045 天稟
黒鬼会会頭のウォーベックは珍しく苛立っていた。
(こんな気分になる事は久しぶりだ)
苦々しい表情で肩肘をついて机の上を人差し指で叩いている。
振り返ってみればウォーベックという男の人生は順調そのものだったので、苛立ちや焦りを感じる事はほとんどなかった。
8歳の頃に冒険者として生きようと決心して近くの剣術道場で剣の修業を始めたのだが、もともと天才的な才能に恵まれていたのかすぐに上達して14歳の頃には近隣ではかなうものがいない存在になっていた。剣の天稟があったと言っていい。
16歳で生まれ育った町からを旅だってからも、その実力をいかんなく発揮してモンスター退治や戦争で活躍し、20代の始めには自らの組織をつくりその地方のギルドでは最大の勢力を誇るまでに成長させている。
そして30代半ばにそれまで育てた弟子や配下を引き連れて帝都に黒鬼会を創設してからも順調すぎるほどの早さで組織を大きくしていった。
白龍会のように有力貴族の後ろ盾を持たずに『五選会』と呼ばれるほどに黒鬼会を成長させたのはひとえにウォーベックの能力の高さからだろう。
剣を取っては帝国でも三本の指に入るとまで称されるほどの腕前だが、それだけでは組織は大きくならない。
人を使い、動かすことにも才能があり、のし上がろうという野心があったからこそ組織を大きくできたのだ。
だが、ここに来てそのウォーベックの順調な道のりが妨げられている。
(全てはあの男に出会ってからだ!)
自分と同レベルの実力を持ちながらくすぶっていたあの男を見つけた時は拾い物だと思った。あれほどの腕前ならマーガレットを確実に暗殺できると思っていた。
だが、マーガレット暗殺は失敗に終わった。
あれほどの実力を持った男を退けるほどの者がマーガレットの護衛についていたのは誤算だったが、所詮は捨てゴマとして拾った男なのでさして痛手とも思わなかった。
その暗殺を防いだであろう参謀官の正体を知るまでは。
信じられない事だがあの男は暗殺の失敗どころか、マーガレットの部下になっていたのだ。
容姿がかなり変わっている事と、そんなバカな事はありえないという先入観から気付かなかったがそれが現実だ。
(今回の事を問題なく処理できたのは幸いだったが、あの男を許せるわけがない)
マーガレットの領地での反乱騒動はウォーベックの雇い主である覆面の男が画策したことだったが、それを知らないウォーベックは知らぬ間にランバートが反乱分子の首領を捕らえる手助けをさせられてしまっていた。
ただ、それによって覆面の男やウォーベックに害が及ばなかったのは反乱分子の首領であったディアスが何も語らずに自害したからだ。
表向きにはまだ生きていて執政警邏隊が尋問していることになっているが、すでに亡くなっている。
ウォーベックは執政警邏隊の中にも情報源を持っているのだ。
(自害か…。あまりにタイミングが良すぎるが…)
覆面の男の仕業かとも思うが、すぐに首を振る。
(ともなく早急にあの男を処分しなければな。ヤツを使うのは気が進まないが仕方あるまい)
実はこれから会う予定になっている者もウォーベックを苛立たせる原因になった事がある者なのだ。
(そろそろ来る頃だが…)
ウォーベックが壁にかけてある時計に視線を移したその時、『コンコン』とドアがノックされてそちらを見ると、すでに開いたドアにふざけたようにノックを繰り返している少年がいる。
その少年は15、6歳にくらいに見えるが、実際はもう少し年齢がいっているようにも感じさせる、そんな不思議な雰囲気をもっている。
「ノックは開ける前にするものだぞ」
「そんな怖い顔しないでくださいよぉ。かわいい弟子との久しぶりのご対面じゃないですかぁ」
ウォーベックが叱責するが少年は全く動じずに甘えた声を出してくる。
「センセイ、部屋に入ってもよろしいですかぁ?」
ドアは許可なく開けていたくせに部屋に立ち入るのには許可が出るのを待っている。そのちぐはぐな様子にウォーベックはため息をつく。
「入れ、ブラッド」
ブラッドと呼ばれた少年は音もなく入ってくると、
「それでセンセイ、ボクに御用とはなんですかぁ?」
ニヤニヤしながら質問してくる。用件がわかっているのだろう。
「ある男を殺してもらいたい」
単刀直入に言うウォーベックにうれしそうな顔で更に質問する。
「へえ、強いんですかぁ?」
「かなり強い。正直なところ私でも勝てるかどうかわからん」
「へええ、それは、それは」
眼を見開いてわざとらしく驚いているブラッドをウォーベックは苦々しく見る。
「センセイでも勝てない相手をボクが殺すんですかぁ?そんなこと、できるかなぁ」
この少年はいつも相手を挑発するような話し方をしている。例え目の前の人物が師匠であってもだ。
「報酬は弾む。貴様の言い値でかまわん」
「そんなぁ、大恩ある尊敬するセンセイからお金なんていただけませんよぉ…まあ、どうしてもって言うなら受け取りますけどぉ」
もらえないと言いながらすぐに受け取ると言い直すブラッドだが、それは金が欲しいわけではなく、ただウォーベックをからかっているだけなのだ。
(こいつと会話をすると疲れる)
そう思いながらもウォーベックは話を続ける。
「ところで貴様、いつこの王都に戻ってきたのだ?」
「3日前ですよぉ」
何食わぬ顔で答えるブラッドには他意はなさそうに見えるが、その返事にウォーベックはしばらく黙り込む。鋭い視線でにらみつけるが、ブラッドはにやけたままだ。
やがてウォーベックはわざとらしく大きくため息をつくと、
「…そうか。帝都では一週間ほど前から市民、貴族と身分を問わず無差別に斬殺される事件が頻発している。それこそ幼い子供も老人もな。お前も気を付けるのだな」
「そうですか。それはそれは物騒ですねぇ。気を付けますぅ。…そんな事よりボクが殺さなくちゃならないのは誰ですかぁ?」
気を付けろ、と言っている言葉とは裏腹にブラッドをとがめるような声色のウォーベックに対して、話を逸らすようにブラッドがきいてくる。
「執政警邏隊の参謀官だ。名をランバートとという」
「執政警邏隊の参謀官ですかぁ。そいつは殺しても構わないんですね?」
「殺せと言っているのだ。問題があるはずがなかろう!」
「いやだなあ、世の中には殺してはいけない者がいるみたいなんで確認ですよぉ」
殺してはいけない者なんていないはずなのに、とでも言いたげなブラッドに、
「いいから行け!これは当座の金だ!」
ウォーベックが投げつけた金貨の袋を左手で受け止めたブラッドは、「では、ボクはこれで」とそそくさと去っていく。
「…化け物め!」
ウォーベックは吐き捨てるように言う。こんな事でもなければできるだけ関わりたくない者なのだ。
(だが、あやつなら殺れるだろう。なにしろ本物の才能だからな)
才能だけなら自分やランバートよりも上だと認めている弟子の力量はウォーベック自身が一番よくわかっているのだった。
次回は 046 嗜好 です。