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霧の中  作者: 野々花
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エピローグ

 霧がたちこめる路地に、四十くらいの男と、十代の少女が座りこんでいた。霧の中は暑くもなく寒くもなく、明るすぎず暗すぎない、不思議な空間だった。

 ラードの言った通り、霧はゆっくりと広がっていて、貧民窟をのみこむと、火の海にした。"R"はある温度を超すと、発火現象を引き起こすのだ。ラードは、太陽製造工場という特殊な磁場の中にいたため、純粋な"R"だけが炎になって、彼のからだは残った。

 太陽という重心を失った霧は、その内と外の空気をへだてるだけで、もはや人を拒まなかった。


  *


「待ちなよ、ジェイ。話はまだ終わっちゃいない」


 シーラをつれてA地区を出ようとしたダッカスを、ラードは呼びとめた。


「おれがもちこんだこの太陽製造の塔の設計図さ。このとおりに塔を作っても、打ち上げには問題があるんだ。本来の太陽製造工場は、強力な磁場がもとからあった場所でね」

「磁場だと? そんな場所あるわけないだろう、U地区以外に! きみはわれわれをたばかったのか? いったいなにが目的だ!」


 老体はラードに食ってかかった。

 ラードはそれを聞き流すと、ぞっとするくらい冷たい笑いを返した。


「早まらないでほしいな。太陽をあげることは可能さ。だが、この世界を照らすには足りない、小さな太陽だ。それでも霧を一瞬で消すには充分。あとは、工場を再建して太陽の打ち上げを再開すればいい。ただ」


 その小さな太陽を作るには材料に条件があってね、とラードは言葉をつないだ。

 その様子から、その場にいる誰かが犠牲になるのだろうと、全員が察した。そのときいたのは、七人の老人と、ダッカス、そしてシーラだった。

 こほんと咳払いをし、わざと間を置いてから、ラードはいけにえを宣告した。


「からだの小さな子供さ。大きすぎる餌をやると、塔は故障をきたすからね。大元の太陽製造の塔もそうだよ。"R"をエネルギーにして以来、ウーウーうなってやがる」


 ダッカスは、シーラを連れて逃げ出した。子供など、捜すほうが困難な世情である。自分が贄の対象でないと分かった老人たちが嬉々として追っ手をさしむけたが、ダッカスの相手ではなかった。


「ジェーイ、どこまで逃げるんだい? 臆病者が」


 最後に聞こえたラードの冷笑が、彼の胸に深く刻まれた。


  *


 そうして、二人は霧の中に座りこんでいた。まだ火の手のまわっていない路地裏。


「あたい、逃げてきて良かったの…?」


 シーラが、何度目かのそのセリフを口にした。


「ああ。べつにおまえが犠牲になる道理なんてねえ」


 そしてシーラは、ダッカスの最後のぬくもりなのだ。彼女を失うことなど考えられなかった。

 だったら、二人一緒に──最期まで一緒にいたい。それだけでいい。シェルターの中で生き長らえてきたヒトがどうなろうが、ダッカスの知ったことじゃなかった。

 狂ってしまったラードも、もうどうでもいいと思った。


「この霧は、どこまで行くんだろうね」


 ふいにシーラが言った。


「でも、凍え死ぬんじゃないだけ、幸せかなあ…」


 一年間、だれも、焦がれつづけた光とぬくもり。


「たぶん、おれたちと同じさ」

「え……?」

「霧の話。…先もなにも見えない、たしかなものなどなにもない。けど、どうでもいいのさ。いや、もう何も見たくないと言ったほうが正しいかな……」

「ダッカス」


 シーラがダッカスに寄りかかった。

 ダッカスは、小さなシーラをそのたくましい腕の中におさめると、きつく抱きしめた。 霧の中は、奇妙なやすらぎに満ちていた。その内と外の喧騒を、霧はシャットアウトしているようだった。


「天国っていうのは、こういうとこをいうのかもしれないね」

「ああ……シーラ」


 シーラもダッカスも、闇の一年間、味わったことのない平和をかみしめていた。


  *


 霧は、ゆっくりと、けれど着実に広がりつつあった。霧が通りすぎた町は、ことごとく焼け落ちた。

 人々は子供の探索に血眼になり、やがて格好の犠牲を見つけだす。

 一年ぶりの、太陽の打ち上げだった。

 霧は解消した。しばらく三十度近い真夏の気温に支配されたが、火災は食い止められ、人々は残った居住地を確保できた。

 それから間もなく、U地区──太陽製造工場地区──が、整備される。そこは、工場そのものが高炉で蒸し焼きにされたような状態だったという。

 みずみずしかったすべてが干上がり、冷たい空気の流入に、合金の壁はあっけなく砂の結晶に返った。

 塔のあった場所を指示したあと、塔の設計図を持ちこんだ男は姿をくらました。

 国の重鎮たちは、ことの恐ろしさを承知してはいたが、追うことのほうが恐ろしく、結局、放置した。

 一年後、暑さのおさまったシェルターの中に、再び太陽があがった。

 輝かしい文明の日々が、人々の手にもどってきたのだ。人々は、狂喜乱舞した。"R"のような麻薬も、流行らなくなった。



 数年が過ぎたころ、人々の生活はすっかりもとどおりだった。


「おろかなものだ……太陽の原理に気付くものが出るたび、文明は危機に瀕する。それなのにそんな文明の恩恵を信じて、浮かれていられる…」


 A地区のまわり、広大な畑のあぜ道をゆうゆうと歩きながら、細身の男が再生した町をながめた。標準化された、無機質な金属の町。

 町を見納めてから、男は行く手を見た。

 畑のはるかむこう、地平線に近いところに、うっすらと白い光の層があった。太陽の光を反射して光っている、それは、巨大ドームシェルターのガラスの壁だ。

 男は、ひとり、そこを目指して足をすすめた。

 そして、ドームの外へ。

 生身の人間ならば、たえられるはずのない、汚染された世界へと、男は出ていった……。


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