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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

生贄は囚われの愛を乞う~棄てられ令嬢と狼将軍~

作者: マチバリ

 手首を固定する革紐がきつく食い込む痛みを耐えるように、レナは唇を噛み締める。


「吊るされているというのに悲鳴一つ上げないとは強情だな。それともこうされるのがいいのか?」

「ああっ!」


 長く容のいい指が痛みだけではないものを与え始める。

 我慢できずに口からこぼれてしまう甘く熱を持った自分の声をどこか遠くに聞きながら、射殺さんばかりに鋭い瞳で自分を見つめてくるローガンを涙の滲んだ瞳で見つめたのだった。



***



「レナ、喜ぶがいい。春祝祭でお前のお披露目が決まった。必ずや王太子をその魅力で籠絡するのだぞ」

「わかりました、おとうさま」


 下種に笑う義父を見つめながら、レナは眉ひとつ動かさずに静かな返事を返す。

 透き通るようなプラチナブロンドに蕩けたはちみつ色の瞳。小柄ながらも自信に満ちたようにすっと背を伸ばし立っているレナは、領主である義父の自慢の娘《人形》であった。


「今日までお前を大事に育ててやったのはこのためだ。私の期待にしっかりと応えろ」


 唇を歪めながら、自らの欲望を隠そうともしないその表情は醜悪そのもの。

 気持ち悪い、と吐き捨てそうになるのを必死でこらえながらレナは深く頭を下げ、義父の部屋を出た。


「……本当に私を王太子に差し出すつもりなのね。うまくいくと思っているのかしら」


 重い気持ちを引きずるように廊下を歩きながらレナは深いため息を零す。

 特に力のない領主の娘。しかも養女である自分が王太子妃になれるなどと夢見ている養父は愚かだと思いながらも、レナはそれを口にはできない立場だった。


 レナは領主の子どもではない。

 かつては孤児院で暮らしていたみなしごの一人だった。

 幼い頃は確かに両親がいたが、気が付いた時にはいなかった。捨てられたのか、死んだのか。家族を恋しいと思った記憶がないわけではなかったが、孤児院には似たような境遇の子ども達がいて寂しいと思う間はなかった。

 特に、同じころに孤児院にいた二つ年上の幼馴染はいつもレナを励ましてくれて、いつか大人になった時も彼と一緒に生きてくのだと信じていたくらいだ。

 そんな幼い思いは、大人の都合で簡単に踏みにじられてしまう。


『その娘を渡さなければ、孤児院への支援は打ち切りだ』


 突然現れた領主は、青ざめる孤児院の院長にそう告げた。

 成長するにつれて美しさを増すレナの噂を聞きつけ、自分の道具になる養女にしたいとやってきた領主。

 彼は自らの懐を肥やす事ばかりに熱心で、領民の生活の事など何も考えていないような存在。

 そんな相手に子供を差し出す事を躊躇っていた院長だったが、支援の打ち切りという最終手段を取られては断りようがなかったのだろう。

 救いを求めるような顔をして、幼いレナを見つめていた。

 何もかもままならない、と思いながらレナは孤児院の子ども達への手厚い支援を条件に、さながら生贄のように養女となる道を選んだ。


 ともすれば虐待同然の厳しい教育に、レナはへこたれなかった。

 もし自分が逆らえば、孤児院の彼らが窮地に立たされてしまうと、必死だった。

 あの場所だけは守りかたった。


 それから十数年の時が過ぎ、レナは十八歳になっていた。


 本来ならばとっくにデビュタントをすませているべき年齢ではあったが、いまだに社交界に顔出しすらしていない。

 病弱な王太子が婚約者さがしの壇上に立つまでは、レナの美しさを隠しておきたいという領主の浅はかな目論見により、半ば屋敷に幽閉されるような生活を送らされていた。

 だが、適齢期を過ぎてしまえばいくら美しいとはいえ王太子の相手にはなれない。

 このまま王太子が婚約者探しをしないのならば、王家に次いで力のある貴族相手の政略結婚をさせられるか、あるいは。


「レナ、こんなところにいたのか。俺の部屋に来いと言ったはずだ」

「お義兄さま……」


 うんざりした顔を隠そうともせず、レナは自分に話しかける義兄に視線を向けた。

 義兄は、美しく成長したレナに目をつけ、あわよくば自分の妻にしたいという欲を隠そうともしていない。

 父親である領主も何度もかけ合っているのを何度も聞いた。

 そのせいで、養女の存在を嫌っている義母や義姉達から更に目の仇にされる事が増え、レナは頭が痛かった。

 こうやって話しているところを見られたら、また酷い嫌がらせをされてしまうと、警戒しながら周りを見回す。


「おとうさまに呼ばれていたのです。次の春祝祭に出る事が決まったそうです」

「……なんだと!!」


 義兄の顔色が変わる。聞かされていなかったのだろう。

 領主は手間暇をかけて育てた道具レナをいくら可愛くとも息子に与えるべきか迷っていた。

 その矢先、この話が出たのかもしれない。


「父上め……!!」


 吐き捨てるように呟くと、義兄は踵を返し乱暴な足取りで去って行く。


 その背中を冷めた気持ちで見送るレナは、相手が誰であれ自分にはなんの自由もないのだと、諦めの表情を浮かべていた。


 春祝祭に参加するため都に向かうのを数日後に控えたある夜。

 レナは荒々しく部屋の扉を叩く音で目を覚ました。


「何事ですか?」


 夜着に薄いショールを羽織っただけの無防備な姿で扉を開ける。そこには顔を青くした義兄が立っていた。


 まさか無理強いしに来たのかと身を固くしたレナだったが、義兄の様子はどこかおかしかった。今にも泣き出しそうに瞳を潤ませ、酷く狼狽している。


「大変だ……都から領地運営に監査に軍が来る…!! もう向かっていて、朝には到着するそうだ!」

「なっ……!!」


 義兄の言葉にレナも息を飲む。

 領主である義父は以前から領民を苦しめていた。これまで指摘されなかったのは大量の裏金をばらまいていたからだとレナでさえ知っている。


「どうして今になって!!」

「……俺が、証拠を都に送ったんだ」

「何故!!」

「そうすればお前は、春祝祭に行くどころではなくなるだろう?」


 じっとりとした義兄の視線にレナは身体を固くする。義兄の執着をレナは甘く見ていた。家族を危険に晒してでも、この男はレナを手に入れたがっているのだ。


「だが、相手が悪かった。奴らはこの領地ごと取り潰すつもりだ。狼将軍が来るなんて聞いてない!」

「狼将軍……」


 その名前には聞き覚えがあった。庶民出身でありながらも、抜きんでた剣技と腕力、そして冷酷な頭脳で一将軍まで上り詰めた男。

 彼は厳格な王の元、悪事を働く貴族にはとても厳しいとされる存在。

 まるで狼のごとき風格と、悪事に対する鋭い嗅覚から、揶揄するように「狼将軍」などと呼ばれている。


「あんな大物相手では我が家は簡単に取り潰されてしまう。家じゅうの金を集めてきた。俺と逃げようレナ」


 乱暴に腕を掴まれレナは悲鳴を上げる。


「離してください!!」

「いいから来い!俺はもう後戻りできないんだ!」


 嫌だと暴れるレナを義兄は無理やり引っ張っていく。


 だが、玄関ホールまで来たところで領主や他の家族に見つかってしまう。

 彼らもまた、将軍が来るという情報を知り、恥知らずにも財産をかき集め、屋敷と領地を捨てて逃げる算段をしていたのだ。


 義兄はレナを迎えに行っただけだと取り繕っていたが、彼の執着を知る家族の視線は冷ややかだった。


「逃げるのに、この娘は足手まといです。置いて行きましょう」


 そう口にしたのは義母だった。義姉をはじめとする他の兄姉達もそれに同意を示す。

 領主はここまで手間暇をかけたレナを手放すのを渋っている様子だったが、状況がそれを許さないのをわかっていたのだろう。むっすりと黙り込んでいる。


 ひとり抵抗したのは義兄だった。連れていくとごねる彼は、使用人たちに連れられて行ってしまった。


「お前はこの家に残り、将軍たちに適当に言い訳するのです。私達が逃げる時間を稼ぎなさい」


 冷酷なその言葉はレナに生贄になれと言っているも同然だった。

 養女とはいえ、悪政を働いた領主の娘が監査に来る軍隊にもてなしてもらえるわけがない。


「……わかりました」


 だがレナはその言葉に静かに頷く。


 付いて行ったとしても義兄の慰み者になるだけ。それならば、いっそ虜囚扱いされた方が幸せかもしれないと思えたのだ。


 領主一家が逃げ去るのを見送りながら、レナはがらんどうになった屋敷に一人残された。

 残っていた使用人たちにも逃げるように伝えたので、本当にひとりきりだった。




「ほぉ、お前があの領主が掌中の珠として磨き上げてきた娘か。噂に違わず美しい」


 レナの全身を不躾な視線で眺めまわしながらその男はそう口にした。


 眼帯を着けた隻眼の彼こそが、狼将軍ことローガンであった。光の加減で金色に見える片目が、ぎらぎらとレナを睨みつけている。灰色交じりの黒髪が狼の毛並みに良く似ていて、狼将軍の名はここから来たのかもしれないとレナはぼんやりと考えた。


 将軍というだけあって軍人らしくたくましい体つきをしたローガンの前に立たされていると、自分はなんとちっぽけな存在なのだろうと本能的な恐怖で身を縮める。


「で、肝心の領主一家はどこだ。お前は養女の筈だろう。まさか逃げたのか」

「……」

「だんまりか」


 口を開かないレナの様子をどこか面白がるようにローガンは口元を歪めた。

 大きな掌が伸びてレナの顎を掴む。

 無理矢理に顔を上げるように引き上げられ、ローガンとまっすぐに顔を向き合わせた。

 ひとつだけの瞳が妖しく煌めいている。


「大事に育てられていただけあって本当に磨き上げられた娘だ。しかも忠誠心までも持っているとは、よく教育したものよ。それともお前が野心家なのか」


 ひどい棘の混じるローガンの言葉にレナは眉根を寄せる。

 レナが黙っているのは決して忠誠心からなどではない。もう彼らに関わることに疲れた、それだけだった。

 そんなレナをしげしげと見つめていたローガンは、顎を掴んでいた手を離すとレナの身体を軽々と持ち上げた。


「きゃっ?! 何をするのですか!!」

「ようやく口をきいたな。何をするかだと? 当然訊問だ。知っている事を全て話してもらおう」

「……私は何も知りませんし、話しません! 降ろしてください!!」

「その我慢がどこまでもつのか楽しみだ」


 腕の中で暴れるレナをまるで家畜のように抱え上げ、ローガンは歩き出す。

 そしてそのまま馬車に押し込められたレナは、ローガンたちが済む砦に連行されたのだった。


 砦について数日のうちはただの尋問ばかりだったが、何も話さないレナに焦れたのか、ローガンは石壁に囲まれた冷たい部屋にレナを閉じ込めた。


 苦痛を与える拷問を覚悟していたレナに与えられたのは、ローガン自らの手による肉欲の責めだった。

 手を縛られつりさげられる不安定な体勢にさせられ、与えられる未知の感覚にレナは身悶えし泣き喚く。

 許してと叫ぶレナの純潔は、ローガンにより手酷く散らされた。


 その行為が一度で終わるわけもなく、ローガンはそれから毎日のようにレナの身体を組み敷いた。


 抱きながら、ローガンは領主の圧政について、事細かにレナに言って聞かせた。

 どれほど領民たちが苦しみ、子どもが飢えたかを訴える。

 のうのうと領主の屋敷で大切にされていたレナに、その恨み全てをぶつけるような乱暴な行為。


 起き上がれないほどに抱きつぶされる日々。

 嫌だ辛いと泣き叫ぶのに、ローガンの手管にかかればレナの身体はあっというまに熱に浮かされてしまう。

 淫らな女だと蔑まれて否定する事も出来なかった。


 いつの間にか与えられたレナの部屋には大きな寝台一つしかない。

 昼夜を問わず、気が向いた時に現れるローガンに抱かれるためだけの場所。


 食事を届けてくる高齢のメイドが、起き上がることもできないレナを憐れに思ったのか、かいがいしく世話を焼いてくれた。

 だが、会話をしてはいけないと言いつけられているらしく、レナがどんなに話しかけてもメイドは悲しげに首を振るばかり。


 それでもレナは不思議と辛いとは思わなかった。

 相手が変っただけで、義兄と結婚していても同じような生活だったろうし、王太子とて男だ。

 結局は抱かれるためにレナは育てられた。


 ローガンは最初の行為こそ手酷いものだったが、最近は言葉を除けばレナを痛めつけるような事はしない。

 たくましく傷だらけの身体を最初は恐ろしいと思ったが、それだけこれまでたくさんの戦場を駆け抜けてきた証拠だと思えば、何故か愛おしくさえ思えた。


 むしろレナを抱きながら暴言を吐くローガンの表情の方が、レナの心を苛んだ。

 酷い事を言っているのはローガン筈なのに、何故か彼の方は苦しそうで泣きそうに瞳を歪めているのだ。

 本当は優しい人なのではないかと思うような時さえあった。

 レナの名を呼びながら唇を奪い身体を貫く瞬間の彼は、いつも何かに祈るような顔をしていた。


(ローガンさまの瞳は、彼に良く似ているんだわ)


 レナはローガンの瞳が幼い記憶に残っている『彼』と良く似ている事にようやく気が付いた。

 孤児院で一番仲のよかった二つ年上の少年。あの頃、レナより小さくてやせっぽちで。でも正義感だけは誰よりも強かった。

 養女になると決めた時、別れるのがつらくて挨拶もできなかった相手。幼い初恋だった。

 彼の髪色はローガンとは違い真っ黒だったので、似ているのは瞳だけだ。


(初恋の人に瞳が似ているから抱かれても平気だなんて、現金な女ね)


 ベッドの上でぼんやりとまどろみながら、レナは自嘲気味に笑った。



 その日も、夜遅くローガンはレナの寝台に入り込んできた。


 てっきりいつものように抱かれるのかと思ったが、ローガンはレナの身体を腕の中に閉じ込めるとすぐに眠ってしまった。

 抱きしめられるだけの夜は初めてだった。


 鼻に付く酒の匂いに、彼がかなり酔っていると気が付く。

 規則正しい寝息を立てる腕の中で身をよじって隙間を開け、眠るローガンの顔を見上げれば鼻先と目元が酷く赤かった。

 もしかしたら泣いていたのかもしれない。


 手を伸ばし、レナはローガンの頭を撫でていた。

 硬そうに見える髪は触れてみれば柔らかく、心地よい感触だった。本当に大きな獣を撫でているような気分になる。

 苦しそうに皺を寄せた眉間に指を滑らせて何度か撫でれば、険しい表情が少しだけ緩んだ気がした。


「レナ……」

「っ……!」


 眠っているはずなのに名前を呼ばれ、レナは自分の心臓が大きく跳ねるのを感じた。

 淡い期待が頭をもたげる。もしかしたら、自分はただの囚人ではなくなりかけているのかもしれない、と。

 身体を気に入ってくれているだけかもしれない。ほんの一時の遊びなのかもしれない。

 それでもいいと思えるほどにローガンの腕の中はただ暖かかった。


 レナの心が変ったからなのか、他の理由があるのか、ローガンはその夜からレナを手酷く抱く事はなくなった。

 口汚く領主たちの横暴を暴き立て、居場所を問い詰める事も減った。


 その代り、レナの理性をぐずぐずに溶かすような執拗で甘い行為を繰り返す。


 まるで愛されていると錯覚するような行為の中で、レナはずっとこんな生活が続けばいいと思っていた。


 王の命令で数日砦を空けると知らされたレナは、不安と心細さから初めて自らローガンの身体にすがりつく。

 何も願うことも伝える事も出来ないレナに、宥めるような優しいくちづけが落された。

 物言いたげなローガンの片目を見つめ、レナはその腕にもたれかかって別れを惜しんだ。


 ローガンが不在になってもレナが部屋から出る事を許されたわけではなく、顔を合わせるのは世話を焼いてくれるメイドひとり。

 だが、主がいない気安さからか彼女はようやく口をきいてくれるようになり、しきりにレナの事を案じてくれた。

 そしてどうか、ローガンを恨まないで上げてほしいと訴えた。


「将軍様もお可哀相な方なのです。彼もかつてあの領主が治める土地に住んでいた際、家族や大切なものを全て奪われたそうです。あの髪や片目も、本来ならば薬で治るような病だったのにろくな治療も受けられずあのような……必死に努力なさって今の地位を手入れられたのです。そして、あの領主に必ず報いることを目標にされていました」

「そう……なの」


 ローガンの過去を知ったレナは、彼がなぜあそこまで自分を執拗に攻め立てたのかを理解できた気がした。

 同じように虐げられる立場だったレナが、領主の傍でぬくぬくと生きてきた事が許せないのだ。

 そんな思いを抱える彼に愛されるわけなどないと気が付いたことで、自分がローガンを深く愛し始めていた事を思い知らされた。

 身体から始まったとはいえ、あそこまで誰かに必死に求められた事などなかったレナは、ローガンに心を奪われていたのだ。


(私が領主たちの事を知らないと言い続けていれば、その間はローガンさまの傍にいられる……?)


 ほの暗い感情に苛まれながら、一人ローガンの帰りを待っていた。



 夜中、扉を叩く音に気が付いてレナは目を覚ました。

 昔もこんなことがあったと思い出し、胸騒ぎを感じながら扉の方へと向かう。


「お嬢様、起きていらっしゃいますか」


 扉の向こうから聞こえたのは聞きなれたメイドの声だ。

 安堵しながら、何か火急の要件があるのかと、扉をあける。

 どうしたのと呼びかければ、メイドと共にもう一人、ローブを目深にかぶった人物が部屋に入り込んできた。


「レナ……!」

「お義兄さまっ……!?」


 うつろな瞳でレナを見つめるのは、あの日に別れたきりの義兄であった。

 貴族らしい身だしなみを失い、こけた頬に伸びたひげ、薄汚れた姿は記憶にある義兄とはあまりにかけ離れていて、レナは信じられない思いで彼を見つめた。


「お前が捕まったと聞いて……ようやく助けに来れた。俺と逃げよう!」


 まるであの日の再現だった。

 乱暴に腕を掴まれレナは、いやいやと首を振って抵抗する。


「わ、私をあの場所に残したのは皆さまです。どこか遠くに逃げてください!」


 早く去ってほしかった。もし義兄がつかまり、領主たちの居場所がわかればローガンがレナを閉じ込めておく理由がなくなってしまう。


「何故だ! このメイドに聞いたぞ。狼将軍に酷い事をされているのだろう? 俺が助けてやる! さあ!」


 レナは咄嗟にメイドに顔を向けた。彼女の表情はレナを心底案じているようなもので、良心からの行動である事が伝わってくる。

 何故そんな事をしたのと責め立てる事も出来ず、レナは必死に義兄に抵抗した。


「いけません。私まで逃げれば、大変なことになります。ローガンさまは、決して酷いお方ではありません」


 だからどうか、私を諦めてと願いながらレナは必死に声を上げた。

 だが、レナがローガンの名前を出した途端に義兄の顔色が変わる。


「ローガンさまだと? お前、まさか!!」


 誰よりもレナに執着していた義兄は、彼女の言葉ですべてを察したのだろう。

 レナ細い腕を掴む腕に力込め、その身体を引きずるようにして歩き出した。


「いやぁ! 痛い! 痛いわ!!」

「お嬢様!」


 流石に危険だと感じたのか、メイドが慌てて二人の間に割ってはいるが、義兄は乱暴にその体を蹴り飛ばす。

 床に転がったメイドにレナは叫ぶが義兄は構うそぶりすら見せない。


「来い! お前は俺のものだ!!!」


 廊下に引きずり出されようとした、その時だった。


「レナから手を離せ!!」

「ぎゃああ!!」


 みにくい悲鳴を上げた義兄の身体が床に叩きつけられた。

 急に解放されバランスを崩したレナの身体は、身に覚えのある暖かな腕の中に抱きとめられる。


「無事か?!」

「ローガンさま……!!」


 焦りをおびたローガンの瞳がレナを見つめていた。

 レナはひしとその胸にすがりつく。会いたくて恋しかった人。助け出してくれた喜びに全身が打ち震えている。


「貴様……!! 貴様が俺のレナを!!」

「私はあなたの物ではないわ!! ローガンさま、あれが私の義兄です。きっと義父たちの居場所を知っているはずです!」


 レナはまっすぐに義兄を指さす。

 自分の居場所を奪う行為だと知りながらも、ローガンに本懐を遂げて欲しかったのだ。

 それで捨てられたのなら本望だと思えるほどに、レナはローガンを愛していることに気が付いてしまった。


「レナァァ!!!」


 獣のように吠えた義兄が隠し持っていたナイフを握りしめ、まっすぐにレナたちの方に向かってくる。

 だが、相手は将軍ローガン。ろくに鍛えてもいない義兄の攻撃など、無意味だった。

 ローガンはレナを抱き抱えたまま攻撃を避け、長い脚で義兄の身体を思い切り蹴り飛ばした。

 潰れた果実のような嫌な音を立てて、義兄の身体が壁に打ち付けられる。

 しかしまだ諦めていないのか、レナの名前をうわごとのように繰り返しながら、ナイフを探して腕を彷徨わせていた。

 義兄のナイフは、レナたちの足元近くに転がっていて、彼の手が届くところにはない。


「これが欲しいのならば返してやろう」


 ローガンはそのナイフを拾い上げると義兄の方へ近づいて行く。

 何をするつもりかとレナが息を飲んでいると、ローガンは躊躇う様子もなくそのナイフを義兄の背中に突き立てた。

 耳障りな断末魔を上げ、義兄は全身を痙攣させるとすぐに動かなくなってしまう。


「……レナ」


 人ひとり手にかけたというのに、平然な表情をしたローガンがレナに振り返った。


「これでまた領主の居場所を掴む手掛かりが消えた。まだお前を解放するわけにはいかない」


 大きな手がレナの方に伸ばされる。今まさにレナの義兄の命を奪った恐ろしい手。

 だがレナは躊躇いなくローガンの腕の中に飛び込んだ。


「どうか……どうか私をずっと囚えておいてください」


 自分を強く抱きしめる彼の腕を感じながら、レナはうっとりと目を閉じた。



***



「……では、彼女は本当に何も知らないと?」


 報告書を読むローガンの表情は蒼白だった。


 ずっとその首を狙っていた領主一族をようやく狩れると思って来てみれば、残されていたのは養女であるレナひとり。

 ローガンの最後の記憶よりずっと美しく成長した彼女の姿を目に入れた瞬間込み上げたのは、抑えきれないほどの恋慕と怒りだった。


 レナは覚えていないのかもしれないが、ローガンはかつてレナと共に孤児院にいたみなしごだった。

 かつては別の名前をしており、身体も小さく弱々しかった自分をいつも支えてくれていたのがレナだ。

 年下だというのに妙にしっかりとしたレナの心の強さに惹かれていた。いつか大人になったら一緒に生きたいとさえ思っていた。


 だが、レナは領主の養女になって去って行ってしまった。

 贅沢な暮らしができると喜んでいたと大人たちは教えてくれた。

 それからすぐに領主は孤児院への援助を打ち切り、ローガンたちは飢えと寒さに苦しみながら散り散りになることを余儀なくされた。

 苦しい生活だった。生きていられたことが不思議なほどの日々。


 自分からレナを奪った領主を、自分を捨てたレナをローガンは恨んだ。

 必ず復讐してやるという気持ちで病を退け死の淵から戻った。

 髪の色と片目を失なったが、そんな事は何でもないと、必死に這い上がる事を選んだ。

 過去や名を捨て、血を吐くような努力をして今の地位を手に入れた。


 同時に、復讐心を忘れずに領主たちの情報を集め続けていた。


 養女となったレナは表舞台に姿を見せる事はなかったが、領主が拾ってきた美しい娘の噂は嫌でも手に入った。

 ありとあらゆる贅沢を謳歌し、その美しさで男どもをはべらせ、いずれは王家に縁付こうと考えている毒婦。

 そんな女になり果てたレナをローガンは心から憎んだ。


 だが、再会したレナはそんな噂が嘘のようにあの頃と何も変わらず、美しさだけが増していた。

 孤児院を見捨て、俺から去ったのに何故なのか。

 激しい憎しみと同時に、どうしても彼女が欲しいという欲望にローガンは身を焦がした。


 有無を言わさず囲い込み、衝動のまま踏みにじるようにその身を汚した。

 まさか純潔でいたなどとは思わず、動揺と後悔と同時に感じたのは、言葉にできないほどの喜び。


 離れていた日々に降り積もった思いをぶつけるように抱きつぶした。

 どんなに酷くしてもレナは領主たちの居場所を口にしなかった。

 最初は庇っているのかと思ったが、本当に知らないのだとすぐに分かった。


 不審に思い、かつて領主の使用人だったものを探し出し調べてみれば噂は全て嘘偽りで、しかもレナは孤児院への援助を人質に取られ領主たちの家で虐待まがいの教育をされていただけだったのだ。


 後悔と罪悪感でローガンは心が潰れそうだった。


 溺れる程の酒を飲み、眠るレナの身体を抱きしめた。

 その柔らかさに真実を打ち明け謝罪すべきだと良心が悲鳴を上げたが、もうすでにローガンはレナなしでは生きていけぬ身体になっている。

 手放せるものかと、彼の魂が叫び声をあげていた。


 心を決めたローガンは、手始めに既に居場所を突き止めた領主一族を全て葬るために動き始める。

 奴らさえ見つからなければ、レナは永遠にローガンの虜囚。


「二度と誰にも奪わせるものか」


 絞り出すように呟きながら、ローガンは仄暗い炎を残された瞳に宿していた。



***



 今宵もローガンはレナをその腕に抱いて眠る。

 

 レナはローガンに囚われ続ける事を選び、またローガンもレナを二度と離さないと誓ったから―――

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