027 おとり(ダンケル)
0時過ぎ、人通りの少ない裏通りを歩く元5番隊隊長ダンケルは足取りが重かった。
(なんでこんな事に…)
そう思わないでもない。
確かに不倫をしていたことは言い訳のしようもなないが、執政警邏隊の赤服クラスの貴族になら愛人の一人や二人いてもおかしくないのだ。
実際、自分以外の隊長でも愛人がいてよろしくやっている者をダンケルは知っている。まあ、ダンケルはすでに元隊長なのだが。
さすがに大っぴらに公言はできないが、帝国上位貴族なら愛人がいるのはそれほど特別なことではない。中には妻公認の者もいるくらいだ。また、逆に妻の方に愛人がいる場合もある。
もっとも、さすがに褒められたものではないので皆、建前としては秘密にしているし、こういうことは秘密にしている方が背徳感もあってより興奮するものらしいので秘密にしているのだ。
ただ、ダンケルの場合は自分よりも妻の実家の方が貴族としての格がはるかに上で、なおかつ単純な戦闘の強さも妻の方が上なので秘密を楽しむというよりは、身の安全のために秘密にしていたのだが。
そもそも分別があったら自らの立場を理解して、愛人などは作らないだろうが、あいにくダンケルは女好き過ぎた。女性をみれば口説かなくてはいけない、という謎の義務感をもっているようなタイプだ。
まあ、その過度な女好きのエネルギーがあったから、他の男が寄り付かなかったブーティカ(美人で家柄がよいにも関わらず、その実力を恐れられて)に猛烈にアタックして結婚することができたわけだから、皮肉なことではある。
(まさか本当に命にかかわることになるとは…)
今回の浮気の代償に五番隊隊長から降格させれただけでなく、妻が五番隊隊長になった事で無茶苦茶な命令を受ける事になったのだが、その極めつけが『暗殺のターゲット』になる事だ。
すでに2回暗殺者に襲われていて(いずれも市内の宿舎。今はお仕置きとしてブーティカと別居中なのだ)、なんとかそれを退けている。
しかし、今回の目標である『辻斬りに見せかけているであろう暗殺者』は、宿舎にまで来ることはないだろうから、これまでの暗殺者は『外れ』と言うことだ。
(だいたい、殺すな、というのが難しいのだ。相手はこっちを殺しに来ているのに生かしておくのは大変なのだ…)
暗殺者が襲ってきても、黒幕を調べるために殺さないように言われているのだ。
しかも、裏通りを歩くときは陰ながらランバートをはじめとして執政警邏隊と執政銃士隊の手練れが守ってくれることになっているが、宿舎の時は『外れ』なので自分一人で身を守るように言われているから大変だ。
もっとも、今みたいに本命の暗殺者を誘い出すためにわざと深夜に裏通りを歩くのも気持ちが悪い。なにしろ本命の暗殺者は執政銃士隊の隊員を殺しているくらいの手練れだ。下手をしたら本当に殺されかねない。
(しかし、ランバートめ。他人事だと思って適当なことをいいやがる…)
ダンケルは参謀官のランバートの言葉を思い出す。
いわく、「今までの手口から見て最初の一撃は背後からの不意打ちでくるでしょう。それだけはなんとかかわしてください。かわせば後は我々が上手くやります」と言う事らしい。
(その最初の一撃で死んだらどうするのだ…)
色々考えながら歩いているダンケルだが、すれ違う者たちに対しての警戒は怠らない。
だてに元とはいえ五番隊隊長をしていない。任務となればスイッチが入るのだ。
そんなダンケルに酒瓶を片手に持った男が千鳥足で近づいてくる。一瞬、ダンケルは身構えるが、男の動きはどう見ても素人のそれで武器らしきものは持っていない。
「へへっ、旦那、あわれな乞食にちょっと金を恵んでくれませんかねえ」
真っ赤な顔をして媚びるように手を差し出してくる。
(酔っ払いの浮浪者か…)
「これでいいか」
ダンケルが数枚の銅貨を渡すと浮浪者は大げさに頭を下げてお礼を言って立ち去っていく。
(今夜も収穫なしだな…)
気を抜きかけるダンケルだが、ゾクっとした感覚を抱いて振り向こうとした瞬間に背中に衝撃を受ける!
くだんの浮浪者が酒瓶から取り出した短剣で斬りつけてきたのだ。
しかし、ダンケルは傷を負っていない。あらかじめ鉄鎖の着こみを着ていたのだ。うまく身体をひねってその着こみで浮浪者の刃を受けたのだ。
傷を負っていなダンケルに浮浪者に化けていた暗殺者は動揺したようだったが、すぐに再び襲い掛かってくるが、その腕にナイフが刺さる。
「飛んで火にいる夏のムシ」
どこから現れたのかジュディがつぶやいている。その間にダンケルは剣を抜き放つ。
暗殺者は目だけで二人を見て、ジュディの方へ向かっていく。
一見小柄な少女にしか見えないジュディの方が戦闘態勢をとっているダンケルよりも組みやすいと暗殺者は判断したのだが、そこにはジャービスが立ちはだかる。
「おっと、隊長を傷つけるのはやめてくださいよ。この忠実な副隊長ジャービスが相手です」
おどけたような笑顔で長剣を構えるジャービスだが全く隙が無い。
こいつにはかなわない…、とまた進路を変えて今度は壁づたいに逃げに入る暗殺者だが、
「逃がしませんわよ」
ブーティカの投げつけた鎖分銅が暗殺者をグルグル巻きに捉える。
「よくも、わたくしの夫を傷付けようとしましたわね!」
自分で依頼したくせに理不尽な事を言うブーティカは「ふんっ!」と気合を入れると右腕一つで軽々と鎖を引っ張り上げて暗殺者の身体を宙にまわせると、それを思いっきり地面に打ち付ける。
「ぐあっ!」
かなりの衝撃に骨の何本かが折れたようだ。
相当な深手を負ったはずだが、暗殺者はすぐに立ち上がると、からまっていた鎖をほどいて逃走し始める。これだけの動きと判断ができるだけでも今までダンケルを襲ってきた暗殺者たちとは明らかに格が違う。これは本命だろう。
「待てー!」
この嫌な任務を終わらせるために逃がすわけにはいかないダンケルが追いかけようとするが、それを制止するように、
「よくやりました。後は私に任せてください」
耳元でランバートの声がするがその姿は見えない。
ダンケルが怪訝な顔をしているとミラリオが近づいてくる。
「後はランバートさんにお任せしましょう。今、あの暗殺者のすぐ後をぴったり付けているはずです」
ミラリオの視線の先には逃げ去っていく暗殺者の姿しかない。だが、ミラリオは知っている。ランバートが『透明マント』を使って暗殺者の後をつけている事を。
(頼みますよ。ランバートさん)
本気で気配を消しているランバートなら勘づかれる事はないと思っているが、それでもちょっと不安な気持ちになるミラリオなのだった。
*
(結構時間かけやがるな。まあ、暗いうちには戻るんだろうが)
暗殺者は手負いとは思えないスピードで走り続けているが、時おり追跡されていないかどうか確かめながら更に道を変えている。
ランバートは5メートルも離れないで追跡しているが『透明マント』のお陰で全く気付かれていない。暗殺者も相当な腕前なのでただ姿を消しているだけならその近さなら気配を感じ取っただろうが、この場合は相手が悪い。
本気で気配を消しているのランバートの存在を感じ取れる者など、このこの帝都には数人もにいないだろう。
(しかし、意外と街中なのだな)
裏組織のアジトに向かっているはずなのに街はずれではなく、中心部に向かっている。この辺りには真っ当な、いって見れば表立っての活動をしている者しかいないはずだ。暗殺などという裏稼業には縁がないはずなのだ。
やがて目的の場所に着いたのか暗殺者は足を止める。そして誰もつけて来ていない事を確認して暗殺者は目的の建物に入っていく。
それを見たランバートは目の前の大きな建物に思わずうめく。
「おいおい、マジかよ…」
帝都に来たばかりのランバートだったら暗殺者が入った場所に何も思わなかっただろうが、今は違う。この建物がなんであるかを知っているのだ。
帝都のある民間軍事組織の中でも特に大きい5つの組織、『五選会』の一つである『白龍会』の本拠地なのだった。
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