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ホラー

中島は考えた。廃墟に行けばバズるはずだと

作者: 鞠目

 その心霊スポットは心霊スポットと言うより「荒れ果てた一軒家」という表現がぴったりだった。




 夏休みに大学のゼミのメンバーで旅行に行くことになった。旅行の犠牲者は彼氏彼女がいないおれを含めて三人。企画担当の中島はさておき、ザ・マイペース男の木村、つい最近彼氏にふられた三木、それからおれ。

 先週のゼミ終わり、中島がいきなり旅行に行きたいと言い出した。独り身でないゼミメンバーは「旅行」の単語が出た途端いそいそと退散していった。

「車はおれが出すし宿も四人分ちゃんと一人部屋予約するからさ! まじでお願い!」

 中島にゼミ室で土下座されたおれたち。ゼミのメンバーは仲が悪いわけではないが、わざわざ旅行に行くほど仲がいいわけでもない。正直言って面倒くさい。おれはすぐに断ろうと思った。しかし、「中島がこんなに言ってるんだから行ってあげてもいいんじゃないの? もし行かないならゼミ室の掃除をちょっとお願いしようかな……」と、うちのゼミの教授である竹本先生がにやりとしながら言った。

 ゼミ室には授業で使ったプリントや専門書、よくわからない封筒の束、謎のファイルが散乱していた。掃除をちょっと? いやいや、絶対にちょっとじゃないだろ。これを綺麗にするのはかなり時間がかかるぞ。木村と三木の顔を見ると小さく顔を横に振っていた。こうしておれたちは旅行に行かざるをえなくなった。

「お土産よろしくねー」

 言ったのはもちろん竹本先生。にこにこ顔のバーコード頭の教授をこの日おれたちは心から憎んだ。いつの日かそのバーコードにガムテープを貼りつけて勢いよく剥がしてやる。おれは卒業するまでに教授の頭皮を焼け野原にすると心に誓った。


 旅行は一泊二日。集合場所は大学で、行き先は当日のお楽しみと中島に言われた。いちいち面倒くさいやつだ。

 旅行当日、朝早くから大学に呼び出さたおれたち三人は不機嫌だった。こんなに楽しみでない旅行は生まれて初めてだ。

「おはよー! じゃあ行こう!」

 一人元気な中島は、乗ってきたハイエースにおれたちを乗せると楽しそうに車を走らせた。助手席には中島の荷物があったので一番後ろの列に木村とおれの男二人、真ん中の列に三木が座った。

 不思議なもので車に乗っていると何故か少しずつテンションが上がってきた。中島が流す音楽のセンスもよく、いつの間にか車の中はカラオケ状態になっていた。

 高速道路にのって車のスピードが上がると車内の熱は更に上がった。流れる音楽がおれたちの高校時代に流行った曲ばかりだったので、みんなで合唱して盛り上がった。

 旅行に来てよかった、そう思い始めたた時だった。雲行きが怪しくなったのは。


『既読がつかない。きっと今頃あなたはあの子のところ……』


 さっきまでずっとアッパーな曲が流れていたのに、突然彼氏に浮気されている女性を描いた曲が流れた。これも大ヒットした曲だったが少し微妙な空気になった。気を遣った中島が、次は何がかかるかなあなんて言いながら場を濁す。しかし……。


『二番目でもいい。だから私にもう一度笑いかけて……』


 今度はふられた女性を描いたしんみりとした失恋ソングが流れた。

 ますます空気が重たくなり見るからに三木の顔に影がさす。中島がさりげなく曲を飛ばす。なのに……。


『たばこは嫌い。だけど君が好きだったあの銘柄の煙はたまに恋しくなる……』


 女性シンガーソングライターの弾き語りが流れる。中島が慌てて曲を飛ばす。


『悪いのは誰? 私? それともあなた? 気がつけば二人の間には……』


 ぽつぽつと語る女性の歌声がスピーカーから流れ、中島がまた曲を飛ばそうとした。が、遅かった。

「ごめん。音楽止めて」

 三木の鋭い一言が音楽を切り裂く。中島が言われるがままに音楽を止める。

 沈黙。沈黙。沈黙。

 車の中は通夜のように静まり返った。時折聞こえるのは三木がすすり泣く声だけ。やっぱり旅行なんて来るんじゃなかった。おれは車窓から外を眺めた。

 車窓から見える景色はいつの間にか市街地から山へと変わっていた。特にやることがなくぼんやりと景色を見ていると、すすり泣きの合間に小さな寝息が聞こえるようになった。そっと隣の席に目をやると、隣の席でザ・マイペース男の木村が口を半開きにして寝ているのが見えた。おれは初めて木村の性格が羨ましいと思った。




 三時間に及ぶ地獄のような車移動を終え、おれたちは昔ながらの日本家屋が立ち並ぶ田舎町にやってきた。子どもの頃に旅行番組か何かで見たことがある少し有名な町だ。

「この辺りは古い町並みが有名らしい。それから町外れにある市営の大きな植物園も有名で、一年中いつ行っても美しい景色が見られるんだって!」

 中島が運転しながら教えてくれた。長時間運転をしたというのに中島は元気だった。いや、変に元気すぎた。何となく引っかかるなあと思っていると町外れの小さな家の近くで車が止まった。

「あの……おれさ、実は心霊系YouTuberになりたいんだ」

 中島が運転席から顔だけを後ろに向けて話し出した。

「中島、頭でも打った? それとも変な薬でもしたの? 悩んでるなら話聞くよ?」

 ひとしきり泣いてスッキリしたのか、少し機嫌が良くなった三木が尋ねるが、中島の耳には質問が届いていないようだった。

「ここはまだあまり知られていないけど心霊スポットなんだ。で、おれここで撮影して一発当てたいんだ」

「そっか、頑張れ。応援してる」

 マイペースな木村は興味がなさそうに言ったが、これもまた、中島の耳には届いていない。いや無視しているような気もする。よく見ると目が微かに泳いでいる。

「おれ、怖がりでさ。一緒に撮影してくれない?」

 中島が言った途端三木はゴミを見るような眼差しを向け、木村は真顔で首を横に振った。

「頼む、帰りももちろんおれが大学まで運転するし、なんなら今日のホテル代四人分おれが払うからさ。ほらここ! 今日の泊まるところ!」

 中島がグループチャットでホテルのホームページのURLを送ってきた。少し高そうなホテルだった。

「この日のためにいろいろ準備してきたんだ。頼む、この通り!」

 ずぶ濡れのチワワみたいな顔をした中島がおれたちに懇願する。しかし、三木は相変わらずゴミを見るような目で中島を見ているし、木村はもう会話に興味をなくし窓の外を眺めている。そんな状況で中島と目が合い、おれの心が折れる音が聞こえた。

「仕方な……」

「ありがとう、加藤! お前だけはそう言ってくれると信じてた!」

 言い終える前に中島が叫んだ。おれは嫌いだった自分の性格が、今さらに嫌いになった。


「さっき中島が言ってた植物園に高校の時の友だちがドライブで来てるみたい。ほら見てこの投稿。私こっち行くね。ホテルには夕方に向かうから」

 三木はおれにSNSの投稿内容を見せると、荷物をまとめて車を降りる準備を始めた。

「ちょっ三木、植物園までどうやって行くつもりだよ」

 慌てて中島が声をかけるが三木は車のドアを開けた。

「今チャットしたら友だちが迎えにきてくれるって。私幽霊とか無理なの。じゃ、あとで」

 三木はそう言って車を降りるとドアを勢いよく閉めて歩いていってしまった。

「おれ、町並み見てくる。心霊とかそういうの興味ないからさ。おれも夕方ぐらいにホテル行くわ」

 マイペースな木村は窓の外を見ながらそう言うと中島が声をかける間もなく降りていってしまった。車内はずぶ濡れのチワワ風男とおれの二人だけになってしまった。

「残ってくれてありがとう」

 申し訳なさそうな顔で言ってきた中島におれは返事をしてやれなかった。なんでおれだけこんな貧乏くじを引かなきゃいけないんだよ……頭の中は不平不満でいっぱいだった。


 目の前の心霊スポットは心霊スポットと言うよりは『荒れ果てた一軒家』という表現がぴったりだった。なんと言うか、不気味というより単純に朽ち果てている感じの方が強い。

「とりあえず今は下見をしようと思うんだ」

「下見?」

「明るいうちにどんな感じなのか見ておいて、夜に撮影しようと思って」

 中島はそう言うと玄関から家に入っていった。怖がりじゃなかったのかよ……なんで躊躇なく入れるんだよ。本当に怖がりなおれはとりあえず家の周りを見て回ることにした。

 家は平屋でそれほど大きくない。コンビニ半分の大きさもないだろう。家の周りに塀はなく、窓や襖が全て外れている木造の一軒家はぱっと見た感じかなりオープンな印象を受けた。

 家の裏には木が生い茂り、緩やかな上り坂になっているようだった。おれは外観をぼんやりと眺めながらゆっくり歩いた。そして家の角を曲がったところでおれの足は止まった。家の壁一面に書かれた落書きが目に飛び込んできたのだ。

 ハングルや中国語のような漢字の羅列、それからアラビア文字みたいな見たことのない文字がたくさん書き殴られていた。読み取れないものばかりだが決してポジティブな内容ではないだろう。

 日本語の落書きもたくさんあった。『帰れ』『汚い』『穢れ』など、口にしたくもないような酷い言葉が溢れている。負のエネルギーが壁一面を這いずり回っている、そんな印象を受けた。

 しかし一方で場違いのような言葉も見つけた。女の子が書いたようなかわいい相合い傘のマークにかすれて読めなくなった誰かの名前だったもの。丁寧な字で書かれた『待ち合わせ』『もうすぐ着く』みたいな内容もあった。家の壁一面に書かれた混沌とした落書きを見ていると、おれは気分が悪くなってきて眩暈がした。

「おーい加藤、お前も入ってこいよ。別にどうってことないぞー」

 中島の呼ぶ声が聞こえた途端、すっと気が楽になった。おれは慌てて立ち上がると中島の声のする方へ走った。


 空き家の中は外観と同じように朽ち果てていた。

 玄関から中に入ると居間にぶち当たった。床には物が散乱し、壁には所々ひびや穴が見え、畳は擦り切れめくれ返っているところもある。

 物音がした。

 隣の部屋からだ。そっと覗くと中島が倒れた箪笥の中を漁っていた。箪笥の横には仏壇らしき物も倒れていてる。

「何をしてるんだ?」

「何って面白そうなものがないか探してるんだ」

「やめておけよ。ここに住んでいた人のものだぞ」

「大丈夫だって。それにこんな昼間から変なことが起きるわけないじゃん」

 中島は倒れた仏壇を叩きながら言った。

「おい、やめろって」

「大丈夫だって。この部屋もリビングも荒れてるだけで何も変なところがないだろ?」

 中島は楽しそうな顔をしていた。確かに廃墟の中は思っていた以上に明るい。窓もなく壁のいたるところにひび割れや穴があるので、色んなところから日の光が差し込んでいるからだ。だからだろうか、心霊スポットと知っていながらも廃墟の中にいてもあまり怖いとは思わなかった。

 ぼんやり部屋の中を眺めていると白い布のようなものが視界の端を横切った。おれは慌てて振り向いたが何もなかった。白い服を着た人が通ったような……そんな感じがしたが気のせいのようだった。

「因みに心霊スポットって言ってたけどここはどういう場所なんだ?」

 ふと気になったので相変わらず箪笥の引き出しの中を漁っている中島に声をかける。

「聞こえるんだって。夜に近くを通ると真っ暗なのに人の声がするんだとさ」

「それ誰かが中で肝試しでもしてるんじゃないのか?」

「いや、それが確かめても誰もいないんだと」

「そっか……ここで何か深刻な事件があった訳じゃないのか。でも、なんでここにしたんだ?」

 心霊系YouTuberになりたいと言っていた割には……怖さ加減が弱くないか? そんな疑問が頭をよぎった。そしてそれが顔に出ていたんだろう、おれの顔を見た中島がばつの悪そうな顔をしながら俯いた。

「ビビっちまったんだ……」

「は?」

「まじでやばそうな所に最初から行く勇気がなかったんだよ!」

 真っ赤な顔をした中島を見た瞬間、思わずおれは笑ってしまった。

「笑うなよ……わかってるって自分でも。かっこ悪いことなんて」

 ふてくされる中島を見ていると、旅行に来てよかったかもしれない……少しだけそう思えた。


 空き家を後にしたおれたちは車を宿泊予定のホテルに預けにいった。それから古い町並みをふらふらと歩き回り旅行を楽しんだ。

 お腹が減り、思いつきで入ったラーメン屋の暖簾をくぐるとカウンターで木村がラーメンを食べていた。おれと中島は木村の両脇に座りラーメンを食べた。味は普通だった。ラーメンを食べてからは木村も一緒に行動すると言ったので、おれたちはホテルに戻り中島の運転で植物園に向かった。

 夏の植物園はかなり暑く、来たことを少し後悔した。売店でソフトクリームを買い、食べながら少し園内を散策した。暑すぎるからか園内はかなり空いていて、チケットカウンターで今が見頃だと聞いたひまわりも力なく見えた。ひまわりにもこの夏はきついようだ。長居する元気もなく、おれたちはホテルに戻った。

 夕飯はホテルの宿泊プランに付いていた。日が沈む前に三木もホテルに戻り、みんな一緒に食堂で夕飯を食べた。夕飯の内容は季節の御前ということで期待していたが、出てきたのはホームページで見た写真よりもしょぼかった。かなりしょぼかった。あまりにもしょぼすぎて楽しくなるはずの食事は気まずい黙食になった。食べ終えた後、おれたちは特に何を話すでもなくそれぞれ自室に戻った。




 深夜零時。

 ホテルの部屋はそこそこ広く、のびのびと過ごせた。さっきホテルのエントランス横の自動販売機で買ったビールを一人で飲んでいると、ドアをノックする音が聞こえた。そっとドアを開けると中島が立っていた。

「さ、行こうぜ」

「は?」

「だから心霊スポット。撮影に行くから一緒に来てくれよ」

 満面の笑みで右手にビデオカメラを持った中島。すっと部屋に入ってきたかと思うとテーブルの上に置いていたおれのスマホを取り、そのまま駆け足で部屋を出ていった。

「え、ちょっ、中島!」

 慌てて追いかけると中島はホテルの駐車場に向かい車に乗り込むのが見えた。おれも急いで助手席に乗り込むと、中島からすぐにスマホを返された。

「まじで頼む……」

 車内で中島に頭を下げられたおれは諦めて撮影に付き合うことにした。




 ここは午前中に来たあの廃墟だろうか?

 車から降りてすぐに、おれは来たことを後悔した。アルコールを入れていてよかった。こんな所、素面なんかじゃいられない。そう思わせる不気味な空気が廃墟の周りに漂っている。

 中島がばかでかい懐中電灯を二つトランクから出してきて一つをおれに貸してくれた。スイッチを入れると強い光が闇を照らす。空には雲ひとつなく星がよく見える。なのに何故か廃墟の周りだけは異様に濃い闇が広がっている。

「行こうぜ」

 中島は特に何も感じないらしく、ビデオカメラの電源をつけて動作確認をすると一人で玄関に向かっていった。おれは慌てて中島の後を追った。こいつは本当に怖がりなんだろうか? この場で怖がりなのはおれだけな気がした。

 真夜中の廃墟の中は冷房がついてるんじゃないかと思うぐらい涼しかった。いや、涼しいどころか肌寒かった。常に背中に冷たい手が触れているような、そんな嫌な寒さがつきまとう。

 朝来た時と違い、家の中は真っ暗でしかもカビや埃の嫌な匂いがする。今にも何か変なものが出てきそうな不気味な雰囲気があり、足がすくんでなかなか前に進めない。流石に中島もおれと同じ気持ちのようで、家に入った瞬間から急に無口になり歩幅が狭くなった。

 床に物が散乱しているため慎重に歩いていく。とりあえず居間に着いたが特に何もなかった。当たり前だが中には誰もいない。懐中電灯で周りを照らすと、午前中に来た時と同じように荒れ果てている。

「特に何もないな……」

 撮影しながら中島が呟いた。そんな時だ。おれの視界の右端を白い何かが通った。おれは慌てて右方向へ懐中電灯を向ける。しかしそこには擦り切れた畳とひび割れた壁しかなかった。

「どうした!」

 暗闇の中、中島の慌てた声が響いた。

「ごめん、白い何かが見えたような気がして……」

「なんだ驚かすなよ」

「だからごめんって言ってる……」

 謝りながら中島のいる方向を照らした。そしておれは固まった。中島のすぐ後ろに何かいる。

「おい、なんだよ眩しいな……え? もしかしておれの後ろに何かいるのか?」

 笑いながら話している中島がおれの顔を照らす。そしておれの顔を見て中島の顔が固まる。

「う、後ろに……」

 おれにはそう言うのが精一杯だった。中島がゆっくりと振り返る。何かを見たのだろう。中島は一歩後退りをし、その拍子に躓き尻餅をついた。中島の懐中電灯が中島の後ろにいた何かを照らす。

 中島の後ろいたのは、真っ黒の泥を頭から被ったような背の低い色黒のおじいさんだった。おじいさんは真顔でじーっとおれたちを見ている。その視線はかなり鋭く体に突き刺さった。

 尻餅をついたままゆっくりおれの方を振り向いた中島と目があった。おれたちは小さく頷き合いそして次の瞬間全速力で外へ向かった。

 声なんて出なかった。叫びたかったけれど喉が張り付いて何も叫べなかった。ほとんど二人同時で外へ飛び出すと、一気に車に乗り込んだ。中島は大慌てでエンジンをかけるとホテルに向かって車を走らせた。

 二人とも車の中では無言だった。何も言えなかった。体は震えていて、寒くて寒くてたまらない。でも、寒いのに体中汗でびっしょりで服が体に張り付いている。

 おれたちは無言のままホテルに戻った。ホテルに着き、すぐに車を降りたはずだが、車を降りた後の記憶がない。気がつけばホテルの自分の部屋のベッドの中でおれは寝ていた。時計を見ると午前八時。夜が明けていた。ベッドのシーツは汗でぐっしょり濡れていた。


 ベッドから起き上がると、あまりにも汗臭かったのでとりあえずシャワー浴びた。昨日廃墟から帰った後、おれはそのまま寝ていたようだ。

 昨夜のことは夢だったのかもしれない。むしろ、夢であってほしい。そう思ったがベッドのそばにばかでかい懐中電灯が落ちているのを見つけて落胆した。夢ではなさそうだ。

 食欲は無かった。でも、頭をシャキッとさせるためにコーヒーが飲みたいと思った。宿泊プランにバイキング形式の朝食が付いていたのでおれは食堂に向かった。

 食堂には何人かの宿泊客が朝食を食べていた。その中に三木と木村の姿もあった。二人は向かい合わせで座って仲良さそうに話している。おれはマグカップにコーヒーを入れて二人が座るテーブルに向かった。

「おはよ」

「おお、加藤、おはよう……大丈夫か?」

「おはよう、どうしたの加藤、顔色悪いよ?」

 二人はおれの顔を見て驚いていた。そんな心配されるほど顔色が悪かっただろうか? シャワーを浴びた後に鏡を見たが気づかなかった。おれは木村の横に座ってコーヒーを飲んだ。ふと視線を感じて前を見ると木村も三木も心配そうにおれを見ている。

「あ、ごめん、実は…………」

 おれは昨夜のことを二人に話した。話しながら三木と木村が仲良く話してるとこなんて今まで大学で見たことなかったなと全く別の事を考えていた。

「そんな怖いことがあったんだ……大変だったね」

 三木がため息をつきながら言った。

「そうなんだよ。ついて行くんじゃなかった……そういや二人は昨日の夜は何してた?」

 とりあえず気になったので聞いてみた。すると二人は顔を見合わせて頬を赤らめ、そして俯いた。まじかよ……おれらが怖い目に遭ってる時に……。なんだか悲しくなった。

「ところで中島は? あいつは大丈夫なのか?」

「え?」

「いや、お前は無事みたいだけど中島は大丈夫なのか? まだ誰も今日会ってなくない?」

 話を逸らすつもりが見え隠れする質問が木村から飛んできた。そしてその途端何となく嫌な予感がした。理由はないけれど不安になった。おれはすぐに中島に電話をかけた。でも、電話はいくら鳴らしても繋がらなかった。

 おれはコーヒーを飲み干して中島の部屋まで走った。ドアをノックするが応答はない。もしかして寝てる? いや、なんとなくそれはない気がする。もしかしてあいつホテルにいないかもしれない。そんな予感がしてホテルの駐車場に走った。予感が当たった。中島の車は無くなっていた。

 フロントに確認すると中島はまだチェックアウトしていなかった。おれはすぐにタクシーを呼んでもらい食堂に走った。食堂ではまだ木村と三木が朝食を食べていたので、簡単に状況を説明して廃墟に様子を見にいってくると伝えた。二人から何故廃墟に行くのか聞かれたがおれは無視してその場を後にした。

 何故と聞かれてもわからない。ただ廃墟に中島がいる気がした。

 フロントで呼んでもらったタクシーに乗って行き先を告げると、運転手のおじさんにかなり嫌そうな顔をされたが見なかったことにした。

「法定速度ギリギリでなるべく早くお願いします」

 おれは運転手を急かした。


 廃墟の近くに中島の車があった。

 少しほっとしながらタクシーを降りる。タクシーはおれが降りた途端いそいそと立ち去った。

 廃墟は昨夜と異なり怖い雰囲気はなかった。しかし見た目は激変していた。綺麗になっていたのだ。いや、もう綺麗とかのレベルじゃない。リフォームでもしたんじゃないのかってぐらい見た目が変わっていた。

 昨日割れていた窓には新しい窓ガラスがはまっている。カーテンがないため中が見えるのだが襖や壁も綺麗になっているのが見えた。玄関周りも草が刈り取られていてすっきりしている。

 開いている窓からそっと中を覗く。電気はついていないが日の光があるからか廃墟の中は明るかった。夜に感じたカビや埃の匂いもしない。足元に散乱していた物も無くなっていた。はっきり言って居心地がいい。

 あまりにも綺麗になっているので少し悩んだが、おれは靴のまま家に上がることにした。居間もすっかり綺麗になっていて畳も張り替えられている。今すぐにでもここで生活しようと思えばできる気がする。

 奥で物音がした。そっと近づいて見てみると昨日仏壇が倒れていた部屋に中島がいた。中島は箪笥を磨いている。

「中島?」

「おう、加藤か、遅かったな。もう終わるぞ」

「終わるって何が?」

「何がって見たらわかるだろ。掃除だよ掃除」

 中島はにこにこしながら言った。

「これお前一人でやったのか?」

「そりゃそうさ。おれ以外ここに誰がいるんだよ」

「え……なんで?」

「なんでって言われてもなあ……昨日の夜、ホテルに戻ってからなんとなくここのことが気になってさ。それですぐに戻ってきて掃除してたんだよ」

「掃除してたってお前一人でできるレベルじゃないだろ。それに窓は? 襖や畳だって、一体どうしたんだ?」

「え? ああ。なんか無我夢中でやってたら終わってたよ。そういやごみも無くなってるな。おれどうやったんだろうな」

 中島は相変わらずにこにこ笑っている。何かがおかしい。

「まあでも家が綺麗になったんだからいいんだよ。あ、そうそう仏壇も綺麗にしたんだぜ。加藤もちゃんと拝めよ」

「お、おお……」

 おれは促されるまま仏壇の前に座った。廃墟の仏壇を拝む……なんだか変だなあと思いつつも目を閉じる。すると突然頭の中に昨夜見た真っ黒のおじいさんの姿が浮かんだ。

 怖くなかった。昨夜と違いおじいさんの視線が優しく感じた。不思議な気持ちで見ているとおじいさんの顔はすーっと綺麗な肌色に変わっていった。そしてにっこりおれに微笑みかけてからゆっくりと消えていった。

 目を開けた時、おれは涙を流していた。心の中が晴れ渡ったような気分になった。


「さ、ホテルに戻って帰ろうぜ」

 中島に声をかけられてはっとしたおれは慌てて涙を拭いた。

「そうだな、帰るか」

 二人で家の外に出たがスマホを廃墟の中に忘れた中島が再び中に入っていった。玄関で待ってようかと思ったけど、おれはなんとなく気になって、家の周りをふらふらと歩いてみることにした。

 一晩でこんなに綺麗になるもんだろうか? でも実際に今すごく綺麗になっている。不思議なこともあるもんだ。そういえばあの壁の落書きはどうなったんだろう? あれも消えたのだろうか? おれは無性に気になった。

 家の角を曲がり壁を見る。壁は真っ白になっていた。本当に綺麗になっている。まるで落書きなんて最初からなかったかのように。

「そんなこと……ありえるか?」

 思わず呟いていた。



「ありえるわけがないでしょう?」



 おれの顔のすぐ右側に女性の顔が見えた。墨のように黒くて短い髪、陶器のように白い顔、血のように赤い口を開いてくすくす笑っている。

「おわっ!」

 思わず後退りした。が、もうその時には女はいなくなっていた。白くて丈の長いワンピースを着た不気味な女。今のは一体……。

 突然の出来事に頭がついていかず焦っていると急に視界が歪んだ。そして乗り物酔いをした時のような感覚に襲われ、真っすぐ立っていられなくなった。どうして急に……。おれは膝をついた。

 しばらくして乗り物酔いのような感覚が収まり、視線を壁に戻した時、おれは愕然とした。壁に落書きが戻っていたのだ。

 昨日見たあの気味の悪い落書きが壁一面を覆い尽くしている。意味がわからない。さっきまで真っ白だったのに。落書きだけじゃない。さっきまで綺麗になったと思っていた家の周りも再び荒れ果てていた。

 玄関は? 窓は? 気になって見に戻ると家は再び荒れ果てているし、窓は全て割れている。家の中も襖は破れ畳ははがれている、何がどうなっているんだ?

 おれは胃の中のものがせり上がってくるのを感じた。そして気持ちが悪くなり思わずその場で吐いた。吐いても吐いても落ち着かず、その場で吐き続けた。吐くものがなくなって胃液すら出なくなってもおれは一歩も動けなかった。



 気づいちまった



 すぐそばで男の声がした。なんとか視線を向けると真っ黒のおじいさんがいた。



 気づいちまった

 面白くない

 でもお前には興味がない

 でもあいつだけは許さない

 あいつだけは許さない

 あいつの命は今日終わる

 おれはお前には何もしない

 何もしない

 おれは何もしないが見ているからな



 おじいさんの口は一切動いていない。しかし、声が頭の中に鐘の音のように響いた。おれはあまりの恐ろしさに身動き一つ取れなかった。


「おい、加藤! 大丈夫か?」

 気がつくと木村がおれの横にしゃがみ込んで顔を覗き込んでいた。おれは我に返った。周りを見るとやはり昨日見た時と同じ荒廃した景色が広がっている。

「大丈夫? 顔が真っ青だけど……何か飲む?」

 木村の後ろにいた三木が心配そうな顔で声をかけてくれた。

「大丈夫。そうだ、中島は? あいつはまだ廃墟の中に……」

「何言ってんだ? あいつなら自分の車だよ」

 木村が中島の車を指さして言う。

「車? あいついつの間に戻ってたんだ? いや、そもそもどうして二人ともここに?」

「どうしてってお前がすごい顔してホテルを出ていったから心配しておれらもタクシー呼んでもらって来たんだよ。中島ならおれたちが到着した時には廃墟の少し手前の道路に止めてある自分の車で爆睡してたぞ」

「そうか……ならよかった……」

 中島が無事だと分かった途端緊張の糸が切れた。おれは目から涙が止まらなくなった。木村と三木がおれを見て慌てていたので申し訳ないとも思ったが我慢できなかった。


 ひとしきり泣いて落ち着いたおれは二人に連れられて中島の車まで戻った。中島はたしかに車の中で寝ていた。どうするかかなり迷ったが、おれは二人にさっきまでのことを話すことにした。

 車から廃墟とは反対方向に二人を連れて少し歩いた。そしてそこで二人に全てを話した。朝来たら家が綺麗に見えたことも、真っ黒のじいさんが中島の命が明日までと言ったことも。

 信じてもらえないかもしれない……正直かなり不安だった。でも、木村も三木もふざけることなく最後までちゃんと聞いてくれた。

「絶対に大丈夫だ」

 木村はおれの目を真っ直ぐ見て言った。

「加藤の話が嘘だとは思わない。お前のその病みそうな顔を見たら信じるしかないって。でも、おれは大丈夫だと思う」

「どうして大丈夫なんだ?」

「だって中島は今のん気に車の中で寝てるんだぜ? それに今日おれたちは帰るんだ。ずっとこの廃墟にいるなら危険だけど、ここから立ち去れば大丈夫だ。変なのはついて来れないって」

「私も木村の言う通りだと思う。それに心配なら帰りにどこかで御守りを買おうよ。そうすれば絶対に大丈夫だって」

「そうか……そうだよな。絶対に大丈夫だよな。おれ心配しすぎだな」

 おれは二人の話を聞いてそう思った。いやそう思い込むことにした。だってそうしないとおれが壊れてしまう気がしたから。

「絶対に大丈夫だよな」

 おれがもう一度言うと、二人は力強く頷いてくれた。おれはそれでやっと大丈夫な気がした。

「ありがとう、戻ろうか」

 おれは無理やり笑顔を作って言った。二人は無言で頷き、おれたちは車に戻った。


 木村が運転席のドアに手をかけるとすんなりと開いた。ロックはかかっていなかった。木村は何の躊躇いもなく中島を起こした。

「おい中島、なんでこんなところで寝てるんだよ。起きろ」

「……え、あれ? なんで車?」

「知らねえよ。お前がホテルにいないからみんなで探しにきたんだよ」

「え、まじで? おかしいな……昨日、そうだ加藤とここに夜来たんだ。で、それから……どうしたっけ?」

 中島がおれの方を向いて困った顔をした。

「お前昨日の夜おれとここに来て、それで真っ黒のおじいさんを見て大慌てでホテルに戻ったんだよ。覚えてないのか?」

「真っ黒のおじいさん? は? 何それ、怖っ。だめだ、何にも覚えてない……」

「まじかよ……」

「まあ忘れちまったのはしょーがないだろ。でもみんな探しに来てくれてありがとう。ホテルに戻って今日はもう帰ろうぜ! なんかおれ疲れてるみたいだわ。さ、車に乗って乗って!」

「いや、お前忘れたって……」

「ほら、さっさと行こうぜ。だってここでぐだぐだしてても思い出せそうにないし」

 中島はそう言っておれたちを車に乗るよう促した。そんなに簡単に切り替えられることじゃないはずなのに……。そんなおれの気持ちに関係なく中島はいつも通りのハイテンションだった。

 その後の旅行については特にこれといったことはなかった。ホテルに戻り荷物を回収してチェックアウト。途中、道の駅に寄って昼ごはんとお土産を購入。そして行きと同じように中島の運転で大学へ戻る。唯一違うのは木村と三木が一番後ろの席に一緒に座って仲良く肩を寄せ合って寝ていることだけだ。

 十五時に大学の前に着いた。

「旅行に付き合ってくれてありがとうな! YouTuberの件は計画を練り直して来週にでもリベンジするわ。じゃあな!」

 中島は相変わらず長時間運転後でも元気だった。大学の前でおれたち三人を車から下ろすと元気に帰って行った。

「あれだけ元気なら絶対に大丈夫だろ」

 木村が苦笑いしながら言った。おれも大丈夫そうだなと思った。


 下宿に戻るとかなり懐かしく感じた。一泊二日の旅行だったのにかなり長い間留守にしていたような気分だ。そういえば木村と三木は真っすぐ帰らず二人でどこかに行く感じだった。二人とも元気だ。

 おれは鞄から洗濯物を取り出し洗濯機をまわしてベッドに倒れ込んだ。するととてつもない疲労感が襲ってきておれはそのまま寝てしまった。

 気がついた頃には日はどっぷりと沈んでいた。家の中が真っ暗だったので電気をつけた。ベッドに座ってスマホを見るとメッセージがかなりたくさん届いている。ざっと確認すると木村や三木からも届いていた。元気だな二人とも。どうせ付き合いますとかなんかの報告だろう。おれは二人のメッセージの確認を後に回した。

 確認を進めるとゼミの竹中先生からも来ていた。珍しいなと思って内容を見ておれはスマホを落とした。



 中島さんが亡くなりました。



 竹中先生からメッセージには確かにそうあった。おれはすぐにスマホを拾って再確認した。竹中先生からメッセージには、中島は夕方に実家に帰ったこと、帰った途端玄関で倒れたこと、病院に運ばれたが手遅れだったこと、通夜は明日行われるということが書かれていた。

 竹中先生には中島のお母さんから電話があったそうだ。通夜は大学からそれほど遠くない会場で行われるらしい。おれは頭の中が真っ白になった。

 あんなに元気そうに帰っていったのに。木村も三木も大丈夫だって言ったのに。なのに中島が死んだ。あのおじいさんが言った通りになった。おじいさんが言ったことをおれは聞いていたのに何もできなかった。いや、何もしなかった。

「なんでおれだけ助かってんだよ……」

 助かったことによる安堵と中島を助けられなかったことに対する罪悪感が入り混じり、何とも言えない感情が胸を埋め尽くした。すると少しずつ視界がぼやけていき自分が泣いていることに気がついた。

 目を閉じて大きく深呼吸をした。そうすれば少しは気持ちが落ち着くと思ったから。

 三回ゆっくり深呼吸をして目を開けると目の前に黒髪でショートカットの女性の顔があった。

「ひっ……」

 おれは思わず息をのんだ。この顔は見覚えがある。今朝廃墟で見た顔だ。どうしてここに? 混乱して何も考えられない。怖くて声も出ないし体も動かない。すると胸に鋭い痛みが走りおれは悶えながら胸を押さえた。あまりにも痛くて呼吸すらまともにできない。



 おれはお前には何もしない



 真っ黒のおじいさんの声が頭に響いた。そうだあのおじいさんはおれには何もしないって言った。言ったのに……。



 おれは何もしていない

 おれはただお前を見ているだけ

 でもおれはお前が死なないとも言ってない



 大きな鐘の音のように頭の中をおじいさんの声が響きわたる。脳を揺さぶるような衝撃に襲われておれは目も開けていられなくなった。

 呼吸ができず遠のく意識の中、残された力でなんとか目を開けると目の前に真っ黒のじいさんがいた。


 真っ黒のおじいさんはそれはそれは楽しそうに笑いながらおれを見下ろしていた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 呪われたーーー! ( >Д<;)
[良い点] 二時間ドラマか、または映画を観ているかのようでした。 [一言] こんばんは。 一万文字オーバーの短編ですが、文字数なんて全く感じないほどあっという間に読み終えましたよ! 設定も、いかに…
2022/08/03 20:00 退会済み
管理
[良い点] ∀・)いやぁ……すごい良かったです。すごい良くて2度読みしました。まさに青春ホラーですね。特に掃除のくだりが非常にパンチありました。廃墟を舞台にそういうエピソードを入れてくるのって実は初め…
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