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開けてびっくり玉手箱5

 1週間が過ぎたころ、梨丸は鳴沢町の町役場を訪れていた。昔なじみの職員と“雑談”をするために。


 田舎の役所の例に漏れず、午前中は閑散としていた。まだ利用者に踏み荒らされていない清潔な床を、少年はカツカツと一直線に歩いていく。

 一般人がいないからか、奥で数人の職員が携帯端末や紙の新聞などを見ていた。魔界に人が押し寄せることなど滅多にないので、役所の中でもここは特に暇なのだ。


 受付の前に立ち、顔見知りの職員に声をかける。記入台に肘をつき待つこと数十秒。目の前へ来た彼に梨丸はひそひそ声で話しかけた。

 客観的に見れば、いつものような窓口越しの立ち話。だが、内容は他人にあまり聞かれたくないタイプのものだからだ。


「でさあ……イロコちゃんの親族からは何か返事来たの?」

 以前は『自治体や警察から相手の家族に連絡を入れてみる』と聞いていた。それが果たしてどうなったのか、少年は気になっていたのだ。


 だが個人情報保護法の壁はよほど分厚いのか、顔なじみの職員は渋い顔のままだ。

「だからそれ言えねえんだって。いくらお前が相手でもな」


「やっぱダメ?」

「ダメに決まってんだろ」


「でも親族そのものはいたわけだろ? イロコちゃんの母親、木ノ花(このはな)……桜吹雪ぶるーむさんの家族は」

「そりゃいるだろ。人間がそこら辺からいて出てくるわけねえんだから」


「じゃあ、返事が返ってきたかどうかだけでも教えてくれよ。別に内容は話さないでもいいからさ」

「まあそれくらいならいいのか……? 来たよ。返事はあったよ」


「どんなトーンの? ポジティブか、ネガティブか」

「てめえ内容は聞かねえんじゃねーのかよ」


「やっぱダメか……」

 梨丸は口を結び、鼻から深くゆっくり息を吐く。幼少期からの腐れ縁も法律の壁は越えられないのだ。


 自分たちは世界の主人公などではなく、お互いただの一般人。機密情報を入手できる身分ではなく、法律無視もできない。人を助けるためという大義名分でも、お堅い役所に無理を通せるはずもなし。少年は世の無常に黄昏たそがれたい気分だった。


 職員はボールペンの尻を何度もノックしはじめた。もちろんその行為に意味はないだろう。ただ心の迷いがあるだけだ。やがて彼はコピー用紙に意味のない落書きをしながら話し始める。

「これはあくまで一般論なんだが……おれはこんな仕事してるから、よく他の魔界探索士とも話をする」


「何だよいきなり」

「まあ聞けよナッシー。魔界探索士ってのは基本的にまともじゃねえ。この平和な日本で生きるか死ぬかの危険な仕事なんてのは、普通誰もやりたがらねえ」


「まあそうだろうなあ……」

 自分のように特別な目的がなければ——と梨丸は心中でうなずく。

「で、おれがいままで話してきた魔界探索士はだいたい家庭環境が悲惨だった。これも個人情報に当たるかもしれないから詳しくは話せねえんだが」


「まあ、そんなもんだろうな」

 恵まれない家庭に生まれた人間は、まともな学歴や職歴を手に入れるのに多大なハンデを背負っている。真人間として成功できるのはひとにぎりだ。

 そういうタイプの人間は、おおむねアウトローな仕事に手を出さざるを得ない。


 ひと昔前なら『半グレ』という集団が、さらに昔ならヤクザがその受け皿になっていたのだろう。

 だが現代のアウトローたちは、そういった犯罪者ではなく魔界探索士になる。


 学歴なし、職歴なし。それでも人生一発逆転が狙える、ジャパニーズドリームな高給取りとして。とある界隈で『魔界探索士アウトロー』という隠語が通用しているのはこのためだ。


 もちろん魔界はモンスターひしめく危険地帯。銃も刀も持ち込めない魔界では、人類など弱小生物だ。だいたいの場合、狩られるのはモンスターではなく人間の側である。


 そのような危険性が広まってもなお、魔界探索士になりたがる者はあとを絶たない。


 今までの人生で積み重ねたものがなく——積み重ねる機会すら与えられなかった者たち。昔の言葉で言う氷河期世代、Z世代、そして2020年以降に生まれた『英雄願望ショー・オフ』世代。世間から見捨てられたそんな世代が、もう後がないと視野しや狭窄きょうさくに陥った結果……最後のチャンスを求めて魔界に潜るのだ。


 どれほどのリスクをくぐり抜ければ夢を叶えられるのか。

 運良く魔界の秘宝を手にして、大企業の社長にまでのしあがれるのは非常に稀。大多数は未帰還者となる。


 憤懣ふんまんやるかたないといった口ぶりと表情で、職員がわざとらしく声を張った。

「いいか? ナッシー、おれがこれから言うのはあくまで一般論だぜ?」


「わかったよ」

 彼は彼なりに納得がいっていないのだろう。今回の『魔界の捨て子』事件については。明らかな人間を——どう低く見積もっても人間と同等の知能を持つ高等生物を、動物用の厩舎に入れるなど。

 ただ話してくれるだけで梨丸としてはありがたかった。


「こんな世知辛せちがらい職場に勤めてきたおれとしての、ただの一般論を言わせてもらうなら……いわゆる『終わってる家庭』ってのは、家族がどうなろうと知ったこっちゃねえってケースが多い。家にいようと家出してようと。生きてようと死んでようと。犯罪してようと地獄を味わってようと。まあ例外もあって、見捨てた家族がカネ持ちになってたら積極的にタカりに行くらしいんだがな……あくまで一般論では」


「終わってる家庭……」

 おそらくは、それがイロコの母親——木ノ花桜吹雪(ぶるーむ)の家庭環境なのだろう。誰にも頼れないまま臨月りんげつを迎え、魔界で子供を産み落とす。そしてそのまま捨てていこうとしたところをフェンリルに叱られる。それほど切羽詰まった状況だったのだから。

「よく色んな探索士から『武勇伝』を聞くんだよ」


「武勇伝?」

「ほら。魔界探索士をやるくらいなんだから、昔はもっと荒っぽいことをしてたって」


「ああ、飲み屋でたまに聞こえてくる」

「そうそう。昔は規制がゆるかったから、今じゃできないことも色々できたってな。昔は歌舞伎かぶきちょうに集まって好き勝手やってたんだってさ、その人らも」


「歌舞伎町って……東京の新宿だっけ。行ったことねえな」

「で、そこの何とかって広場にたむろって、昼間っから未成年が酒飲んだりヤク過剰摂取オーバードーズしたりもっと直接的にエロいことしたり……そんな無法地帯で“我が世の春”を謳歌おうかしてたってさ」


「マジかよ……それ都市伝説じゃねえの?」

 梨丸はその話にあまり現実感を感じられなかった。まるでフィクションの世界だ。もしそれが現実だとしても、それをそのまま漫画に描いたら、載せてくれる媒体はないだろう。表現規制に引っかかる。

「マジらしいよ。昔のドキュメンタリー記事も残ってるし。2020年くらいの調べてみ?」


「俺らが生まれる前じゃねーか」

 梨丸はニュースを熱心に見るタイプではない。


 あまり乗り気でない少年を見て、職員は続ける。

「それでさ、そういうところに集まってくるのは、だいたい家庭環境に問題のある子だったんだってさ。男も女も」


「問題って……虐待とか?」

「何だろうな……親からも他からも色々ヤバい目に遭わされて、仕方なく家を出たって」


「家出しなきゃいけないほどヤバい親と周りの人間……? でもそういうのって通報すりゃ逮捕されんじゃねーの?」

「だから昔は規制がゆるかったんだよ。犯罪者天国だよ、昔なんて。AIも画像解析も今より全然お粗末だったから、犯罪者が逃げ切るのは余裕だったんだと」


「随分ヤバかったんだな昔の日本って……もしかして昭和の不良漫画の世界とかもわりと事実なのか?」

「だったんじゃねえの? だからさ……」


 さすがに職員は声をひそめた。同僚が見逃してくれているといっても、やはり機密情報は“匂わす”だけでもまずいのだろう。

「——イロコちゃんの母親も、たぶんそういう歌舞伎町の世代で、そういう場所で過ごしてきたんじゃねえの? 知らんけど」


 それは機密漏洩(ろうえい)に反しないギリギリの発言なのだろう。梨丸は幼なじみに感謝し、軽く頭を下げた。

「悪い。ありがと」

「暇な職員の雑談に付き合わせてこっちこそ悪かったよ。これから用事があるんじゃねえの?」


 梨丸は受付の台から肘を離し、背中を伸ばした。

「ああ。イロコちゃんを迎えに行くんだよ。国から許可が下りたんだって」

「マジで? おれ聞いてねえぞそんなの」


「なんでも上の方から指示が下りてきたんだってさ」

「上って魔管の局長クラス?」


「それより上だって」

「上?」


「総理命令だってさ」

「マジかよ!? 魔管みてえな場末の役所に何で?」

 職員は受付から身を乗り出してきた。役所の権力構造を辿たどっていけば、内閣総理大臣は間違いなく序列のトップ。一般職員としては雲の上の存在だろう。


「マジらしい。ただ正式な命令とかじゃなくて、あくまで口約束みたいなんだけど……魔界管理局の係長さんがこっそり教えてくれた」

「うへえ……思ったより話がデカくなってんな……まあ魔界から人間が沸いて出てきたんだから、それくらいの特例が必要になるのか……そういやあの子の処遇ってどうなるんだろうな? 法律的にさ。人間なのか? それともモンスターなのか?」


「とりあえず人間なんじゃねえの? 安全の確認が取れ次第、学校にも通えるようになるってさ」

 職員は安心したようにうなずいた。

「ほほー。そういえばあの子から猫の耳と尻尾が生えてるってマジなの? 写真では見たけどあれフェイクじゃねえの?」


「マジだよ。人間の感覚をどうにかして認識を誤魔化してるらしい。だからカメラには写る」

「認識を誤魔化す?」

 あまり一般的な物言いではない。職員が理解できなくても当然だろう。


「ああ。見えてても見えたと認識できない。触っても触ったと認識できない。何だろうな。ノイズキャンセルイヤホンみたいな仕組みなのかなあ……よくわからんけど。それを解除してもらったら普通に見えたし触れたよ」

「おれもお願いしたら触らせてもらえる?」


 その言葉に悪気わるぎはないのだろう。だが梨丸は落書きだらけのコピー用紙を丸めて、彼の頭をはたいた。


「アホか。怒られるぞ。無理矢理触ろうとしたら即死だよ」

「社会的に?」


「物理的に」

「……なに? あの子ってモンスターじみた怪力でもあんの? パンチで胴体ブチ抜いたりすんの?」


 その辺を説明しようとしたら時間がかかる。梨丸は話を切り上げることにした。男同士の話に女子を巻き込むのは悪いと思い、表にリリを待たせてあるのだ。

「とにかくやめとけよ。そこらの猫だって無理矢理()でようとすれば噛みついてくるだろ。噛まれたら血が出るだけじゃ済まねえぞ、あの子の場合はな」


 魔界の秘宝・フェンリルの牙が地上世界で“自動反撃”をすることはほぼ無いとの説明を受けている。だが世の中は何が起こるかわからない。イロコが命の危険を感じるような目にえば、魔界の最強武器とやらはいつでもその牙をくのだろう。


 役所の朝一番の客として、梨丸は清潔な床の上を足早に歩いていった。

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