第十七章「道化」⑤
またしばし沈黙が一同を包んだ。夕方が近付き、宿屋の玄関が騒がしくなってきた。
「俺からも聞きたいことがある。憑座ってのは、王家のものを好んで生まれるのか?あんたも、ウィンも、先代の大地の憑座も王族だ。偶然で、そんなことが起こり得るのか?」
確かに、偶然だったとしたら出来過ぎだし、偶然でなかったら気味が悪い。もう一人の憑座も、政治的な話に絡んでくるかもしれないのだ。
「どうなのかしら。そんな話は聞いたことはないわ」
フローラはそう言って首を傾げて、
「オセアに聞いてみる?」
と言った。
「……魂憑祭です」
それまで沈黙を守っていたシルヴィーが、その問いに答えた。
「え?」
「魂憑祭はもともと、三女神信仰の中で、生まれてくる子が憑座になることを祈る行事でした。女神様たちは、次の憑座を探している時期に行われた魂憑祭の中で、多くの人に幸せを祈られた女の子を、憑座に選ぶのです。より多くの人に愛され、待ち望まれ、憑座の力がなくても十五歳まで生き延びられそうな子、そして自分の好みに合った子を、女神が選ぶための儀式が魂憑祭なのです。
今の北ノ国ではそのことは忘れられ、安産を祈るものに変わっていますが、女神たちは今なお魂憑祭を見守っておられるのです」
ラスクとフローラは、驚きを持って巫女を見つめる。
憑座の選定は、元より公平ではなかったのだ。
「なぜ、それを今まで俺たちに言わなかった?」
ラスクが、鋭い口調で問うた。
シルヴィーは答えない。
「ウィンの……大地の女神の指示か。あるいは風の女神か」
「聞かれなかったから、です」
「聞かれなかったから?」
「はい」
「へえ」
ラスクはシルヴィーをまじまじと見たが、それ以上何も言わなかった。
「あの、私からも、よろしいですか」
そのシルヴィーが、また口を開いた。
「ウィンたちの名誉のためにお伝えしたいことがあります」
驚いた様子のラスクの横で、フローラが頷いて先を促す。
「姫さまとの出会いは、彼女たちが仕組んだものではありません。二人は本当に、海の女神様の依頼に応えて助けに来てくれたんです。
彼女たちは、ラスク様の仰った通り、ビヒロ高原の戦いから逃れた陽国の王子たちです。ビヒロ高原の後、お二人は北ノ国を見て回りながら、憑座同士は必ず出会うという運命を信じて、仲間を探す旅をしていたのです。そしてその中で、ココシティに立ち寄っていたのです。
出会いは、ある意味で偶然であり、ある意味で運命であり、海の女神様と大地の女神様の関係性の結果です」
緊張に固まる部屋に、シルヴィーの、鈴を振るような美しい声が響く。
「ロディには、お二人を利用しようとしていた部分が全くないわけではないと思います。それに、ご本人も言っていたように護衛の仕事と割り切っていました。
でも、ウィンは、ただ憑座同士、仲間として、姫さまと……皆さんと、旅をしていました。ウィンは、本心から皆さんが大切だから、一生懸命守ろうとしていたんです」
そう言って、彼女は頬の横に垂れる髪にそっと触れた。フローラのために、ウィンからシルヴィーに渡った黒髪に。
「お前は、ずっと知っていたんだな。ずっと知ってて、黙ってたんだな」
突然、硬い声が空気を震わせた。
しばらくぶりに顔を上げたセディアが、シルヴィーに向き合っていた。その瞳は激しい炎を湛えている。
「女神様のご意志です。それに背くことはできません。私は」
「『巫女ですから』!」
セディアが立ち上がって怒鳴った。
「巫女ってのは楽でいいな!自分の頭で考えることもなく!女神から言われたことにただ従っていればいいんだから!」
セディアからの激しい叱責に、シルヴィーはただ俯いた。怒声が切れると、しんとした静けさが空間を埋めた。宿屋の喧騒は、遠い。
シルヴィーの顔を半分覆う黒髪を、セディアは睨みつける。ふっと、その端正な顔が歪んだ。笑みのようにも見えた。
「知らなかったのは俺たちだけってわけだ」
返事をする人は、いない。
「はっ!ははははっ」
突然、彼は天を仰いで笑い出した。
歪んだ笑顔。誰も知る由もないが、出会った当初ウィンが嫌悪したその表情で、彼は声を上げて笑った。
残りの三人は、凍りついたように彼を見つめた。
「俺たちは、俺は、何も知らずに彼女に助けられて、何も知らずに彼女を困らせてきたってわけだ。とんだ道化だ」
「お兄様……」
「彼女は、一体どんな気持ちで俺を見てたんだろうな。さぞかしおかしい見世物だっただろうよ」
そう言って、彼は俯く。その言葉も態度も、急速に勢いを失っていく。
「どんな……気持ちで……」
それ以上言葉を紡げなくなって、彼は片手で髪をぐしゃぐしゃと掻く。
「くそっ」
そのままセディアは部屋を出ていった。
追いかけようと腰を浮かせたフローラを、ラスクが手で制する。
「俺が行く」
そしてシルヴィーに向かって、言った。
「嬢さんを頼む」
フローラとシルヴィーは、ただただ二人の背を見送った。