ハイアリンハルピュイア対ステゴサウルス2
石段と車道は五重塔のある広場で合流する。
そこには観光名所である展望デッキが塔の近くにせり出している。桜の時期には毎年ここが観光客でごった返すのだ。河口湖と山中湖に挟まれた地元の、数少ないかき入れ時である。6月になった今は、それも懐かしい思い出なのだが。
ゆるやかな車道を上り、ステゴサウルスに『待て』をしてから大輔は偵察に出た。そして五重塔の前に立つハイアリンハルピュイアを目視した。
その美しい鳥女は、噂通り塔の内部に向けて祈りを捧げているところだった。ご丁寧にも、塔を囲む鉄柵の外側から。
地上の地形がそっくり地下世界に再現されたのがここ魔界。管理人もいなければ文句を言う地元の年寄りもいない。だが魔界のモンスターでも宗教建築には敬意を払ってしまうのだろうか。
両の翼を——指の無い両手を胸の前で合わせ、軽く頭を下げる。その所作には高い知性が感じられた。
世間から五重塔と呼ばれているこの塔は、正式名称を忠霊塔という。戦争で亡くなった地元の人間を弔うため、昭和の時代に建てられたものだ。
かつてはただの神社の一部だったここが、今では日本有数の観光名所になってしまった。世間とはわからないものである。
もちろん魔界の奥地まで訪れる観光客などいない。魔界最強種の縄張りに近づくモンスターも滅多にいない。魔界の新倉山浅間神社は、寺社仏閣本来の静謐さを取り戻していた。得も言われぬ雰囲気があり、時に恐ろしさを感じてしまいそうなほどだ。
いけると思った。
空のモンスターが地上に降りている。そこへステゴサウルスをけしかければ彼女はそちらに襲いかかるだろう。そして鉄壁の防御に手こずっている間に、木陰から一気に駆け寄って、その細身の肉体を樫の木の棒で叩き折るのだ。
空を飛ぶ生き物は例外なく肉体が軽量化されている。フライドチキンを食べるとき誰もが感じるように、骨が中空で脆いのだ。
今までに得られた標本などから、ハルピュイアも例外ではないことが判明している。
タイミングが重要だ。ハルピュイアがステゴサウルスに襲いかかった瞬間を狙わねばならない。それまでは身を隠していなければ。出るのが早すぎても遅すぎても逃げられてしまう。
大輔は声を出さず、攻撃のハンドサインを出した。恐竜たちはよく調教されており、号令やホイッスル、ハンドサインなどによる命令を忠実に実行してくれる。
普段よりも早足で、ステゴサウルスがのしのしと進み出る。大輔は木陰からその様子を見守った。
ハイアリンハルピュイアが反応した。祈りをやめ、頭を上げる。顔立ちは人間そのものだった。西洋系で、かなりの美少女といえよう。だがそれで仏心を出してはいけない。相手は凶悪なモンスターなのだから。しかし顔を傷つけずに仕留めれば高値で売れることが予想された。
狙うなら首筋だな——そう覚悟を決めて、大輔は樫の棒を握り締める。
恐竜を警戒してか、五重塔より少し高く鳥女が浮かび上がる。なぜこんな山の中に恐竜が出てきたのか不思議がっているのか。まだ人間には気付いていないようだ。
「WUUUUUUH……!」
ステゴサウルスが上空を睨みながら低いうなり声を上げた。それに応じて尻尾が大きく左右に振られる。その先端のスパイクを敵に叩きつけるためだろう。
ハルピュイアは大きく羽ばたいた。一層高く上昇すると、反転してから急降下を始める。優美な動作だった。戦闘開始だ。
風切り音がほとんどしないことから、やはり猛禽類の特徴が色濃いのだろう。
猛禽類の武器はくちばしか鉤爪。ハルピュイアの美しい顔にはくちばしなど生えていないので、警戒すべきはその足のみ。鳥の脚力で恐竜を即死に追い込むのは不可能だろう。必ずもみ合いになるはずだ。そこを狙えば勝機はある。
幻想生物と恐竜——両者が激突する瞬間、大輔は物陰から飛び出した。
だが、そこに勝機など無かった。
ハルピュイアの鋭い鉤爪が、ステゴサウルスの小さな頭部を鷲づかみにした。そしてそのまま急上昇してしまったのだ。
一瞬の出来事だった。
まるで鷹が犬や猫を捕獲するような気軽さだった。
攻撃のチャンスなど1秒すら与えられなかった。
棒きれを持った人間など、空飛ぶモンスターには無力でしかない。
「KYAAAAAAGH!」
恐竜は巨体をよじって吠えた。だが鳥女の飛翔能力が弱ることはなかった。ステゴサウルスの尻尾は己の頭部に届くほど長くはない。攻撃の手段は完全に封じられている。
大輔は広場に立ち尽くし、恐竜がぐんぐん上昇していくのをただ呆然と見上げていた。
「ありえねえだろ……何だよこれ」
細身の少女型モンスターが、体重3.8トンの恐竜をつかんだままホバリングするなど。
ハイアリンハルピュイアはそのまま鉤爪を開いた。ステゴサウルスを自由の身にしてやったのだ。
五重塔より遙かに高い上空から、大気を押しのけ恐竜が落下してくる。
魔界は不思議な法則に支配されているが、地球の一部であることに変わりはない。
足場をなくした物体は、重力に引かれて落下するのみ。そうなってしまった恐竜を救う手立てはもはや皆無。この世に飛行魔法などは無いのだ。
大輔はその瞬間から目を離せなかった。
地響き。轟音に混じった、肉と骨の弾ける音。木々のざわめき。
ステゴサウルス最大の武器である尻尾のスパイクは、虚しく地面を打った。地球最強の生物・恐竜といえど、上空からの落下により全身を強打してはもはや即死だろう。
恐竜から少し離れた場所に、ハルピュイアが音もなく降り立った。無数のクリスタルがぶつかり合い、綺麗な音色を奏でている。
無人の観光地・新倉山浅間公園の忠霊塔と、横たわった恐竜の死体と、美しい鳥女のモンスター。
それが現実の景色だとは思えなかった。
だが、ハルピュイアがこちらに1歩足を踏み出したときには、さすがに体が反射的に動いた。
逃げるのだ。
逃げ切ればまだチャンスはある。
今回の情報を持ち帰り、今度は別の対策を練るのだ。
ここは山の上の神社。逃げ込む木立には事欠かない。
ハルピュイアは非常に長い翼を持つ。それを大きく広げながら木の間を飛ぶのは不可能だ。なのでハルピュイアに出会ってしまったときには、森の中に逃げ込むのが定石である。
そう思って全力ダッシュし、木々の間に身を滑らせたら——背中に衝撃を受けた。
——追いつかれたのか!?
そう思いながら振り返る。だがハルピュイアは五重塔のある広場に立ったままだ。
——じゃあ今のは?
不思議に思ったとき、そこで初めて気付いた。
己の胸部から半透明のクリスタルが生えているのを。
身にまとっているクリスタルのひとつを、ハルピュイアがこちらに投擲してきたのか。
「……なんだよこれ。汚えだろ飛び道具なんて……」
大輔はそうつぶやいたあと、大量の血を吐いた。人間が吐血するということは、内臓に重大な損傷を負っている証だということを思い出しながら。
「人の信仰を邪魔する者よ」
玲瓏たる女の声がした。それは水晶琴のように涼やかな声だった。ハイアリンハルピュイアが自分に語りかけているのだ、と思い至るまでには数秒を要した。
「——信仰心の無い者よ。秘密を暴こうとする者よ。再びニンゲンに生まれ変わったのなら、今度は敬虔な心を持つがよい」
「生まれ変わる……え、俺死ぬの……?」
残酷な現実を突きつけられた瞬間、魔界探索士・数見大輔の心臓は停止した。
やがて身体が傾き、受け身をとろうにも自由がきかず、中年男は仰向けに倒れる。
せめて最期に富士山の姿を見たいと首を巡らすも、見えるのはただの空と木と土と、恐ろしくも美しいモンスターの姿のみ。




