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ジェイが真実を知ったのは、ことが起こったあとだった。
いつものように病室にいったら、そこにラードの姿はなく、院長室をたずねていったら、ドアをノックする前にその声が聞こえたのだ。
「うまくいきますかね」
「大丈夫、あれだけ打ったんだ、正気じゃおれまい。そうしたら、過保護なご友人どのは、また手が離せなくなって、我々の足元をすくおうなどできなくなるさ」
「だいたいあいつら、おかしいですよ。せっかくの文明をメチャクチャにしようだなんて」
「おかしいついでに、あのご友人には太陽になっていただきましょうか。せっかく人が大目にみて、ラード警部の看護をさせてやっていたのに、あんなに口が軽いとは。役に立たんよ」
「それは名案だ。ラード警部も、頭は良かったんだけどねえ…少し余計なことをしすぎた。自分の入れ知恵のせいで友人が太陽になったと教えてやりましょう」
「しかし彼には新種の麻薬の実験台になっていただいたわけだし、結果オーライでしょう。本当に先生方はお人が悪いですよ。"R"をはびこらせる前に、更生薬を作っておいて、さらに犯罪を増やそうだなんて」
「どんなドラマが展開するか、楽しみだよ。更生薬をめぐって、人は必死になるだろう。法外な値段をつけるといいね」
「まだ更生薬は完成してませんがね」
「完成したら、ラード警部にも、ご友人のあとを追っていただいたらいい」
すぐに信じられる内容ではなかった。
彼らは、最初からラードの活動を知っていて、それを目の敵にして、ラードを陥れ、ジェイもついでに陥れたというのだ。
「そんな、ばかな。ラードが、実験台…?」
いったい彼は、どこで薬を打ってきたのだろう。それを調べなかった自分が無性に悔やまれた。金で雇われていただけにしろ、その連中にラードは陥れられたのだ。 信じられない気持ちでジェイがうしろに一歩ひいたとき、彼らは傍聴者に気付いた。
「だれだ!?」
「これはこれは、ラード警部のご友人どのではありませんか。立ち聞きとは趣味が悪い」
「お前ら、ラードをどこへやった! ラードを返せ!」
ジェイは夢中で彼らにくってかかった。
「ラード警部なら、地下にいますよ。心配しなくてもいい、あなたを空に送ったあと、すぐに彼も空へ送りますから」
じり、とジェイはまた一歩下がった。
そのとき。
「た、たいへんですっ! 505号室の患者が暴れて、脱走しました!」
病院の看護士が走ってきた。
505号室の患者。それは、ラードのことだった。
波紋のように広がる動揺。
病院の院長がひとり冷静に、知らせをもってきた看護士をつかまえて聞いた。
「だれか追っているのか?」
「そ、それがその場にいたのは僕だけで、その、殴られて今まで気を失って──」
看護士は、最後まで言葉をつづけられなかった。
突然の停電が町を襲い、非常用の電灯がともるまで数秒を要したからである。
その間に、ジェイは病院の外へ飛び出していた。
太陽製造工場。ラードはそこだと思った。
けれど、彼がゴミ捨て場になっていたT地区にたどりついたとき、すでに霧は発生していた。すぐに警察が部隊を編成して駆け付けてきたが、どうすることもできなかった。
そうして、非常用の電源も、一週間で切れた。
闇と冬の到来だった。
麻薬更生院で栽培されていた"R"は闇と寒さにすくすく育った。まず更生院で広まり、ゴミ捨て場に捨てられたが、貧民窟で広まる結果となった。
しばらく世の中は混乱し、やがて無気力とあきらめの静けさに呑まれることになる。
*
「そのとき親友に取りのこされた、馬鹿な男がおれだ」
と、ダッカスは言った。
「え…でも、ジェイって……」
「ダッカスは、死んだ女房がつけてくれた名前だ。太陽がなければ、エネルギー資源は本当にわずかでね、やつらがおれに言ったんだ、親友の後始末をつけろ。太陽を取り戻せ、と」
「そんな、ひどいっ!」
「ああ、だからおれは暗やみの町に逃げ込んだ。死んでやるつもりだった。そのとき、女房に会ったのさ。彼女は、混乱の中で、自分を守って欲しいと言ったよ。死ぬつもりの生命なら、自分にくれとね」
「それで、あげたんだ」
「おれは、ダッカスという雇われ警備員になった」
「奥さんに死なれたとき、あたいを拾わなきゃ死んでたって、そういうことだったんだね。"R"をあんなにも嫌ったのも…」
Rの単語に、ダッカスは苦笑した。
R。ラードのR。なんて皮肉なネーミングをつけたのだろう、R開発の研究員は。そしてダッカスも、Rの研究段階で貢献した人間なのである。
手のひらの中に納まったラードの薬莢をぎゅっと握り直し、シーラがいてくれてよかったとダッカスは思った。
でなければまた逃げ出していたから。
「シーラ。やつは…ラードは生きてる。たぶん、あのアンドロイドがいたところで」
「わかるの…?」
「わかる。薬莢にチップを入れてよこすなんて、ラードくらいだ。それにさっきのアンドロイド……"ジェイ"って聞いて、『アルファベットの?』と聞きなおしただろう。人の名前をたずねている場面で、あんなふざけた回答を返す理由はひとつだ」
「ジェイを、知っていたってことだね。よかったじゃない、親友が生きていて」
シーラは明るく言ったが、ダッカスは首をふった。
「やつが昔のやつなのかが、わからない」
「なに、それ。どうしてそんなこというんだよ。正義感の強いやつだろ?」
「だが、太陽製造工場では、いまも太陽はあがってる」
「!」
ダッカスの告げた疑惑に、シーラは自分でも信じられないショックを受けた。
そう、そうなのだ。あのアンドロイド。この暗やみはたまらないと言った。そして、さっきダッカスが言っていたこと。
霧の発生当時、工場にいたのは百人あまりの囚人とアンドロイド。そこから一年。かみあわない数字の意味するところは分からない。だが、何日おきか、不定期かにしろ、工場ではいまだに太陽の打ち上げが行なわれているのだ。
「ダッカス…帰ろう、よ。どっか、逃げちゃおうよ。あたい、太陽なんていらない! いまの暗い世の中でいい!」
シーラはダッカスの腕を引いたが、男の体はびくともしなかった。
「だが、おれはラードから目をそらしちゃいけないんだ」
ダッカスは、あえて親友の名前を口にした。自分だけは逃げてはいけないと思った。
親友をラクにしてやることもできず、死を選ぶこともせずにきた、ダッカス。
本当は、アンドロイドもシーラも放り出して、逃げるために部屋を出た。親友のお守りと一緒に死んでやろうと思った。
けれど、シーラはダッカスを追いかけてきた。こんな自分を必要としていた。
少女の細い腕を見たとき、彼女のために少しでも明るい未来を残してやる義務があるのだとダッカスは気が付いたのだ。
そのためには、ラードと自分の暗やみの過去は清算されなければならない。
「おれにはこれが、霧のむこうで苦しんでるやつのSOSだと思えてならない」
ダッカスがそう言ったとき、ふたりはA地区の入り口までたどりついた。
白銀の門扉が、ぴたりと閉ざされていた。
ダッカスは、"ジェイ"と名乗り、指の静脈を合わせた。
A地区につづく扉が開く。
「う…そお……」
そこには、真昼の明るさがあった。




