小さい子は可愛い1
魔界最強種の1体・フェリアスフェンリルは、口にしたキラーマンティスを地面に横たえた。その仕草は非常に落ち着きがり、優雅で、気品が感じられた。
相手は乗用車よりも大きなオオカミだというのに。
全身が剛毛で覆われていることで“肉体”というものを強く感じなくて済むからなのだろうか。巨大カマキリを咥えながら100メートルほどを数秒で駆け抜けてくるフェンリルが、筋骨隆々《マッシブ》でないわけがない。だが梨丸はどこか優しげな印象を受けるのだ。
【鉄の】という名前通り、その体毛は鉄色のメタリックな輝きを放っていた。金属質の毛は銃弾すら弾き飛ばしてしまうだろう。ハリネズミやウニやクリはその鋭い棘で外敵から身を守ってきたが、それをオオカミが持つのだから反則だ。小動物とは違い、巨体を誇るフェンリルは非常な敏捷さと極力な牙を兼ね備えているのだから。
旧版のイラストでは首から魔界の秘宝【フェンリルの牙】を下げていたが、目の前の個体はアクセサリーなど身につけていなかった。
「縄張りの様子を見に来てみれば、カマキリだけでなく人間もか」
フェンリルが低音の効いた声を発する。魔界のモンスターの一部は人間の言葉を解するのだ。動物ゆえに表情は読めないが、声色はどことなく友好的なように思えた。
「——して、ボクの縄張りに何用かな? 狩りにしては装備が貧弱だけど。恐竜を連れているからただの魔界観光というわけでもなさそうだね」
即座に襲いかかってこないだけでも幸運だ。言葉が通じるとは言っても所詮相手はモンスター。普段恐竜と触れ合っていると忘れてしまいそうになるが、巨大生物と相対すれば本能的な恐れを抱く。数メートルは離れているので鉄の毛が刺さることはないが、フェンリルにとっては1歩の距離。答えを誤ったら待っているのは恐らく即死だ。
こわばった顔をほぐす余裕もないまま、梨丸は頭をフル回転させた。
「そこの河口湖の中にある島に、人間の女の子が住んでるんです。その子を助けてあげようと調査をしていたんですけど……」
人間の使っている固有名詞がモンスターに通じるかどうかはわからないが、正直に告げた。
「ああ……あの子か」
さほど興味もなさそうに、フェリアスフェンリルはつぶやいた。
モンスターが話に乗ってきてくれたことを天に感謝しながら、梨丸は続ける。
「知ってるんですか?」
「まあ見知ってはいるという程度だけどね……元気そうで何よりだ。して、キミはあの子をどうするつもりだい? あの子から助けを求められたのか? あの子があの島で不幸な目に遭っているというのか?」
「いや、どうするつもりっていうか……困ってる人がいたら助けたいと思うのにそこまで理由がないっていうか……」
話への食いつきが良すぎるのに若干戸惑いながら、梨丸は常識的なことを口にする。オオカミはとても賢い動物だと聞いたことがあるのを思い出しながら。
「ふむ……魔界に来る人間は強欲ばかりだと思っていたが……キミは少々違うようだね。それで、あの子が『困っている』とキミへ助けを求めたのかな?」
「困っているとは聞いてませんけど、湖越しに見たときにはなんか寂しそうに見えたんで。魔界だと他に人間なんて住んでないでしょうし。竜宮城の乙姫が怖くて逃げられないって可能性も考えられますけど、そもそも乙姫は正体不明なので話もできなくて……」
「ほう、竜宮城! 地上の島を海底宮殿扱いとは、人間も面白いことを考える」
フェンリルは薄く笑った。
凶悪そうなモンスターも笑うことがあるのに驚いたが、それ以上に相手が『竜宮城』という概念を知っていることに梨丸は戦慄した。やはり魔界最強種は並のモンスターとは違うのだろうか。
「あの……竜宮城の乙姫っていうのは人間側が勝手に名前を付けただけで、もちろん魔界側では本当の名前があるんでしょうけど……」
「心得ているよ。ボクの場合は何だっけ? フェリアスフェンリルだったかな? ただ『魔界最強種』という呼称は少々こそばゆいね」
梨丸は逡巡した。フェリアスフェンリルは今のところ友好的だ。こちらへの殺意は感じられない。だがそれは『女の子を助けようとしている』からではないのか。
相手が魔界最強種という概念を理解している以上、他の最強種——とりわけ乙姫についても何らかの情報を持っているはずだ。
——でも、それを今ここで質問してもいいのか?
魔界探索士としての欲目を見せた瞬間、オオカミはこちらを敵と認定して襲いかかってくるかもしれない。魔界最強種が友好的に接してくれるというのは、本来ならあり得ないほどの幸運だ。
生き残れたという幸運に感謝して終わりにすべきか。
それとも、もっと突っ込んだ情報収集をすべきか。
自分の命は、掛け金としてはあまりにも重い。
梨丸は欲を出さず生き残ることを選んだ。
「あの……フェンリルさんはイロコちゃんのことを知ってるんですよね? 彼女の身元がわかりそうな物に心当たりはありませんか? 地上に家族もいるだろうし、連絡してあげたいんで」
「家族……か」
フェリアスフェンリルはその巨大な頭部を巡らす。その視線の先にあるのは道路の対面にある建物だ。
「——あの建物の中にイロコの親の手紙が置いてあるはずだ。必要なら持っていくといい」
「手紙!? 親の?」
魔界のモンスターからあまりにも意外な言葉が舞い込んできた。
当然人間なら産んでくれた親がいるはずだ。魔界管理局はその親もイロコも突入坑を通っていないという。しかしフェンリルも嘘を言っているようには見えない。
建物の中に罠が仕掛けられているという可能性も考えられる。だが、そもそも魔界最強種が人間を殺すのに策を弄する必要などないのだ。
「ありがとうございます。調べてみます」
梨丸は素直に礼を言った。ノーヒントだと思われたイロコについての情報が手に入るのだ。思わぬチャンスが舞い込んできた。
そのとき、足下をするりと通り抜けていく生き物があった。それはあまりにも自然で、音もない。梨丸は反射的に飛び退いてしまった。
とてとてと歩いてきたのは可愛らしい仔オオカミだった。小さくとも鉄の毛を持つモンスターであることに変わりはない。小動物は人間など意に介さずフェンリルの足下にじゃれついた。と思っていたら、ふとこちらを見上げながら親に質問する。
「お父さま、この人間も狩りますか?」
あまりにも無邪気に言い渡された仔オオカミの死刑宣告に、梨丸は戦慄した。だが。
「いや、弱者をいたぶるのを狩りとは言わない。今日のところは帰るとしよう」
フェリアスフェンリルは穏やかな口調でそう答えると、少年のことを横目で見据える。
「——ああキミ、このカマキリは好きにするといい。子供に狩りの仕方を教えるのが目的だから、獲物には用がないんでね。それではさらばだ」
そう言い残し、フェンリル親子は音もなく河口湖町内の道路を南に走り去っていった。その姿はすぐに小さくなり、軽々と建物の屋上にまで跳躍し、やがて見えなくなってしまう。
梨丸は不変の真理を知った。
たとえ魔界のモンスターであろうと——最強種であろうと、小さい子は可愛い。
そして思わぬボーナスを手に入れたが、とても手押しの荷車には乗り切らないだろう。かといって負傷したトリケラトプスに背負わせるのは酷だ。
キラーマンティスの鎌には無数の棘が生えていて、肉を複雑に斬り裂く。それによって付けられた傷口は治りが非常に遅くなるのだ。
「ねえ……ねえ! 梨丸しっかりして」
後ろから肩を強く叩かれて、少年はそこで我に返った。
今までリリの存在が全く目に入らなかった。視覚も聴覚も全てが目の前のモンスターに注がれていたので、少女の存在が完全にシャットアウトされていたのか。トリケラトプスについても同様だ。
そこで梨丸は初めて、全身にびっしりと脂汗をかいているのに気付いた。手足も震えている。おそらく、本能はずっと『死』を警告し続けていたのだろう。
「ヤベーな……俺ずっと魔界最強種とおしゃべりしてたのか……」
「どうしたの? どんなに話しかけてもずっと反応ないんだもん。また催眠術にでもかかってたの?」
こちらを本気で心配してくれる少女の顔。
少年は今さらながら命があることに感謝した。そして疑問が湧いてくる。
「なんでフェリアスフェンリルがイロコのことを知ってるんだ?」
それを知るには忠告通り、対面の建物内を調べてみるしかないだろう。そこにイロコの親の手紙が置いてるというのだから。




