第1話 記憶喪失になった
目が覚めたら記憶喪失だった。
今いる場所も、ここにいる経緯も、自分が何なのかも、全てが分からなかった。
記憶喪失という概念は知っているから知識に問題はないんだと思う。記憶だけがごっそり消えている。
今いる場所は窓のない6畳くらいの洋室。家具はベッドと机と椅子がある。1時半を指した時計以外の物は何も無い。生活感の感じられない部屋だ。
この部屋から得られる情報はこれ以上なさそうだ。部屋の外に出てみよう。
部屋を出たらそこはリビングになっていた。
そこに、ソファの上でスマホを見ている中学生くらいの少女がいた。
肩までの長さの髪に、見えそうで見えないミニスカート。
少女のスマホからは『24歳。学生です』とか『イキスギィ!』という音が聞こえる。
俺はこのビデオを知っている。
「ああお兄ちゃん、起きたんだ」
しかしそれを見ている少女を知らない。
少女はスマホの動画を止め、俺に近づいてきた。
「ねえねえ、わたしが誰だか覚えてる?」
「さっき『お兄ちゃん』と呼んだということは、妹?」
「えっほんとに効いてる!すごー!
演技じゃないんだよね?」
「あの、俺、本当に何があったかよく分からないんだけど、説明してくれないかな?何も覚えてなくて」
「いやー説明したら面白くないし、真相は自分の目で確かめるものだよ」
「でも俺自分の名前が思い出せないんだ。さっきの動画の男優の名前は分かるのに」
「草」
「笑い事じゃない。
自分やその周りに関することだけ、どう頑張っても思い出せない」
「へ〜!そういう風に効くんだ。おもしろ〜い」
「さっきから効く効くって言ってるけど、まさか、お前が俺の記憶を消したのか?」
「うん。そうだよ。
ネッ友が記憶を消す薬を作ってね、エンカした時貰ったの。
ほんとに効くのかなーって思ってお兄ちゃんのアイスティーにサーッて入れたんだ」
「なんかすげー軽いノリで記憶消されてない?俺」
「もし夏休み中に記憶を取り戻したらお兄ちゃんの勝ち。取り戻せなかったら雪見ニャンコさんの勝ち」
「今は夏休み中ってことは俺は学生なのか……
ってか記憶戻せる保証ないのに消すなよ!」
「お兄ちゃんの学校の夏休みは8月26日まで。今日は7月25日ね。ちなみに宿題は一日目に全て終えてるから、お兄ちゃんは1ヶ月間ひたすら記憶を取り戻すのに専念すればいいんだよ」
「そうだ、俺の財布とかってどこにあるんだ?
俺が寝てた部屋、時計以外何も無かったんだけど」
「お兄ちゃんの私物は全部そこの金庫の中だよ。暗証番号はパパとママの結婚記念日ね。
あ、でもお金ないと大変だし現金だけは抜き取った。はいどうぞ」
妹からクシャクシャになった1000円札4枚を渡された。
「お金そのものより今は身分証類が欲しいんだけど…」
「だーめ。身分証に頼らず自力で記憶を取り戻して」
「でも俺自分の名前も分かんねんだけど。これじゃ困る」
「お兄ちゃん以外の呼び名なんて必要ないよ」
なんなんだこの妹は!
というか、身分証もスマホもない状態で生きていけるのか?
「スマホも金庫の中か?」
「ううん。スマホはないと困ると思って入れなかった。はい」
妹からスマホを渡された。
スマホケースにはコンビニのコーヒーの割引券が2枚入っていて、身分証類は見当たらない。
スマホの電源を入れると、暗証番号入力画面が出てきた。
このスマホは指紋認証機能が搭載されていないようだ。参ったな。
適当に1919、0721、114514を試したが、ロックを解除できなかった。
「スマホがあってもロック解除できなきゃ意味ないな」
その時、持っていたスマホがブルッと震えた。
画面を見てみると、メッセージが来ていた。
『啓介:マンドラって今日暇?』
「マンドラって、もしかして俺の事か?」
「そうよ。お兄ちゃんの学校でのあだ名。
お兄ちゃん怖いもの苦手じゃん?学校でお友達が怖い話をしたらお兄ちゃんがすごい悲鳴上げて怖がって、マンドラゴラってあだ名がついて、それがマンドラと略された……ってこの前お兄ちゃんが話してた」
俺は怖いものが苦手という知識を得た。
というか自力で思い出せって言う割にベラベラ喋るなこの妹。なのに肝心な名前とかそういうの教えてくれねえのがもどかしい。
もどかしいと言えばスマホに表示されたメッセージを返信出来ないのがもどかしい。ごめん啓介……
それにしても、自分の名前がマンドラ以外分からないのはなんか嫌だな。
本名が入ったメッセージが来るのを待つか、俺を知っている妹以外の人間に会うか、家の中から俺の名前が書かれたものを探すか。
前者と中者は時間が経たなきゃ来ないだろうし、後者を行うことにした。
家の中の探索をしよう。