるところはあらかた回ったが、これといって怪しいところは発見できずにいた。聞き込みもしたが、任務と結びつく情報はなかった。せいぜい、自分の家族への困りごとや、どこの家の誰がどうしただとか、ありふれた話題が登場人物を変えて語られるだけだった。
あまりにも平和な町だった。
本当にこの地で恐ろしい事件が起こっているのだろうか、と疑問に思いたくもなる。
「戻ったらパイでも焼こうか。よさそうな果物があるからそれを入れて」
エルラは提案した。
自分たちが調べられることは多くないとわかっていた。二人が目立つことで、サリクスが裏で動きやすくなる。調査の本命はサリクスで、自分たちは囮のようなものだと理解していた。
エルラから見て、ダグマルは少し焦っているように思えた。だから、それとなく息抜きを提案した。ダグマル相手にエルラができることは、菓子や料理を作るくらいだった。そういう意味では、調査期間中は毎日奉仕していることになるかもしれない。
「うん」
ダグマルは頷いた。わかりやすく顔には出さないが、嬉しそうな気が全身から滲んでいる。ダグマルは甘いものが大好物だった。単純に好きというよりは、味覚の中で甘味以外がほとんど欠落しているがために、しっかりと感じ取れるほぼ唯一の味へ大きな喜びを覚えずにはいられないのだ。聖女部隊の隊員たちはダグマルに限らず、味覚などの感覚に偏りのある者が多いという。
「それならシロップかジャムが欲しいな」
「ええ」
毎食に一瓶は空けているが、エルラとサリクスはそれを肯定も否定もしない。ダグマルにはそれが必要だと、わかっているからだった。食事と飲酒の量へ目を向ければ、エルラも人のことはどうにも言えない部分もある。サリクスも然り。
――
二人は荒廃気味の裏町を進む。
甘味を購入する店へは、敢えて裏路地や荒れた地区を通ることにしていた。多めに貰った青果をこの地区の住民たちに恵むためだった。商人たちがダグマルへ余分に品物を納めるのは、単純に彼女へおまけしたい面もあるが、ダグマルを通して貧者へ分け与えられることを見越してのことだった。聖職者を介すことで人対人のやりとりでなく、神と人とのやりとりにする意図がある。
ダグマルとエルラが暗い町を見回るのは期待された慈善活動を行う以外に目的があった。表を巡るのと同じ理由、違和感なく町を調べるためだった。
今回の任務は組織犯罪絡みで、そのような集団は往々にして貧困層の多い地区や治安の悪い地域を潜伏先に選ぶ。卵が先か鶏が先か、という命題がついてくるが、執行者であるエルラやダグマルにとっては問題を生む構造よりも眼前の脅威へ関心がある。ある意味では、割り切っているともいえる。
エルラは周囲を探るように警戒している。護衛役をこなすとともに、不審な箇所はないかと目を光らせる。家の中まで堂々と見て回ることはできないが、そこまでする必要はなさそうだった。初日の時点で、この地域には探しているような犯罪集団はいないことはわかっていた。いるとしてもちょっとした不良少年や酒に溺れた者がいるくらいで、治安の悪い地域の中では治安のよい部類に入る。アムシルトブルクの歓楽街や退廃地区のほうがよっぽど物騒かもしれないと、エルラは思った。
ダグマルはというと、人々に慈愛の笑みを振りまいては、品物を手渡している。
まさに聖女、聖少女といったありように思えた。暗闇を照らす灯火のようであり、泥中に咲く清廉な花のようでもある。
そうした様子を見ていると、聖女隊などという暗部ではなく、まっとうな宗教者として生きていく道はなかったのだろうか、とエルラは考えてしまう。ダグマルにはダグマルの事情があるのはわかっているが、年長者としてはどうしても〝普通〟の人生を送ってほしいと感傷的になりがちだ。妹と同年代となるとなおのこと。
施しと偵察を終え、再び表町へ抜ける。
一抱えの荷物は減り、手提げ袋が少し膨らむ程度になっていた。全部配ってしまってもよかったが、自分が欲しいものを残しておくくらいにはダグマルは俗物だった。
二人は、ダグマルの先導でまっすぐ商店へ向かう。シロップやジャム、砂糖に蜂蜜などといった甘味を扱う商店は、ダグマルにしてみればこの町で上位に位置する重要施設で、数少ない娯楽でもあった。ダグマル自身は努めて表に出さないようにしているが、浮かべている笑みも慈愛の聖女のものではなく、好物を目前とした子供の感情が滲んでいた。歩調も、逸る気持ちを抑えているが、それでもわずかに速くなっている。
そうした歪さ、聖人然とした振る舞いと俗っぽさや精神的な未成熟さに、エルラは自分に似たものを覚えていた。ダグマルが語らない境遇にさえ、知らないながらに勝手な想像をして親しみに近い感覚を抱いていたりもする。
――
ほどなく、エルラとダグマルは目当ての食料品店へ辿り着いた。
この商店、扱うのは甘味を中心とした食品だが、店の看板には「薬屋」を意味する言葉が使われている。酒屋やバーでも「薬屋」が店名に使われることは、この国ではしばしば見かける。過去、本当に薬品や生薬を扱う場所だったことも少なくないが、大抵はある種の洒落だ。甘味や酒で鎮まる〝病〟も世の中にはある。
客は魔族の少女が一人いるだけだ。少女は十三、四歳ほどの年頃に見えた。角にはひび割れが入っており、長袖と長いスカートの裾からは包帯がのぞいている。編み込みの袋を二つ提げ、一つは中身が入っており布が被せてある。隙間から植物の蔓の先がわずかにのぞいている。
少女は店主から包みを受け取り、空いているほうの買い物袋へ入れた。
ダグマルが声をかけた。
「こんにちは」
「あ、修道士様。お廻りご苦労様です」
店主はダグマルへ頭を下げた。先客の少女もダグマルとエルラを一瞥し、小さく頭を下げ、すたすたと去っていった。
エルラは少女を目で追った。嗅ぎ慣れた、場違いな匂いがした。植物の匂いに混じって、わずかに饐えたワインにも似た、サリクスや自分と〝同類〟に思える匂いをエルラは感じた。それが警戒とまではいかないが、気にかかった。いますぐにでも追いかけてしまいたかったが、そもそも彼女を追いかけてどうするのだ、という問題も浮かぶ。取り押さえて尋問すれば何かわかるかもしれないが、今回の件においてはサリクスなら見逃すだろうと想像した。店主に尋ねて、もしも彼女が重要そうなら、後で探ればいい。ダグマルやリリが反応せずにいるということは優先度は低いのかもしれない、ともエルラは考えた。
ダグマルのほうは、余所行き聖女の姿勢で店主と談笑している。
「お変わりありませんか?」
「ええ、おかげさまで。ああ、ですがこの間お買い上げいただいたものは切らしてしまっていて」
「棚、少し見ても?」
店主は頷く。
「エルラ、少し荷物を見ていてくださるかしら」
「はい」
荷物をエルラに任せ、ダグマルは店内の棚を見始めた。その様子をエルラと店主は、しばし眺めていたが、エルラがふと尋ねた。
「さっきの子は?」
「包帯の子かい?」
角の子や魔族の子とは答えなかった。店主のあの少女への印象が窺える。
「ええ」
「あの子は、すごくいい子でね。見た感じそのままの大人しい子だけど、両親を早くに亡くして、お兄さんと一緒に頑張っててさ。でもね、身体が弱くてね、ここ何年かでやっと外を一人で歩けるようになったんだよ」店主はしみじみと話した。「確か、あの子のお兄さんは、学者さんだったか、少し前までは都会に行ってたんだ。すごい勉強熱心でね、妹さんのためなんだろうね。エレナちゃんもお兄さんのことを病弱ながら支えててね。兄妹で仲がよくて、ああいうのが家族の絆っていうんだろうね、見てると世の中捨てたもんじゃないなって思うわけさ。うちのバカ息子たちも見習ってほしいくらいだよ、まったく」
エルラは小さく微笑みながら、店主の話に相槌を打つ。さきの少女の名前と家族構成がわかったのはそれなりの収穫か、と考えた。
「……で、いまは兄妹二人で墓守をやってる。まあ、墓守といっても仕事のほとんどは教会の人たちがしてるから、帳簿の上での土地の管理人って意味合いが強いね。元々はあの辺の土地はあの子たちの一族の土地だったんだ。ずっと元を辿れば、あの城――いまは教会になってるけど、あの城を建てたのも、あの子の先祖だか親戚だって話さ。いまとなっては、そんなのは形も残ってないけどね。……それで、あの子がどうかされたので?」
「いえ、なんでもないわ。わたしは修道士ではないけど、お供を長く続けていると、ああいう怪我人だったり身寄りのなさそうな子供は気になってしまって」
「よい心がけです。……墓守の方ですか、ご挨拶にでも伺いましょうかね」
横からダグマルが言った。ジャムの缶を両手に抱えている。エルラと店主の会話が聞こえていたのか、会計をしながら、自然な話の流れで少女の家の所在を聞き出した。
――
店から離れるなり、エルラが呟いた。
「怪しいわ、さっきの子」
「え、そうなんですか? 術師っぽいなとは思いましたけど」
『うーん、あの子、裏がありそうな感じではあったけど。お姉ちゃん、どうして?』
「血の匂いよ」
「病弱だって話ですし、包帯もしてたし、どこか怪我をしてるとか」
『墓守さんだからとか?』
「違う。あの子はすごく元気よ。包帯を巻いてはいたけれど、身体には傷なんかないわ。わたしの言った血の匂いっていうのは、気配にまで染みついた生と死の匂いのこと。墓守だからでもない。そんなこと言ったら医者や教会の人も同じくらい血の匂いをさせていなければおかしいことになる」静かだが強めの語気で言ったあと、息を吐いた。まるで自分のことを言うかのように吐き捨てる。「そのくらい人の死に触れてる人間よ、彼女は。それも直接手を下しているような」
『お姉ちゃんが言うなら、そうなんだろうけど、わたしは匂いはわからないからなあ』
自分も、とダグマルがリリに同意した。
「そんなにわたし信用ないかしら」
エルラは、ダグマルの顔を覗き込んだ。じっと目を見ている。堪らずダグマルは顔を赤らめ、顔を背ける。
ふふ、と微笑んだあと、エルラは次の不審点を告げた。
「それに、あの子の持ってた籠の中、薬草が入ってたわ。幻覚作用にあるやつよ」
『よくあの短い間でさぁ。自分の姉ながら本当なのって思っちゃう』
「匂いと、一瞬見えたからわかるわ」
ダグマルは口をぽけっと開け、感心している。一方でリリは、お預けされた犬みたいでちょっと嫌かも、と零した。
妹の小言を聞かなかったことにして続ける。
「他にも市場には出せないような強い鎮痛薬とか、止血薬、興奮剤なんかに使う植物も入っていたと思う」
「すごい。わたしも薬草の知識は教わったけど、そこまでは」
「昔、よく使ってたから知ってるってだけ。今度教えてあげましょうか?」
「え?」
ダグマルは困惑した。エルラの境遇は部分的に知ってはいるが、故郷が滅びる以前の平和だった頃の生活も相当に荒んでいるように思えた。ダグマルから見てエルラは狂人の部類に入る。しかし復讐心で狂ってしまったのではなく、初めから狂っていたのではないか。果たして「普通の村娘」だったという姉妹の言は信用できるのか、と悩んでしまいそうになる。
驚いたかと思えば、暗い表情になったダグマルを見て、エルラが言った。
「冗談よ。危ない薬だし、法律で決められているわけではないけれど、〝まだ〟なだけ。一応、いまでも罰しようと思えばできる証拠のはず」
「本当?」
「どのみち、あんな女の子が使うような薬草ではないから。怪しいのは確かよ」
『お兄さんがいるって言ってたから』
「もしかすると、そのお遣いってこともありえるかもですね」
『でも、それだけじゃ悪いことに使ってるかまではわからないじゃない? お姉ちゃん、何をそんなに急いでるの?』
教会絡みの依頼ゆえにダグマルの気が急いている、とエルラは思っていたが、エルラはエルラで気が逸っていた。成果への欲が頭をもたげつつあった。
「若い魔族が行方不明になることが多いって話で、ここがその誘拐犯の拠点があると疑わしい所なんでしょ? だったら、そんな場所にいながら無事な魔族は怪しいんじゃない?」
「さすがにそれは結論を急ぎすぎなんじゃ……。それだとこの町の魔族の人を全員怪しまなくちゃいけなくなっちゃう」
「そうね」
「でも、もし自分が犯人の立場だとすると自分の家の周りで怪しまれかねない行動は控えるかもしれないし……。それが却って不審に……。うーん、そう考えると、どうにもなってしまうから、難しい、です」
エルラほどではないが、ダグマルも聖職以外の事柄には疎く、頭もよいほうではなかった。ああでもない、こうでもない、と二人は道端で難しい顔をし始めた。
我慢ならなくなったリリが提案する。
『そろそろティータイムの時間だし、宿へ戻るのはどう? サリクスさんと情報を合わせたほうがよさそう』
「そう……そのつもりのはずだったわね」
どこか、きまりが悪そうにエルラは言った。
◆ ◆ ◆
「それで、今日の仕事はどんななの?」
流れる景色を頬杖をついて眺めながら、エルラが言った。
任務地へ向かう鉄道の個室車両の中でのことだった。エルラの向かいにはサリクスが、エルラの隣にはダグマルが座っている。サリクスの横の空席には〈リリ〉が他の荷物と一緒に立ててある。
エルラはサリクスから「仕事で遠出する」とだけを告げられ、連れられるままに車両に乗り込んだ経緯があるからだった。ダグマルが同行することでさえ、駅に到着してから知った。どのみち詳細な内容を知ったところで、エルラには狩人協会の仕事において事前に整えておく準備も装備もほとんどないのだが。
エルラはまだ、仕事の主導権を握る立場にはなかった。不満にも思えるが、半年かそこらでは経験不足もいいところだ。
だとしても、自分の知らぬ場所で話が進んでいることへの寂しさと不満はあるので、エルラは気障な態度で尋ねたのだった。
「えっと」緊張気味にダグマルが答える。「教会が支援している孤児院があるんですけど、その孤児院の子たちが何人か行方不明になっていて、状況から人攫いだとみられているんです。曖昧な証言しかないんですけど、攫われたところを見たって言う子もいて」
目撃者は離れた所で見ていたにすぎなかったが、それでも幼年には恐怖の体験だったらしく、心に傷を負い、寝室に籠るようになってしまったのだという。
「ということは、誘拐の調査?」
「そうなりますが、事態はもう少し深刻です。孤児院からいなくなったのは全員魔族の子供のようで、人身・臓器売買と関係あるのではないかと考えているようです」
『子供の人身売買……』
リリが反芻した。ダグマルの表情が曇った。
「ええ。魔族の角や臓器などが不正に取引されるのは度々確認されてはいましたが、ここ数年で件数が急増しています。事件性のある魔族の行方不明者が昨年頃から不自然に増えているという報告もあります。それを踏まえて何らかの組織が裏にいることは国も協会も、ほとんど確信しています」
個室車は、ちょっとした秘密の話をするにはうってつけだった。角のせいで二席分の料金を払うケースが多いサリクスにとっては一室分の料金で済むのも魅力の一つだ。
「それで、魔ぞ――イラカシュの身体はそうまでして売り買いする価値があるの? 角は売れそうだけど、それくらいよね? だいたい魔族がいくら死のうが、どうもないでしょ」
エルラは、サリクスの教育のかいあって、サリクスとアザリエ以外の魔族には思い入れがない。差別心とまではいかないが、仕事でなければ可能な限り関わりたくなかった。
そうしたエルラの心持ちと〈冬霊〉ユーレアツィヴティケネテスとの関係を知っているダグマルは、多少の失言は受け流すことにしていた。
エルラの問いにサリクスが答える。
「魔族の肉や内臓、特に心臓や肝臓、骨髄は薬になるとされています。もちろん明確な根拠はありません。効いたという伝承はありますが、それは思い込みか、一緒に摂った別の生薬が効いたか、はたまた食べた人が極端な栄養不足だっただけでしょう。血肉に含まれる魔力量が多いのは事実ですが、死後急速に失われますし、経口での魔力補充を目的にするには充分な濃度とはいえません」
生きたまま食べなければ効果は薄いだろうと、さらっと怖いことを言い足した。それを聞いたダグマルは胃のあたりに不快感を覚え、両手で口を押さえた。振り払うように、車外の景色へ視線を移す。
民間療法の生薬の中には人体由来のものも多く存在していた。
とりわけ魔族――イラカシュの肉体は、人間のものよりも強力な効果が得られると信じられてきた。魔族は術の名手だという伝承を根拠に、特別な力が宿っていると考えられた。ヒトも魔族も自然の摂理からすれば動物の一種であるからには、その血肉に含まれる物質がなんらかの作用を示すこともあるだろう。しかし、薬用とするにはあまりにも未解明で、呪術的見地から抜け出せていない。胡散臭い民間療法医や現代呪術師ですら過半が否定的なほどだ。それを生業としない者、つまりは民衆によって意味が維持されている節がある。
「そして、ヒトにはない器官、つまりは角も当然、重宝されました。薬として、あるいは呪術的な装飾品として」
古来より、戦いの折には肉体の一部が戦果を示すものとして用いられてきた。当然、魔族の角はトロフィーとして充分過ぎるほど機能する。生首などの肉体の一部に比べれば、いくらか〝お上品〟でもある。首狩りが廃れていくなかで、魔族の角は、動物の角と同種だが、それらよりも上等な工芸材や生薬として扱われることが多くなっていった。
強い種族の力をその骨肉と同化することで己の身に宿したい、といった思想が根底にはあったが、いまとなってはそういった畏怖や敬意は失われたといえる。
「また、角は術の素材や触媒として優れているといわれています。実際、魔力の通りはよい傾向にありますが、他の材を外してまで選ぶほどの優位性はありません。術者本人が本人の幼角を杖に用いるケースは別ですが……」サリクスは淡々と告げる。「なので、ほとんどは美術的価値や古典的な生薬用途になりますね」
エルラは、ふーん、と生返事を、リリは「人って残酷ね」と訳知り声で呟いた。その横でダグマルは深刻そうな面持ちで頷いている。孤児院は教会の身内でもあり、ある意味ではダグマルはこのメンバーの中では一番の関係者だった。行方知れずの子供たちが〝商品〟になっている可能性をどうしても思い浮かべてしまう。
サリクスは続ける。
「いまのレフ共和国やエレンスィスラにあたる国では、かつて国家主導で素材目的の魔族狩りが行われていたこともあります。もう五百年近く昔の話ですが……」
歴史的にもレフ共和国、エレンスィスラとその関係国にとっては後ろ暗い闇の歴史の一つだ。もっとも、その年代は世界的に暗黒時代だったといわれている。レフ共和国、エレンスィスラの領土は、そのどちらも西部で海に接している。押し寄せる波を食い止めるため、なりふり構っていられなかった時代だったともいえる。魔族狩りもその多くは、強制徴募によって文字どおりその身のすべてを捧げさせられた、といったほうが実態に近い。だとしても、本人の意思を無視した徴用が少なからず行われていたことに変わりないし、死後にはその遺体が利用されたのも事実だ。それ抜きにしても、素材目的の誘拐や殺人が横行していた時代でもあった。
「現在はそのようなことは公然とは行われていませんが、一部の地域では民間療法や迷信として残っています。東方では、極一部の地域に限って刑死者を中心に合法的に角や肉、臓器が売られているという話も聞いたことがあります」
およそ二十年前のクルツェヴィルク継承内戦においても多数の戦死者、被災者の遺体が地下販路で商品となって流通していた。クルツェヴィルクの国体が存続していれば、新たな戦争の火種になるレベルで非情な内容の取引があったとされている。
サリクスの言葉は、暗にこれから訪れる場所は多少なりとも凄惨な現場なのだと告げていた。




