第十七章「道化」②
「まず、ビヒロ高原だ。あの秋、北ノ国は、ビヒロ高原で陽国と戦っていた。こっちの大将はこいつ」
ラスクは視線でセディアを示す。
「あっちの大将はリウ・モン。何度目かの、因縁の対決だ。
俺たちは高原の北西に陣を敷いていた。魚鱗の陣だ。背後は山で、左右に広い陣だった。何日か戦って膠着状態になり、お互い次の一手を模索していた。
そんな時、左翼がリウ・モン率いる少数部隊に横撃された。これは結構厳しい手でな。横撃は想定してなかったわけではないんだが、地形的に大軍は来られないから、大打撃にはならないと踏んでいた。だが、そこに、一騎当千のリウ・モン本人が乗り込んできた。俺たちは、そっちに戦力をかなり割かざるを得なくなった。こうなると、陣の均衡が崩れる。
で、こういう時は、混乱した隙に大軍が本軍が突くとか、もうちょい規模の大きい別働隊と少数精鋭で挟み撃ちするとか、そういう手を取るもんなんだ。そしたら、この奇襲は戦全体を左右するものになる。実際、リウ・モンはそういう作戦を立てていたんだろう」
そう言ってラスクはちらりとセディアを見た。しかし、皇太子は何も言わず、視線も動かさない。ラスクは続ける。
「リウ・モン本人が奇襲をかけてきたと知った時、俺は正直やばいと思った。それと、さすがだってな。最強の大将が本陣を抜けて、相手の脆いところで暴れ回る。そんな手を取るあいつは、やっぱり武王の再来だ。そのまま相手の別働隊や本軍がきちんと動けば、あの戦はどうなっていたか分からない。
だけど、本軍は動かなかった。申し訳程度にこちらの右翼を攻めて、戦力を削っただけだ。誰も、左翼の少数精鋭を助けに行かなかった。本軍の奴らはあの日、戦全体の勝利よりも、リウ・モンを頓死させることを優先した。
少数精鋭はこっちの左翼の軍に囲まれ、削られ、ついにはリウ・モンとリウ・ファンの二人になった。リウ・ファンは、初陣以来いつも、異母兄であるリウモンと行動を共にしていた。
ちなみに、武王以降の陽国の王族で戦に出ているのは、この二人だけだ。現王も皇太子も、その他王子たちも、誰も戦場に立っていない。
リウ・モンとリウ・ファンの連携は、素晴らしかったと聞いている。背中を預け信用し合い、息が合っていたと。二人になってからずいぶん手こずって、ようやく疲れが見えてきた。仕留め時だと思った時に、奇妙なことが起きた」
そう言って、ラスクはフローラに頷きかけた。二年前の秋、ビヒロ高原の戦場で起きた『奇妙なこと』。
「リウ・モンとリウ・ファンの身体が光り輝いて目が見えなくなった。気が付いたら二人は馬に乗っていた。地震が起きて兵士たちは立つこともままならない中、二人の乗った馬だけは何事もなかったかのように駆けて逃げていった」
ラスクはフローラを、そしてセディアを見る。セディアは頑なに、視線をあげようとはしない。
「それが、その場にいた兵士たちの証言だ。ビヒロ高原で味方に裏切られ、敵に囲まれて絶体絶命の状況で、リウ・ファンの……ウィンの、憑座の力が目覚めた。二人は間一髪逃げ切った」
セディアが、これまでに女神に助けられたことがあるのかと尋ねた時、ロディは言っていた。
『二人ともが危なかった時に、二人ともを助けてくれた』
あれは、この時のことを指していたのだろう。嘘をつかない範囲で、真実を知らねば何を指すのか分からない回答。
「そんな報告は受けていない」
セディアが、顔を上げないまま呟いた。文句のようにも、聞こえた。
「話してないからな、突拍子もなさすぎて。ただ、そう証言したのが一人二人じゃなかったから、その場にいたやつらで取り逃した言い訳の口裏合わせをしたのか、あるいは集団催眠にでもあったのか、わけの分からないことを言っている者が複数いる、って形の報告になってたと思うぜ。その後の調査で、リウ・モンとリウ・ファンの過去にそういう類の怪異は何もなかったから、余計にまともな証言とは思えなくってな」
その後の調査。
その言葉が、フローラの耳に留まった。
「あなた、さっき『全てつながった』って言ったわね。南に、行っていたとも。じゃあ、南で、陽国で見聞きしたことも……?」
「ああ。なんでリウ・ファンが男として育てられたのかも、リウ・モンが異母きょうだいのリウ・ファンと運命を共にしているのかも、今なお陽国に帰らず、北ノ国をうろついてたのかも。
推測だけで証拠はないけど、あまりに筋が通った推測ができるから、大きく外れてはいないと思う」
ラスクはそう言って、フローラに頷きかけた。セディアは、ラスクの言葉にまた別の日の会話を思い出していた。
『あいつらは同じ家庭で育った訳じゃない。一般的な意味でのきょうだいでは、恐らくない』
『異母兄妹か、なるほどな。それはあり得る』
ミトチカの偵察のしばらく後だ。ウィンに気を許すなと、ラスクに釘を刺された時だ。
ウィンが何かを隠していることなど、とうの昔に分かっていたではないか。低い身分の出ではないことも、ロディと本当のきょうだいではないことも。
隠し事の理由に、深く思いを馳せなかったのは自分だ。それよりも、目の前で自分たちを助けてくれた、その姿を信じたいと、思っていた。そう思っていたはずなのに。