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そして新たなる発見、新たなる謎1

 同じマンションに住んでいても、女子の家にお邪魔するときは手土産を用意するものなのだろうか——梨丸はよくわからなかったので、とりあえず菓子折かしおりを持っていった。地元名産のブルーベリーパイである。


 どうやらそれがイロコには大好評だったようだ。

「て……天国……! 天国が空の上にあるというのは本当だったのですね……」


 小さな子が甘いものを食べて幸せな顔になっている——それは無条件でほほえましい。だが少し引っかかるところがあった。


「天国って概念は魔界にもあったんだ?」

「はい。この世は下に行けば行くほど地獄で、上に行けば行くほど天国だと。だから地上に一番近いところにある魔界はすごく素晴らしいと、母から聞いていました」


 興味深い話を聞きながら、梨丸はイロコの向かいに座った。あまりファンシーではない物に囲まれた、ファンシーなクッションに腰を下ろす。


 リリ花野井はなのいの部屋は鉱石物だらけだったのだ。

 窓とドア以外、全ての壁際は展示棚に占拠されていた。


 女子の好きそうなアクセサリー類ではなく、どちらかというとその原石。ゴツゴツしたカラフルな石たちには小難しい名前が付いているのだろうが、梨丸にはひとつもわからなかった。


 個々の保管ケースにはラテン語の名前が筆記体で添えられていたが、少年には当然読めない。ただ赤や青や紫など、様々なメタリック色の石たちが綺麗なのはたしかだ。


 それら部屋の先住人にさっと目を通してから、梨丸は話を続ける。

「でも君のお母さん、地上はこの世の地獄とか言ってたけど……」


 行儀良くクッションに正座し、上機嫌でパイを頬張りながら女児は応じる。

「地上という世界は素晴らしいけど、そこに住むニンゲンは邪悪なのだとよく愚痴ってました」


「ああなるほど……」

 モンスターの立場に立ってみればそうなのだろう。人間などテリトリーに不法侵入してきて略奪を繰り返す無法者集団に過ぎない。もしモンスターが地上に出てきて略奪や殺人を始めたら、日本政府はただちに自衛隊を出動させる。


 そこへリリが紅茶セットを持ってきた。トレーの上に白磁のティーポット、それにカップとソーサーが3セット。香りだけで銘柄を当てられるほど梨丸は紅茶に詳しくないが、自販機で買うものとは雲泥の差だということは理解できた。


 トレーをローテーブルに置き、リリはイロコの隣に女の子座りした。

「あら、ブルーベリーパイ? この辺の名産だっけ」


「うん。知り合いが店やっててさ」

 紅茶のスペースを作るため、梨丸はパイの箱をどけた。


 菓子が遠ざかってしまったせいか、女児は不満げに手を伸ばす。

「ああ……お菓子が……イロコはそんな草の汁なんていりません。お菓子だけあればいいのです」


 クスクス笑いながら、リリは陶器のポットを開けた。そこに入っていたのは砂糖だ。

「紅茶はお気に召さなかった? でもお砂糖入れたら甘くなるよ?」


「砂糖?」

 くんくんと鼻を鳴らしながら、イロコは砂糖ポットの中をのぞき込んだ。


 考えてみれば魔界には精製された砂糖など存在しないのだろう。昔は甘味といえば果物くらいしかなかったと、小学生時代の授業を思い出す。


 リリはカップに紅茶をそそぎながら言う。

「そう。お姉さんはスプーン2杯くらい入れるけど、もっと入れると甘ーくなるよ?」


「甘い粉……」

 イロコは小指の先を砂糖壺につける。そして指先に付着したほんの数粒の白砂糖をなめとった。その仕草はどことなく猫を思わせた。


「こ……これは……!」

 女児の目が驚愕に見開かれた。そのあとすぐ糖度100%の恍惚(こうこつ)顔になる。そのさまはまさに、マタタビに吸い寄せられた猫のごとし。見えない猫耳や尻尾も嬉しさでくねくねと動いているのだろうか。

「——何という純粋な甘さ……甘さしかない……甘みだけをこんな手軽に摂取できるなんて……まさに悪魔の白い粉……」


 魔界生まれの女児が人間社会の物騒な言い回しを知っているはずがない。だが梨丸は思わず吹きだしてしまった。

「いや、その言い方はまずいから。よそじゃ言わないでね?」


「はあ……」

 話を聞いているのかいないのか——曖昧でぼやけた顔のままイロコは答えた。そしてなにかを思いだしたように真顔に戻ると、着物の袖や懐を探り出した。


 やがてお目当ての物を見つけたのか、女児は手のひら大の革袋を取り出した。フェンリルの牙をはじめ、預けていた私物は全て返却されたという。袋のそのうちのひとつだろう。


「お姉さんお姉さん」

 イロコは隣のリリに手招きした。『竜宮城においでませ』という意味ではないのはたしかだ。

「——お姉さんはピカピカしたものが好きなのですか?」


 リリは紅茶の準備を進めながら答える。

「え? うん、まあ好きだよ。見てるだけで癒やされるし、こういう石に囲まれて育ったから」


「じゃあこれあげます」

 イロコは革袋の中身をジャラリとテーブル上にあけた。


 硬質な音を立てて転がり出てきたのは、真珠だった。

 とても大粒な乳白色の宝石。


 白砂糖のお礼としてはあまりに不釣り合いだ。

 梨丸のような素人でも、それが相当な値打ち物であることが見て取れる。それはリリの反応を見ても明らかだった。


 少女のライトグリーンの瞳は、真珠を凝視しつつも細かく震えていた。いつになく顔が真剣だ。今にも女児からの贈り物をかっさらってしまいそうなほどに。

 少年がフォローしてやらねば、ポットからは延々と紅茶が流れ続けてしまったことだろう。


 それほどリリにとっては予想外の出来事だったのだろう。

「…………これ真珠? 何で?」


「とりあえずこれを地上に持っていけば生活には困らないと、ニンゲンから聞いていたので。母が持たせてくれました」


 何気なく答えたイロコに、リリは鼻先が触れそうなほど顔面を近づけた。

「じゃなくて! 何で宝石が魔界の境目を通過できたの?! 真珠って——」


 その声を聞いてようやく梨丸にも事の重要性が理解できた。

 魔界から持ち込んだ生物素材は一旦全て魔界突入坑に預けて検査を受ける。だが生物バイオ災害ハザードの危険性が少ないであろう魚の鱗やエレメンタルの外殻部分はそのまま持ち出せる。そのあとで役場の査定を受けて、料金を受け取るのだ。


 生物素材以外は、魔界の境目を通過できない。石も金属も鉄もガラスも半導体も、それら全ての出入りを拒むのが魔界という空間なのだから。


 だが、女児の持つ真珠はそこを通過してきた。


 そこにどんなからくりがあるのか。ある条件を満たせば非生物素材も魔界に持ち込めるのか。その秘密が解ければ、魔界探索士は大幅に安全性を確保できる。

 生身の人間でも、軍用兵器を持てばモンスターに対抗可能だ。魔界の頂点に君臨するドラゴンが相手でも、それなら——。


 熱を帯びてきた少年の脳を、落ち着き払ったイロコの声が冷やしていく。

「そんなに不思議なのですか? だって真珠は生物素材ですよ?」


「ああ、そっか」

 梨丸は初歩的なことを思い出した。真珠とは、貝の分泌物が体内で石のように固まった物である。ルビーやエメラルドのような宝石とは別物だ。


 そんな素人の考えは先刻承知だと言わんばかりに、リリは梨丸にも詰め寄ってきた。

「たしかに真珠は生物素材! でもその核になる部分は違うの! 最初に真珠のコアになるような『なにか』が貝の中に無くっちゃ真珠にならない! そのコアを包み込むように、少しずつ真珠が大きくなっていくわけね。そうやって真珠層が何層にも重なってるから、光り方が綺麗なの。真珠って!」


「そ、そうなんだ?」

 宝石にはあまり興味がないので、梨丸は適当に聞き返した。


 やがてマニア特有の早口説明が、金髪美少女からほとばしる。

「そもそも昔は真珠の核になるのは砂とかだって思われてたのね? アコヤガイとかがたまたま砂を吸い込んじゃったら、それを真珠層が包み込んでってまあるい真珠になるって。でも研究が進むとどうやらそうじゃないってわかってきて」


「あ、ああ……」

 その熱量に気圧けおされてしまい、梨丸はのけぞった。

「うん、それでその真珠の核になるパーツなんだけど……これだいたい異物なんだって。砂に限らず、貝殻と体の間に挟まった植物とか食べ残しの餌とか。まあ色々なパターンがあるわけ。養殖真珠の場合だと、核を入れる専門の職人さんがいるみたい。でも核が砂じゃないってわけでもないのよ? だからこの真珠の中にも、魔界の砂が入ってる可能性があるわけ!」


「す……すごい物知りだね」

 女子とは皆これほど宝石に詳しいのだろうか、と梨丸は感心した。


 謙遜しているのか、リリはえへへと笑いながらブンブンと首を振る。

「ワタシなんて全然だよお……! でも、だからこの真珠の核が砂だった場合、魔界の石を地上に持ち出せた初の事例になるはず!」


「……それ、どうやって確認するの?」

 そこで冷静さを取り戻したのか、リリは真顔に戻りぶつぶつとつぶやきはじめた。

「非破壊検査にかけるか、砕いてみるしかない……でも大学とか研究所にサンプル渡すと、下手すれば成果を横取りされちゃうし……ならもう砕いてみるしか……」


「え……真珠砕いちゃうの? もったいなくない?」

「でもこんな世紀の大発見を人の手に委ねちゃう方がもったいないし、時間かかっちゃうし……」

 つぶやきつつ、リリは壁際の棚ににじり寄る。ガチャガチャと工具箱をあさり、振り向いたときにはその手に鋼鉄のハンマーを握っていた。

「——今ここで割ってみればすぐ答えがわかる……この真珠の核が何なのか……」


「……マジで真珠叩き割るの?」

「割る」

 覚悟の決まりきった情熱の瞳が、そこにはあった。


「マジかよ……!」

 武器を手にした人間を下手に刺激しない方がいい。梨丸は1歩引いて事の成り行きを見守ることにした。


 やがて、お上品なティータイムとは全く正反対な破壊音が、女子の部屋に鳴り響く。

 朝とはいえ近所迷惑にならないかと、梨丸が心配してしまうほどに。


 いったい何粒ほど宝石を砕いたのか。しばらくすると破壊の嵐は過ぎ去った。代わりに歓喜の嬌声きょうせいが広くない室内に響き渡る。

「あー! あった! ほらコレ! これ石だよ! 骨でも貝殻でもないよ!」


 興奮した金髪少女は棚から顕微鏡をつかみ取ると、すぐに解析を始めてしまった。うなずきながらいくつかのネジやハンドルを操作している。その頬は美しい薔薇色に染まっていた。

「——ほらやっぱり! これたぶん安山岩あんざんがんだよ! 富士山のすごい古い地層から見つかるやつ! すごーい! ホントに魔界の石だ! 魔界から生物素材以外も持ち出せるんだ!」


 おそらくは人類初の発見例に、リリの顔は輝いていた。

 それは名誉欲などではなく、マニアとしての知的な独占欲ゆえではないだろうか——梨丸はそんなことを思ったが口にはしなかった。


 イロコは一連の破壊活動になど目もくれず、いつの間にか1箱分のブルーベリーパイを口に詰め込んでいた。

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