花塵を踏む(4)
サリクスはぼんやりと煙草の煙を眺めていた。その隣ではエルラがワインボトルに口をつけている。喉の動きを見ていると、疲れも相まって理性が解けそうになってしまう。
霧は晴れ、西日が眩しく照らす。平穏な午後の光景にも思えてくるが、忙しなく行き交う者たちと広場に並べられた死体袋、瓦礫の山と化した教会堂が、そのような錯覚をかき消す。
さきの戦闘が終わるとほどなくして、教会の別隊と近隣の狩人協会を中心とした救援が到着した。光の柱を見て駆けつけたのだという。ノーラマリーがエルラに向けて放ったハンドカノンの光線だった。
後始末をひとまずは彼らに任せ、サリクスとエルラ、リリは休息を取っている。
現場検証はもうしばらく続きそうで、今日の内に町を離れるのはできそうになかった。この町は宿泊施設には事欠かない場所だったが、脅威は去ったとはいえ、このような状態の町で一晩過ごすのは気乗りしない。
そうしたサリクスをよそにエルラとリリは「温泉があるんだって」とはしゃいでいる。
「そうですね」
と、ふらふらと相槌を打ちながら、サリクスは今回の事件について考えていた。
胎児の怪物は「海」のマモノの一種で、この地にいるはずのない存在だった。サリクスは、これほど間近で海の怪物を見るのは初めてだった。以前、浜にひしめく貝のような花のような異形を要塞の上から遠巻きに眺めたことが一度あるが、そのとき見たものは下級の雑兵にすぎなかった。今回のような中から上位の存在ではない。最前線の海岸でも数十年に一度現れるか否かの災害級の怪物と対峙したことになる。弱体化していなければ倒すことは困難だっただろう。
エルラとリリには「アレは海のマモノで珍しい敵である」以上の情報は教えないでおこう、とサリクスは思った。物事には段階がある。「海」はまだ、彼女たちの敵ではない。サリクスには、もうしばらくの間エルラを導く役目があるのだ。
(それにしても――)
溜息交じりに煙を吐き出す。
結局、あの少女が何者だったかはわからないまま事態は集結してしまった。容姿だけならば、この町の医者の娘だと判明している。しかし彼女自身が凶行を企てたのか、何者かが少女に成りすましていたのかは明らかにしようがなかった。状況的には彼女が関係者なのは間違いない。実行者と見做しても支障はないだろう。
としつつも、十歳にも満たない幼い子供が教会の術式を改造し儀式を実行した、とするのは可能性としてはゼロではないが現実的な考えではない。
それゆえになんらかの組織的な謀略がある、と教会は考えているようだった。調査を突き詰めれば、関係者を洗い出せると期待しているのだろう。サリクスも概ね同感だったが、どこか違和感があるのも否めなかった。
実際のところ、近年「海」を信仰する団体が不審な行動を起こしているのは事実だった。それを踏まえてもサリクスの考えでは、「海」への念が行動原理にあるものの組織だった計画によるものではなく、飽くまで少女が単独で行ったとしたほうがしっくりきた。当事者の証言がないからには憶測でしかないが。
とはいえ、行動の裏に「海」の思想がある以上は、事実上の〝組織〟と見做したほうが都合がよい。教会が危険視しているのは、事件を起こす個人や集団ではなく、それを扇動する無形の存在だった。陸地を侵す怪物から人々の心身を守るのが、教会が重大視する意義の一つなのだ。そういう意味では今回は教会側の負けになる。
今回を邪教側の勝利と捉えると、事件を知った信奉者たちが動き出すかもしれない。もし、少女の裏に共謀者がいるとすれば、関連した事件も起こるだろう。そもそも勢力や信条以前に、町が事実上滅んだ事件を隠しておけるはずもなく、不穏分子を勢いづかせる報せになるのは想像に難くない。
加えて、不完全ながら「海」の怪物を呼び寄せる方法が確立されているおそれがあるのは保安上の重大な有害要因だ。国内で年に数度出現する「迷い海」も自然発生ではなく、人為的なものである可能性も出てくる。
サリクスは短くなった紙巻煙草を落とし、踏み消した。唇に付いた葉を拭う。
(面倒ですね……、こういうのはこれっきりにしてもらいたいものです)
サリクスの個人的な事情では、エルラとリリの問題に区切りがつくまでは厄介事に関わりたくはなかった。
リリを人間に戻すことと、ユーレアツィヴティケネテスを捜し出すこと。この二つを解決するのは容易なことではない。ユーレアツィヴティケネテスの捜索はサリクスの伝手でなんとかなりそうだったが、リリの件は手詰まりだった。
人間を非生物に変身させる術とその術を受けた人間を元に戻す方法についてはハウスマンにも尋ねてみたが、彼も心当たりはないらしい。
伝説には似たような変身譚がいくつかあるものの、そうした説話の中では具体的な術式や技法について語られていない。ハウスマンが記憶している範囲では原文にも記されていないようだった。
サリクスの唐突な問いによって、収穫がなかったどころかエルラと彼女の持つ剣のことだと察せられてしまった。ぼかして尋ねたとはいえ、今日の事件と関わりのないことを聞いたのだから、当然といえば当然の結果でもある。
リリの事案を知られたことが結果として同情を買えたのか、ハウスマンは一定の理解と配慮を示し、彼の人脈の範囲で協力することを約束してくれた。彼は、希望するのであれば教会の書庫への入場許可が得られるように掛け合うとも申し出た。教会にも術に詳しい研究者はいるし、貴重な文献も多く所蔵している。願ってもいない提案だった。
一方で、エルラもエルラなりに今日の仕事について振り返っていた。
酒を豪快に飲み、温泉に想いを馳せ、暢気に振る舞いこそすれど、内心ではそこまで気楽ではない。
エルラにしてみれば、今日の仕事ぶりは満足いくものではなかった。自分の力で問題を打破できなかっただけでなく、サリクスにも迷惑をかけた。そしてなにより〈リリ〉を使いこなすことができなかった。「初仕事だから――」は言い訳にはならない。狩人なのだから、化け物は狩り尽くさねばならない。
経験不足による未熟さは、そう簡単に埋められるものではない。それを知っているからこそ、むしろ生き急いだような焦りに駆られてしまう。それもこれもサリクスたちが優しいのがいけないのだ。
エルラは早く強くならなければならなかった。不死はエルラに永遠に近い命を与えるかもしれないが、その時間の中で熱が薄れていくのが怖かった。変に先延ばしにして歪になるくらいなら、目的を早い段階で済ませてサリクスへ〝借り〟を返すなり、未来への身の振り方を考えた方が建設的だし、健康だ。
ワインの次はハーブ酒の瓶を飲み干す。無人の市場から頂戴したものだった。それらを売り買いする人々はこの町にはもういない。ノーラマリーの件もそうだが、自分がもう少し上手く立ち回れていれば助かったかもしれない、とぼんやり考えてしまう。それが決して在り得ない未来だとしても、助ける立場の人間としては仮定を捨てきれないものなのだ。
酔いが回っているから、そういう思考になっているわけではない。エルラは尋常でないくらい酒に強い人間だった。不死能力を得てからは、どれだけ飲んでも軽く酔うことさえなくなった。
(こういうときくらいは酔いたかったな……)
飲んで忘れたいと言っていた人の気持ちがいまなら少しわかる、と内心で苦笑した。
ふっと、サリクスの煙草の匂いと酒気が混ざり、エルラを包んだ。嗅ぎ慣れた日常が「海」の残香を上書きしてくれる。エルラにはそれが、堪らなく温かく思えた。




