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夢幻の書  作者: こばこ
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第十八章「選択」④

「セディア!」

 気づいた時には、ウィンはそう叫んでいた。さまざまな感情がこもったその声は、間違いなく彼の耳に届いた。彼の体にわずかに力が戻り、顔が小屋の方を向いた。

 その仕草にウィンが身体を浮かせた時だ。ぐっと強い力で肩を掴まれたかと思うと、パァン!という音とともに右頬に衝撃が走った。ろくに食事を取っていないウィンの身体は簡単に吹っ飛び、小屋の壁にしたたか背中をぶつけた。

 戦闘慣れした身体はとっさに跳ね上がり、攻撃をした相手に対して身構える。

「ロディ……」

 ここ数日の苦々しい表情に、さらに怒りを上乗せした兄が、ウィンを見下ろしていた。

「あいつに期待を持たせるなと言ったはずだ」

 反論しようと口を開いた時だった。ウィンの耳に微かな声が聞こえた。

「ウィ……ン……?」

 絞り出すようなセディアの声。身体を支える力も失った彼が、それでもウィンの声を聞きつけて応えていた。彼女の声音に、彼を案じる気配を聞き取ったに違いなかった。

「残酷なことを」

 ロディの声には、セディアへの同情が滲んでいた。

「いいか。もう一度言う。あいつに姿を見せるな。声を聞かせるな。期待を持たせるんじゃない。

 あいつの身体のことなら心配するな。姿を見せないだけで、仲間は必ず近くにいる。あいつらがセディアをみすみす死なせるわけがない。本当にやばくなったら助けに出てくるだろう」

 ウィンには考えつかなかった可能性だった。

「自分が助けるしかないと思うな。あいつには帰る場所がある。気が済むまでああすればいい。やるだけやって、すっぱりと諦めさせるんだ」


 そうだ。ロディはいつだって正しい。そしていつだって優しい。兄として、時には師として、いつもウィンをあるべき方向に導いてくれた。その道に、疑問を感じたことなどなかった。

 大好きな兄。手を差し伸べてくれたただ一人の肉親。尊敬する師。その言葉に従うべきだと思う。感情がぐちゃぐちゃになっている自分よりも、合理的な判断を下していると思う。

 だけど。

「……ウィン」

 熱に浮かされたように、切れ切れに聞こえるセディアの声が、思考を千々に乱れさせる。思わず耳を塞いだ。愛に満ちた苦しげな声を、もう聞いていられない。


(ずるい女)


 ディージェの声が聞こえた気がした。気のせいかもしれなかった。


 *


 昼過ぎに、雨が降り始めた。冷たい静かな雨だ。耳を塞ぐ手を外しても、もう彼の声は聞こえなかった。雨音にかき消されているのか、彼が声を出す力を失ったのか、ここからは分からない。

 横たわったセディアの身体に、容赦なく雨粒は注がれていく。ウィンは、もう彼の姿を見ることも出来ずに、それでも壁の隙間からは離れられず、ただ三角に折り曲げた脚に顔を埋めていた。

 突然に、ガランガランと鳴子の音が響き渡った。セディアが来たときとは違う、激しい鳴り方だ。新しい弓を作っていたロディは素早く配置につき、古く馴染んだ弓に矢をつがえた。

 セディアが現れたのと同じ茂みから、雨に濡れるのも構わず荒々しい動作で現れたのは、フローラだった。

「お兄様!」

 そう叫んでセディアに駆け寄る。彼女に、ラスクとシルヴィーが続いた。

 ああ、やはりロディは正しかったと、ウィンは思った。

 ぎっと弓を引き絞るイーゼンに、待て、とロディが短く命令する。

「こちらに近づかない限り、射なくていい」

 言外に、さっさと帰ってもらえと言っていた。

 ウィンは、フローラたちの出現にほっとしている自分に気付いていた。仲間と帰ってしまえば、もうセディアと結ばれることはないだろう。だけど、もう彼が私のために命を危険に晒すことはない。

 それだけでいい。無事でいてくれれば。この苦しい時間が終われば。そう思った。

 フローラがセディアに近づき、助け起こそうとするのが見えた。ラスクも手を貸そうと屈み込む。話し声がするのは分かるが、雨の音で内容までは聞こえない。

 その時。

 セディアが、フローラの手を乱暴に払い退けた。


「嘘だろ……」

 ロディが思わずといった口調で漏らした呟きが、ウィンの耳に届いた。

 セディアの行動を見たラスクは自ら一歩下がる。シルヴィーは、少し下がった位置から、悲しげに三人を見つめていた。

 フローラの声が高くなる。そして、どこにそんな力が残っていたのか、セディアは降りしきる雨に逆らうように身体を起こした。そして、ウィンたちの方に向かって頭を下げた。

「ウィン!」

 フローラの怒鳴り声が、雨を越えてウィンの耳に届いた。

「あなた、いい加減にしなさいよ!」

 セディアに拒絶されたフローラの矛先が、ウィンに向かっていた。

「お兄様にどこまでさせれば気が済むの!?お兄様の気持ちに応えられないなら、出てきてはっきりそう言いなさいよ!ここを教えておいて、こうやって放置して、愛情を試してるつもりなの!?人でなし!」

 その通りだとウィンは思う。その通りだ。悪いのは私だ。だけど、苦しい。苦しい。

 フローラの声が止んだ。見ると、セディアが彼女の服の裾を掴んでいた。何か話しているようにも見える。続いてラスクとシルヴィーがフローラをなだめているようだ。そして、再びこちらを向いた彼女は、

「ウィン!お兄様にもしものことがあったら、私はあなたを許さない!お兄様もわたしも、あなたに助けられた命だけど、それでも許さないから!」

 最後は涙声になっていた。姫君らしくない仕草で雨とも涙ともつかない水滴を腕で乱暴にこすって、フローラは元来た茂みから森の中に戻っていく。シルヴィーが彼女を追った。また、ガラガラと鳴子が響いた。ラスクは、少し躊躇って、セディアを見、ウィンたちの方を見、しばし項垂れてから、森に向かって踵を返した。

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