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「やあ、お帰り。ジェイくん」
「おいおい、どうした、ラード。酔っ払ってるのか?」
ジェイがH-14地区にあるワンルームマンションに帰ると、そこには十年来、寝食もともにしてきた相方がだらしなく横になっていた。その首には、お守り代わりの薬莢があった。
加薬式の銃は、核戦争で人々がシェルターに入る前まで使われていたもので、実物は博物館に並んでいるくらいだったが、ラードはそれが好きで、どういうルートを経由してか、入手したのだった。
「いやあ、いい気分なんだよ、いいだろう?」
「なにを言ってやがるんだ、こいつは。その分だと飯は作ってねえな。ラード。聞こえてるか? …ったく、お前はすぐ食事当番をさぼるんだから」
ジェイがキッチンに立った途端、ラードのすっとんきょうな笑い声があがった。
「ジェイ、理想を捨てたお前は、まったく正しかったよ」
「おい、ラード。いったい何があったんだ? らしくもない。酒はやめとけといっただろう。ビール一杯で倒れる奴が」
「だから酒は飲んでないって、さっきから言ってるだろ」
「そのどーこーが!」
「ちょっと薬を打っただけじゃないか」
「くすり!? おまえ、ヤクやったのか!?」
ジェイが慌ててラードの腕を探ると、そこには打って間もない注射針の跡があった。
「新種だってさ。最近、麻薬も規制が厳しいからなあ。地下で栽培できるやつらしいぜ」
「ば、ばかやろうっ! お前、中毒の恐ろしさは、人一倍知ってるだろ!?」
「大量に打つほどバカじゃないよ、くせにならない程度だ。そう、病院の麻酔と変わらない」
「ブツはどこやった、ラード、頼むから、出してくれ。絶対に検挙しないから!」
「ない」
「ないって、嘘つくなよ。いま打ったばかりだろ?」
「うん、一時間くらい前かなあ…知り合いに分けてもらってさ、その場で打って、あとは捨ててきた」
「その知り合いってのは何なんだ。お前、まさかひとりで変なことに首つっこんでんじゃねえだろうな!?」
ジェイに怒鳴り飛ばされても、ラードはへらへらと笑っていた。
「ラード……なにが、あった? ヤクに手を出すほど……」
「パスワードは"J"だよ」
「…パソコンか」
ジェイは、すぐさまふたりで買ったコンピュータに向かった。
ラードは、そのあいだも笑いつづけていた。
パスワードを入れると、報告書とでもいうべき文面があらわれた。
『私が疑問に思ったのは、これだけ刑罰が厳しい中、なぜ犯罪が絶えないのかということである。人々が死に向かっているとしか思えない異常犯罪………』
「ラード…これは……」
文面を読みすすめるにつれて、ジェイは相棒の正義感の強さに、いまさらながらに驚いていた。
ラードがまず知ったのは、裁判官や権力者たちが、故意に死刑囚を多くしていることだった。年間千人以上がノルマになっていた。
そして、それなのに減らない犯罪。
それもそのはず、貧しいものや、落ちこぼれ、運の悪かったものが目をつけられ、故意に落としいれられて、犯罪に走るよりほかない状況に追い込まれていたのだ。ラードが調べあげただけでも、それは百を下らない。ターゲットとなった人物の就労を阻害したり、無理やりシンジケートに引き込んだり、なかにはまったくの濡れ衣もあった。
ラードが次に調査したのは、死刑囚が送られる先だった。世間的には刑務所で、とされていたが、それが偽りであることを彼は知ったのである。
文面は、そこで途切れていた。
「ラード…おまえ」
「死刑囚が密かに送られていた場所……どこだと思う? 傑作なんだよ、ジェイ」
その場所が、ラードを麻薬に走らせるほどの衝撃を与えたのだろう。
これだけの調査をやってきたのだから、やばい橋を渡っている連中との関わりも相当あったはずである。
「U地区さ! 人は立ち入り禁止のU地区だったんだ!」
ラードは、おかしくてたまらないというようにその言葉を吐き出した。
「それって…あの、太陽製造工場……?」
「そうさ。やつらはそこで太陽を作る手伝いをさせられるのさ。アンドロイドと一緒に。全然、暑くないそうだよ。太陽打ち上げの塔のなか以外は、常温だってさ」
「ラード。なにを言ってるんだ? なぜ、わざわざ死刑囚をそんなところに送る必要がある。手が足りないなら、アンドロイドを増やせばすむ話だろう? そんな手のこんだ真似をして……太陽を作る核が暴発したときの処理員が必要だったのか?」
「まだ、分からない? ジェイ。優等生のジェイ。囚人は、そこでね、太陽の打ち上げを手伝いながら順番待ちをしてるんだよ。自分が太陽になる、ね」
「………ラード?」
信じられない言葉を聞いたジェイは、正気か、とラードを見た。
「人工の太陽が核でできてるなんて、オオウソ。冬は二人、春と秋は三人、夏は四人。生きた人間からエネルギーを搾り取って、太陽は毎日毎日空にあがっているのさ!」
瞬間、のどにこみあげてきたものを、ジェイは押さえることができなかった。
床にぶちまけて、そのまま咳きこんだ。
「ははっ、ジェイは簡単でいいね。それですむんだから」
咳きこむ相方を見て、ラードはさらに笑った。
それから、ふいに押し黙った。
「ら…ど……?」
落ち着いてからジェイがラードを見ると、彼は青ざめていた。
「おかしいな…一日は効いてるっていってたのに。やっぱり、新種は駄目だね…」
「ラード! やめろ、行くな!」
ふらふらと出ていこうとする相方を、ジェイは必死で止めた。
しかし、ラードは恐るべき怪力を発揮して、ジェイをはねつけると、そのまま部屋を出ていってしまった。
「ラード! …ラード!」
麻薬が相方をおかしくした。ジェイに理解できたのは、それだけだった。
なんとかラードをつかまえたジェイは、彼を麻薬の更生院に入れて、その看病と仕事をつづけながら、独自に太陽製造工場を調べた。結果は黒だった。すべてラードの調べたとおりだったのだ。
太陽の製造には生きた人間のエネルギーが必要で、だがそれを公にすることは、太陽をなくしてしまうことにもつながりかねた。だから、死刑囚を多くして、そこに送り込んでいたのである。
性急で雑だったジェイの調査は、すぐに露見した。彼はそれを自分ひとりの疑惑からすすめた調査だったと白状した。病院に残されることになるラードが心配ではあったが、彼さえ生きて、更生してくれたら。
処罰を覚悟したジェイだったが、なぜか、ときの大統領に引きあわされた。
「君の友人が麻薬の更生院にいるらしいね。君が彼の更生にがんばっていることも聞いたよ。私はそういう話に弱くてね。もちろん、君を社会に帰してあげることはできない。だが、死刑囚としてではなく、点検員として、太陽製造工場で働くというのはどうだろう。君の友人の入院費はわれわれが援助するし、工場の点検以外は、友人についていていい。点検作業は月に二日程度だから、つまり君は、警官という多忙な仕事から解放されて、友人の世話に大きな時間をさけるようになるわけだ」
このとき、彼は気付くべきだったのだ。自分が丸めこまれて、彼らと同じ罪を──すなわち、文明を優先して人の生命を黙殺する罪を着せられようとしていたことに。
しかし、彼はラードを何としても更生させたかった。彼がもとどおりになれば、ジェイよりもはるかにすばらしいことができると思っていたから。
そうして、ジェイとラードの麻薬との戦いの日々が始まったのである。
それに太陽製造工場の点検員になることは、ラードの求める証拠を奪う機会が増えることにもなると、そうも思ったのである。
「ラード。気分はどうだい?」
「ジェイか…」
暗い病室で、返されるのは、かつてからは考えられない弱々しい声だった。病院の医師によると、新種の麻薬だからはっきりとはいえないが、ラードが服用したのは、後遺症としての反動が大きいものだったらしい。
「まだおれが分かるんならいいさ」
ジェイは、自分の顔さえ判別できず、暴れていたころの彼を思い出して、そう言った。 少しずつ、確実によくなっている。そう信じていた。
悪夢は、"冬"が始まってからだった。
人工の太陽のため、気温は決まった日付を境に、がらりと変わる。冬の設定温度は八度だった。
「ラード。今日は本を買ってきたぜ」
いつものように病室に入ったジェイは、ベッドのうえで、もだえている彼の姿を目のあたりにしたのだ。
「ラードっ! ラード! 待ってろ、いま、医者を……」
医者はすぐに駆け付けてきた。
「ジェイ、…ジェイ! 助けてくれ……くわれっちまう……!」
それが、医者にあとを託して病室を出たとき、最後に耳にしたラードの叫びだった。
その日、ジェイは、医師からラードを侵しているものの正体を聞かされた。
服用方法から中毒性や禁断症状にいたるまで、強力な麻薬と変わらないその麻薬。しかしそれは、従来の麻薬にはなかった、恐ろしい作用をもっていたのだ。人の血液に入ったら最後、確実に根付いてしまうという要素が。その要素が、幻覚をともなった禁断症状を引き起こす。
新種の麻薬は、Rと名付けられた。
ラードがその一冬を超すのは、並大抵の苦痛ではなかった。とにかく部屋を暑くして、夏ほどに暑くして、光を遮断した。まだ研究途中で、"R"が温度の条件が整うよりも、暗所が好きだと分からなかったのだ。
春にようやくそれが解明され、病室は一転して、光で埋め尽くされた常夏の空間になった。
ラードも落ち着いた。
そして、ジェイが裁かれる日はやってきた。
「ジェイ。おまえ、仕事は?」
彼がラードに付きっきりになってから一年が過ぎていた。
「やってるよ、ちゃんと。おれだって毎日来てるわけじゃないだろ」
「そうだけど…でもお前が来ない日なんて、月に二、三回じゃないか。考えてみればおかしかったんだ」
「それだけ余計なことを考えられるようになったんなら、もう大丈夫だな」
ジェイは、嘘を言った。
ラードには、"R"は強力な麻薬としか告げていなかった。
「ごまかしはいらない。正直に答えろ。お前、おれに隠れてなにをやっている?」
「仕事と、お前の看病」
「その仕事が何だってきいてるんだよ! 警官は──やってないよな、これだけおれについてりゃ」
「割りのいいバイトを、ちょっとな」
「だあ、かあ、ら! その内容を言えっつうに! お前の嘘くらいお見通しなんだぜ!」
正直もののジェイは、そこで嘘をつきとおせなかった。
ぽろりと、こぼしてしまったのである。
「太陽の……っと、いや、あの、だな」
「太陽製造工場? ジェイ、そうなのか?」
ラードの問いは、ほとんど確認だった。
「そうすれば足元もすくいやすいだろ!?」
ジェイは言った。しかしラードはすぐに、彼の治療と看病に関係があると気付いた。
「ばかやろうっ! なんで、なんで敵に魂売っちまうんだよ、おまえは! おれのことなんか放っておけよ! 真実を受け入れることもできなかった弱虫なんだからよ! 警官やめて、どうやってやつらの足元をすくうんだよ!? おまえ、はめられたんだよ、どうして気付かないんだ、そんなこと」
「おれはっ! おれは、お前じゃないんだ。馬鹿なんだよ、役たたずだよ、だからお前に更生してほしくてっ」
「でも、どうがんばってもおれは更生できない」
「どうしてそれを!?」
叫び返した言葉が、決め手になった。
「やはり、そうか」
「お…まえ、かま…かけたのか……?」
「分かってたさ。自分のからだのことは、自分が一番よく分かる」
けれど、おそらく彼自身で何度も否定してきた考えだったにちがいないのだ。
「ラー…ド、ラード! おれ、…おれ、どうしたらいい? ラード!」
ジェイのほうがラードに泣きついた。
「法廷で訴えてくれ。ジェイ。おれは、お前にやつらを倒して欲しい」
「わかった。だいたい太陽製造の細かい資料のありかはわかってるんだ。それをいただいて、裁判所に提出するよ」
「いや、ジェイ。先にマスコミだ。テレビに流せ! そうすれば、国家がどんなに法廷に圧力をかけても、事実は市民の耳に届く。そして、それが一番大事なんだ」
「わかった。生命にかえても、成しとげてみせるよ」
しかし、ジェイがもう一度太陽製造工場に足を踏み入れることはなかったのである。